警告
この作品は<R-18>です。
18歳未満の方は
移動してください。
前回のお話から半年後くらいです。
シェリルは相変わらずです。
遠吠え 1
若き副伯を名乗った人物を前にして、シェリルは心臓が高鳴るのを覚えた。
黒髪の上品な顔立ちの青年は、まだ十八歳だという。シェリルとほぼ同じ年だ。
「長い道のりですが、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
丁寧に礼を取った彼に対し、パーティーのリーダーも慌てて頭を下げる。
シェリルは礼儀正しい副伯の優雅な動きにうっとりと見入った。
シェリルたちは、護衛や荷運びなどを行っては報酬を受け取って生活している冒険者たちだ。
彼女たち一行は慎重に仕事を選び、確実な実績を築いてきた結果、中流商人や貴族たちから指名をもらうようになった。
冒険者といっても、ごろつきと紙一重だ。大切な人間の護衛や貴重品を運ぶにあたって、信頼できるシェリルたちのような冒険者は重宝がられた。護衛すべき人間や品物を略奪してしまう連中も少なくないからだ。
今回の仕事は、先日爵位を継いだばかりの、この若い副伯の護衛だった。
先代である父の死後に爵位を継ぎ、先日、この王都にて、正式に王に新たな領主として認められたばかりだ。この後、彼は領地に戻ることになる。
問題は彼の留守中に領地を治めている叔父だ。
彼が新たに爵位を継ぐ時にも、一悶着あったらしい。王の承認を得るまでは、彼を跡継ぎと認めないと言い出し、領地での山ほどの仕事を抱えながら、新しい副伯が王都への旅に出る羽目になったのも、叔父が原因だ。
先代の一粒種である新副伯は、幼い頃から体があまり丈夫ではなく、先代の末の弟である叔父は、そこにつけこんで、かなり前から領主の地位を狙っていたらしい。先代の存命中から兄の仕事を手伝っていた叔父は、それなりに領地内にも味方を持っている。新副伯に血筋の正当性があっても、油断はできない。
旅は暗殺に最も向いている。盗賊を装って集団で相手を始末することは簡単だ。
新副伯は王都に来る途中で、遠縁に当たる伯爵領に立ち寄った際、身の危険を訴えた。
折りしも、伯爵お抱えの商人が、隊商を組んで丁度王都から副伯領近辺に旅立つところであった。伯爵は隊商の主に紹介状を書き、若い副伯を保護して、副伯領近辺まで同行させてくれるように頼んだ。
それだけでなく、慎重で面倒見のいい伯爵は、彼が知る中で最も旅慣れ、最も信頼できる冒険者であるシェリルたちを、別途、領地までの副伯の護衛として雇い入れることにして、早速王都にいる彼女らに使いを出した。
シェリルたちは王都の宿屋で、国王への謁見を済ませて正式に副伯に封ぜられた青年貴族と対面した。
理知的で穏やかな黒髪の青年と目が合っただけで、シェリルは顔に熱が上り、鼓動が早くなるのが分かった。
その彼女の様子を見ながら、仲間たちは、また病気が始まったかと、こっそり目配せしあった。彼女は貴族的な風貌の男性に滅法弱い。
シェリルはそんな仲間たちの様子には気づかず、どこか線の細い、典雅なこの青年を、持てる力の全てを尽くして守ろうと決心していた。そしてもしかしてもしかすると、そこに愛が生まれるかもしれない。
彼女は地位に執着がある訳では決してなかったが、貴族の生活に憧れが無くもない。
この美青年の妻となって、田舎の屋敷でのんびり暮らす図などを想像していると、副伯が口を開いた。
「特に何も無いことを祈っています。身内が信用ならないなど、お恥ずかしい話ですが……」
「いいえ、実際にはありふれた話ですよ。この王都の近辺の貴族の方々は、お身内こそ最も警戒してらっしゃるのではないですかね」
自嘲する副伯に向かって、パーティーのリーダーの男が慰めるように言い、彼のカップに葡萄酒を注いでやった。
その時、小柄な女性が副伯の背後から姿を現した。彼は女性に気づくと、一同が座っているテーブルに招いた。
金髪の若く可憐な女性だ。彼女はシェリルたちに対してはにかむように視線をそらしながら、副伯の隣に座る。
「ご紹介が遅れました。妻です」
やはり照れたように微笑みながら、女性を紹介する副伯の言葉で、シェリルの夢は膨らむ前に砕け散った。一体何度目の失恋なのだろう。
仲間たちは無表情の内で、大いに嘆いているであろう彼女の心を思い、再び目配せを交し合った。
「もーやる気無いんですけど……」
「何言ってるのよ。伯爵に紹介された仕事でしょ。もう少し気合入れてよ」
宿屋で一泊した翌日、隊商の出発場所である町外れの馬車広場に向かいながら、一同の最後尾でシェリルは何度もため息をついた。ぐずっている彼女を仲間のマライアがたしなめている。
「だって、あんなに若いのに、もう既婚者だなんて……がーっかり」
「若いって、もう十八でしょ。私たちみたいな流れ者はともかく、世間では結婚しててもおかしくないわよ。貴族なら尚更じゃないの」
そんなものなのかとシェリルは思った。
幼い頃に両親の元を離れてから、魔術師ギルドで育った彼女は、幅広く豊富な知識を持っていたが、意外と世間の常識に疎い部分もある。
確かにあの年の若い貴族に、婚約者や妻がいてもおかしくはない。むしろ、いない方が不自然かもしれない。夢見た自分が甘かった。
でも奥さんがいるならいるで、余計な期待を持たせる前に最初から紹介して欲しい。
勝手なことを考えながらも、シェリルは気持ちを切り替えようとした。
マライアの言う通り、今回は彼女たちのパーティーの最上顧客とも言うべき、伯爵からの依頼だ。個人的な失恋──時間にして一瞬の恋ではあったが──は忘れて、仕事に全力を尽くすべきだろう。
半年ほど前に、伯爵の娘の囮となる大仕事を引き受けたことがきっかけで、以来シェリルたちを贔屓にしてくれている。ここのところ、シェリルたちの名声がうなぎのぼりに上がっているのも、伯爵の引き立てがあってこそだ。
今回の仕事も、失敗は許されない。
マライアと他愛も無い話をしている内に、広場に着いた。
いくつもの荷馬車が並び、商人や召使いがせわしなく働いている。その周囲に所狭しと荷物が積んであった。彼女たちと同業の冒険者や護衛として雇われた傭兵も、辺りをたむろしていた。
街道の旅は危険だ。追いはぎが横行しているこの地域では、護衛は欠かせない。シェリルたちも、最初はこういった隊商の護衛の仕事から始めたものだった。
伯爵のお抱え商人とは初めて会うが、他の商人たちがすぐに教えてくれた。
隊商の主は、恰幅よく、気持ちのいい壮年の男で、快く副伯夫婦とシェリルたち一行を迎え入れてくれた。
「この度はお世話になります」
丁寧に礼を取る若い夫婦に、商人は目を細めてみせた。
「いえいえ、副伯とご一緒できるなど、光栄ですよ。ご領地が落ち着かれた後は、ぜひ私どもを御用達にしていただきたいものですな」
本気か冗談か分からないことを言いながら、彼は豪快に笑い、続けてシェリルたちに目を向けた。リーダーの男が短く挨拶をすると、彼は再び破顔する。
「君たちの話は伯爵から伺っているよ。大層な腕利きということだね。これで今回の旅も安心だな」
商人の言葉に、シェリルとマライアは目を合わせて、軽く嘆息した。
伯爵がどう言ったかは分からないが、随分と過大評価されているようだ。
「私の護衛隊があちらにいる。あくまで彼らは私たちと荷物、あんた方は副伯の護衛だが、話し合っておいた方がいいこともあるだろう」
商人が指差した方には、荷馬車が三台止まっていた。結構な規模の荷物だ。その一角に、武装した数人の男たちの姿が見える。
シェリルたちはその場を離れ、傭兵たちの元へ向かった。
男たちは五人。いずれも剣や槍で身を固めた、それなりに経験を積んでいそうな戦士たちだ。伯爵お抱えの商人のことだ。腕の立つ戦士を雇う余裕があるのだろう。
男たちの中から、口ひげを生やした、三十代半ばの男が進み出た。姿勢のいい歩き方からして、元は軍人かもしれないとシェリルは思った。
「お前たちは副伯の護衛か」
挨拶も無しに、男は尊大に問いかけた。
「ああ。よろしく頼む」
シェリルたちのリーダー、スタンリーは微笑んだが、男はにこりともせずに言い放った。
「貴族だか何だか知らんが、ここでの護衛の隊長は俺だ。あんたたちも副伯も、護衛に関しては俺の指示に従ってもらう」
好意どころか愛想の欠片も感じられない態度だった。
男の後ろにいる他の護衛たちも、にやついていたり、彼女たちを半ば睨みつけたりと、歓迎していないことを隠そうともしない。
「分かったよ」
冷静なスタンリーは静かな、しかし幾分固くなった声で応じた。
「『分かりました』だろう。口のきき方には気をつけろ。繰り返すが、隊長は俺だ」
目をすがめ、隊長を名乗る男は再び無愛想な声を発した。
愛想の無い態度といい、上下関係を作りたがるところといい、やはりこの男は元軍人だろうとシェリルは苦々しく思った。彼女はこの手の権威にこだわる男は好きではない。
「了解致しました、隊長殿」
皮肉を込めてスタンリーがばか丁寧に言い直すと、男は初めて口の端を吊り上げて笑った。
「それでいい」
用は済んだとばかりに踵を返し、隊長はその場を去って商人の方へ歩き出す。シェリルはその背中に向かって石でも投げつけてやりたいと思った。
「悪く思うな。ああいう人なんだ」
荷物に腰掛けた傭兵の一人が、あまり上品でない笑みを浮かべながら、シェリルたちに話しかけてきた。隊長と比べるとまだ若く、二十代初め頃に見える。日に焼けた肌と、同じく日に焼けたような赤みがかった金髪が印象的だ。
「別に……何とも思ってない」
スタンリーは肩を竦めて答える。男はさらに続けた。
「それがいい。隊長殿はずっとここの商人殿の護衛をまとめる仕事をしているから、それなりのプライドがあるんだろ。俺たちも今回の旅で昨日雇われたんだが、あんたたちと同じことを言われたよ」
男は他の護衛たちと視線を交し合った。
彼ら四人はこの旅の為だけに雇われているようだが、あの隊長を名乗る男は、ずっと前から商人に雇われているのだろう。荒くれ者を統率するのは楽ではない。なめられては終わりだ。あの隊長の横柄な態度も理由あってのことだったのだ。
そうは理解できても、不愉快だという思いは消えるわけではないが。
「それに副伯の奥さん以外に女が二人もいるんじゃね。俺たちの面倒が増えるだけだ」
「ちょっと、どういうこと?」シェリルの隣でマライアが男の台詞を遮った。「私たちも護衛として雇われているのよ。女だからって、あなたたちに何の面倒をかけるっていうの?」
男は突然食ってかかったマライアに面食らったようだが、すぐにまた顔を歪めた。
「いや、隊長がそう思うだろうってことだよ。女嫌いみたいだぜ、あの人。……俺は別に何とも思ってないよ。むしろ女の子は大歓迎だね」
男はシェリルとマライアをかわるがわる、遠慮の無い視線で見つめた。
修道女あがりで、生真面目なマライアは、もう一度男に何か言おうとしたが、その前に男の背後にいた別の傭兵が口を開いた。
「私も一応女なんだけど」
掠れたような声は、女にしてはかなり低い。
シェリルが目をやったその姿も、ぱっと見ただけでは、男にしか見えなかった。
剣を腰に下げ、他の護衛のように旅行に向いた皮鎧を身に纏っている。その体型はしなやかそうではあったが、肩や腹あたりに筋肉がついていた。屈強というほどでもないが、女性らしい丸みからはほど遠い。身長も、男性としては平均的なスタンリーと同じくらいだろう。女性にしてはかなりの長身だ。黒い髪は後ろで一つに束ねられていた。
「おお、忘れてたよ。お前さんも一応女だっけな」
最初に話しかけた傭兵は、にやつきながら振り返った。応じるように、女傭兵は伏せ気味だった顔をあげ、シェリルたちの方を見た。
目が合うと、女は微笑んだ。親しみの持てる笑顔だった。
「私はジャクリーン。よろしく」
やっと好意的な反応に出会えた。シェリルも思わず微笑み返した。
「あたしはシェリル。こっちはマライア。女同士よろしくね」
「女だからって、あんまり一緒にされたくないんだけど。その体つきじゃ、ろくに戦えないんじゃない? せいぜい足手まといにならないでね」
シェリルの挨拶を弾き飛ばすように冷笑を浮かべると、ジャクリーンと名乗った女はそのまま荷馬車の方へと歩き出した。他の護衛二人も薄笑いを浮かべて、シェリルたちには挨拶もせず、彼女の後を追った。
どうも隊長以外の護衛たちにも全く歓迎されていないようだ。
再び不機嫌に唇を噛むシェリルを、残った金髪の傭兵が面白そうに見つめていた。
「あいつもああいう女なんだ。悪く思うな」
「どういう人たちが護衛についているのか、よく分かった」
シェリルが皮肉を返すと、何故か傭兵は破顔した。
「まあ、俺たちだけでも仲良くやろうよ。俺はウォルター。よろしく」
そう言う彼も、シェリルとマライアの方を見てはいたが、スタンリーたち他の男性には見向きもしなかった。
道中、居心地はよろしくなさそうだ。
通常の小規模な隊商なら、ロバや荷馬車に荷物を積み、護衛は徒歩で移動するのが普通だ。
しかし伯爵お抱え商人は、彼と助手三人、護衛五人に、副伯夫婦とシェリルたちを馬車に分乗させてくれた。お陰で移動は非常に順調であった。
これも副伯の為の、商人の配慮のようだった。移動が早ければ旅も早く終わり、その分危険にさらされる時間も減る。護衛であるシェリルたちも、彼の心遣いに感謝した。
しかし。
やはり道中の居心地は良くはなかった。
シェリルたち五人は、全員副伯夫婦と同じ馬車に乗りたいと主張したが、例の隊長に一蹴された。どの馬車も均等に守る必要があるし、一箇所にだけ人間が固まると、馬の疲労が溜まるからだという。
商人も護衛の方法に関しては、隊長に一任してあるらしく、シェリルたちの弁護をしてくれることはなかった。それだけ隊長を信頼しているのだろう。
だがおかげで、シェリルたち仲間は二台に分かれることになってしまった。副伯夫婦が乗る二台目の馬車には、スタンリーたちが乗っている。
シェリルは彼らと分かれて最後尾の馬車に乗る破目になった。
「あんたさあ」
同じ馬車に乗り合わせたウォルターと名乗った男は、移動中もしきりに話しかけてきた。
「何でこんな商売やってるわけ? 見たとこ戦いに向いているようにも見えねえけど」
しかもその質問もあまりにも不躾だ。シェリルはつっけんどんに答えた。
「どうでもいいでしょ」
「もしかして、そいつの女?」
ウォルターは、シェリルの横で、腕組みをして目を閉じている仲間の男を顎で差した。寝ているわけではないが、無口な彼は居心地が悪いと、このような瞑想じみた状態に入ってしまう。
「違うよ」
「じゃあ、他の馬車に乗ってる奴らの女か?」
「違うったら」
さらに突っ込んで尋ねてくるウォルターにシェリルがやや声を荒げると、彼の隣に座っているジャクリーンがウォルターの肩を軽く叩いて、忍び笑いを漏らした。
「誰かの女とは限らないよ。全員の共有物かもしれない」
ウォルターも低く笑う。
「そうだなあ。羨ましい話だな」
その視線が彼女の顔や、小柄で豊満な体に意味ありげに纏わりついた。シェリルの頭に血が上る。
「どういう意味?」
こんな侮辱は初めてのことではないが、正面切ってこれだけ言われては、黙っていられない。目を吊り上げて不穏な声で問い返す。
「冗談だよ。あんた、かわいいから、こんな用心棒やってるのが勿体ないってだけの話だ。本気で怒るな」
金髪の傭兵は声をあげて笑った。
どうも退屈しのぎに彼らにからかわれているらしい。小柄で優しげな顔立ちの彼女は、相手に安心感を与える反面、こうしてなめられてしまうことも多い。
マライアやスタンリーが同じ馬車にいれば、彼らをたしなめてもくれるのだろうが、二人とも副伯の馬車に同乗している。
マライアと仲のいいシェリルは、長い道中ぜひとも彼女と一緒にいたかったが、ウォルターの視線に彼女を曝していることを嫌ったのか、スタンリーが連れて行ってしまった。はっきりと聞いたことはないが、スタンリーはマライアに気があるようだ。
最後尾の馬車には、幸か不幸か、ウォルターとジャクリーンが乗っている。今一緒にいる同じパーティーの男は、根はいい人間だが、面倒見はよくない。シェリルがこうしてウォルターたちに不愉快な冗談を言われていても、無視を決め込んでいた。
「本当にかわいいよね」ジャクリーンは手元で短剣を弄びながら、さらに挑発的な視線を投げてくる。「お飾りを連れて歩くなんて、あんたのとこのパーティーも、余裕あるんだねえ」
怒ったら負けだ。
シェリルは女傭兵の嫌味を黙殺した。男に言われるよりも、同性からの悪意の方が遥かに胸の奥に嫌な匂いを撒き散らす気がする。
「もうやめとけよ、ジャクリーン。シェリルが泣いちゃうだろ」
誰が泣くか、と思ったが、ウォルターが女の台詞を止めてくれたのはありがたかった。あれ以上言われれば、元々気の長い方でないシェリルは、我慢できなかったかもしれない。
ジャクリーンは大袈裟に肩を竦めた。
「あんたって、ほんとに女には優しいんだね。私は、何もできない女が、あんたみたいな調子に乗った男にちやほやされてるのがむかつくんだけど」
「俺の勝手だろ。お前がごついからって、シェリルを僻むなよ」
「ひがんじゃいないよ。胸や尻が大きくたって、戦いの役には立ちゃしないからね。ま、自分の身くらいは自分で守って欲しいね」
ジャクリーンの言葉に、シェリルの体は一瞬震えた。男に体型をからかわれるのは慣れているが、同性だと腹立たしさは倍増する。
好きでこの体型に生まれた訳ではない。彼女のような、細身の筋肉質で、長身に生まれればどんなによかっただろうと思う。シェリルの方がジャクリーンをひがみたいくらいだ。
シェリルの形相の変化に気づいたのか、ウォルターはやや声を低く落とした。
「僻んでるようにしか聞こえないな。お前、もう黙ってろよ」
シェリルの方からは彼の表情は見えなかったが、ジャクリーンはそれを見ると、鼻を鳴らして口を噤んだ。
彼は次にシェリルを振り返った。
「気にすんな。荷物のついでにあんた一人くらい、俺が守ってやるよ」
皮肉の混じらない笑顔のウォルターに、彼女は返事も返さず、隣の仲間を見習って、腕組みをして目を閉じた。
王都を出発して二日ほどは、街道沿いの宿場町に泊まることができた。同行している隊商も多かったので、ある意味安心できたのだが、街道の分かれ道がある度に、隊商たちは一つ、また一つと離れていき、ついにはこの商隊だけになってしまった。
今日は小さな村に泊まる予定だったが、訪れてみれば、住む者もいない廃村になっていた。
この辺りは王家の領内でも、かなり辺境にあたる。もう少し進んで、伯爵領に入ることができれば、まずは安全だが、それまでには馬車でもあと二、三日かかるそうだ。
夕暮れ時にたどり着いた、人気の無い不気味な廃村で、仕方なく一行は野宿することになった。
まだ春の初めだ。王領内は海に近く、比較的温暖とはいっても、夜になればかなり冷える。廃村とはいえ、夜風を凌げる建物があるのはありがたかった。
「建物の中で休んでもらうのは、主人と副伯夫婦だけだ」
だが、隊長は容赦無く言い放った。
「何で? この寒いのに、わざわざ外で休むんですか?」
スタンリーが声をあげると、隊長はじろりと彼に陰険な一瞥をくれた。
「寒くはないだろう。真冬ではない。これくらいで根をあげているようで、貴人の護衛が務まるか。大体、俺たちが中で寝ていたら、荷物の番は誰がする」
「それはあなた方の仕事だろう。俺たちは、副伯をお守りする為に……」
「護衛に関しては、俺の指示に従ってもらうと言ったはずだ。お前ら新入りが建物の中でぬくぬく眠っていて、俺たちが戸外で震えてなきゃならんのか」
新入りだとかそういう話ではないはずだ。仕事の種類も雇い主も違う。
シェリルは何とかこの居丈高な隊長をやり込めてやりたかったが、スタンリーは面倒事を起こすことを嫌ったらしい。溜め息をついて、諦めたように言った。
「……分かりましたよ。じゃあ、女たちだけでも、護衛も兼ねて中で休ませてやってください」
「ふざけるな」無愛想だった隊長の声に、嘲りが混じった。「護衛の仕事をなめてるのか? 女連れは貴様らの勝手だ。我々がお前らの女を特別扱いする理由はない。女たちの護衛代を別に払うなら、話は別だがな。寒くて可哀相なら、貴様らが抱いて寝てやれ」
隊長の侮蔑に、温厚なスタンリーも、さすがに顔を顰めた。彼が口を開く前に、シェリルは立ち上がって、割って入った。
「いいよ、スタン。隊長の言う通りだから。あたしもマライアも、元々野宿には慣れてるから、大丈夫」
スタンリーは彼女の顔を少しの間見下ろすと、感謝を込めて軽く頷いた。シェリルも頷き返す。その様子を見て、隊長は面白くもなさそうに言った。
「健気な女たちで羨ましい話だ。そんな女なら、俺たちだって連れて歩きたいくらいだ」
隊長の言葉に、他の護衛たちも小さな笑い声をあげた。隊長本人は全くの無表情だ。冗談を言ったつもりはないのだろう。
どこまでも護衛の一員ではなく、スタンリーたちの付属品として扱おうとする隊長に、シェリルははらわたが煮えくり返る思いだった。
王都ではこんな男は随分減ったと思っていたが、まだまだいるらしい。女というだけで、ここまで侮辱されたのは久しぶりだ。ウォルターに「ああいった人間だから気にするな」と言われた通り、腹を立てるだけ損だと分かってはいるが、軽く受け流せる程器用ではない。
隊長はそこでこの話を打ち切り、護衛とシェリルたちに、荷馬車を繋ぎ、商人と副伯夫婦を最も警護しやすい廃屋に案内して、火を起こして夜営の準備をするように、てきぱきと指示を出した。この指示は全く的確で、悔しいが彼が有能なのは間違い無いようだった。
「申し訳ございません。私たちも、ぜひあなた方も中で休んでいただくように、主人に掛け合ってみたのですが、あの護衛隊長の方法は絶対だとおっしゃっていて……」
副伯夫婦はシェリルたちと共に、乾いたパンと干し肉という粗末な夕食を食べながら、しきりに恐縮していた。
「気になさらないでください。仕事ですので」
スタンリーは副伯に苦笑いしてみせる。
食事の際は、商人と助手たち、隊長と護衛たち、そしてシェリルたちと副伯夫婦と、一行は三つに大まかに分かれて食べていた。お互いに気を使わずに済む。
スタンリーと談笑している若い副伯と、その隣で寄り添って静かに微笑んでいる可憐な新妻を、シェリルは未練がましく盗み見た。
やはりあの手の貴族男を捕まえるには、小柄で華奢な金髪少女でないといけないのだろうか。髪を脱色して、少し痩せて、言葉遣いも改めてみようかなどと、彼女はなかなか呑気なことを考えていた。
日暮れの最後の光を受けて、青紫に染まった空を切り裂くように、獣の遠吠えが響いた。
副伯夫婦は話を止めて口を噤んだ。夫人が夫にそっと身を寄せる。彼は妻を安心させるように肩を抱きかかえてやった。
羨ましい。たとえシェリルが同じ仕草をスタンリーや他の仲間の男たちにしたとしても、「重いよ」と言われて押し退けられるだけだろう。優しい恋人が欲しいと思った。
「狼でしょうか?」
「この辺りはコヨーテが多いようですよ。狼より利口ですが、こうして隊商を組んでいる人間に襲い掛かることはありません。ご心配なく」
不安げに問いかける副伯に、よどみなくスタンリーが答える。
コヨーテの遠吠えが近くで聞こえるということは、この村が廃村となってから、かなり経つのだろう。
「そういえばさ」
副伯夫婦の相手をスタンリーに任せ、仲間の一人が声を潜めるようにして、話し始めた。
「昨日、別れる前に別の隊商の奴らから聞いたんだけど、最近王都でコヨーテって傭兵が名前あげてるんだって」
「コヨーテ? それ、本名?」
半分吹き出しながらマライアが訊くと、仲間もにやつきながら首を傾げた。
「違うんじゃね? 群れないからそう呼ばれてるって聞いたけど……。特定の依頼主につかないで、金次第でとにかくどんな仕事でも引き受けるんだと。最近は専ら暗殺を引き受けて恐れられているみたいだから、これからも気をつけろって言われた」
コヨーテは狼や犬と近いが、群れを作るものもいれば、小家族単位で生活しているものも、一匹で動くものもいる。スタンリーが言ったように、利口で環境適応力も高い。相手によっては、自分より大きな動物にも襲い掛かってくる、狡猾な獣だ。
パーティー単位で移動していれば安全だが、一人二人旅の巡礼者など、コヨーテに襲われれば、ひとたまりもないだろう。
「気をつけろって、どんな奴なの?」
ちょっとした興味にかられて尋ねたが、仲間の男は再び首を傾げただけだった。
「いや、分かんね。年とか見た目とかも、誰も知らないんだって」
「じゃあ気をつけようがないじゃない。不死の騎士とか伝説の女勇者とかと一緒で、よくあるデマじゃないの?」
「かもね」あっさりと彼も頷いた。「いずれはオレたちもデマになるくらい名前あげたいもんだねえ」
冗談めかした仲間の言葉に、シェリルも声をあげて笑った。
護衛と言えども、夜じゅう不寝でいるわけにはいかない。交替で睡眠を取るのが普通だ。
商人と副伯夫婦が眠っている建物の前に三台の荷馬車を止め、御者と商人の下男はその中で眠っている。
護衛たちは外で建物と馬車を見張るのだが、その順番も隊長が率先して決めてしまった。
仲間たちだけで野宿をする時は、寝起きが悪く朝に弱いシェリルは、一番最初の見張り当番につき、後は途中で起こされることもなく、出発までぐっすり眠ることができた。
しかしこの隊長にそのような理屈が通じるはずもなく、彼女は五交代の三番目の当番にされてしまった。真夜中深い未明という一番嫌な時間帯だ。
しかもせめて同じパーティーの人間と組ませてくれればいいものを、嫌がらせか、他の意図があるのか、隊長はパーティーとその他の護衛を敢えてばらして、見張りに組ませた。
「さすがに寒いねえ」
シェリルと同じ当番についたウォルターは、毛布にくるまって焚き火に手をかざしながら、しきりに小声で話しかけてくる。
うんざりだが、それでもあの隊長やジャクリーンと組まされるよりましなのかもしれないと、前向きに考えようとした。
「寒いですね」
同じく毛布にくるまりながら、素っ気無く答えると、ウォルターはわざとらしく溜め息をついてみせた。
「あのさあ、長い旅なんだから、もう少し和やかにならない? つんけんしてると、ジャクリーンみたいな女になっちゃうよ」
余計なお世話だ。
無視したかったが、その実、護衛たちの中で、少々歪んだ形であれ、愛想を向けてくれるのはこの男だけだ。同じ馬車に道中同乗していることを考えると、あまり冷淡に扱って彼の不興を買うのも、正直なところ残念だった。仕方なく口を開く。
「私たちは和やかにしたいんですけどね。そちらの方々にあまり歓迎されていないようですから」
「気難しいんだよ、奴らは。女連れをひがんでる、モテない男の集まりだと思って、許してやって」
その言葉にまたかちんと来た。
「女連れっていうけど、別にあたしももう一人の女の子も、ただ彼らにくっついて歩いているわけじゃないんだけど」
「へーそう」からかうようにウォルターは笑った。「立派な護衛の一人ってこと? さぞかし腕が立つんだろうな。頼もしいよ」
シェリルとマライアは、あの女戦士のジャクリーンのように、鍛え抜かれた体格をしているわけではない。確かに肉弾戦ではほとんど役に立たないが、マライアは治癒術で、シェリルは魔術を使うことで、パーティーの戦力の一員として働いている。
だがそれをわざわざこの男や他の護衛に、面目の為だけに告げる必要はない。特に魔術に関しては、王都に大きな魔術師ギルド──大学があるにもかかわらず、いまだに偏見を持つものも多い。魔術師であることを隠せるものなら隠しておくにこしたことはない。
魔術は万能だと思われて、頼りにされすぎるのも困る。実際は術の行使に手間もかかるし、制約も多く、代償も大きい。
隊商と同行できれば安心だと思ったが、これなら自分たちだけで副伯夫婦を護衛した方が、よほどやりやすい。
「そういやさ、あんたたちが護衛してるあの伯爵、いい男だよなあ。奥さんもすっげえ美人だし。ああやって貴族が綺麗どころをかっさらっていくから、連中には美男美女が多いんだろうな」
皮肉が過ぎたと思ったのか、ウォルターは話題を変えた。
「伯爵じゃなくて、副伯よ」
「似たようなもんだろ。貴族の護衛に引き立てられるなんて、冗談抜きで羨ましいよ。それだけあんたたちが信頼される仕事をしてきたんだな」
不意にウォルターの低い声が深い響きを伴って聞こえた。
音を立てて爆ぜる炎から目をそらして、彼にちらりと視線を走らせると、丁度首を向けてこちらを見ていた彼と目が合った。思いのほか柔らかく微笑まれる。傭兵らしくどこか凄みのある顔が、ひどく優しげに見えた。
焚き火を囲み、少し離れたところに座っていたウォルターは、毛布にくるまったまま、シェリルの隣ににじり寄ってきた。
彼女は我に返り、慌てて距離を取ろうとする。しかし、それより早く伸びた彼の手に、毛布を掴まれた。
「何よ」
その手を振り払っても、ウォルターはまだ含み笑いを浮かべている。彼はさらにシェリルの腕を取って、体を引き寄せた。
「やだ、やめてよ」
慌ててシェリルはウォルターの体を押し返そうとしたが、彼の腕の力は全く緩まなかった。何故か彼を咎める声は小さくなった。
「寒いからちょっとくっつくだけだよ」ウォルターも囁き声でそう言った。「こうしていればあったかいだろ」
彼は自分のくるまっていた毛布を広げ、シェリルの体ごと包んで抱き寄せた。
がっしりした肩と腕に包まれ、鼓動が早まり、体が強張った。額にウォルターの剃り残した短い顎髭がちくちくと当たる。葡萄酒と鎧の皮の温かい匂いに包まれた。
心のどこかが緩むのを感じる。そうして彼の胸に頭をもたせかけているのは、激しい動悸を伴う緊張があったが、もはや不愉快ではないことに驚いた。
焚き火の向こうには馬車が止まり、すぐ後ろでは隊長を含めた仲間たちが、建物の軒下に毛布を敷いて横たわっている。この場でこれ以上のことは起こるまい。そう思って、シェリルは体の力を抜かないまま、その姿勢に甘んじた。
再び獣の遠吠えが聞こえた。
「コヨーテだ」
皮鎧越しに、胸板を通してウォルターの声が響いた。
離れるなら今しかない。シェリルは顔をあげた。
今何も起こらないとしても、あまり長い間身を寄せていては、今後の旅に良くない影響があるかもしれない。素性も分からない男に行きずりで身を任せるのは、もう二度と嫌だ。
「油断ならないね」
さりげなく肩を振って、男の腕を振り払う。
「なんだよ、そりゃ。ちょっとくっついてあっためあおうとしただけだろ」
「あなたじゃなくて、コヨーテだってば。もう少し火を大きくしないと、集団で襲ってくるかも」
不満げなウォルターに、シェリルは首を振って言い足した。自分でもやや顔が熱くなっているのが分かる。
「大丈夫だよ。利口だけど、慎重な奴らだから、火を焚いている人間に襲ってくるほどバカじゃない」
薪をくべようとしていると、もう一度彼に腕を掴まれ、少々乱暴に後ろに引かれた。
尻餅をついたシェリルの体に、男の腕が巻きつく。そのまま引き寄せられて、胡座をかいた膝の上に乗せられた。すっぽりとその上から毛布でくるまれる。
「いい加減に放してよ」
「こうしてれば暖かいでしょうが」
睨み付けても、ウォルターは気にした風もなく、にやつきながら言い放った。
確かに毛布の下に二人分の体温を閉じ込めていると暖かいが、非常に居心地は悪かった。身じろぎする度に、尻が彼の脚に当たる。
胴体に回されていたウォルターの手も、毛布の下で、微妙に胸元へと滑り上がってきているような気がする。もう片方の腕は逆に下におりて、いつの間にか脇腹から腰へと回されていた。
(やっぱ離れろ、この痴漢)
胸の奥に小さく湧き出してきた甘い衝動をこらえて、シェリルがウォルターに肘鉄でも食らわそうとした時、彼の手が離れた。
「何かいる。他の奴を起こせ」
言うなり、ウォルターはシェリルを押し退け、荷馬車の向こうの暗がりに目を据えたまま、傍らに置いてあった剣を抜いた。
一瞬前とは全く異なる、その張り詰めた声を聞き、シェリルは一番近くで鼾をかいていたスタンリーの毛布をはいで、大声をあげた。
「起きて!」
「えっ?」
ばね仕掛けのようにスタンリーが飛び起きる。
呼応するように夜空を裂いて村の入り口辺りから複数の怒声が聞こえた。
今度こそ早め早めに話をあげていきたいです。
合間に前回のお話の山のような誤字を直したいと思います。
……おみかけになった方、これからもどしどしお知らせください(泣)
作者ブログ『椰子の実ライブラリ』
【恋愛遊牧民】
【小説の匣】