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恵理は、結局最期まで俺という存在を無視して行きやがった。
そこまでシカトされると……
まあ、松永達の前でゴロゴロ甘えられるのも困るけどよ。
呆然としていた俺を見て、オヤジは奥の事務所に俺を連れ出した。
見た目まんまで顔の広いオヤジは、俺と恵理の中をズバリと言い当てた。
意外だった。
まさかオヤジが、俺が恵理と付き合うのを応援するだなんて……
第22話 遅い帰宅
「あーしたっつ!(ありがとうございました!)」
 
俺は松永達が帰った後も居残り、オヤジの工場に納品に来た、卸業者の後姿を見送っていた。

「オヤジぃ」

「あんでぃ?(何でぃ?)」
 
オヤジは、積み上げて納品された※ブレーキライニングの入った箱を、奥の倉庫へと移動させているトコロだった。
 
モチロン、俺も手伝っている。

「メーカー変えた? 前はミニアスだったろ?」
 
ミニアス社は車の足マワリ関係、主にブレーキ部分を取り扱っている地元の会社だ。中小企業ではあったが、他県の大手企業の製品と比較しても何ら見劣りしなければ、精度上でも問題は無かった。
 
注文後の輸送時間や手間暇のコストを考慮すれば地元であるミニアスとの取引は手堅い。県内での需要も多い、成長株の会社だった。

「ああ」

「ナンで? ミニアス社製品は、俺の会社でも取り扱ってるよ? 儲かってるって……」

「ソイツは単なる噂じゃろうが?」
 
俺のギモンに、オヤジは歩を止めてゆっくりと振り返った。
 
オヤジは面白くなさそうに顔を顰めた。
 
そしてツラレて立ち止まった俺の顔を覗き込む。

「ん、なっつ……?」
 
自然と俺は仰け反った。
 
怖え〜よ、オヤジ、アップになるな〜〜〜。

「あそこのはな、まだアスベストが混ざっとるのよ」

「え?」

 
アスベスト――石綿。二〇〇四年には石綿を一パーセント以上含んだ製品の集荷が原則禁止になり、アスベストを含有した製品を取り扱っている各関連会社は、その代替品を打ち出して自社製品の安全性を提唱アピールした。
 
要するに、人体に有害な物質が出るアスベスト製品を廃止して、ノンアスベスト製品を取り扱っているのが当然になっていた今どきにも関わらず、製品を廃止せずにノンアスベストだとウソを吐いて取り扱っているらしい。


「それって捏造? 詐欺じゃん?」
 
木村工業でも取引のある会社だぞ?
 
ヤバイだろ?
 
おれの言い様にオヤジはナオも付け加えた。

「デカイ会社なら簡単に製品の代替が出来るがな、小せぇ会社じゃそれもままならんってぇな……あそこの社長はワシもよ〜知っとる。じゃが、コッチも商売じゃからの。(手を)切らして貰ったんじゃ」
 
オヤジは唸るようにそう言って、視線を落とした。

「……」
 
俺には、大柄なオヤジの背中が小さく見えたような気がした。


 
壁掛け時計は、もう十一時半を過ぎていた。

「……オソイ!」
 
駄目モト半分で一時間前に携帯GPSで確認したら、このマンション内に恵理が居るコトが判った。
 
だけどあれから一時間……恵理は一向に帰って来る気配がナイ。
 
ダイニングテーブルに座っている俺の目の前には、まだ盛り付けされていない器が二人分セッティングされていた。
 
今日のメニューは激辛カレーとサラダ。
 
作る前、俺は昼間の恵理に頭に来ていたから、イタズラ気分でカレーを激辛にしてやろうと企てた。
 
で、作っている途中、恵理が『晩御飯要らない』って言ってたコトを思い出したんだ。
 
まあ、余ったら明日食えばイイコトだし……
 
『要らない』って言ってたけど、ヤッパリ待つコトにしていた。
 
俺から恵理に頼みゴトもあったし……
 
そんなワケでお預け状態。
 
やっぱり『マテ』状態のイヌだよな?

 
ぐうう……
 
ハラ……減った……
 
換気扇をフルに廻しているが、今となってはイタズラで作ったカレーの匂いがツライ。
 
空きっ腹にコタエる。
 
冷凍庫にハーゲンダッツを見付けてたけど、コレを食えば恵理の機嫌が更に……つか、逆鱗に触れそうな気がしてたから止めにした。

「う〜〜〜早く帰って来い〜〜〜」
 
俺は空腹を訴えるハラのムシを宥めスカそうと、ガムを口に含んだ。
 
もう一度携帯で居場所確認。
 
……やっぱり恵理はこのマンション内のドコカに居るハズなんだ。
 
帰って来にくいのか?
 
俺は居候だし……自分の家だぞ?

「……」
 
ムダに時間が過ぎているように思えた。
 
捜しに行くか。
 
俺はパジャマになっていたのをTシャツとジーンズに着替え直し、恵理を捜しに行こうと玄関のドアを開けた――


「うわっつ?」

「!」
 
ドアを開けた俺の目の前に、スーツ姿の恵理が顔を伏せて幽霊のように突っ立っていた。

「……」
 
恵理はゆっくりと俺を見上げる――
 
その瞳には全く怒気はナイ。
 
つか、まるで叱られて、凹んじまったコドモみたいだった。
 
ココを出て行った時と同じく、修理工場で見た恵理の凛としたカッコイイ姿はドコにも窺えない。
 
……ナニかあったのか?

「ホントーに……遅かったスね?」
 
俺は(恵理の姿に)驚いたコトをハグラカスように、穏やかに言った。

「……」
 
恵理の唇が微かに動く。

「ドコ行ってたんスか? 差し支えなければ居場所くらい……いっつ?」
 
イキナリ恵理は俺の首に縋り付いて来た。
 
俺は思わず後退あとずさりして、片手で押さえていたドアを放す。
 
投げ飛ばされるかぁあ???
 
俺はトッサに身構えた。

「うわ、ゴメンって、課長のフィットを俺にクレッって言うのは冗談ん〜んっつ???」
 
俺のセリフが奪われた。
 
恵理は突然俺にキスして来たんだ。

「んっ……」
 
ばたん……
 
玄関のドアが俺と恵理をのみ込んだ。

 
俺はそのまま恵理に玄関で押し倒されていた。
 
本当は、俺が倒されて遣ったんだけどね。

「んん……」
 
恵理から俺にキスを要求して来たのは、コレが初めてだった。
 
様子がヘンだ。
 
お世辞でも上手とは言えない恵理のキス。
 
でもコレが意地っ張りな恵理からのお侘びにも思えた。

「何があった?」
 
俺は軽く力を込めて恵理の頭を引き離し、マジな低い声で囁いた。
 
ごつん☆
 
あうっつ……痛えぇ〜……顎に頭突きされたよ……
 
俺はシリアスには向かねーな。

「う……ぐすっ……」
 
え? 泣いてる?
 
恵理は俺を押し倒したまま、急にポロポロ大粒の涙を溢した。
 
俺はそれ以上恵理を問いただせなくなってしまった。


「……課長? 夕飯、ちゃんと食って来ました?」

「……ううん」
 
恵理は泣きながら首を横に振った。

「ダメでしょう? ちゃんと食べないと」

「……うん」
 
恵理は何度もしゃくり上げる。

「俺も……実はマダなんっスよ。一緒に……食べますか?」

「……うん」
 
ヤッパリ今はナンにも聴けね〜な……
 
俺をベッドにしたまま、恵理は暫らくすすり泣いていた。

 
俺は恵理を押し退けるコトが出来なかった。
 
ナニが恵理を泣かせた?
 
俺か?
 
怒らせるようなコトはショッチュウだが、この恵理を泣かせるまでに至ったコトは、今のトコロ遣っていないツモリだが……?

「ぐすっ……司?」

「はい?」
 
恵理は軽く鼻をススルと、俺から身体を離した。

「アタシを……見て?」
 
そう言って、シャツのボタンに手を掛ける。
 
第一ボタンが外され、第二ボタンに手が掛かって、恵理の深い胸の谷間が見えた。
 
薄っすらとアザのようなモノが白い肌に残っていた。
 
それは俺が昨夜付けたキスマークなんかじゃない。
 
フザケて付けたキスマークはトックに消えているハズだ。
 
うわ、うわ、まさかココで……?

「ま、待った!」
 
俺は慌てた。
 
基本、俺は『攻め』タイプだ。逆だと調子が出ないし(何の調子だ?)退いちまう。
 
俺の声に、恵理は驚いて手を止めた。
 
上体を起こした俺は、片手で課長の頭を引き寄せて、軽く唇を重ねた。

「メシにしましょ? 課長のハナシはアトで聴きますから」
 
しまったぁ……
 
そう言った後、俺は心の中で今日のメニューを後悔した。
 
……あんなの作るんじゃなかったよ〜〜〜
 
イタズラに作った激辛カレーが恨めしく思えた。
※ブレーキライニング=ドラムブレーキのドラムに接触して回転を止める摩擦材
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