警告
この作品は<R-18>です。
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7・死
遠くの梢でふくろうが鳴いていた。
その鳴き声は凍える森に寂しげに響き渡る。風もなく、雪に音を吸い込まれたような静寂の夜。城からシャナンを連れ出したカナーンは、森の奥深くにある、冬場は誰も寄り付かない、雪に埋もれた木こり小屋に身を潜めていた。
暖炉を煌々と燃やし、小さな部屋は温かかった。だが、火に当たっているはずのシャナンの四肢は氷のように冷たく、カナーンの腕に抱かれて、肩で浅い息をするさまは、もう長くはないのだということを知らしめていた。胸に刺さった長槍は、カナーンの手で短く折られていたものの、引き抜けば多量の出血で、命を落としてしまう状態だった。長槍の先が痛々しく胸に食い込んだまま、カナーンはどうすることもできないのだった。
「雪を融かして温かいスープでも作ろう。待っていなさい」
「いいえ、このまま……傍にいて」
息をすることさえままならなかったが、カナーンに心配をかけまいとシャナンは弱々しく微笑した。
「微かに開くその瞳は、もうすぐ永遠に閉じようというのか。もう二度と開かぬというのか。お前が何故こんな目に会わねばならぬ!」
カナーンはシャナンから目をそらし、やりきれないとでもいうように、宙を睨んだ。
暖炉の炎に照らされた二人の影は、はかなげに揺らめいていた。
シャナンが口をわずかに開いたので、カナーンは耳をそばだてた。
「一つだけ、教えて……」
「なんだ?」
「あなたが……村娘達を殺めた?」
シャナンはかすれた声で、遠慮がちに尋ねた。
「違う、私ではない。信じないのであればそれでも良いが」
「いいえ、信じます」
「この村では殺めていない。そういうことだ」
「この、村では?」
「先ほど言ったように、私は吸血鬼にちがいないのだ。人を殺め、永遠を生きる化け物だ」
「そんな……違う」
「何故私をかばったのだ。人ではないのだぞ」
こほっ。
シャナンは血を吐いた。喉がヒューヒューと音を立て始め、一層呼吸が荒くなっていた。辛うじて聞き取れる声は、今にもかき消えそうだった。
「もう静かにしていろ」
カナーンはシャナンの肩を抱き寄せたまま、口元についた血を布で優しく拭い、頬を撫ぜた。
「いいの。私は……もう助からない。少しでも伯爵夫人と……話したい」
「私のことはカナーンでよい」
「カナーン」
シャナンは恥ずかしそうに、おずおずと名を呟き、カナーンはそれに応えるように微笑んで頷いた。
「……会いに来るべきではなかった。ただその姿を一目見届けておきたかっただけなのだ。すまぬ」
シャナンは僅かに頭を横に振った。
「もし、カナーンに会わずに生涯を終えていたら……なんてつまらない人生……会えてよかった」
シャナンは再び小さく喀血した。
「もう話すな」
カナーンはシャナンの背中をさすった。
「私、母に……似ている?」
「ああ、生き写しだ。いや、お前のほうがよほど美しい」
シャナンの瞳はもう開いていられなかった。血の気がなくなった青い口元にはうっすらと笑みを浮かべた。
「シャナン!」
微風でも消し去られてしまいそうな命の灯の前で、カナーンは名を呼ぶことしかできなかった。
「シャナン! 死ぬな!」
「もう一度……あなたの顔を……見たかった。愛して……います」
「別れの言葉など口にするな! 私の顔を見たいのだろう? さあ、目を開けて」
カナーンはシャナンを抱いたままその手をとり、自分の頬に押し付けた。
「シャナン、私がわかるか?」
「あなたの顔……」
シャナンの潤んだ瞳は、僅かに開いたが、それ以上、開くことはなかった。カナーンの腕に身を任せて横たわるシャナンは、荒い息をしながらも嬉しそうに微笑んだ。
カナーンを悲しませたくない。シャナンは微笑み続けた。
青白く冷たいシャナンの手を包むようにして握り締めると、カナーンはその手にそっと口付けした。
「もう少し……カナーンと過ごしたかった」
そう言ったとたん、シャナンの手はカナーンの手から抜け落ち、力なくだらりと床の上に落ちた。
「シャナン! 目を瞑るな! お前は死んではいけない! こんなに純真な娘が、何故死なねばならん!」
カナーンは絶叫しながらシャナンの体をゆすっていた。カナーンの目には涙が滲んでいた。
「まだ息がある! シャナン!」
カナーンは必死だった。そのとき、カナーンはあとのことをまったく考えていなかった。ただ、シャナンをこのまま土へ返すことがどうしてもできなかったのだ。
「私のために命を落とすなど馬鹿げている! 神の側へなど行かせるものか!」
カナーンはその鋭い牙を、シャナンの首筋に立てたのだった。
シャナンはびくりと体を震わせ、うっすらと目を開けて、自分の首筋に顔をうずめているカナーンを見たあと、すうすうと寝息をたて始め、そのまま眠りについた。
シャナンの痛みは嘘のように消えてなくなり、強い脱力感とともに睡魔が襲ってきたのだった。
先ほどまでの苦しそうな喘ぎが嘘のように思えるほど、安らかな寝顔だった。胸に刺さった長槍の残骸をゆっくりと抜き取っても、傷からの出血はなく、その深い傷も、少しずつ癒えてきているようだった。
「シャナン……」
シャナンの首筋からゆっくりと顔を上げたカナーンは、眠るシャナンを優しく抱き締めた。
暖炉の薪がはぜる音が響いていた。外は青白く、静寂な闇が不気味な夜を演出していた。
カナーンはシャナンを闇の世界の住人へ迎え入れたのだった。
丸二日間、シャナンは昏々と眠り続けた。深手を負ったため、体が再生されるまでに時間がかかったようだった。その間、カナーンはシャナンの髪をとき、体を熱いタオルで拭き、甲斐甲斐しく介抱していたのだった。
三日目の夕暮れ、カナーンがベッドに寝ているシャナンの腕を熱いタオルで拭いていると、シャナンの指先がぴくりと動いた。
「シャナン!」
カナーンの声に反応したように、シャナンはゆっくりと瞳を開いた。
「わたし……」
「わかるか?」
カナーンは不安げに、横になっているシャナンの顔を覗き込んだ。
「カナーン様……」
シャナンはベッドから起き上がり、床にひれ伏した。
「シャナン、顔を上げなさい。おまえは私の下僕ではない」
「仰せのままに……」
ゆっくりと顔を上げたシャナンのその瞳は、死んだ魚の目のように輝きを失っていた。
「シャナン、私の血を分け与えよう」
カナーンはシャナンの前に膝をつき、自分の首筋をはだけて、シャナンの前に突き出した。シャナンは頼りなげな細い手をすうっと伸ばし、吸い寄せられるようにその首に絡めて、ぎこちなく牙を立てた。
カナーンの首に痛みが走る。その行為は、次第に体中が火照る感覚となり、熱に浮かされたようにカナーンの息は荒くなっていった。
これでシャナンは下僕ではなく、我がカナーンの血を引く吸血鬼となるのだ。同胞を迎え入れるのは、何百年ぶりだろうか。カナーンはふとそんなことを思ったのだが、暢気に過去を振り返っている場合ではなくなった。シャナンが首筋から離れないのだ。吸血鬼として生まれ変わったシャナンは、血に飢えている。重傷を負っていたのだから、なおのこと血を欲しているに違いなかった。
「シャナン、もう止めなさい」
カナーンの力をもってしても、吸血鬼になりたての、本能に赴くまま血を欲しているシャナンには敵わなかった。
これも運命か。シャナンが生きてくれるのであれば、私の命などくれてやってもいいとさえカナーンは思った。
カナーンは抗うのをやめ、シャナンの体を強く抱き締めた。
「私の命を授けよう。私をお前のものにするが良い」
カナーンはシャナンの髪を優しく撫ぜた。
「シャナン、あなたを愛している」
意識が遠のきそうになり、カナーンは最後の言葉のつもりでそう囁いた。
脱力し、床に倒れそうになったカナーンだったが、意外にも、シャナンの腕に支えられたのだった。
「カナーン……」
そう言って心配そうに見つめるシャナンの瞳は、輝きを取り戻していた。
「正気を、取り戻したか……」
「私、今何を」
シャナンは口元を拭った手に、血がついているのを見て動揺し、床に座り込んで呆然とした。
ふらつきながらもなんとかベッドサイドに腰を下ろしたカナーンは、シャナンにゆっくりと告げた。
「お前は、生まれ変わった」
シャナンは目を見開き、その先に続く言葉を拒絶するように、両手で耳を塞いだ。
だが、カナーンは容赦なくその言葉を口にしたのだった。
「今のお前は吸血鬼なのだ」