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七回の続きです。
道連れ 8
 目を閉じて呪文を唱えながら意識を集中させると瞼の奥に肉眼とは全く別の視界が開ける。
 繋いでいるはずのコヨーテの手の感触も分からなくなり、代わりに彼の心、精神を側に感じた。そのまま海を泳ぐように意識を奥へ進むと、群がって絡み合う狂気じみた思念が見える。宴に興じる村人たちだ。
 その中央にひときわ大きな炎。その周りにもいくつかの篝火が見える。大きな炎の中心に、火の精霊がいた。彼女が契約を交わしている精霊とは比べ物にならない、下位の小さな精霊だ。
『同胞の手により仮初めの肉体を与えられた火妖よ』
 意識を固めて呼びかけると、精霊がこちらに気づく。
『灼熱の英霊の名の元に汝に命ず。肉体を捨て、あるべき場所へ還れ』
 言葉に出して告げながら、さらに意識を具体的に固めて、広間中の篝火をかき消し、入り口の松明の炎だけを残して、精霊が己の元素界に還るように命じる。
 この禍々しい空気を嫌っていたのか、火妖は喜んでシェリルの命に従った。弾けるようにその姿を消し、同時に広間中の明かりも巨大な手で包まれたように消える。
 享楽を極めた宴に沸いていた村人たちが、一瞬静まり返る。
 ほぼ同時にコヨーテに軽く背中を叩かれ、彼女は集中を解いて目を開けた。

 シェリルの目にはほぼ真闇に見える。その手を彼が静かに引く。できるだけ足音を忍ばせながら早足で、彼はシェリルを導いた。
 村人たちがざわめくのが聞こえる。彼らは、シェリルが想像していたような恐慌状態には陥らなかったが、戸惑い、落ち着かない様子で互いに声を掛け合っている。
 シェリルにはその姿すら見えないが、コヨーテは迷いの無い足取りで、まっしぐらに出口に進んでいる。裸足の彼は全くと言っていいほど足音を立てず、シェリルの薄手のサンダルが時折岩を静かに叩く音をさせたが、村人たちのざわめきに紛れているようだ。
「同士たちよ、静かに!」
 暗闇に澄んだ男の声が響き渡った。男爵の声に間違い無い。見た目は小柄で何の変哲も無い貴族男だが、その声は美声と言える。一度聞くと忘れられない印象を残した。
「今宵迎え入れるはずの二人目の魔女殿が、現世に逃げようとしている!」
 ぞっと背筋が冷える。炎が消えただけで、何故そこまで分かるのだろう。あの男爵もただものではない。彼の声は冷酷に続けた。
「邪な者に惑わされているのだ。探して丁重に連れ戻せ!」
 邪はあんたらだろうが。心の中で小さく毒づく。
 コヨーテが速度をあげた。息が弾み始める。村人の輪を避けるように走っているが、向こうからいくつか戸惑いがちな足音が向かってくる。
 やがて目の前に小さな松明の明かりが飛び込んできた。出口だ。
 ここまで来ると、シェリルの目でも手を繋いだまま前を走るコヨーテの影が見える。もはや足音を気にすることもなく、コヨーテはさらに速度を上げて走り出した。
「いたぞ! 出口だ!」
 後方で叫び声が聞こえた。
「くそ」
 珍しく舌打ちとともに悪態などつきながら、コヨーテは狭い出口への通路に体を滑り込ませた。
 シェリルは出口あたりにかかっている松明を指差し、一瞬集中して念を送り込む。まだ炎の精霊との同調が残っている彼女の念で、小さな炎は掻き消えた。広間は全くの暗闇に包まれる。これで少しは時間が稼げるはずだ。
 彼女もコヨーテに引かれながら、人一人がやっと通れる狭い通路に入り込む。岩肌が何度か半袖の服からむき出しになった腕を擦ったが、気にしてはいられない。コヨーテはやはり体を斜めにして屈まなければ通り抜けられないらしく、速度が落ちた。
「早く」
 急かしても仕方ないと分かってはいるが、焦りが彼女の頭を熱くさせた。左手が強く握り直される。彼女の催促に対する応えか、あるいは抗議なのか。

 だしぬけに右腕を強く引かれた。左手がコヨーテから離れる。シェリルは小さな悲鳴をあげた。
 狭い岩壁を容赦無く強い力で広間の方へ引き摺られ、腕だけでなく頭や耳が壁に擦れた。広間の方に明かりが見える。広間に連れ戻されると、燭台を手にした何人かの男たちが彼女を取り囲むように待ち受けていた。全員宴そのままの全裸だ。シェリルは顔を赤らめた。
 シェリルが通路から引きずり出されるのと入れ替わりに、燭台を持ったがっしりした体つきの男が通路の中に飛び込む。コヨーテを連れ戻しに入ったのだろう。無事に逃げてくれることを祈るしかない。彼が逃げ出して宿にいる仲間たちに知らせてくれれば、彼らが然るべき手を打ってくれるはずだ。
 つくづく短剣はコヨーテに渡しておけばよかったと後悔した。
 彼女の腕を掴んでいるのも、中背だが屈強な体つきの男だった。まるで食い込むように毛深くごつい指が腕を握っている。
 やがて人ごみを掻き分けるようにして、男爵と役人が姿を現した。彼らだけは服を着込んでいる。
 薄暗い空間で男爵の灰色の瞳が爛々と輝いているのが異様だった。彼はシェリルの姿を目にすると、唇の端を吊り上げた。
「魔女殿。ご無事で何よりです。現世でのしがらみなどに惑わされてはなりません。あなたは本来我々と共にあるべきなのです」
「私は魔女なんかじゃありません」
 とりあえずとぼけてみた。それに彼女は魔術師ではあるが、彼らが崇めているような、悪魔と通じている魔女などではないのは本当だ。
「ご自分でまだその力に気づいておられないだけです。さあ、こちらへ。入信の儀の前に、我らの魔女様にお会いいただきましょう」
「いやです」
 シェリルは頑強に首を振った。どうも彼らの物腰からして、シェリルにいきなり危害を加えるようなことはなさそうだ。
「まず私の連れを無事に逃がしてください。彼に差し向けた追っ手を呼び戻して。それからあなたのご指示に従います」
 男爵の隣に立っている役人が黙って眉を寄せた。男爵は笑みを消し、溜め息をつく。
「現世の男との恋に迷っておられるのか。……彼には一度口止めさせた上で、村から出しましょう。あなたがこれ以上我々を拒むなら、彼の身も保証しません」
 先の大男と同じことを言われて、シェリルは唇を噛んだ。
 かなり彼女が時間を稼いだはずだ。あの狭い通路を抜けて彼が逃げ切ってくれることを祈り、軽く目を閉じた。
 しかし彼女の祈りも虚しく、出口に通じる通路からざわめきが広がったと思うと、ぐったりしたコヨーテを引き摺るようにして、彼を追いかけに行った男が戻ってきた。シェリルは咄嗟に彼に駈け寄ろうとしたが、右腕をがっちりと押さえられて動けない。
「ちょっと、彼に何したの!」
 腹の底から飛び出したシェリルの怒鳴り声は、傭兵や荒くれ者たちには通用しないが、村人たちを竦ませるくらいには迫力があったようだ。素っ裸の村人たちのざわめきが静まる。
「少し眠ってもらっただけだ。男は無事だ」
 くぐもったような声で、コヨーテをひきずる男は答えた。
「眠ってもらったって、あんたねえ……」
「魔女殿、こちらへ。彼の言う通り、その男は無事です。ですが、それもあなたの今後の態度次第ということをお忘れなく」
 男に詰め寄ろうとするシェリルを、冷や水のような男爵の声が制した。コヨーテの方を見つめるが、彼はがくりと頭を垂れている。だが、彼を捕らえている男がコヨーテの髪を掴んで顔を上げさせると、彼はうっすら目を開けた。
 生きている。安堵のあまり膝が崩れそうになった。
 だがすぐに彼は目を閉じてしまった。どうやら薬か何かを嗅がされたようだ。
 仕方ない。
 シェリルは男爵を睨みながら、彼の導く方へと続いた。

 シェリルが精霊に命じて消した篝火を、四方に散った村人たちが灯しなおしている。宴の狂乱は既に冷めていたが、この広間にいくつも火が焚かれ、全裸の男女が行き交っているのは、また別の異様な雰囲気があった。
 前方を男爵が歩き、後ろから役人がついてきている。役人は帯剣しているし、逃げ出すのは簡単ではないだろう。それにコヨーテを人質に取られている。 
 彼女は広間を出口とは逆に横切り、篝火が四つ焚かれている、ひときわ明るい場所に連れて来られた。先ほど広間の端から覗いた通り、そこには輿が置かれ、その上に小さな人影がある。
 近寄るにつれ、見事な長い金髪を垂らした小柄な女だと分かる。
 だがシェリルは彼女の姿を見つめ、言葉を失った。
 投げ出された手足は土気色に変色して変形し、異臭を放っている。肘から下などはもはや原型を留めていない、皮の塊だった。肩の部分まで紫に変色しつつあり、いくつもの火ぶくれのような湿疹ができている。足も似たような状態だった。布をかけるなり、包帯を巻くなりして隠してやればいいものを、わざと袖や裾の短い服を着て、手足を剥き出しにしているように見える。
 そしてその顔も、全体的に黄色く膨れ、目の辺りはいくつもの疱疹ができ、瞼が開いているのかどうかも分からない。
 ついさっきコヨーテが、自分の妹が手足の先から麻痺して腐り落ちていく奇病に冒されていると言っていたが、それがこの病ではないかと思った。尤も彼の話は手の込んだ大嘘だったわけだが。
「魔女よ。お喜びください。あなたの同胞を連れてまいりました」
 男爵が呆然とするシェリルの背を押して、輿の上の女の前に突き出す。異臭に顔を顰めそうになるのを、唇を噛んでこらえた。
 少女が首を僅かに上げ、シェリルを見たような気がした。膨れ上がった瞼からは、目の動きは見ることができない。
「ふふふふふふ」
 少女は笑い出した。外見からは想像もできない程、澄んだ可憐な笑い声だが、調子を変えず同じ声音でずっと笑い続けているのは、気味が悪い。
「あはははは。違う! 違う! 女はわたしの仲間じゃなあい! こやつも捧げ物にしかならんわ!」
 美しい声を醜く歪ませ、首をがくがく前後に揺らしながら、少女は高笑いを交えて言い放った。
 男爵が驚いたように顔をあげる。
「しかし……確かに魔女の気配が……」
「違う! 違う! そいつも捧げ物じゃ! 捧げ物じゃ!」
 手足は動かないらしいが、金髪を振り乱して首を振り、胴体を捩りながら少女は喚いた。
 彼女が罹患している病気がどんなものかは知らないが、もしかすると脳にまで障害が及ぶようなものかもしれない。まるで狂人だ。
 男爵は大きく息をつくと、シェリルを振り向いて見下ろした。その瞳が哀れみに輝く。
「どうやら私の見込み違いだったようだ、娘よ」
 同時に背後から肩を掴まれ、両手を後ろ手に合わされる。振り向くとあの役人が無表情で彼女の両手首を縛り上げていた。
「見込み違いって……何?」
 全く事情が飲み込めず、シェリルは呆然としたまま問う。男爵は大仰に肩を竦めた。
「お前は魔女ではないな」
「だから、最初っからそう言ってんじゃない!」
 ここまで延々と思い込みで話を勝手に続けてきた男爵に対して、ついに彼女の癇癪が爆発した。しかし男爵は気に留めた様子も無い。彼とまともに意思疎通するのは無理だと思った。
「しかし喜べ。主を降臨させる為の尊い生贄に選ばれたぞ」
「何それ。うれしかないよ、そんなの。とにかくあたしと彼を離してよ!」
 怒鳴り散らす彼女の肩を男爵が掴む、身をもぎはなそうとするが、後ろ手に縛られた状態では難しかった。
 彼女を縛り終えた役人は、篝火の後ろにある、ひときわ大きな岩に歩み寄る。そこはこの広間の端に当たる部分で、岩は中央をくりぬかれ、丁度巨大な竈のようになっていた。岩の上部からは金属製の筒が伸び、天井まで続いている。煙突に見えた。
 近くに薪が束ねてあるのを、役人がほどいてばらしては、竈の中に放り込んでいる。
 不吉な予感にシェリルは黙り込んだ。

 いつの間にか近寄った、服を着た屈強な男二人がシェリルの両腕を掴んだ。
「……何する気? こんなことが続けられると思ってるの?」彼女は男爵を睨み上げる。足が震えた。「この村の異常に気づいている人間もいる。いずれは国王の耳にも入る」
「心配無い。我らには王などよりもっと頼もしく恐るべき味方がいる」
 シェリルの土壇場のはったりも、狂信的な男爵には全く通用しなかった。
「あの子が魔女? どこが! ただの病人じゃない。こんなとこで魔女に祭り上げてる暇があるなら、施療院か聖地にでも連れてってやんなさいよ。あんたの娘でしょ?」
「もはや私の娘ではない。魔女に転生したのだ。この村を救い、再び繁栄をもたらす主を呼ぶ為に」
「あんた頭おかしい」
 もはや男爵は答えず、鼻で軽く笑っただけだった。 
 それを合図にするように、二人の男たちはシェリルを予想通り、役人が待ち受ける巨大な竈へと引き摺っていく。輿の上から狂女が喚いた。
「若い娘! 生贄だ! 尊い捧げ物! 丸焼きだ! 来るぞ、来るぞ、もうすぐ主がやってくる!」
 シェリルは恐怖と焦りに涙ぐみながら、広間を見回した。すぐ近くに、がっしりした全裸の男に抱えられたままのコヨーテの姿が見える。祈りを込めて彼を見つめたが、彼も頭を垂れたままだった。
「いや……やめて。離して」 
 引き摺られながら、震える声で哀願したが、男二人は足取りを全く緩めない。もがく足が虚しく岩を引っ掻き、サンダルが片方脱げ落ちた。
 輿の周りにはいつの間にか村人たちが集まってきている。彼らは相変わらず全裸のまま、惚けているような表情で、竈へと引き摺られていくシェリルを見つめていた。彼女を助けようとする者などいるはずもないが、哀れみも喜びも何も彼らの目には映っていなかった。
 輿の上の男爵令嬢の笑い声が不吉に響いている。

「待って……あたし、違うの。待ってよ」
 べそをかきながら訴えるシェリルを、男二人は無情に竈の中に押し込める。中は薪で一杯だった。
 どうしてこんなことに。狂信者たちの生贄となって、こんな竈で焼き殺される羽目になるなんて。精霊との同調はとっくに解いてしまっているし、両手を縛られている状態では新たに術も使えない。
 罪の無い祭りだと思って後をついてきたのが運の尽きなのか。それともそもそも屋外で男と交わったりしたから、神の罰が下ったのかもしれない。彼女は勝手にここに連れて来た帽子の男を恨み、コヨーテを恨み、そもそも寝不足の原因となったマルタを恨んだ。そして何より責めたいのは、迂闊な判断を下した自分自身だった。 
 入り口から男たちに代わって役人が顔を覗かせた。彼は陰険な薄笑いを浮かべる。
「奥の方まで詰めろ。火がついたらせいぜい暴れて、大きな悲鳴でもあげるんだな」不意に彼は笑みを消して真顔になった。「そうすれば助かる」
 彼女が何か問いかける前に、役人は火のついた薪を投げ込むと、大きな金属製の蓋で入り口を塞いだ。
 あっという間に内部に熱と煙が充満する。竈の中に積まれた薪は次々と炎を上げ始めた。シェリルは身を捩って薪があまり無い竈の奥に這って後退した。
 何とか解けないかと、結び合わされた両手に力を込めると、なんと簡単に紐は引きちぎれ、両手は自由になった。
 一瞬呆然とする。
「娘さんや」
 空耳かと思った。だがもう一度低い老人の声が聞こえた気がして、迫る炎に焦りながら、彼女は辺りを見回した。丁度斜め後ろに人間の胴ほどの大きな穴がいつの間にか空いている。そこから禿頭の老人が顔を出していた。
「早く、生贄になりたくないなら、こっちへいらっしゃい」
 異論のあるはずもない。シェリルは頷き、老人が顔を出している穴に頭から飛び込んだ。這うようにしてそこを抜ける。穴はかなり狭く、彼女の大きなお尻はつかえそうになったが、どうにかくぐり抜けた。
「娘さん、ちょっと手伝ってくれ」
 息をつく暇もなく、老人は足元にあった大きな物体を逆に竈の中に押し込めようとしているようだった。シェリルは何も考えずに、彼の持つ荷物の反対側を抱え、ぎょっとしてそれを取り落としそうになった。
 竈の炎に淡く照らされたそれは、人間だ。既に冷たくなった女の死体だった。
「早く。お前さんの身代わりになっていただくんだ」
 老人に急かされ、彼女は気を取り直して、女の遺体を抱えて、シェリルの代わりに竈の中へと落とし入れた。
 やっと分かった。彼女の身代わりとしてこの遺体は焼かれ、あの狂信者たちの前に尊い生贄として祀られるのだ。
「悲鳴を」
 老人がシェリルを見上げた。
「あんたが焼き殺されていると思わせなきゃいかん。紅蓮の炎に生きながら焼かれるような、苦渋に満ちた悲鳴をあげるんだ」
 そんな経験無いから分からないが、助かりたい一心で、シェリルは竈の中に向かって甲高い悲鳴を張り上げた。
「熱い熱い熱い! 助けて!! 指先が焼けていくよー!! こんな目に合わせた奴を呪ってやる〜〜!!」
 しまいには演技に熱が入ってきて、焼かれてもいないのにその場で身悶えするシェリルを、老人がやや冷めた目で見つめていた。
 煙がこちらに流れてくると、彼は側にあった大きな石をいくつか積み上げ竈への穴を塞ぐ。熱気と煙が途切れて、シェリルも我に返った。

「神よ……赦したまえ」
 恐らく焼かれていく女の為にだろう。老人は目を閉じ、印を切って祈りを捧げた。唯一神の信者に取って、荼毘に付されることは、罪人への刑罰と同じだ。
 老人の足元にある小さなランプが照らすこの空間は狭い。岩でできた通路のようになっていて、天井も人間の背の高さほどしかない。あの広間への通路ほどではないが、人間一人が立って歩ける程度だ。
「助けていただいて、ありがとうございます」
 聞きたいことは多かったが、とりあえずシェリルは命の恩人である老人に礼を述べて、丁寧に頭を下げた。老人は苦い笑いを浮かべ、大きく頷く。
「なんの。とにかくご無事でよかった」
「あなたは……」シェリルは簡素な麻の服を纏った老人が首から下げる聖印に目を留めた。「司祭様でいらっしゃいますか?」
「かつてはな」
 老人は淋しげに言って頷いた。
 マライアたちが見つけたと言っていた、数年来閉ざされた教会。彼こそその主だったのだ。
「お聞きしたいことがありますが、まずここから出ましょう」
 立ち上がるシェリルを、老人は首を振って制した。
「まだだ。ここはあの大広間にしか通じておらん。連中が乱痴気騒ぎを終えてここを離れるまで待つんだ」
 彼女は落ち着かないながらも、老人の言葉を信じて気まずく座り直すと、口を開いた。
「司祭様、一体彼らは何をしているんでしょうか。ご領主は何故こんなことを……。そして令嬢のあのご様子は……?」
 続けざまに問いかける彼女に、老司祭は苦々しく話し始めた。


 かつては銀鉱脈の採掘権を持ち、豊かに潤っていた村だが、鉱脈が枯れると辺境の村はあっという間に衰退し始めた。銀に頼り切っていた村は農地の開墾も進んでおらず、村人は外へと流れ出していった。同じ頃、領主夫人も亡くなった。
 さらに追い討ちをかけるように、男爵の一人娘が奇病に冒されてしまった。手足の先端から麻痺が進み、腐り落ちていく難病だ。
 これを癒すことができない司祭と神を、半狂乱の男爵は毎日責め立てた。薬はあるが、完治させることはできず、症状の進行を遅らせるだけのもので、しかもかなり高価だという。
 この辺りの話は、コヨーテの言った通りだ。彼の妹が罹患しているということを除けば、奇病の話自体は嘘ではなかったらしい。
 もはや豊かではなくなった村では薬代を捻出することもできず、奥方の忘れ形見の美少女であった令嬢は、無残に生きながら枯れていった。
 司祭によれば、病が頭にも回ったのだろうということだったが、やがて令嬢は奇妙な言動を繰り返すようになった。
 この世を恨み、神を恨んだ男爵は、そこに幻想を抱いた。
 娘の病は悪魔の祝福であり、娘は魔女となって転生した。そして自分と村の為に悪魔を降臨させて救ってくれるはずだ。
 元から男爵は伝説や魔術に興味はあったらしいが、何故そんな邪術めいた発想に至ったのかは、司祭にも分からないらしい。
 老司祭はある日男爵に呼び出されてそんなことを告げられ、教会の閉鎖を一方的に告げられると、城の地下牢に押し込められた。
 それから三年ほど。
 男爵はいつの間にか村人に魔女と悪魔の教えを広め、月に三度、この狂気じみた宴を開いているという。


「ご令嬢の指示で、時には生贄が捧げられるんだ。十代の若い娘ばかり。何故か生娘でない方が生贄に選ばれることが多いようだ」
 話し続ける司祭に、シェリルは尋ねる。
「中には旅の人間も……?」
「そうだ。隊商や旅芸人は、殺してもどこからも文句が出ない、格好の生贄だ」
「そんな……なんてことを。罪も無い旅人を、狂人の一言で殺してしまうなんて」
「全員が死んだわけではない」 
 言葉とは裏腹に力なく首を振りながら司祭は答えた。
「……ここ一年くらい、この竈を作って生贄を丸焼きにするようになってからは、私がこうして助け出した者も多い」
 肩を落とす老人を見つめ、疑問が沸いた。彼の話では、彼自身は地下牢に幽閉されていたはずだ。どうしてその彼がこんなとこにいるのだろう。この狭い通路には、他に何も無く、老司祭がここで暮らしているとは考えにくい。
 答えは暗闇の奥からやってきた。
 ランプの明かりが近づいてくる。男の姿が浮かび上がった。あの陰険な顔つきの役人だ。

「司祭様、ありがとうございます」
 役人は老人の前に跪き、印を切る。司祭は祝福を与えるように、彼に片手を掲げてみせた。
 役人はシェリルの方に視線を投げてきた。
「娘、無事だったか。凄まじい悲鳴をあげていたから、脱出できなかったかと思ったぞ」
「あなたが悲鳴をあげろとおしゃったから……」幾分憮然としながらも、彼に礼を言わない訳にはいかなかった。「ありがとうございます」
 彼は尊大に頷いた。やはりあまり好きになれない類の男だ。
 恐らくこの役人が幽閉された司祭を内密に助けたのだろう。生贄にされかけた旅人を、こうして細工をした竈を使い、司祭と協力して何度か逃がしていたに違いない。彼が縛り上げたシェリルの両手の縛めも難なく解けたが、あれも彼が細工をしていたのだろう。
「娘よ、頼みがある」 
 役人は上着の懐から蝋封された羊皮紙の束を差し出した。
「王都へ行き、これを国王へ届けてくれぬか。旅芸人では国王への謁見は敵わぬだろうから、然るべき役所へ提出してくれればいい」
「何ですか?」
 大体中身の予想はついていたが、受け取りながら尋ねてみた。
「我らが領主に対する告発状だ」
 役人は目を閉じ、嘆息した。
「あなたが自分で届けに行けば……」
 書状を突き返すつもりはなかったが、つい責めるように言うと、役人に代わって司祭が答えた。
「この村で今男爵に危機を覚えているのは、私を除けば彼だけだ。彼が旅に出てもしものことがあれば、旅人と村人を飲み込み続ける村で、手を打てる者は誰もいなくなる。
 私たちはこうして助け出した旅人を逃がす度に、こうして告発状を持たせているが、陛下からの返答は無いままだ。皆、王都などへは寄らずに逃げてしまったのか、届いた告発状を王が無視しているのか……」
「嘆かわしい」
 司祭の言葉を遮って、役人は吐き捨てた。
「お前もあの狂乱騒ぎを見ただろう。ああして楽しく過ごしていれば、誰かが助けてくれると村人は思っているのだ。なんと愚かな。
 畑を耕し、麦を作り……銀に頼れない今、しなければならないことはいくらでもある。神の加護もその労苦の上にこそ降り注ぐというのに、楽をしたいばかりに悪魔の降臨を待つなどと……。しかも若い娘や旅人を生贄に捧げながら」
 役人は両手で額を覆った。元々信仰深く、生真面目な性格なのだろう。屋外で交わっていた彼女たちに対して寛大だった村人に比べ、彼だけ激怒していたのは、彼は全く魔女の饗宴に同調していなかったからなのだ。
「この書状はお預かりします。ご心配なく」
 シェリルは小さいが凛とした声で答えた。
 この異様な村で、たった一人、領主の行いに危機を感じ、司祭を助けて生贄を逃がしていた役人に対して、哀れみと、悔しいが敬意のようなものが沸いてくる。
「私は隣の領地のサー・ジョンの使いでやってきた者です。こちらの村に行ったまま戻らない者が多いので、様子を見てくるようにと密命を受けてまいりました」
「おお……」
 老司祭は顔を輝かせ、印を切った。
「そうか……お前たちは芸人ではなかったのか……」
 だが役人は呟きながら顔を曇らせ、眉を寄せる。それは先刻、脱出しようとした彼女が捕らえられ、コヨーテの身を案じている時に彼が見せた表情と同じで、深い哀れみに満ちていた。
「宴は終わったんですか?」
 彼女の問いに役人は頷いた。
「ああ。皆帰った。もう出られるぞ」
「……彼は? 無事に逃がされました?」
 彼は首を振った。瞬時に背筋が冷え、顔が青ざめるのが自分で分かった。彼女の様子から目を逸らすようにして、役人は呟く。
「すまないな。男も同じように竈で焼き殺そうと提案したんだが、男では生贄にならないと魔女が言い出して……私ではそれ以上どうすることもできなかった」
「どうなったの? 無事に逃がしてくれたんじゃないの?」
 勢い込んで尋ねると、役人は目を閉じてもう一度頭を振った。
「あの男なら切り刻まれて鍋の具にされちまったよ」
 暗闇の奥から、くぐもってしゃがれた声が響いた。役人は剣の柄に手をかけて振り返る。シェリルも立ち上がった。
 役人がやってきたのと同じ方向から、ランプを手にした見覚えのあるがっしりとした体つきの全裸の男が現れた。コヨーテを捕まえていた男だ。
 男は表情を無くして動揺する役人を見下ろし、薄く笑った。
「宴が終わって皆戻ってるってのに、あんただけこっちの方に歩いていくから、おかしいと思ったんだ。こんなとこにこんな隠し通路があったのか」
「もう一度言ってよ。あたしの連れはどうなったの?」
 腰から短剣を抜きながら、シェリルはにやつく男に震える声で問いかけた。
 男は彼女の姿を見て驚いたように目を見開いたが、再び顔を崩した。
「神聖な宴の邪魔をした不届き者だってんで、首絞められた後、男爵に切り刻まれて、煮えたぎる鍋に放り込まれちまったよ」

 憤怒と絶望で顔に血が上った。歯軋りしながら呻く。
「なんだって……」
「この男がね」自分を指差す男の声音が突然変わった。「僕じゃなくて」
 目の前の男の姿が歪んだ。その輪郭がぶれたと思った瞬間、全裸の筋肉質の男は見慣れたコヨーテの姿に変わる。もちろん服は着ていた。 
 目くらましだ。
 シェリルは大きく息を吐いた。声も彼のものだ。無事だったのだ。涙が出そうになる。
「なんだ? お前、生きていたのか? 今のは何だ?」
 混乱した役人は剣に手をかけたまま狼狽している。
「僕を追っかけてきた男をどうにか眠らせて、目くらましで入れ替わったんだよ」
 コヨーテは役人を横目で見ながら、シェリルに向かって話し始めた。
 シェリルが広間に連れ戻された後、あのがっしりした男がコヨーテを追いかけて通路へ入ったわけだが、その際、彼は男を針か何かで眠らせて、幻術で自分と男の姿を入れ替えたのだろう。
 広間にいた彼女には、男がコヨーテを連れ戻して引き摺ってきたように見えたが、その時には既に彼らは入れ替わっていて、眠らせた男を逆にコヨーテが引き摺ってきていたのだ。
「君が竈に放り込まれた後、どうなるかと思ったけど、あの導師が結局僕を殺すと決めたみたいでね。皆がぼんやり見守る中、僕の姿をした彼は気の毒に、首を絞めて殺された後、ご領主様に四肢をぶったぎられて、鍋で煮込まれちゃったよ」
 怖気がした。男爵も完全に狂っている。
 それにしてもコヨーテが無事でよかった。彼が切り刻まれたと告げられた時には、一瞬怒りと悲しみで目の前の視界を失うほどだった。
「なんで戻ってきたの? そのまま逃げてもよかったのに」
 そんな気持ちとは全く別のことを尋ねると、彼は苦笑いを見せた。
「ありがとうとか、無事で良かったとか言ってくれてもいいんじゃない? ──君を無事に脱出させる為に報酬まで貰ってるからね、見捨ててとんずらするわけにいかないでしょ」
「……でも竈に放り込まれるのを黙って見てたじゃない」
「だって、あんな大勢の人間を相手にしたら、何もできないよ。それに、そっちの役人さんが君の手首を縛り上げてる時、すぐ解けるような結び方してたからね。……なんとなく、君は無事じゃないかって気がしたんだ」
 驚いた。シェリルが役人に後ろ手に縛り上げられていた時には、全裸の男に扮したコヨーテとは、結構な距離があったはずだ。そこから、役人が彼女を縛る様子まで詳細に見えていたというなら、かなり視力がいいのだろう。
 役人がシェリルを助けようとしていることを感じ取り、宴の後も役人の様子を観察していて、こうして彼の後を尾けてきたに違いない。
「ふ〜ん」
 結局、彼が戻ってきてくれたことに対する礼を言いそびれ、シェリルはそう呟くに留まった。本当は彼が一人で逃げずに戻ってきてくれたことが死ぬほど嬉しかったのだが、おくびにも出さなかった。出せなかった。 
あと一回で三話完結です。長くなってすみません。
web拍手

作者ブログ『椰子の実ライブラリ』


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