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10・別離
 あの日、シャナンが連れ去られたと知ったエッカルトザウ伯爵は、すぐさまバートリ神父に吸血鬼狩りを依頼していた。
 村人総出で狩は行われたのだが、雪も降らない夜だというのに、足跡一つ見つけられず、吸血鬼カナーンの行方は一向につかめなかったのだった。
村中を探しつくした村人達は、日が経つにつれ、吸血鬼はもうこの村にはいないのかもしれないと思い始めた。
「神父様、あれから一週間だ。どのみちシャナンは助からない。もう諦めよう」
「何を言う。シャナンはきっと生きている」
 バートリ神父は諦めることを許さなかった。吸血鬼狩りの手は、村はずれの森にまで広げられたのだった。
「だが、神父様。もし薄暗い森で、吸血鬼に出くわしたら……」
「腰抜けどもめ。帰りたければ帰るがいい」
 神父に同行する村人は、日が経つにつれ、一人また一人と減っていき、捜索はバートリ神父ただ一人となった。
 シャナンが連れ去られて九日が過ぎていたが、神父は諦めていなかった。
 村人が気味悪がり、誰も近づこうとしなかった冬の森に、バートリ神父はとうとう足を踏み入れたのだった。
 夜通し歩き、バートリ神父が森の奥深くにたどり着いたときには、空が白んできてもよい時刻になっていた。だが、薄曇のどんよりとした重々しい空に加え、生い茂った針葉樹林の大木は、いつまでたっても夜明けを知らない森にしていた。
それでも、バートリ神父は歩みをやめず突き進んでいった。
疲れて足を止め、ふと空を見上げたとき、バートリ神父は前方に白くたなびく煙を見つけたのだ。
「煙だ! 木こり小屋に誰かいるぞ。真冬は誰も使わないはずだ。奴がいるに違いない」
 バートリ神父は、木々の合間から煙突の煙を見つけて走り出した。
 木こり小屋を飛び立ったカナーンは、丁度その光景を目にしたのだった。
「追っ手はすぐそこまで来ていたのか」
バートリ神父のいる教会へ向かうはずだったが、そこまで出向く必用はなくなった。
神父の行く手を阻むように雪を巻き込んだ竜巻を起こし、カナーンは地上に降り立った。
 雪煙が静まり、漆黒のマントを羽織ったカナーンが姿を現した。
「バートリ神父、久しぶりだな」
 竜巻から顔をそらしていたバートリ神父は、その姿を見るなり、カナーンに剣を向けて突進してきた。
「シャナンを、シャナンを返せ!」
「神父、私を一突きしてシャナンを安らかに眠らせてくれ……」
「きさま! シャナンを悪魔にしたのか!」
 カナーンの言葉に動揺し、足を止めたバートリ神父は、行き場をなくした剣を宙で振りかざして、一層怒りをあらわにした。
「違う、あの娘はいかなるときも清らかだ……」
カナーンは弱々しく反論した。
「お前の仲間にしたのだろう? シャナンは人の生き血を吸い、汚れた血で永遠にさまようのだぞ! シャナンはそれを望んだというのか」
「いいや」
「シャナンは喜ばない。悲嘆に暮れ、自分の運命を呪い、自ら命を断つだろう」
 神父の言う通りだ。
「そんなむごい仕打ちをシャナンにしたというのか!」
 愚かだった。神父に責められるまでもなく、カナーンは十分にそう思っていた。
「神父よ、その剣で我が首を落とし、胸に杭を打ち込むがいい」
 カナーンはその場にひざまずき、頭を垂れた。だが、待っていてもその首に剣があてがわれることはなかった。
「どうした、早くやれ」
 カナーンは痺れを切らして神父を見上げ、促した。
「……お前を消せば、シャナンも消えるのだろう?」
「シャナンは吸血鬼として生きることを拒んでいる。このままでは、飢えて苦しみながら朽ちるのを待つことになる。これ以上シャナンが苦しまないで済むように、私を消してくれ」
「それは、お前と供にシャナンも葬るということか」
「それしかないのだ」
「シャナンと心中するというのか」
「あのかわいそうな娘を救ってやる方法はそれしかないのだ」
「馬鹿を言うな。そんなことはさせない!」
 バートリ神父の意外な言葉に、カナーンは驚き、立ち上がった。
「では、他にどんな手立てがあるというのだ」
「……私であれば、シャナンを救える」
「シャナンはもはや、吸血鬼なのだぞ。神父であるお前が、吸血鬼を救うと言うのか」
「私は、黒魔術をたしなんでいる」
 バートリ神父は、歪んだ笑みを浮かべた。聖職者然とした今までの態度は全て偽りの姿だったのだ。
胡散臭い神父だと感じていたが、やはり悪魔と契約を交わしていたのか。
 カナーンは納得した。
「条件があるのだろう?」
「私がお前を封印する。そしてシャナンの前から姿を消せ。あとは、私に全てを任せるのだ」
「いいだろう。お前を信じよう」
 シャナンを消し去ることよりも悪い事態などないだろう。シャナンさえこの世に存在していてくれたらそれでいい。
 カナーンはそう考えた。
そして、罪と後悔を始めて知ったカナーンは、再び神父の前にひざまずき、進んで封印されようとした。
「良かろう」
 バートリ神父はそう言って満足そうに頷いてから、雪の上に円陣を書き記し、カナーンを中央に据えるように取り囲んだ。
 準備が整い、バートリ神父が何事かを唱えると、カナーンは脱力感に襲われ、その場に崩れるようにして倒れた。
カナーンはまぶたが重くなり、目を開けていられなくなった。と同時に、意識も遠のいていった。
 これで、この世も見納めか。
 雪が舞い落ち、顔に降りかかるのがわかった。体が、雪と同化していくように感じた。
 このまま消えていくのだろうかとカナーンは薄れ行く意識の中でぼんやりと思った。
「やめて!」
そのとき、シャナンの叫び声が聞こえた。
 まさか、まだ昼間だというのに。
 雪が降り、灰色の空は陽射しを隠しているものの、シャナンが外へ飛び出すには危険だ。カナーンはシャナンの身を案じた。
 光は浄化を意味する。吸血鬼として未熟な状態の者は眩しさに足がすくみ、身動きができなくなるのだ。
不安に駆られたカナーンは声のするほうを見ようとしたのだが、目を開けることすらできなかった。
 もはや、カナーンは自分の意思で動くことができない状態だった。
「何という変わりようだ! 可哀想なシャナン」
 土気色をしたシャナンを見て、嘆くバートリ神父の声がカナーンの頭に響いた。
「私のことなどどうでもいいのです。カナーンに何をしたのです!」
 ああ、シャナンはこの日の光の中でもあんなに力強く話している。
 きっと大丈夫だ。シャナンは生きていける。
 カナーンは安心した。あとは、あの神父がシャナンを助けてくれるはずだ、と。
 実際、シャナンの声は力強かった。今にも倒れそうなその細い体から、どうしてそのような声が出せるのか。
バートリ神父を圧倒するほどの力強さだった。
「この吸血鬼が望んだことだ」
「望んだこと?」
「あなたを救って欲しいと、私に託したのだ」
「託す?」
 シャナンはバートリ神父の言葉を確認するように繰り返した。
「この吸血鬼は己の命と引き換えに、お前を救ってくれと言ったのだ」
「カナーン!」
 シャナンは震える声でそう呼びかけながら力が抜けたようにその場に座り込んだ。
「殺したというの?」
「消してはいない。今消せばあなたまで消えてしまうことになる。あなたが私の妻となり、私のものになれば、あの忌々しい吸血鬼を助けてやってもいい」
「そんなこと……信じられない。カナーンを巻き添えにする気なんてなかったのに!」
 雪を踏みしめるように、シャナンはゆっくりと立ち上がった。
「奴は私の手中にある」
「いやーっ!」
 円陣に入ろうとしたシャナンは、バートリ神父に腕を捕まえられた。
その時、異変が起こった。
ゆらゆらとシャナンの髪が逆立ち、雪と供に渦巻き始めたのだ。バートリ神父はあまりの猛吹雪に足をよろめかせ、その場に座り込んだ。
「シャナン、静まりなさい。何をする気だ!」
 バートリ神父の叫び声は、猛烈な吹雪にかき消された。
「カナーンは、誰にも渡さない!」
 吹雪の中に立ち尽くしたシャナンは、今までの弱々しさが嘘のように、その堂々とした姿は吸血鬼以外の何者でもなかった。
 シャナンは両腕を大きく空に向かって伸ばし、叫んだ。
「カナーンの魂よ! 我が魂と出会うとき、供に生きることをここに誓い、再び巡り会えるように、巡り会える場所に留まり、私を待て!」
「吸血鬼を私から隠すつもりか! にわか魔術など無駄なことを。私の術を妨害できるはずがない!」
バートリ神父も、術を唱え始めた。
 吹雪はカナーンを中心にして渦巻き、カナーンを飲み込んでしまい、跡形もなく消えてしまった。
 あとに、はらはらと雪が舞い落ちた。
「あなたの手の届かないところへ、カナーンを隠したわ」
 シャナンはふらつきながらもバートリ神父を睨みつけた。
「ははは! それはどうかな。どこに飛ばしたのかさえ自分でわからないのではないか? 今からでも遅くはない。私の妻となればあの吸血鬼を助けてやっても良い」
「あなたは信用できない。私は自分の力でカナーンを探し出して助けます! そして、もう離れない」
「そうはさせない。あいつだけは許さない。一緒にはさせない!」
 バートリ神父がシャナンを捕らえようと手を伸ばしたその瞬間、シャナンは黒い鳥に姿を変えて舞い散る雪の空に飛び去った。
皮肉なことに、カナーンを救いたい一心で、シャナンは吸血鬼として生きることを決意したのだった。
カナーンを捜し求めて時の流れに逆らい生きる、孤独な旅の始まりだった。
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