警告
この作品は<R-18>です。
18歳未満の方は
移動してください。
二話のしばらく後の話です。
季節は夏になってます。
道連れ 1
彼女が椅子からテーブルの上に乗りあがる。男たちの歓声がひときわ大きくなった。
そのテーブルにいた男たちは、慌てて料理をどけ、酒の入った杯を抱え込む。避難に間に合わなかった杯から麦酒がこぼれてテーブルに広がった。
彼女は酒だまりの上で裸足のまま爪先だちになり、もう片方の脚を高く跳ね上げた。何枚もの色とりどりの軽い布を重ねた服の裾が翻り、美しい脚が一瞬覗く。次にあがった歓声はもはや悲鳴に近い。
「ちょっとどいて!」
「前行こ、前!」
あろうことか、スタンリーと仲間の男たちまで、呆然と踊り子を見つめるシェリルとマライアを押しのけ、彼女が踊るテーブルの真下に殺到した。
酒場の中は、踊り子の一行が奏でる、南の国を思わせる情熱的な旋律と、男たちの喧騒に包まれていた。
「男って本当に幸せだよね」
シェリルの向かいに座っている、金髪の女戦士が呟いた。その視線は踊り子の一団が奏でる音楽に合わせて、手拍子、足拍子を鳴らし、調子外れの歌声をがなり立て、口笛を吹いている男たちに注がれている。
酒場中の男が、踊り子が踊るテーブルの下に集まって総立ちになっている為、数少ない女性たちは慎ましく男性方に場を譲り、隅のテーブルに陣取って、彼らの乱痴気騒ぎを眺めていた。
踊り子の長い脚が跳ね上がり、腕がしなやかに舞う度に、彼らは歓声をあげ、身を乗り出す。もっと彼女をよく見ようとしたのか、椅子を持ち出してその上に乗り上がった男を、視界の邪魔になるからと言って、別の男が引き摺り下ろしている。男二人は口論になりかけたが、太鼓の音が響き、踊り子の服の裾が翻るのが見えると、すぐに喧嘩を忘れて、そちらに集中した。
椅子の男を引き摺り下ろしたのは、真面目で善良な、シェリルたちのリーダー、スタンリーである。
「バカみたい」
呟くマライアの様子を見る限り、彼が彼女の評価を落としてしまったことは明白だった。しかしシェリルも同情する気になれない。深く頷いた。
「でも本当に、滅多に見ないくらい、綺麗な踊り子ですね」
女戦士に護衛されているらしい、若い商人の娘は仏頂面のシェリルとマライアをとりなすように微笑んだ。相手が悪かったと言いたいのだろうか。
確かに今、テーブルの上で安酒に素足を浸し、酒場中の人間の視線を集めて踊っている女は、ずば抜けて美しく、またこの場末の酒場と男たちの喧騒がこれ以上ないくらい似合う女だった。
中背のすらりとした肢体は優美ではありながら、野生じみた躍動感を秘めているように見えた。肌はこの地方では珍しく小麦色に焼け、それが彼女の彫りの深い顔立ちと、豊かな胸と腰を持つ肉体を引き立てている。陽光を吸い込んだような明るい茶色の髪は、尻の辺りまで長く伸び、彼女の動きに合わせて舞った。
たるみのない、細いがうっすらと筋肉のついた手足の先に付いた金属の細い飾りが、ちりちりと澄んだ音を立てる。それが喧騒を経て聞こえてくるのが不思議だった。
この酒場にただ居合わせただけなら、素直に彼女の妖艶で美しい踊りを楽しむ気になったかもしれない。
しかし、元々ここで演奏を始めたのはシェリルたちが先だった。
夕方前にここに宿を取り、路銀の足しにしようと、彼女たちは早速歌と演奏を始めた。
スタンリーのフィドルはなかなかの腕だ。他の二人の笛と竪琴も、人に聞かせられるくらいのものではある。
肝心要のシェリルの歌も、声量はやや足りない感があるが、彼女特有の甘い優しい声は、酒場の男たちに耳を傾けさせるくらいの力はあった。
四人の後ろでマライアが叩いている太鼓は、えらく調子っぱずれだったが、誰もあまり気にしていなかった。
夕暮れの酒場の人間の視線を集め、今夜の主役は私と思っていたシェリルだが、突然彼女たちの演奏にかぶせるように、別の旅芸人一行が、反対の隅で演奏を始めた。
新しい音楽が聞こえれば、誰でもそちらに一度目を向ける。シェリルの歌を聞いていた男たちも、鈴と太鼓の音が聞こえた方に視線をやった。
そしてそちらを見た者は例外なく釘付けになった。
太鼓と鈴、笛とリュートを弾いている後ろの男たちはどうでもいい。
その前で緋色、橙色、黄色、葡萄色の、いくつもの鮮やかな布を重ねた服を纏った女が、音楽に合わせて腕を振り上げる。飾り輪のちりんという音が響いた。
続いて彼女が脚を振り上げると、鮮やかな布の間から、小麦色の美しい肌が覗けた。驚く程腰の位置が高い。
女が舞い始めると、男たちは、体ごと彼女の方に向き直った。酒場の主人や、厨房で働いていた手伝いの人間も顔を出す。
やがて酒場の男たちの手拍子が始まると、外を通りがかった人間も喧騒を聞きつけて中に入ってきた。
この時点でシェリルたちは演奏をやめた。
「すごいね……」
黙っているのも虚しいので、シェリルがぼんやりと呟く。
彼女がすごいと言ったのは、女の舞ではない。男たちの騒ぎの方だ。背の低い彼女は、男たちに取り囲まれる踊り子の姿は、もはや見えなかった。
そんなシェリルの内心の要望に応じるように、踊り子がテーブルに乗り上がると、スタンリーたちも楽器を放り出し、シェリルたちを突き飛ばして、踊り子の方に駆け寄ったのだった。
主役の座をぶん取られ、シェリルはすこぶる不機嫌だったが、マライアはさらに苛立っているようだった。修道院育ちの彼女は、この手の大騒ぎが元々苦手な上に、肌を晒して男たちの関心を買う、踊り子のような女たちが嫌いだ。
元からマライアは、今回の旅芸人の扮装にも反対していたので、旅の間中あまり楽しそうではなかった。
「私はあなたの歌の方がよかったけどね」
同席した女戦士は、苦笑いしながらシェリルに言った。彼女は一番最初からシェリルの歌を聞いてくれていた客の一人だ。
「ありがとう」
素直に礼を言うと、彼女は目を細める。女戦士にしては綺麗な女性だ。その形のいい眉をひそめて、再び彼女は男たちの方に一瞥をくれた。
「それにしても、あなたたちの楽団まで、あっちを見に行っちゃうなんてねえ」
「いいの、いいの。他に娯楽も無い、哀れな男たちですから」
同じ方向を眺めながら、マライアは辛辣に吐き捨てる。「ほんと、男はいいよね。お酒飲んだり、綺麗な女の人を見てるだけで、ああやって悩みを忘れられるんだから……」
「そうね。例えば綺麗な男があんな風に踊っていても、私たちは別に嬉しくないものね」
もう一人の、巡礼者風の格好をした女も肩を竦めた。
シェリルもその光景を想像しながら、頷いた。確かにいかに美しい男だろうと、酒場のテーブルで踊ってもらっていても、あまり楽しくはない。
「そうねえ。女はこんな酒場でカッコイイ男見たからって、幸せにはならないよねえ」
「あなたの場合、そうでもないんじゃない?」
シェリルの言葉につっかかるように、マライアが軽く肩をぶつけてきた。先ほどからちびちびと飲んでいる林檎酒に、少々酔っているらしい。あまり普段酒を飲まない彼女がたまに酔うと、泣いたりからんだりと、意外と手がかかる。それを介抱するのは、全くの下戸のシェリルの役目だった。
「なんでよ」
「聞いてよ、この子」マライアは同じテーブルの女たちに向かって身を乗り出した。「あっちこっちでちょっと顔のいい吟遊詩人だの、騎士の息子だのと知り合う度にのぼせちゃって、で、毎回失恋してるわけだから、もう、こっちは慰めるのが大変」
嘘をつけ。また駄目だったかと大らかに笑っているだけで、慰めてくれたことなど無かっただろう。
そうは思ったが、酔っ払いに面と向かって言い返すのも馬鹿馬鹿しい。シェリルはため息を押し隠して黙っていた。マライアはさらに喋り続ける。
「その内、変なダメ男にだまされるんじゃないかと、やきもきしてるのよ。ねえ、何とか言ってやって。男はねえ、顔や家柄じゃないの」
話しかけられている女戦士も、マライアが酔っていることが分かるのか、曖昧に笑っていた。シェリルは彼女の袖を引いた。
「マライア、分かったから。気をつけてるってば。最近、そんなことも無いでしょ」
「嘘つきなさいー。ついこの前だって、金髪の吟遊詩人に惚れ込んで、何曲も歌を頼んでたじゃない。あれでいくら使ったのよ?」
「そんなに使ってないよ」
実際は、美しい吟遊詩人に恋の歌を歌ってもらうのに、銀貨を七枚も使ってしまったのだが、この場で正直に言うことはあるまい。
しかも金を払う程に愛想が良くなる彼の態度を勘違いし、食事に誘ったところ、丁重かつとりつく島もなく断られたのは、痛い思い出であった。さすがに恥ずかしいので、マライアにも話していない。
「どーだか。もう簡単に吟遊詩人なんかにお金あげちゃダメよ。お尻の毛までむしられるから……」
「もういいってば」
据わった目で説教を続けるマライアの腕を取る。そろそろ退散した方がいいかもしれない。食事もろくに食べていないが、厨房の人間まで騒ぎに加わっているこの始末では、頼んだところで料理など出てこないだろう。
「これからどこ行くの?」
なんとかマライアを立ち上がらせようとすると、女戦士が声をかけてきた。
「川沿いを進んで、取りあえずこの先の谷の村まで行くつもり」
答えを聞いて、彼女は商人の娘と顔を見合わせた。意味ありげな彼女たちの表情に、シェリルは浮かせかけた腰を再び下ろす。
問いかける無言の視線に応じて、女戦士が口を割った。
「私達はあっちの谷の村の方から来たんだけど……あの村には長居しない方がいいと思う」
「どうして?」
先を語りたくなさそうな彼女に、敢えて突っ込んで尋ねると、商人の娘が代わって小声で答えた。
「あの村のご領主様、少しおかしいんです。大きな声じゃ言えないけど」
彼女の話を聞き取る為、シェリルとマライアは身を乗り出した。もっともマライアの方は娘が話し始める前から、うんうんと頷いているので、話をきちんと聞いているかどうかは定かではない。
商人の娘によれば、一行の主である彼女の父親──今は男たちの輪の中で、盛んに踊り子に向かって口笛を吹いている──が、積んできた品物を村の中で売る為、領主の元に挨拶に行った。
領主は快く彼を迎え、売り上げの一割を払うという約束で、滞在中、村の中で商売をすることを認めてくれた。
売り上げの一割というのは、かなり良心的だ。どこの領主でも、商売をする前に、最初に高額の税金を払わせる。商売がうまくいってもいかなくてもだ。
しかし商人はあまり喜ぶ気になれなかった。というのも、領主が商人が連れている隊商一行について、かなりこまごまと尋ねてきたからだ。商人の数、連れている家族の数、そして護衛の数、どこに泊まっているか。
積んでいる物ではなく、連れている人間について根掘り葉掘り訊かれたことに、彼は違和感を覚えた。
しかも愛想のいいことに、領主は護衛までも含めた商人一行を晩餐に招待してくれたらしい。
「私自身もその時、妙な感じがしたんです。少し線の細い感じの方でしたが、温厚そうな領主様だったのですが……」
話の途中で言いよどんだ娘の後を、今度は女戦士が引き継いだ。
「なんだかじろじろ彼女の方を見てるのよ。それもなんていうか、ただのスケベ心じゃなくて、もっと気味の悪い……珍しい動物でも見るような目で」
「女の子は他にはいなかったの?」
「女は私と彼女だけ。私の方には見向きもしなかったわ。村の人の話だと、奥さんは亡くなったらしいけど、十五、六の娘さんがいるらしいのよね。でも、娘さんは体調が悪いとかで、食事の席には顔を出さなかったのよ。……まあ、別に変な話じゃないんだけど」
女戦士は口ごもりながら、シェリルの質問に答えた。
商人の娘は、まだどう見ても十五歳くらいだろう。シェリルより若いのは間違い無い。女戦士の方は二十歳過ぎ頃に見えた。
シェリルがぼんやりと考え始める間にも、娘は話し続けた。
「それで、しきりに館に逗留しないかと進めてくださるんです。私と父さんだけでもって。でも、どうも気味が悪いので、ご遠慮して、結局一日泊まっただけで、村を出てきたところなんです」
「気味が悪いって、どんな風に?」
「あまり日が当たらないせいかしらね、領主だけじゃなくて、村の人間も屋敷の人間も顔色悪くて生気が無い感じで。農地に行っても、畑に座り込んでぼーっとしている人間が多くてね……」
「綺麗な村なんです。昔は銀が取れたみたいで、繁栄していたようですよ。その名残りで、美しい建物が多いんですけど、空き家が多くて」
代わる代わる語る二人の話は漠然としていたが、受けた印象は同じらしい。
「あなたたちも、あの村に寄るなら、領主の前には出ない方がいいよ」
沈みがちになった雰囲気を気にしたのか、女戦士は話を切り上げようとしたらしい。笑顔に戻って、そうしめくくった。
「ありがとう。気をつけるね」
シェリルは笑顔を返して頷く。
マライアを横目で見ると、彼女はテーブルに突っ伏しながらも、意味ありげな視線を返してきた。
シェリルたちが旅芸人の扮装をしているのは、何も冒険者に失業したからではない。
半月程前、小さな村の領主である騎士から仕事を頼まれた。
彼は最近村人から、妙な話を聞いたという。
隣村に嫁に行った娘と、連絡がつかない。
隣村からやってきた旅芸人が、子供たちを村で亡くしたと言っていた。
隣村を越えて、その向こうの都まで使いに行った下男が戻らない。
何か不審なところがあるのかどうか、確認して欲しい。
村人にそう頼まれた、人の好い騎士は困り果てた。隣の谷の村の領主は、彼の主君である男爵であり、今の彼の小さな村は、男爵から封ぜられたものだからだ。
しかし愛する領民の頼みを無下に断ることもできず、また、実際に男爵が正義にもとる何かをしているのなら、臣下として止めなければならない。真面目な騎士は悩んだ。
そしてまず谷の村の様子を内密に確認することにした。
小さな村の一領主である騎士に、隠密業務を行う程の手駒は無い。彼はこの辺りの貴族の間でも、信用できる冒険者として有名なシェリルたちに声をかけたのだった。
依頼を受けたシェリルたちは、色々と話し合った末、旅芸人として領主の懐に潜り込んでみることにした。静かな村に旅芸人が訪れれば、領主に会うことはそう難しくはない。
スタンリーは軍楽隊で習ったフィドルが弾ける。他の二人の男も偶然子供の頃に楽器を習わされたことがあり、笛と竪琴を使うことができた。シェリルも子供の頃に歌を歌う文化の中で育ち、ギルドにいる間も素人合唱隊で何度も歌ったので、それなりに歌うことができる。
これでマライアに舞いでも踊らせれば、立派な旅芸人に見えるとスタンリーは考えた。
決定的な問題は、マライアが極度の音痴であったことだ。
彼女は手足も長い方だし、身のこなしはなかなか軽い。踊り子の扮装をさせれば、かなり見られるはずだ。
しかし音楽に合わせて踊るということがどうしてもできなかった。何日か彼女に訓練を施したスタンリーだったが、ついに匙を投げた。踊りでもその始末なので、歌や楽器などは論外だった。
「後ろで太鼓でも叩いててよ」
溜め息と共に言ったスタンリーに向かって、マライアは憮然と頷いてみせていた。
かくして王都にて数日間の強化訓練を行ったシェリルたちは、旅芸人に扮して問題の谷の村に出発した。
旅は順調に進み、途中の村々で腕試しに歌を披露したが、それなりに良い反応だった。拍手とともに、幾分かの金がもらえるくらいには、好評をもって迎えられた。
すっかり歌姫気分に浸ったシェリルは、危険な冒険者稼業などやめて、このまま旅芸人として生きていくのも悪くはないなどと思い始めていた。
そしていつか、どこかの貴族の息子の目にとまり、めでたく結婚などという妄想じみた夢も捨てていなかった。
しかし今宵、世の中やはり甘くないということを思い知らされたのだった。上には上がいる。
その夜、結局夕食も取らず、女性陣は早めに部屋に引き上げた。女性だけで占領した大部屋に酒壷を黙って持ち込み、夜更けまで男という人種についての愚痴を並べ立てた。
下戸のシェリルはそれにずっと水で付き合い、一人また一人と沈没していく淑女たちに毛布をかけてやっていた。最後まで話していた女戦士が寝る頃には、夜も大分更けていたが、まだ下の酒場からは騒ぎが聞こえてきていた。
隣の大部屋には、スタンリーたちが部屋を取っているが、戻ってきた様子は無い。普段はあまり馬鹿騒ぎや女遊びもしない、真面目な男たちだ。たまには羽目を外したいだろう。嘆息しつつも、こんな夜があってもいいと思った。
「彼女たちと一緒に行くことにしたから」
翌朝、寝不足で腫れぼったい顔のスタンリーにそう告げられ、シェリルとマライアは言葉を失った。
何勝手に決めてんだよ。
二人の言いたいことを察したのか、スタンリーは幾分慌てて言葉を継ぎ足した。
「いや、行き先は同じなんだよ。彼女たちもあの谷の村に寄って、その先の大きな街道まで出る予定なんだって。どうせならさ、俺たちみたいな素人楽団で行くよりも、彼女みたいなプロと一緒の方が、男爵に会える可能性も高いしさ」
「旅は一緒の方が安全だしさ」
もう一人の仲間も愛想笑いと共に言い足す。
「楽しいし」
普段無口な男までもが、朝食の固いパンを食べながら笑顔を見せた。
空気読めよ。
シェリルはマライアと視線を交わしながら、舌打ちしたい気分だった。
彼らの言うことは正しい。
しかしあれほどまでに男の視線を集めてしまうような美女と一緒に、残り二、三日に渡る旅を続けることが、同性の女に取っていかに複雑なものか、少しは考えて欲しい。
しかしはっきりと、彼女と同行するのが嫌とは言えないのも、女の自尊心である。嫉妬していると思われたくはない。
「演奏はどうするの?」
硬い声でシェリルが尋ねると、スタンリーは愛想笑いを張り付けたまま答えた。
「それは、向こうの方が腕が上だし、向こうに合わせるよ。幸い楽器もあまりかぶってないしね」
「……あたし、あんなテンポの速い音楽に合わせて歌えないけど」
「ああそうだねえ。彼らが演奏してるのは、元々歌と合わせるようなもんじゃなくて、踊りの為のものみたいだから……」
スタンリーの視線が泳いだ。
さすがにシェリルとマライアの無言の圧迫を感じたのか、他の二人は女性に詰寄られる哀れなリーダーを残して、朝食に専念する振りをした。
「…………じゃあ、あたしの歌は必要無い訳ね」
「あ〜、うん、まあ。必要無いっていうか、彼女たちの目玉は、やっぱりマルタの踊りだから」氷のような声のシェリルに、スタンリーは精一杯微笑んでみせた。「えっと……後ろでタンバリンでも叩いててよ」
マルタという踊り子の一行が朝食を食べに下りてきたのは、シェリルたちのかなり後、正午も近くなってからだった。
宿に泊まっている女性は、昨夜は全員シェリルたちの部屋に泊まったが、マルタは入ってこなかった。別の部屋に泊まったのだろう。つまりは男性と一緒に寝たということだ。
シェリルたちも仲間たちとなら、同室で雑魚寝することはあるが、マルタはそこで妙な想像力を働かせたくなる女だった。それは昼間の光の下で見ても変わらない。
マルタたちが朝食を食べているテーブルで、スタンリーが互いを紹介し始めた。
昨夜、夜更けに村人たちは、奥方様たちに耳やら腕やらを引っ張られて家に戻ったが、スタンリーたち宿の客は、彼女を囲んで夜明け前まで飲んでいたらしい。
同じ旅芸人ということで、互いの行き先など話す内、同行しようという話がまとまったようだった。
一番最初に紹介されたマルタという踊り子は、シェリルたちの方を見て、微笑んだ。深い茶色の大きな瞳がきらきらと輝いている。笑うと意外と若く見え、その微笑みは無邪気な程だった。
他の三人の大太鼓使い、リュート弾き、笛吹きたちとも軽く自己紹介をしあったが、シェリルの仲間の男性陣が、彼らにほとんど関心を持っていないのは明らかであった。
正午近くに、やっと彼らは出発した。
夏の盛りである。最も暑くなる真昼に歩き始めると、あっという間に汗が吹き出てきた。
一夜にして歌姫から、いてもいなくてもいいタンバリン叩きに格下げされたシェリルは、マライア以上にふてくされていた。
歩きながらも、スタンリーはじめ、男性三人はしきりにマルタに話しかけている。その光景がさらにシェリルたちの不機嫌を煽った。最後尾を歩きながら、このまま彼らと縁を切って、こっそり消えてやろうかなどど、いじけた子供っぽい考えすら浮かんだ。
しかし最初の内は、愛想良くスタンリーたちに受け答えしていたマルタだが、やがてそれに飽きたのか、彼女の楽団のリュート弾きに身を寄せ、スタンリーたちを受け流し始めた。
「……恋人なのかしらね」
マルタを取り巻く様子を見ながら、マライアはそっとシェリルに囁いた。
「そうみたいね」
シェリルも頷く。
リュート弾きはスタンリーたちを威嚇したり、不機嫌そうな様子を見せることもなく、むしろ彼らに対しても愛想がいい程であったが、マルタが彼の腕に自分の腕をからませているところを見ると、少なくとも彼女がリュート弾きを頼りにしているのは間違い無いようだ。
「ま、あれだけの美人だもんね。恋人がいないわけないか」呟いたマライアは、シェリルの方を見ていたずらっぽく笑った。「あの赤毛のリュート弾き、ちょっとこの前の吟遊詩人に似てない? あなた、結構好みなんじゃない? 今度も残念ね」
「え〜、全然カッコよくないよ、あんなの」
マライアに向かって、思い切り顔をしかめてみせた。
どうやら仲間たちは気づいていないらしい。
マルタが身を寄せている、ユージンと名乗ったリュート弾きは、かつてシェリルたちの旅に二度ほど同行したことがある。
一度目は貴公子として。二度目は隊商の護衛の女戦士として。
いずれも今と違う姿だったので、はっきりとは分からないが、まず間違いないだろうとシェリルは確信していた。髪の色や髪型、服装や表情は変えられても、瞳の色や顔の作りまでは変えられない。明るい場所では緑が混じったように見える、榛色の瞳によく見覚えがあった。短い時間の間に、深い想いを込めて見つめたその色が、目に焼きついている。
翌日泊まった小さな村でも、シェリルたち──正確に言うと、マルタは大歓迎された。
男たちの注目を集めて、のびやかな四肢をしならせて踊る彼女の後ろで、シェリルとマライアは虚しく太鼓とタンバリンを叩いていた。この音すら、マルタの楽団の大太鼓の音色に消されてしまうので、本当にいてもいなくても同じであった。
演奏が終わって、早々に床に就くシェリルたちに構わず、マルタたちは酒場で宿の客たちと夜明けまで飲んでいたらしい。
一応、部屋は女性三人分同室で取ったのだが、マルタはシェリルたちの部屋には戻ってこなかった。
旅の間、シェリルは専らマライアと並んで歩き、話し相手もほとんど彼女だけだった。マルタ自身も、そして彼女の楽団の人間も──ついでにスタンリーたちすら──、彼女たちに必要以上のことを話しかけてくることもなかった。
しかし今日の昼頃から、スタンリーの目が覚めたらしい。愛想も良くなくなったマルタに飽きたのか、彼女から離れ、彼が長いこと密かに想っているマライアに気を遣うようになった。美人は三日で飽きるというのは本当だ。
しかし他の二人の男は、依然マルタの関心を買おうと、適当にあしらわれてもめげずに、ユージンというリュート弾きと張り合うように、マルタに話しかけていた。
大太鼓使いと笛吹きは、彼ら二人で話しこんでいる。
唯一の話し相手であったマライアは、スタンリーが独占しようとしている。ユージンとマルタの様子に触発されたのか、いつもならシェリルにも気を遣ってくれるスタンリーは、マライアと極めて個人的な話をしたがった。
シェリルは気心知れたはずの仲間たちと旅をしながら、深い孤立感を味わっていた。
旅芸人の扮装などに賛成するのではなかった。後悔と反省を繰り返す。
マルタたちと同行するまで、この深い孤立感をマライア一人で味わっていたのかもしれない。たかだかちょっと歌が歌えるくらいで調子に乗って、役に立てることもなく、後ろで太鼓を叩いていたマライアを、内心笑ってはいなかったか。いつも彼女の世話になっているのだ。もっと親身になって彼女にできることを考えてやればよかった。
他人の身に自分が置かれてみて、自分の仕打ちが初めて分かる。孤独と自己嫌悪に重くなった足取りで、最後尾をとぼとぼ歩くシェリルを時折気遣ってくれるのは、やはりマライアだった。
「疲れたの? もうすぐ谷の村に着いたら仕事が待ってるから。それまでの辛抱じゃない。本業を忘れないでよ」
どうせ自分なんていなくてもいい。卑屈になりがちなシェリルが一人でいじけていると、スタンリーを振り切ったマライアが数歩戻って、手を引いてくれる。
一歳しか違わない、世話焼きの彼女の優しさに涙が出そうになった。マライアには敵わない。
しかしシェリルの心を最も重たくしているのは、先を歩くマルタとユージンの姿であった。
マルタたちと同行してから、ユージンと名乗った男は一度も目を合わせていない。
ファンタジーや中世ヨーロッパ文化、古楽器に詳しい方はとうにご存知だと思いますが、「リュート」とは、ギターの祖先のような弦楽器です。左手で弦を押さえ、爪を使わずに、右手の指の腹で弦を弾いて、素朴で柔らかい音を出します。
…どうでもいい話です。それより早く次回の話を書きます。
作者ブログ『椰子の実ライブラリ』
【恋愛遊牧民】
【小説の匣】