警告
この作品は<R-18>です。
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5・復讐
「これは神父様。良い所へおいでくださいました。神父様は確かこのお嬢さんの婚約者でしたね。彼女がこちらを訪ねていらしたのですが、気分を悪くしてここで休まれていたところです。ご両親が心配されているといけませんので連れて行っていただけませんか」
伯爵夫人は神父の荒々しい態度に動じることなく、笑顔を作り、丁寧な言葉で語りかけた。
「今更取り繕っても遅い。化けの皮がはがれたのだ。もうここから逃げることはできない!」
神父の剣幕は治まる様子もなく、伯爵夫人の人を食ったような態度は、バートリ神父を一層いらつかせた。神父が怒鳴る中、シャナンは伯爵夫人の腕に抱かれたままぴくりとも動かない。衣服も乱れ、肩があらわになったままだった。それに気づいたバートリ神父は、一段と声が荒くなった。
「貴様! シャナンに何をした! 男の旅装束をして、シャナンをかどわかしたのか!」
「神父様、落ち着いてください。この私に何ができると? さあ、彼女を連れてお引き取りください」
伯爵夫人は、腕の中で眠るシャナンの頬に「さようなら」と、囁きながら口付けをした。すると、シャナンはゆっくりと目を覚まし、カルンシュタイン伯爵夫人の腕から離れた。
「私、どうしたの?」
眠りから醒めたシャナンは、まだぼんやりと夢うつつだったが、バートリ神父のただならぬ形相に、見る見る顔を青ざめさせ、伯爵夫人を不安顔で見やった。
伯爵夫人はシャナンに向かって安心させるように微笑んだあと、「私は大丈夫です。バートリ神父と一緒に帰りなさい」と言って、シャナンの背を押した。
「いや!」
シャナンは伯爵夫人の元へ向き直り、しがみつくようにその胸に飛び込んだ。
「シャナン! 行きなさい」
「神父様、許してください。いいえ、私を憎んでもかまいません。これ以上、自分の気持ちに嘘はつけないのです」
「シャナン、可哀想に。その吸血鬼に操られているのか? 私が助けてやるぞ」
バートリ神父が二人の方へ一歩踏み出したその時、
「神父様! その娘は既に人ではありません! 毎夜ここへ通い、吸血鬼の手にかかったのです。悪魔よ、神の御前で消え去るがいい!」
甲高い声が響き、神父の前に女が飛び出してきた。それは、エッカルトザウ伯爵夫人だった。銀色に輝くロザリオを手に、カルンシュタイン伯爵夫人に向けてかざしているのだった。それを目にしたカルンシュタイン伯爵夫人は怯えるどころか、至極穏やかに微笑み返した。
「信心深いのはわかりました。ですが、私は吸血鬼ではありません。ロザリオをそのようにかざしても、何の意味も持ちません」
「なんということでしょう。神の力が及ばないとは。だが、覚悟するがいい。豪腕の衛兵がお前を逃がしはしない」
エッカルトザウ伯爵夫人は、バートリ神父の後ろへ下がったかと思うと、廊下に向かって「心臓を一刺しに!」と一声上げ、同時に、鎧をまとい、長槍を持ったいかつい衛兵が、七人ばかり部屋になだれ込んできた。
「シャナンがいるのですよ。手荒な真似は――」
「何を言うのです、神父様。シャナンも吸血鬼になってしまったのです。このまま生かしておくわけにはいきません。このようなことになってお辛いでしょうけれど、あの娘のためなのです」
神父の声を遮ったエッカルトザウ伯爵夫人は、勝ち誇ったように声高にさえずった。続けて、甲高い声を張り上げ、嬉しそうに笑ったのだ。その歪んだ形相は、蝋燭の薄暗がりの中で、何百年も生きてきた老婆のように醜悪だった。
「この娘は、生まれた時から不吉だった。エッカルトザウの名を汚すだけでは飽きたらず、伯爵に取り入ってぬけぬけと城へ出入りして! 吸血鬼となって村を支配しようとでもいうのか! 村を滅ぼす、薄汚いジプシーの娘!」
復讐の狂気にとり付かれたとしか思えない、引きつった笑顔を浮かべながら、エッカルトザウ伯爵夫人はシャナンを罵倒した。夫の不貞相手へ向けられるはずの積年の憎しみは膨れ上がり、計り知れないどす黒い膿となってシャナンに向けられ、いっきに噴出したのだった。
「お前など、生まれてこなければ良かったのです!」
生きていることさえ否定され、罵られている。それでもシャナンは言い返せなかった。自分ではどうしようもない事実。生きていることさえ罪と言われても、自ら命を絶つのもまた罪。ただ、うなだれて耳を傾けているしかなかった。
「シャナンに罪はありません」
「神父様、騙されてはいけません。美しい顔の下には悪魔が潜んでいるのです!」
バートリ神父がシャナンをかばっても、エッカルトザウ伯爵夫人は聞き入れようとはしなかった。
「か弱い女をどうしようというのです? エッカルトザウ伯爵夫人は思い違いをなさっているのです。どうか、エッカルトザウ伯爵をお呼びくださいませ」
衛兵が二人を取り囲む中、カルンシュタイン伯爵夫人は、すがるような目で衛兵達を見た。
「その女の目を見てはいけません! 魔術で腑抜けにされる。早くその二人の胸を一突きにして!」
カルンシュタイン伯爵夫人の弱々しい姿に、一瞬、たじろいだ衛兵達だったが、エッカルトザウ伯爵夫人の金切り声にせっつかれ、目を合わせないようにしながら、じりじりとカルンシュタイン伯爵夫人を追い詰め、長槍の先を向けた。
「聞き入れてくれないのですね」
小さくため息をつきながら、カルンシュタイン伯爵夫人は長槍を花でも手折るように、片手で容易く折り曲げてしまった。
「ここでは静かに過ごしたかった。だが、仕方ない。向けられた刃には容赦しない。……シャナン、手を離しなさい」
「離さない!」
「足手まといだと言っているのだ!」
尚もしがみついているシャナンを振りほどき、その指の一突きで、シャナンは易々と床に転がされてしまった。シャナンがカルンシュタイン伯爵夫人を見上げた時には、その形相は一変していた。真紅の唇から異様に伸びた犬歯がむき出しになり、薄暗がりの中で瞳は赤く怪しい光を放っていたのだ。
「いかにも、私は吸血鬼。永遠の血を受け継ぐ者、吸血鬼カナーンである。今宵、この娘を糧にする楽しみを奪った人間ども、後悔するがいい」
「嘘!」
シャナンは、床に倒れたまま両耳を手で塞ぎ、絶叫した。認めたくない。カルンシュタイン伯爵夫人が吸血鬼だなどと。幾人もの村娘を手にかけたというのか。本当に自分を食い物にしようとしたのであれば、どうして今まで牙をむかなかったのか。
シャナンは目の前の伯爵夫人の形相を受け入れられないのだった。その牙は明らかに吸血鬼のものに違いなかった。不思議な魅力も、吸血鬼である証拠かもしれない。けれど、シャナンに向けられた、愛しむような優しいあの眼差しは?
「衛兵! 遠慮はいらない。その娘も吸血鬼の下僕、人ではないのです!」
エッカルトザウ伯爵夫人の金切り声と供に、長槍の鋭い先が、倒れこんだままのシャナンの胸めがけて勢いよく飛び出した。
シャナンは恐怖のあまり逃げることもできずに、身を硬くして目を強く瞑った。その瞬間、顔にふわりと薔薇の香りのする風を感じ、同時に衛兵の呻き声がしたのだった。シャナンが恐々目を開けると、目の前には音もなく躍り出たカナーンが、易々と長槍を掴み取り、衛兵の腕をねじ伏せ、にやりと口元を吊り上げて笑っていたのだった。
「お前達の相手は私であろう。小娘を狙うとは、私が怖いのか?」
カナーンの体が宙に舞った。息つく暇もなく人間離れした軽業をいともたやすくこなし、屈強な衛兵達を、一人また一人と、のしていった。マントを鮮やかに翻し、優雅に踊りを舞うかのような旅装束姿のカナーンの身のこなしに、シャナンは恐怖を忘れてうっとりと見とれていた。戦いの真っ只中に座り込んでいるシャナンには、全く危害はなかった。向かってくる衛兵は、カナーンがさりげなく遠ざけていたのだった。
鎧がきしみながら床に倒れていく音と、衛兵の呻き声や勇ましい掛け声以外には音がなく、不気味なほど静かな中で決着はついた。エッカルトザウ伯爵夫人と神父が呆然としている間の、ほんの数分間の出来事だったが、その光景は美しい美術絵のようにシャナンの目に焼きついたのだった。
カナーンは顔にかかった長い乱れ髪を横に流し、短くため息をついて周りを見回した。足元には、衛兵達が呻き声を漏らしながら、転がっている。
「くだらないことで手を汚したくはなかったのだが」
「なんということでしょう! 誰か! 誰か来て! 吸血鬼が!」
腰を抜かして座り込んでしまったエッカルトザウ伯爵夫人は、震える声で叫んだ。
カナーンはけだるそうにその声の方を一瞥して神父を見据え、
「神父、その女を黙らせなさい。そうしなければ、犠牲者が増えるばかりだ」
と、指図した後、窓の桟にふわりと立ち、「シャナンは吸血鬼ではない。神父、後を任せる」と言って、くるりとマントで身を包み、背を向けた。
「……吸血鬼、逃がすか……」
窓のそばに倒れていた衛兵の一人が、呻くように呟いた。カナーンもそれに気づき、咄嗟に振り向いた。衛兵の手には長槍が握られ、最後の力を振り絞るかのように力一杯、突き出されたのだった。
「危ない!」
鈍く光った鋭利な先端が、狙った獲物を今にも貫こうとしたその時、シャナンは飛び出していた。足が勝手に長槍の前へ走り出していたのだ。
「ああ、なんということだ!」
その無残な光景に、バートリ神父は絶望の声を上げ、目を覆ったのだった。