警告
この作品は<R-18>です。
18歳未満の方は
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冒険の合間に・風呂場にて(後編)
ごちそうさまでした。
(──じゃない!)
プリシラは我に返った。彼女は情交が終わると、すぐ素に戻る方である。
タイル張りの床に横たわったミクエルの方はといえば、まだ起き上がる気が無いらしく、仰向けに転がっていた体を横向きにし、剥き出しだった性器をプリシラの目から隠すのがやっとのようだ。普通は男女逆である。
いや、そんなことはどうでもいい。
(やっばい……。バカじゃないの、あたし。なんでやっちゃったんだろ)
少しからかってやるつもりだったのが、調子に乗ってとんでもないことをしてしまった。
男性の肉体に触れたのが久しぶりだった上に、いかにも童貞といったミクエルの狼狽ぶりが可愛らしくて、ついつい増長してしまった。
陵辱したつもりはない。ミクエルも途中からは、逃げる素振りも見せなかった。
だがしかし、無知でいたいけな、修道会の少年の好奇心を煽り、言葉とその他の技術を駆使して、誘惑したということは否定しきれない。手や口で済ませておけばよかったものの、お互いの男女の部分を合わせてしまった。
(ま、いっか)
過ぎた時間は戻らない。プリシラは前向きに気持ちを切り替えた。
ミクエルもプリシラも、この経験を教訓とし、明日に向かって活かしていけばいい。最後の最後で理性を働かせて、体の中で射精させなかったのは上等だ。妊娠さえしなければ、無かったことにできる。
夢だと思って忘れてね。
そう言おうと思って、ミクエルの顔を覗き込んだプリシラは仰天した。
力なく床に横たわり、眉を寄せて目を閉じている少年の瞼の隙間から、涙が静かに流れていたからだ。唇を噛み締め、嗚咽もなくミクエルは泣いていた。
泣かせてしまった。
荒くれ男に囲まれ、逞しい父に育てられたプリシラは、女々しい男が大嫌いである。彼女が育った北方では、『男が泣くのは、親が死んだ時と財布を落とした時だけ』と言われる。
それが、王都の男たちの軟弱ぶりときたら、どうだろう。別れたくないと言っては泣き、怪我をしたと騒いでは泣き、吟遊詩人の悲恋話を聞いては泣く。阿呆ではなかろうか。
本来なら、「泣いてんじゃねえ!」と一喝したいところだが、原因が自分にあると思うと、さすがに罪悪感が湧いて、彼女はうろたえた。
ミクエルは穏やかな気質だし、気弱なところもあるが、こんな商売をしているだけあって、そこらの見かけ倒しの傭兵より、芯はしっかりしている。精神的には自立している少年だ。彼が泣いているところなど、目にするのは初めてだった。
(どーしよー。泣かせちゃった……)
初めて女の味を知ったことへの、感激の涙にはとても見えない。プリシラの直感では、それは後悔、悔恨、屈辱の涙に見えた。いつものように勘が外れればいいが、残念ながら、今回は多分当たっているだろう。
修行中の身である彼は、女と交わることは許されないはずだ。不本意な行為であったのは、間違いない。
その彼を手練手管でその気にさせて、半ば無理やり繋がってしまったのだから、淫魔のような女に見えるだろう。他の男にそう思われても構わないが、同じパーティー仲間であれば、話は全く異なってくる。
ミクエルが、このことを他の仲間に泣きながら告げたりすれば、最悪だ。
リーダーのルークは、ミクエルをとても可愛がっている。ルークが女に優しいとはいえ、この件を知れば、プリシラを責めるに違いない。いくらなんでも殴られたりはしないと思うが、こっぴどく叱られるだろう。ことによれば、「お前も同じ目に合わせてやろうか」などと、ミクエルに代わって、倍返しの復讐をされるかもしれない。
(そんなルーク、ちょっといいかも……)
遠回りだが、目的達成である。
(……じゃなくて)
妄想に浸っている場合ではない。
ルークだけではなく、彼女が常日頃から「節操無し」だの「ヤリチン」だのと小ばかにしているシーマスにも、ここぞとばかりに嘲笑されるだろう。いくら女好きの彼でも、同じパーティーの仲間に手を出すほど、底抜けの馬鹿ではないはずだ。そんなことをプリシラがしたと知れば、きっと一生笑われる。
そしてエミリーにも軽蔑されてしまうだろう。彼女はプリシラが奔放だということを知っているが、ミクエルにまで手を伸ばしたと知れば、ショックを受けるはずだ。プリシラの信頼はがた落ちである。
頼みの綱は、その辺りの道徳観念が抜け落ちているセルヴィスだが、あんなわけのわからない人間が味方についてくれたところで、状況が変わるかどうかは甚だ疑問だ。
それになにより、ミクエル本人である。
真面目で、医療と治癒術に明るく、人当たりもよく、身の回りのこともできる彼は、年端はいかないながらも、貴重な存在である。それは誰もが思っている。
その彼が今回のことで、仲間を抜けるなどと言い出せば、プリシラたちには大きな打撃である。代わりの人間を探すと言っても、彼以上の人材は、そうは見つかるまい。
とにかく彼を宥め、口止めをしなければならない。
「ミクエル……風邪引くよ」
唇を噛んだまま、幾筋も涙を流している少年の肩に、プリシラはそっと手をかけた。床に転がったまま、身を起こす様子も無い彼の腕を掴み、静かに力を込めると、ミクエルはやっと上体を起こした。気力が戻ったというよりも、プリシラの力に逆らうのが面倒だったようだ。
ミクエルの顔を覗き込もうとすると、彼は恥じるように片手で顔を覆った。俯いたミクエルの喉から、微かな嗚咽が聞こえた気がする。
唇を噛み、咽びをこらえながら泣いている少年を目にして、プリシラの胸に、自責と哀れみ、僅かな苛立ちが押し寄せた。だが震えている肩が、まだそう広くなく、まだ子供の延長であるのを見ると、それらは不思議な温かい感情に変わっていく。
「ちょっと……。これ、使って」
入り口近くの床に、彼女が体を拭くために置いておいたタオルがあるのを見つけ、プリシラはそれを取って、ミクエルに渡した。彼は鼻をすする音を立てながら、素直に受け取って顔を拭う。
「とにかく、お湯に入ろ」
湯気に包まれている屋内とはいえ、季節はまだ春である。内陸のこの辺りは、夜ともなれば少々冷える。プリシラは床からもう一度浴槽に下りた。温まった湯に浸かると、少しだけ落ち着く気がした。
ミクエルの腕も引く。振り払われるかもしれないと思ったが、彼は弱々しい動きながら、プリシラの導きに従った。座ったまま、尻を擦るようにして、じりじりと動く。
童顔の彼だが、態度や言葉遣いはいつも大人びている。こんな幼女のような、あどけない動きをするミクエルは見たことがない。
小さな音を立てて、俯いたミクエルが足から湯に浸かる。その様子も、戸惑いながら、するべきことが分からずに、ただ大人の教えに従う子供そのものだ。筋肉がつきはじめた体が、その動きにひどく不釣合いに見えて、何故こんな子供に欲情してしまったのだろうと、再び後悔と苛立ちに襲われた。
湯の中で座って彼と向かい合う。ミクエルはまだプリシラと一度も視線を合わせず、俯いたまま、時折肩を小さく震わせている。
ためらっていても仕方ない。プリシラは口を開いた。
「ねえ、ミクエル。さっきのことは、皆には内緒にして欲しいんだけど」
「当たり前だよ」返ってきた声は咽びに歪んでいた。「誰にも言えないよ、こんなこと」
それなら、とりあえずはプリシラの身は安泰である。僅かな自責を感じながらも、彼女はこっそり息を吐いた。そしてルークたちに泣きつくことを否定したミクエルに、ちょっとした感心も覚えた。彼が泣いていると知った時は驚いたが、一方的な被害者になりきって、プリシラを糾弾するほど、女々しくはないようだ。
あとは彼本人の意志である。プリシラは、彼女には珍しいことに、言葉を選びながら、話を続けた。
「じゃあさ、えーと……これからも、今まで通りでいいよね」
小さな沈黙が流れた。
ミクエルの考えが分からず、プリシラは少々怖気づく思いで、彼の答えを待つ。
「……どういう意味?」
やがて、俯いたまま、ミクエルは涙にひび割れた声を絞り出した。
「あ~、だから……これからも、今まで通り、仲良くやっていくってことで……」
言葉の途中で、ミクエルが顔をあげた。その目からは、まだ涙が流れている。視線がぶつかって、たじろいだのはプリシラだった。
「仲良くって、どういうこと?」
「え~、だから……同じパーティーとして、これからも一緒にやっていこうってこと……なんだけど……」
他の仲間たちが、今のプリシラとミクエルを見れば、驚くに違いない。詰問するミクエルと、語尾が消え入りそうなプリシラの会話は、普段と全く逆であった。
まずいかもしれないとプリシラは思った。
ミクエルの、縋るようでありながら、真摯で、ある意味では攻撃的な眼差しには、何度か覚えがある。
面倒見がよく、つい言動が強気になる彼女を、格好いいと尊敬し、崇める幾人もの男たちがいた。一生ついていくなどと、涙混じりに囁いていた男もいた。
真っ平であった。強い女が好きなどと言い、プリシラに惚れ込む男たちは、最初は可愛く思える。
だがすぐに飽きてくる。疲れてくるのだ。プリシラが見た目通りの女だと思っている、夢見る馬鹿に付き合っていられなくなる。
気まぐれで拾われた子犬が、再び捨てられようとしている時のような、行き場の無い視線を向けられ、プリシラはさらにたじろいだ。
(まずい。惚れられたら終わりだ)
ミクエルのような、純真な少年に惚れられるなどと、心底苦痛だ。無関係の人間ならいざ知らず、生死を共にする仲間に、応える気の無い想いを持たれても、お互い困るだけである。
「今まで通りって、さっきのことは忘れろってこと?」
しっかりと視線を合わせながら、ミクエルが尋ねた時、プリシラが感じたのは、焦りというより、怖れにも近かった。彼女は答えられなかった。
「プリシラにとっては、なんでもないことかもしれないけど、僕にとってはそうじゃないんだよ。本当なら修道会を追い出されちゃうんだ。忘れて済む話じゃないんだよ……」
芯の無い声で呟いた後、ミクエルの瞳から、もう一度涙がこぼれた。喋っている内に、嗚咽をこらえられなくなったのか、彼の肩が痙攣するように大きく震え始める。
プリシラやその他の冒険者、隊商や旅芸人など、流れ者の女たちは、性に関して奔放である。一度男と寝たくらいで、生涯の伴侶だなどと思うことはまずない。しかし、他の定住者たちはそう思わないことも知っている。特に田舎の方では、肌を重ねることは、婚姻と同義だ。ミクエルも男だから、女をただで抱けるのは嬉しいだろうと、無意識に傲慢に考えていた。
起こってしまったことは仕方ないが、自分の衝動的な行動が、ミクエルに取ってどれほど重たいものだったかを改めて知り、重苦しい感覚に捕らわれる。
しかし、行為について詫びる気は起きなかった。彼だって全く興味が無かったわけではないだろうし、楽しんでいなかったわけでもない。
「分かった。軽い気持ちで忘れてって言ったのは、悪かったわよ。でも……」
「僕なら、あんなことしても、何も言わないと思ったの……? すっぱり忘れて、何事も無かったように、過ごせると思ったの……?」
感情を抑えようとするように、ミクエルは再び目を瞑った。涙がまた幾筋も流れ出す。
(うはー。手が掛かりそうな奴に手ぇ出しちゃった……)
プリシラの感情は、良くも悪くも持続しない。怒りを覚えても、吐き出してしまえば、後に残ることは少ないし、喜びも同じだ。この時も、泣き続けるミクエルを見ているうち、哀れみと慙愧は、徐々に退屈と苛立ちへと変わろうとしていた。
それでも仕方なく、彼を宥めようと肩に手を伸ばす。
「ねえ、ミクエル。今はちょっと、気が高ぶってるだろうから……」
「当たり前だよ……! こっち見ないで、あっち向いてて」
彼はとうとう、タオルで顔を覆って、すすり泣き始めた。
面倒な男だと思ったが、もう一度我慢した。泣いている姿を見られたくないという、ミクエルの最後のプライドを尊重することにして、背中を向ける。
「僕、あんなに女の人に近づいたの、初めてなんだよ……。普通の気持ちでいられるわけないよ」
プリシラの背中に向かって、ミクエルの鼻にかかった声が掛けられる。
涙をこらえきれない彼に、他人事のように同情しつつも、プリシラは、そろそろ溜め息をつきたくなった。
静かだった浴槽の湯が、微かに波立った。
不意に背中が温かく濡れる。首筋に柔らかい髪の毛が張りついた。首の下に鼻。その下に微かに唇が触れる。
少年の細い腕が、プリシラの体の前に回り、鍛えた彼女の体をそっと包んだ。
労るような動作に、安堵と反感を同時に感じた。ミクエルに労られるほど、自分は弱くはない。
「プリシラ……」
名前を呼ぶ少年の声に、さっきまでの、熱にうかされたようなひとときと、同じ熱さを聞き取った気がする。
(やばい。絶対やばい)
早く彼を振り解いて、誠意をもって、諭さなければ。恋愛なんて一過性の感情で、それを同じ仲間内で持つのは、何の利益もない。
しかし彼女は何故か、すぐに行動に移せなかった。プリシラを包もうとする、ミクエルの細めの腕の感触が心地よかったのか、または別の理由があるのかは、分からなかったし、考えなかった。静かに重みを預けている少年の肉体を、ただ背中で感じていた。
よりかかるミクエルの体から、しかしプリシラが嫌う、彼女への依存や崇拝の重苦しさはほとんど伝わってこなかった。湯に濡れた温かな肌、弾力のある筋肉、首筋を撫でる吐息だけが感じられる。
柔らかく力が込められる。繊細な細工物を守るように、そっと。ミクエルはいつだって、そうやって目の前にある物や人を大切に扱い、大切に接する。
なのに自分ときたら。
再び押し寄せた自責の念に飲まれる前に、背中に押し付けられた熱さが、プリシラの心をかき乱した。ミクエルの心臓の鼓動を感じる。皮膚と皮膚の向こうに、彼の命そのものがある。
傭兵であるプリシラは、他人に簡単に背を向けない。父にそう叩き込まれた。
但し信頼できる友や仲間は別だ。彼らをプリシラが守り、プリシラの背中を彼らが守ってくれる。仲間とはそういう存在だ。
それも時と場合による。父はそうも言っていた。この時のプリシラはそれを忘れていた。
両腕をそっとつかまれる。
「プリシラ……お願い」
彼女の背中に押し付けられたまま、ミクエルが呟く。
何のお願いだか、聞きたくもない。恋人になってくれだの、結婚してくれだの言われたら、どう断ろう。
(それ以上言わないでー!)
ほとんど戦慄しながら、祈るように念じる。プリシラの久方ぶりの神への祈りは、この場でミクエルが記憶を失うか、時間が戻って欲しいという、いずれもおよそ、ありえない可能性であった。起こりそうにない奇跡を祈ることは、彼女には非常に珍しかった。
彼女が事態に気づいたのは、背中の肩甲骨が強く寄せられてからである。こういったことも、プリシラには極めて稀であった。
「あんた、何してんの?」
振り向いて、先ほどまでより、数段低い声を絞り出し、ミクエルを睨み据える。
本業の傭兵すら怖じ気づく、プリシラの鋭い視線を受け止めても、ミクエルは平然としている。
「縛っちゃった」
「そんなことわかってるわよ。なんで、こんなことするのかって聞いてんの」
両手首を背中で縛られたまま、体ごと振り返ろうとすると、肩を押さえられる。頬に涙の跡を残したまま、ミクエルは微笑んだ。
「だって、力じゃプリシラに敵わないもん」
背中で合わせられた両手首は、しっかりと布で結び合わされている。恐らくプリシラが先ほど彼に差し出したタオルだ。
「どういうつもり?」
肩を押され、振り向くことを封じられながら、それでも必死に首を巡らせると、相変わらず楽しそうに笑っているミクエルの顔が見えた。
「さっきはプリシラがやりたい放題やったんだから、今度は僕にも好きなようにさせてよ」
プリシラが反論する前に、もう一方の手で頬を押さえられる。ミクエルの大きな瞳がまぶたに閉ざされたと思うと、顔が寄せられて唇が重ねられた。
上唇を食まれ、舌先で軽く撫でられる。湿った軟らかい感触に、何とも言えない悪寒を覚えた。
ミクエルの唇が開き、口の中が彼の吐息で包まれた。熱くて苦しい。舌先が今度は下唇を撫で、続いてミクエルの口で柔らかく挟まれた。幼女が、摘んだ花の蜜を吸うように、優しく、柔らかい動作だ。首を振り向けたままの苦しい姿勢だというのに、プリシラは陶然となった。目を開けたままの彼女には、目を瞑って口づけに酔うミクエルの顔が、信じられないほど近くに見えた。
プリシラの唇を味わったあと、少年の舌は唾液の音を立てて口の中に入り込んでくる。濡れた舌は、ざらついた感触が少なく、プリシラの頬の内側や上顎を滑らかに撫でる。再び背筋がぞくりとして、震えを押えるために、彼女は肩に力を込めた。
頬を押えられて顔が動かせない彼女は、両手を縛られたまま、体の向きを僅かに変えた。ミクエルから逃れるためではなく、彼のくちづけを正面から受けるために。
顎の裏の歯の付け根、舌の裏。プリシラが数え切れないくらい繰り返してきた男との口づけの中でも、かつて触れられたところが無いような場所まで、ミクエルの舌は丹念に探ってくる。頬を押える彼の指先は、時折プリシラの耳たぶに触れた。舌に舌が絡められ、軽く引っ張られる。ついプリシラはミクエルを追うように顔を寄せたが、それを合図にしたように、彼は顔を離した。
口の中には、まだミクエルの残した唾液と、舌の感触が残っている。
「あんた……さっきキスは初めてって言わなかった?」
三つも年下の少年の口づけに一瞬でも酔ったことが癪で、プリシラは目をすがめて彼を見やったが、相変わらずミクエルの方は平然としていた。
「言った」
「ウソなわけ?」
「うん」
あっさりと少年は頷く。再びミクエルは邪気の無い笑みを見せた。
「自慢にはならないけど、僕、童貞だって言って、疑われたことないんだ」
もう一度唇が重ねられる。吐息が交錯し、舌と舌が触れ合った。
「ん……」
ミクエルの溜め息が吐き出され、微かな声が耳に届く。唇を押し付け、舌で口内を探りながら、彼は時折、同じような小さな声をあげた。
あたかもミクエルが口づけに興奮しているようであったが、その実、少年の悩ましいような声によって、感情を煽られているのは、プリシラだった。彼女の方が息遣いが荒い。
それを知っていて、この少年は切なく響く、微かな呻きをあげているのだろうか。だとしたら、初めてだなんてとんでもない。口づけに関して、この年にしては、相当修練を積んでいるか、天性の才能があるかのどちらかだ。
頭の片隅で、ミクエルの唇や舌、頬を撫でる指先の動きを冷静に推し量る一方で、意識は熱を持ち、溶け始めようとしている。
(何やってんの、あたし)
二人の唾液と舌で口の中が満たされて息苦しくなり、やっとプリシラは我に返った。
先ほどミクエルは何と言った。プリシラが彼を翻弄した分、彼にも好きなようにさせろと言わなかったか。
冗談ではない。それとこれとは別の話だ。なんだかよくは分からないが、ミクエルは見た目通りの初心な少年ではないらしい。だからといって、むしろ尚更、こんな年下の男に好きなようにされてたまるか。
頬を押えている手を振り払うように、強く顔をそむけると、案外簡単に唇が外れた。
「そのへんにしときなさいよ。コレほどいて……」
睨み据えるプリシラに、ミクエルはまったく頓着しない。タオルで手首を縛られて、腕を動かせないプリシラの体を静かに抱きしめると、体重を預けてきた。
湯の中で正座していた彼女は、そのままのしかかられ、仰向けに浴槽に沈みそうになる。慌てて背後に回された、縛められたままの手を床に付いて、体を支えた。肩に触れるか触れないかまで伸びた、切りっぱなしの褐色の髪が湯に浸かって広がった。
「どいてよ、こら。水ん中に沈める気?」
鼻息荒くプリシラが声を上げる間にも、ミクエルは正座した彼女の膝に、上から跨った。小柄とはいえ、全体重をかけられると、脚が動かせない。
「そんな、きゃんきゃん吠えないで」
プリシラの頬に唇を触れさせながら、ミクエルは囁いた。いつもの鼻にかかった甲高い声であったが、その響きは泰然としている。吐息が頬と耳を撫でた。
「きゃんきゃん!?」
半分鳥肌を立たせて、プリシラは叫んだ。彼女の低音の恫喝を聞いた人間は、女はもちろん、荒くれ男でさえ動揺を見せるというのに、犬の吠え声に聞こえるというのは、侮辱以外の何物でもない。
「だって、子犬が一生懸命、相手を脅かそうとして吠えてるみたいだよ」
子犬はどっちだよ。
睨み上げると、ミクエルと正面から視線がぶつかる。眉間に皺を寄せるプリシラに対し、少年は相変わらず微笑んでいる。脅しが効いていないのは間違いない。
いつもプリシラが抑えた声と共に、鋭い一瞥をくれるだけで、ミクエルは青ざめたり、苦笑しながら言うことを聞いている。なのに、今の彼は何だろう。まるで別人、知らない人間だ。
ミクエルの頭が動き、湯に沈むまいと、体を反らして突っ張るプリシラの鎖骨に、唇が触れた。
舌が伸びる。ミクエルが骨の上の肌を舐めた。再び鳥肌が立つような感覚に襲われる。舌が首筋から鎖骨のあたりを音を立てて舐め回す。あどけないミクエルにおよそ不似合いな、ぴちゃぴちゃと下品な音が聞こえる。背中で上体を支えている腕が僅かに震えた。
「肌、きれい……」
ミクエルが囁くと、吐息が唾液に濡れた肌を撫でる。一瞬、そこだけ妙に冷たくなった。プリシラはミクエルに目を向けたが、彼は彼女の胸元に視線を落としたままだった。
「なんとなく知ってたけど、このへん、ホントに日に焼けてなくて綺麗だね」
プリシラに幾分重みを預けたまま、彼女の鎖骨を今度はミクエルの指がなぞる。
ミクエルが言う通り、冬が長く、日照時間が短い北方で育ったプリシラは、元々は色白だ。だがじきに、日差しの下で荷物運びや護衛をするようになると、顔や腕は男たちと同様、あっという間に日に焼けて小麦色に近くなった。北方では逆に、男も女も小麦色の肌の人間こそ、健康だと湛えられる。温暖な王都ではまるっきり逆なのだから、人間、いつでも珍しいものが好きなのかもしれない。
男たちのように、上半身裸で労働に精を出していたわけではないプリシラの胸元は、生まれた時とほとんど同じく、白くて滑らかだ。濡れた肌はしっとりとしていて、上質の綿を思わせる。 鎖骨を何度かなぞっていたミクエルの唇が、不意に強く彼女の肌を吸った。
「うっ……」
思わず微かな呻きをあげる。ミクエルの唇に肌が引っ張られているのが分かる。プリシラも唇を噛み、続く溜め息をこらえた。頭の後ろが相変わらずぞくぞくする。
肌を吸いながら、ミクエルの手はプリシラの胸へと滑る。ミクエルほとではないが、鍛えた筋肉を持つ彼女の胸には、軟らかな脂肪はほとんど無い。思春期の少女のような微かな膨らみを、ミクエルの指先が、そっと撫でる。撫でながらさらに鎖骨の皮膚を吸われる。彼の動きに翻弄され、意識が攪拌されていくようだった。
ミクエルが唇を離す。顔を上げた彼と視線が合わさる。無邪気に微笑んだミクエルの頬に、もう涙の跡は見えない。
プリシラの膝の上に座り、左手で彼女の肩を押さえながら、ミクエルはプリシラの瞳を覗き込んだ。浴場の中に灯された明かりはやや薄暗く、ミクエルの瞳が翳って見える。
ゆっくりと乳房を撫でていたミクエルの右手が、その先端を摘み上げた。突然襲ってきた快楽に、プリシラは目を閉じて耐える。
肩を押えていた左手が、反対側の乳房にも触れる。代わりにミクエルは、彼の体重をより深く預け、プリシラにのしかかってきた。ミクエルの胸が彼女の鳩尾に押し付けられる。膝の上に図々しく座り込んだミクエルの柔らかい尻の感触がある。下腹を優しくくすぐる、彼の恥毛。そしてプリシラの臍のあたりには、硬く、軟らかく、熱い肉茎が触れる。目にしたわけではないが、それが先ほどと同じように、硬く膨張し始めているのを、彼女の肌は知っていた。
「胸ちっちゃいんだね」
両の乳首を玩びながら、ミクエルが小さな笑いを漏らした。
普段の生活では特に気にしていない。むしろ激しく動き回る時には、胸の膨らみなど無い方がいい。鎧を着ける時も、他の女戦士のように、わざわざ布を巻いて、膨らみを潰す必要もない。
だが男に抱かれている時は、やはりもう少しふくよかな膨らみがあって欲しいと思わずにいられない。男を慰め、楽しませるには、プリシラの胸は少々貧相だ。
しかし、恋人でもないミクエルなどに言われる筋合いはない。
「大きなお世話よ。見りゃ分かるでしょ」
少しずつ乱れる呼吸をさとられないように、息を吐き出しながら一気に言うと、ミクエルは再びプリシラの頬に唇を寄せた。
「怒んないで。小さい方が可愛いよ」
たった今、鼻にかかった声で囁かれた言葉を聞いて、プリシラの顔に緩やかな熱が広がる。
小さい、可愛いなどと言われたのは、随分久しぶりのような気がする。いつだってプリシラが男から告げられるのは、綺麗、格好いい、素敵、そういった類の褒め言葉だった。そう賛美されるたび、彼女は誇らしかった。
可愛いなどとは、子供に使う言葉だ。明らかに相手を下に見ている。プライドの高いプリシラにとって、可愛いとは侮辱に近い台詞だったはずだ。
でも何故、こんなに胸をかき乱されるのだろう。先ほどまで、プリシラこそミクエルの方を可愛いと思っていたのに、その相手に同じことを言われて、嫌な気分になるどころか、張り詰めていたものが、静かに緩んでいく気がする。
「小さい方が感じやすいって言うし」
ミクエルの指先が、乳首をねじるように、さらに強くつまむ。唇を噛んで声をこらえたが、鼻の奥から淡い溜め息が漏れた。
そんなプリシラの様子を、ミクエルはじっと見つめている。その顔はいつもと変わらず、優しげであどけない。再び胸の奥底をつねられるような気がした。
ミクエルの顔が沈んだ。小さな胸の膨らみに、音を立てて口づけされる。彼は何度もそのあたりに唇を触れさせた。
彼のプリシラへの触れ方は丁寧だ。彼女を崇拝する男たちに、こうした類の愛撫は何度か受けたことがある。しかしそれをこんな不自由な体勢で、拘束されたまま、施されているのは、全く未知の感覚だった。どちらがどちらを従わせているのか、従っているのか、分からなくなる。
舌先が乳房の先端を突く。指で摘まれ、挟まれた乳首は、薄い薔薇色に色づき、固く尖っている。
ミクエルの唇がそこに吸いついた。柔らかい唇の内側で、乳頭を優しく吸い込みながら、舌が先端を撫で、時折歯を立てられる。そこから甘い、切ない感覚が流れ込んでくる。体が熱くなり、身をのたうたせたい。溜め息や呻きをこらえるのも限界だ。官能の疼きが、出口を探して体中で暴れ回っている。体を支えている両腕が微かに震えた。
しかもまるで、ミクエルに愛撫させる為に、自分の体を支えているみたいではないか。
そう思った瞬間、腕からすっと力が抜け、肘が折れてプリシラの上半身は湯の中に沈んだ。体中が温かい湯で包まれ、視界が濁った水で満たされる。その向こうに消えたミクエルの表情は見えなかった。
だがミクエルから解放されたのは一瞬だった。すぐに、少年のほっそりした腕に抱え起こされる。
「大丈夫? 疲れた?」
首を振って、顔回りの水滴を飛ばす。顔や首に不快に張り付いたプリシラの濡れた髪を、ミクエルがどけてくれた。しかし彼はまだ彼女の膝にどっかりと座ったままである。
「疲れるに決まってるでしょ。いつまでのっかってんのよ」
体中にまとわりつく感覚を振り払うように、尖った声で言うが、少年はまだにこにこと笑っている。
「だって、どいたら逃げられちゃうよー」
(よーじゃねえ。逃げるに決まってんだろが)
思ったが、何故か口には出さなかった。
「あたし、あんたの椅子じゃないんだけど」
「今は僕の椅子だよ」
腰からすとんと力が抜けた。
一瞬の内に頭の天辺まで湧き上がった反論も屈辱も、悪びれもしないミクエルの顔を見ていると、勢いを失って、腹の底に溜まるだけだ。消えたわけではない、それらの怒りに似た感情は、プリシラの別の部分に火をつける。
冗談にしろ、家畜や物扱いされるなんて許せない。
しかし許せないからといって、どうすればいい。現にミクエルはプリシラの膝に腰掛け、プリシラは両手を動かすことができない。動けないのでは、彼に従うしかない。
その諦観は、かつて彼女が経験したことがないほど甘美だった。
膝の上にのしかかっている尻が、僅かに後ろに動く。ミクエルの上半身は、少しだけプリシラから離れた。ぼんやりと彼を見つめるプリシラに、安心させるように少年は軽く口づける。
手慣れた動作。一体、どこで覚えたんだろう。
訝るうちに、ミクエルの手はプリシラの両脚の間に伸びて、湯の中で揺らいでいる、褐色の繊毛を撫でた。彼は視線を下に向け、自分が弄っている箇所に見入っているようだった。プリシラもつられて、湯の中に視線を落とす。彼女の陰毛を指先で玩んでいるミクエルの手が見えた。そのすぐそばに、プリシラの膝に跨ったままの、彼の股間が目に入る。彼女のものより薄い、茶色い恥毛の間から、がっしりとした男根が立ち上がっている。
唇が震えた。瞳が潤む。この子、私を見て、私を探って、こんなに興奮している。それは先ほどミクエルと重なった時とは、また微妙に異なる感銘だった。
閉じた脚の間に器用に潜り込んだミクエルの指は、プリシラの陰裂の端に触れる。指先で強く押えられると、もどかしいような快感が立ちのぼってくる。再び鼻の奥からか細い吐息が漏れた。
ミクエルの指は、穏やかな動きでプリシラの陰裂の奥に入ってくる。その中にある小さな肉の突起に触れた。膨らみ始めたそこは、優しく押えられると、痺れるような甘く鋭い感覚を伝えてくる。
「く……」
こらえきれず、食いしばった歯から呻きが漏れた。それに気づいたミクエルは小さく笑う。
「我慢しなくていいのに。……それともここ、あんまり感じない?」
ゆっくりと陰核を撫でていた指の動きが急に変わる。小刻みに震わせるような刺激を伝えてくる。
(こいつ、かまととぶって、やっぱり知ってるんだ)
先ほどは覚束ない動きで、プリシラの体を恐る恐る触っていたミクエルだが、やはり女の体のことはひととおり知っているらしい。どこが快楽を呼ぶか、どう触れ、どう囁けば女が喜ぶか。堅物坊主だと思っていたのに、一体どこでこんなことを覚えたのだろう。
「……あ!」
思わず甲高い声をあげ、背を反らせるプリシラの上体を、ミクエルのもう片方の腕が支えた。
「もっと強い方がいい?」
刺激された小さな突起は、少しずつ膨れ上がり、裂け目の奥から顔を出そうとしている。そこにさらに力を加えて押してくるミクエルの指の動きは、卑猥なほどだ。なのに、顔を歪めるプリシラに尋ねてくる少年の表情は、情欲をほとんど感じさせない。普段、料理の味付けについて訊いてくる時と同じ顔である。
あんなに股間のものを硬くしているくせに。
手が動かせれば、プリシラだってミクエルを快楽の海にひきずりこんでやることもできるのに、動けないからそれもままならない。
「ずるい……! あっ……は……あ!」
体の中心から次々と湧き出てくる、切なく鋭い快感に徐々に意識を削られながら、彼女は切れ切れに小さく叫んだ。
「ずるいって? なんでー?」
わざとらしく首を傾げながら、ミクエルはプリシラの顔を覗き込んでくる。そうしながら、彼は彼女の陰核に触れる動きをさらに強めた。強烈な刺激が押し寄せて、プリシラは目を閉じた。
「ふっ……だって、あたしばっかり……」
「プリシラばっかり、なに?」
彼女が答えられずにいると、ミクエルはさらに指の動きを早める。瞑った目の奥で、光が瞬いた気がする。強烈な快楽が、突き刺さるように襲ってくる。
「あう……! ん……や……!」
「ねー、なにー?」
もはや悦楽を隠すこともできず、動かせない手足に代わって、もどかしく上体を揺さぶるプリシラに向かって、意地悪くミクエルが問い続ける。彼の鼻にかかった声が、耳から甘く忍び込んできた。
ミクエルから離れようとするように仰け反るプリシラの背を、彼の左腕がぐいと抱き寄せる。胸の中心にある、尖った乳首に再びミクエルの唇が触れた。軽く歯を立てられると、先ほどよりもっと鋭い、痺れるような快感が流れてくる。
「あっ、あん……!」
「プリシラ、可愛い~。大好き」
喘ぎながら、我知らず甘い声を漏らすと、ミクエルは笑いを含みながら囁いた。
もう、だめだ。この子に勝てない。
意識がへなへなと崩れ落ちていく。頭がぼうっとなり、滲んだ涙で視界が潤む。赤子のように乳首を吸っているミクエルの髪が、プリシラの胸を撫でた。
それでいて、少年の指先は、休みなく快楽の源を刺激し続ける。
「うっ……ううううっ……まって!」
汗がふき出し、声が震え始めた。鳩尾あたりの筋肉が、小刻みに震える。
「やだ」
楽しげにつぶやいたミクエルの声が、初めて情欲に歪んだ気がする。けれど深くその響きを感じる間もなく、さらに動きを強めた彼の指先から送り込まれる刺激に、なにもかも飲み込まれていく。強く撫でられながら押し潰される陰核は、痛いほどだったが、紙一重の強烈な愉悦を伝えてきた。
「やっ……うっ……あっあっあっ……!」
「もっと感じて、プリシラ」
「あ……はっ……ああああん!」
「僕のことも呼んで」
懇願するような、甘いミクエルの声が放たれるたび、頭の中が熱くなって、意識が収縮していくようだ。懇願などではない。命令だった。
「ミクエル……ミクエル、ミクエル……!」
喘ぐように自分に跨る少年の名前を叫びながら、プリシラの意識は高みへと急速に昇っていく。
「プリシラ」
今プリシラが感じているもの、すべてを受け止めるようにミクエルが優しく熱く囁いた。体をほとんど動かせず、行き場のない悦楽はその瞬間、プリシラの意識の中で沸騰する。
「あああっ! だめ……イク……あっ……あーっ!」
おののくプリシラの叫びが、湯気のこもった丸天井に響く。
少年は絶頂に達した女を潤んだ瞳で見つめ、満足そうに笑った。
何度かびくびくと体を震わせた後、呼吸を乱れさせたプリシラは、そのままミクエルに体を預けた。もう意地も誇りも使い尽くしてしまって、どこにもない。ミクエルに体を支えられていることに、何の抵抗も無くなってしまった。
相変わらずプリシラの膝に座ったまま、ミクエルは彼女の体を抱き寄せて、くちづけした。するりと忍び込んでくる彼の舌に、自然に自分の舌を絡ませる。息苦しいが、少しでもミクエルの体の一部に触れていたい。
唾液が混ざり合う、長いくちづけの後、ミクエルはやっとプリシラの膝から体を浮かせた。大きく波立った湯がプリシラの体に緩やかにぶつかる。背中で腕を縛られたまま、僅かな水の動きにすら翻弄されるプリシラを、立ち上がったミクエルの腕が抱え起こす。立ったまま向かい合うと、ミクエルの目線は、プリシラよりほんの少し下にある。
「こっち来て」
ミクエルはプリシラの背を押して、先ほど彼女たちが重なった、浴槽の縁へと導く。ミクエルの頬はやや紅潮していたが、表情は相変わらず穏やかで、薄明かりの中、大きな瞳が輝いているのが見えた。ただ彼の脚の間から立ち上がるものだけが、彼の興奮を語っている。
逆らうことなど考えも及ばず、プリシラはミクエルに従った。普段なら考えられないことである。
先刻ミクエルを座らせた辺りに来ると、ミクエルはプリシラの背中を思いがけず強く押した。上半身が浴槽の縁にうつ伏せに倒される。
「そのままおとなしくしててね」
プリシラの背中を押えながら、ミクエルは彼女の背後に回った。突き出された尻の前で、彼が屈む気配がする。
「ちょっと……やめてよ」
慌てて上半身を起こそうとするが、ミクエルの腕に押さえ込まれた。
「静かにしててってば」
手を使えないので、背筋の力だけで体を起こさなければならないが、先ほどの恍惚からまだ抜け切っていないプリシラは、思うように力を入れることができない。
引き締まった尻をミクエルの手がしっかりと掴んだ。
喘ぎが喉の奥から漏れる。屈辱か、官能か。もう分からないし、どちらでもいい。
プリシラの尻は鍛えられて引き締まっていたが、色白で滑らかだ。掴むと固い弾力がある。それを押し広げると、ぎゅっと締まった肛門と、その下に息づく彼女の最も大切な場所が見える。
ミクエルに見られていることを知って、屈辱と同時に快楽を感じているのだろう。プリシラの小さな尻は小刻みに震えている。普段、彼を含めた男たちを低い声で恫喝している女が、捕まえられた兎のように、無防備に秘所を晒している。しかもそこは、ミクエルの愛撫によって、濡れそぼり、陰唇や恥毛を愛液にまみれさせていた。触れると指先がぬるぬると滑る。
「う……や……」
おとなしく浴槽の縁にうつ伏せになったプリシラが、か細い声をあげる。無論ミクエルは、彼女のそんな声を聞いたことはなかった。強がっていても、やはり女は可愛い。
「いっぱい濡れてる……すごい」
吐息がプリシラの陰裂にかぶさるように囁くと、彼女の尻は再びひくりと動いた。
目の前で丸見えになっている裂け目を、そっと押し広げる。浴場の薄明かりでは、はっきりとは見えないそこは、独特の淫靡な暗がりを作り出していた。指を差し入れると、ねちゃりと粘ついた音がする。
「今すごい音した」
「言わないでよ……」
弱々しく呟かれると、尚恥ずかしがらせたくなる。ミクエルは、陰裂に沈めた中指をそっと動かした。快楽の粘液に満たされたそこは、卑猥な音を立てて攪拌される。子供の頃から傭兵として働いてきた彼女は、野生の獣のように全身鍛え上げられている。だがミクエルが今探っているそこだけは、柔らかく温かい。
「ねちゃねちゃいってるよ。ねえ、さっきのそんなに気持ちよかった?」
プリシラは答えず、僅かに何度か尻を震わせるだけだった。羞恥のあまり、答えることもままならないのだろうか。
「ねえってば」
もう一度囁きながら、ミクエルは探り当てたプリシラの入り口に、指先を埋め込んだ。突っ伏していたプリシラの頭が跳ね上がる。
「あ……っ! ああああっ!」
彼女の体の中はさらに熱い。ぬるぬるとぬめるそこは天国だ。生きている内にこの天国を味わわなくて、どうする。死んでから神の前で行儀よく美女に囲まれても、何も嬉しくはないとミクエルは思う。
先刻プリシラに触れた時は、初心な童貞を装っていたが、今度は彼の持てる限りの技術を駆使してやるつもりだった。童貞の振りをして、年上の女に快楽に導いてもらうのは楽であるし、ミクエルの好きな遊び方であったが、同じパーティーの女になめられっぱなしでは、後々都合が悪い。今後、完全に奴隷扱いされるのも癪だった。
元はミクエルの目的は、エミリーであった。
長い時間をかけて、内気な美少女と信頼関係を築いてきたのだ。そろそろ、ご褒美があってもいいだろう。いきなり体の関係を持つことは無理だとしても、あの奥手な少女の関心を少しずつ引いて、何とか彼の遊び相手にしたかった。
特に焦っていたわけではない。ミクエルとしても、パーティーの信頼関係を壊したくはなかった。
だが今夜、教会に挨拶に行った帰り、浴場から女が一人出て行くのを目にした時、千載一遇の機会だと思った。ミクエルが教会に出かける少し前、プリシラとエミリーが、連れ立って浴場に出かけていったのだ。
普段はプリシラの方が風呂が早い。てっきり彼は、プリシラが先に浴場から出て行き、エミリーが一人でのんびり風呂に浸かっていると思ったのだ。
ミクエルはほくそ笑み、入り口の扉に掛けられた、女性入浴中を示す布を悠々と取っ払って、中に入っていった。脱衣所に置いてある着替えの持ち主を確かめなかったのは、大きな失敗である。
入り口の布に気づかなかった振りをして、入浴中のエミリーとはち合わせになれば、少なくとも彼女の可憐な肉体が拝める。洒落っ気の無い、修道女のようなローブに隠されたエミリーの体は、恐らく意外に豊満だろうと、ミクエルは見当をつけていた。
エミリーの反応と彼の立ち回り次第では、それ以上のことがあるかもしれない。
そんな期待をしていたのだが、案に反して、一人で風呂に浸かっていたのは、プリシラの方であった。
彼女に見つかった時は、殺されるかと思ったが、普段からプリシラの世話も焼いているせいか、怒鳴りつけられたり、殴られたりすることもなかった。
しかしまさか、あの強面が好きそうなプリシラが、ミクエルに興味を示すとは思わなかった。
(よっぽど飢えてたんだろうな)
無論、それをそのまま口にすれば、本当に彼の命は無かっただろう。
ミクエル自身、最近女と縁が無かった為、経験によって磨かれたであろうプリシラの丁寧な愛撫を、初心な少年の振りを続けながら、思うさま楽しんだ。
だが犯されっぱなしというのも悔しい。やはり女は最後には屈服させたい。
膣の中に入り込んだミクエルの指が、ゆっくりと中を探るように動く。その度、濡れた音がプリシラの秘部から響き、彼女を赤面させた。尻と秘所を男の目の前に晒して、そこを探られるのは、彼女に取って初めての経験だった。
体の中で、軽くミクエルの指が折り曲げられる。膣の前側を指先で撫でられた。
「あっ……はあっ……!」
息が詰まるような快楽が溢れてくる。背骨にずしりと重みを覚えるような愉悦だった。
「あ……ここ? ここ、感じる?」
同じ場所を何度かミクエルが優しく押す。プリシラの表情は見えないはずなのに、背後から彼女の動きと反応を観察しているのだ。
もう一本、別の指が襞を押し広げて侵入してくる。彼女が最も快楽を覚える部分をさらに強く刺激された。
先ほどミクエルがプリシラの中を探っていた動きとは全く違う。あの時、初々しい少年の振りをした彼は、ぎこちない動きで、プリシラの膣を指で擦っていたが、今はまるで彼女の体内を知り尽くしたように、艶かしく指が動く。膣の潤い方も、プリシラの体の熱も、さっきとは段違いだ。
「うっ……ふ……ううん……あ!」
触れられるたび、腰が淫らに動いてしまう。ミクエルに笑われているだろうと分かっていても、もう止められない。尿意のような、どうしようもない快楽が次々と溢れてくる。
それがプリシラの脳髄を完全に満たす寸前で、彼は指を引き抜いた。ただ彼から与えられた快楽が、塊となってそこに残る。
ほどなく同じ場所に、柔らかく、濡れたものが触れる。肛門のあたりに固い皮膚が当たった。鼻だ。
「いい……いいよ、ミクエル、そこまでしなくていい!」
正面から脚を広げられ、秘部を舌で愛撫されることはあったが、尻を突き出した姿勢で、後ろから舐められるのは初めてだった。らしくもなく恥じらいが湧き、プリシラは振り向いて首を振った。
予想していたことだが、ミクエルは頓着しなかった。彼がふっと小さく笑うと、その目の前にある場所が、ミクエルの吐息で温められる。
「さっき、僕の舐めてくれたから」
「いいってば!」
湯の中に浸かったままの脚を振って、意志を伝えようとしたが、ミクエルの手に簡単に押さえ込まれてしまった。尻に顔を埋め込むように、ミクエルが頭を寄せる。襞が軽く広げられ、その奥に舌が触れた。
プリシラの愛液がミクエルに舐め取られる。ずるずると卑猥な音を立てて、彼の舌は彼女の最も秘められた場所を探った。
犬、それこそ子犬に舐められているみたいだ。しかもとんでもない場所を。閉じた目の奥の幻が、プリシラの意識を熱くさせた。綺麗好きのミクエルが、プリシラの尻の穴に鼻を触れさせ、性器を舌で愛撫している。なんて汚らわしいことをさせているのだろう。そして何故彼はそんなにまでして、プリシラを可愛がってくれるのだろう。
尖った舌先が、つるりと膣の中に入り込む。
「はぅ……ああう」
思わず腰を浮かせ、ミクエルの頭にそこを押し付けるように尻を動かすと、膣の入り口付近を撫でていた舌がするりと離れた。
切ない気分で荒い息を吐くプリシラに、背後からミクエルが笑いかける。
「プリシラ、犬みたいだよ。そんなにがっつかないで」
こんな少年に犬呼ばわりされたのは、屈辱以外の何物でもない。だが本当のことである。何も反論できず、ただプリシラは、唇を噛んでその甘く苦い感覚を味わった。
「ねえ、プリシラ」
ミクエルの声が、プリシラの背後の高い位置から降ってくる。既に彼は立ち上がったのだ。
「もう一回、入れてもいい?」
突き出した尻の下で、むきだしになったプリシラの秘所に、柔らかく、熱いものが押し当てられる。
早く欲しい。
それしか考えられない。プリシラは突っ伏したまま、がくがくと頭を縦に動かした。
「いいの?」
もう一度頷く。しかしミクエルはさらに問いかけてきた。
「ねー、どっち? 嫌なら僕もやめとくけど」
喉の奥から、溜め息の塊が漏れた。それは嗚咽に似た音をたてて、彼女の肺を震わせる。これ以上ないほど激しかった鼓動が、さらに高まる。心臓が破けそうだった。
何度、何人の男に、ほとんど抵抗もなくそう言っただろう。けれどこの少年にそれを告げるのは、考えるだけで、息が絶え絶えになるような、屈辱、あるいは悦楽を伴う気がした。
「……入れて」
「え? なに? 何を? どこに? 聞こえない」
ふざけているとしか思えないミクエルの言葉に、再び喉の奥が震える。高ぶった感情の形も名前ももう分からない。
唇をわななかせながら、プリシラは声を絞り出した。
「お願い……ミクエルのを、あたしの中に……入れて」
「プリシラが僕にそんなこと言っちゃだめだよ」
尻をつかむ手に力が込められたと思うと、潤みきって開いた彼女の入り口に、熱い塊が差し込まれた。
背後で手を拘束されたまま、プリシラは僅かに体をのたうたせて、言葉にならない歓喜を叫んだ。視界が白むほどの、強烈な快楽だった。
「ううあっ……あ……あっ……」
体の芯を極限まで満たす、彼自身に彼女は酔いしれた。脳髄まで串刺しにされてしまった錯覚を覚える。
プリシラが挿入の余韻を味わいきらないうちに、ミクエルは腰を動かし始める。
「まっ……待って、ミクエル! まだ……まだ……」
「待たない」
甘い声で厳然と言い放ちながら、彼は増々動きを早めた。少年の荒い息遣いが、背中から伝わってくる。体ごと揺さぶられて、寝そべった体が床のタイルに僅かに擦れる。
まるで天使に罰されているみたいだ。自分の淫蕩を、清らかな天使に、これ以上ないくらい皮肉な方法で、罰を受けている。
「はぁ……プリシラ……締まってて気持ちいい」
切れ切れに呟くミクエルも、鍛えた彼女の下半身に包まれ、熱い悦楽を感じているようだった。
「あたしも……ミクエル……!」
体を動かされ、突っ伏したまま顎を床に擦り付けながら、夢中でプリシラも叫んだ。熱い塊が何度も体の奥を突いて、激しく重い愉悦が意識を焦がしている。
「ねえ、さっきのもう一回言って。僕の褒めて」
彼女の体を激しく揺さぶりながら、ミクエルがうわずった声で囁いた。子犬はわがままだ。プリシラの手に負えない。
それでも彼女は乱れた呼吸の下から、甘くかすれた声を上げた。
「ミクエルの……大きくて気持ちいい……!」
「プリシラ……! プリシラの中も気持ちいいよ」
先刻と同じように、広い浴場に彼らの荒れた息遣いと、白痴めいた喚きが響き渡る。
唐突にミクエルが動きを緩めた。
「プリシラ」
息を弾ませながら、鼻にかかった高い声がプリシラの耳に入り込む。
「なに?」
早く。体が冷めない内に続けてよ。僅かに苛立ちながら、プリシラは振り向きもせず訊いた。
「逃げないって約束できる?」
「逃げないよ。約束する」
逃げられるわけない。プリシラが掠れた声で囁きながら頷くと、手首にミクエルの手が伸び、そこに巻きつけられたタオルが取り払われる。
やっと自由になった腕を動かすと、肩が痛んだ。
体の中から、まだ熱いミクエルの分身が引き抜かれる。
「待って……」
「こっち向いて」
抗議の声をあげる前に、うつ伏せだった体をひっくり返される。上気したミクエルの顔が見えた。こんなあどけない少年に、あれほど激しい、堕落したほどの悦楽を与えられていたなんて、信じられない。
プリシラが動けずにいるうち、ミクエルは彼女の背を抱き締めて、もう一度床に押し倒す。少年の肉体と重みを全身で受け止め、頭がくらくらした。
開いていた脚の間に、再び彼自身が触れ、静かにプリシラの中に打ち込まれる。
「ふぅぅっ……ああっ!」
顔を歪めて叫びながら、プリシラもミクエルの背中に腕を回した。脚を彼の腰に絡みつけた。
舌を伸ばすと、ミクエルの顔が近づき、彼の唇に舌を吸われる。そうしながら、彼はもう一度体を揺すり始めた。膣の中を固く膨れたミクエルの性器が、何度も往復する。先ほど指で刺激された部分よりもっと奥に彼がぶつかると、頭の先まで快楽が溢れて吹き零れた。
「ミクエルっ……ミクエルぅ! そこ……そこ、もっと突いて。気持ちいい!」
「プリシラ……」
泣きたいような気がする。目を閉じるとすべてが闇に閉ざされて、ミクエルの声と肌の感触、そして体の中で暴れ回る彼自身しか分からなくなる。他のすべては遮断された。
「あっ……あああああっ……! うわ……はあああ……!」
押し流される水が出口を求めて流れ出すように、プリシラの愉悦も一点に向かって集束していく。膣が小さく痙攣した。腰がびくびくと浮き上がる。
「待って……プリシラ、まだいっちゃだめ……あ!」
収縮する彼女の体の中で、自身を引き絞られているミクエルも、小さな悲鳴のような声をあげ、腰を引いてプリシラの中から出て行こうとする。体内に射精しては不都合だからだ。
そう思うのはプリシラも同じなのに、彼女は脚を強く寄せて、ミクエルの尻をしっかりと抱き込んだ。
「だめ……ミクエル、中で……ああああっ!」
「だめだよっ……うあっ」
体を震わせ、全身でミクエルを締め付けながら、プリシラはしっかりと彼の肉体を捕まえた。ミクエルも最後の悦楽に襲われたのか、首を振りながら大きく息を吐き、プリシラの体を抱き締める。
ミクエルの腰が何度か深く彼女にぶつけられた。そのたびに彼の情熱と欲望が、体の奥に放たれるのが分かった。
少しの間、ふたりは息を弾ませながら、互いの体を抱き締めていた。
やがてミクエルは小さな息をつき、プリシラから体を離す。体の中から彼のものも抜けていき、脚の間から悦楽の残滓が漏れ出した。
うつむきがちに、再び微かな溜め息を吐いたミクエルの表情は、随分おとなびて見えた。もう一度だけ口づけしたいと思ったが、プリシラはその衝動を飲み込んだ。
「ごめんね、中で出しちゃった」
膝を折って腰を沈め、浴槽の湯の中で股間を濯ぎながら、ミクエルは呟いた。古代人が使っていた温泉公共浴場で、精液を吐き出した性器を洗うとはいかがなものかと思った。雇い主の魔術師やエミリーが知れば、目を回しそうだ。
「しょーがないわよ。別に……」
わざとむっつりとプリシラは答える。
射精のために、体から離れて欲しくなかったのはプリシラだ。どんな男とだろうと、今のところは妊娠など望んでいないプリシラは、滅多なことでは男に体内で射精させない。しかしその恐れも押し流すほど、我を忘れて情交に溺れたのは、久しぶりだった。
「避妊薬、持ってる?」
「ある」
「飲んどいてね」
「当たり前でしょ」
つっけんどんに言い返すと、顔を上げたミクエルは微笑んだ。今までの痴態が嘘のような、いつも通りの無邪気な笑みである。
「よかった。じゃ、僕、先に出てるね」
やっと上体を起こし、浴槽の縁にどうにか腰掛けているプリシラに、ミクエルが近づいた。理由も無く身構えるが、彼はやや腰を屈めて、プリシラの頬にそっと唇を触れさせただけだった。
「今まで通り、これからも仲良くしてね」
鼻にかかった、子供っぽさが残る声でそう囁き、まだ半分意識が朦朧としているプリシラの横で、浴槽から上がる。
「風邪引かないでね」
ひらひらと手を振って笑顔を残し、小柄な少年の姿は脱衣室へと消えた。
足元からずるずる滑るように、プリシラは浴槽に浸かった。頭に血が上っていたせいか、まだ半分ぼうっとしている。
浴槽の縁にだらしなく落ちているタオルを拾い上げ、汗にまみれた顔を拭う。彼女はやっと長い溜め息を吐き出した。
こんな柔らかい綿のタオルで、手首を結び合わされたところで何でもない。プリシラが本気で力を込めれば、ほどくことも、場合によっては引きちぎることもできた。
多分、利口なミクエルもそれを知っていた。
(クソガキめ……)
忌々しくタオルをタイルの床に放り投げ、プリシラは再び顔を両手で拭った。
ミクエルの普段のあの態度は、すべて演技なのだろうか。あるいは女を相手にする時だけ、特殊な性癖が前に出てくるのだろうか。いずれにしても、とんだ食わせ者だ。
うっかり年下の童貞を毒牙にかけたつもりが、逆にいいように玩ばれてしまった。
このまま済ませるものか。
(どーやって、仕返ししてやろうか)
湯の中で腕組みをしながら、あのふざけた子供をぎゃふんと言わせる方法を考える。
だが浮かんでくるのは、先ほどの別人のようなミクエルの仕草と、自分の乱れた言動、そしてふたりで分かち合った悦楽ばかりだった。
「あー、もう!」
両手でばしゃばしゃと水面を叩き、まとわりつくような、睦み合いの残り香を断ち切る。
何がこれからも仲良くしてだ。
何が風邪引かないでだ。
(風邪なんか、引いてたまるか)
舌打ちした瞬間、プリシラは立て続けに大きなくしゃみを三回繰り返した。
春と言えども、夜も深まってくると、さすがに寒い。
温泉に入れば体が温まるのは結構な話だが、もう真夜中近い時刻だ。宵っ張りのシーマスと言えども、長旅を続けてきた後は、さすがに眠かった。
彼が思わず大きな欠伸をすると、それがうつったように、隣を歩くルークも大欠伸を見せた。
「あー、眠い」
ルークのぼやきを聞き取り、先を歩くセルヴィスが振り返る。
「浴場はすぐそこですよ。温泉に入れば、ぐっすり眠れますから」
「いや、入んなくても、今ならぐっすり眠れっから」
言い返すシーマスに、セルヴィスはのんきな笑顔を見せた。
「体にいいんですよ、ここの温泉は。ルークの怪我も、シーマスの頭もすぐに良くなりますよ」
「なんだよ、オレの頭って……」
「あっ、そういう意味じゃありません。頭の中身じゃなくて、外、髪の毛の話です。短気な人間は毛が抜けやすいと言いますけど、ここの湯は増毛に効果があると言われていて……」
「今からいらねーよ!」
「静かにしろ。夜中なんだから」
ルークに諭され、シーマスは不機嫌に黙り込んだ。
彼も温泉に興味はあったが、何しろ今日は到着したばかりだ。明日ゆっくり入ればいいと思っていた。
今夜すぐに入れるならいいが、プリシラとエミリーたち女性陣が、有無を言わせず、雇い主の魔術師の尻を蹴り飛ばす勢いで、温泉に向かっていってしまったのだ。女の風呂は長いので、彼女たちの後となれば、相当遅くなってしまうだろう。
彼女たちが出かけた後、ミクエルは村の教会に挨拶に出かけたので、夕食の後、なんとなくシーマスはルークと二人で、食堂で地元の麦酒をちびちび飲みながら、どうでもいい話をしていた。
そろそろ寝ようかと思ったところで、到着直後に、夕食も食べずに寝込んでいたセルヴィスがいきなり起き出してきて、温泉へ行きたいなどと言い出したのだった。
一人で行けと言ったが、どうもセルヴィスは、夜中の村の中を、一人で共同浴場に向かうのが怖かったらしい。齢三十五歳の男の我儘に付き合っていられないが、彼は温泉は怪我にいい、夢見がいいと騒いで、なかなか引かなかった。何故、魔術師はこうも変人が多いのだろう。
結局面倒見のいいルークが腰を上げ、シーマスもなんとなくルークに付き合う形で、こうして男三人でぞろぞろと浴場に向かっているのだった。
二階で寝ていたセルヴィスは、起きた時に廊下でエミリーとすれ違ったというので、女たちは戻ってきているようだ。
普段は全員同じ部屋に放り込まれることが多いが、今回は豪華に、二人部屋を三室与えられていた。おかげで女たちの様子は分からないが、プリシラの風呂は大抵エミリーより早いので、彼女も戻ってきているのだろう。
浴場へ続く緩やかな坂を上っていると、前方から早足の足音が近づいてくる。ルークが持っていたランプを軽く掲げると、坂を小走りに下ってくるミクエルの姿がぼんやりと浮かんだ。
「あれ、なんだお前、帰りが遅いと思ったら、風呂に行ってたのか」
彼らの前で足を止めたミクエルに、シーマスが声を掛けると、彼は苦笑いを見せた。
「そうなんだけど……。皆ももしかして、お風呂に向かってるの?」
「そうです。どうでした?」
セルヴィスが頷くと、ミクエルは顔を強張らせて激しく首を振った。
「だめだめ。まだ、プリシラが入ってるんだ。僕、気がつかないで中に入っていっちゃって、すっごい怒られたよ。……外でしばらく待つか、今日は諦めた方がいいよ」
ミクエルは肩を竦めると、シーマスたちに手を振って、坂を軽やかに駆け下りて行った。
「……怖かっただろうなあ」
少年の後ろ姿を見つめながら、気の毒そうにルークが呟く。その横でシーマスは首を傾げた。
「でもあいつ、髪の毛濡れてなかった?」
「水ぶっかけられたんじゃないですか? 可哀相に。……今日は諦めて、明日にしましょうか」
セルヴィスの温泉に掛ける不屈の情熱は、プリシラの脅威の前にあっという間に霧散したらしい。何事にも泰然としているセルヴィスだが、プリシラの恫喝だけは苦手なようだ。
確かにどんな温かな温泉と言えど、鬼がそこに浸かっているのでは、敢えて踏み込むのは無謀というものだ。彼らは顔を見合わせ、仕方なく踵を返して宿へと戻り始めた。
「しかし、珍しいな、プリシラが長風呂なんて」
「ひとりエッチでもしてんじゃねーの」
「それ、明日本人に言ってもいいですか」
「やめろ、冗談に決まってんだろ。殺されるよ!」
「静かにしろって」
めいめい勝手なことを言いながら坂を下る。
夜道を歩きながら、しかしふとシーマスの胸に、小さな疑念が湧いた。
先ほどすれ違ったミクエルは、春の夜道を教会から歩いてきた割に、随分と血色が良かったようだ。
プリシラに怒鳴り飛ばされ、怯えのあまり頭に血が上ったのだろうか。
気の毒にと思いながら、後ろを振り返って、丸屋根をいただく、古代の浴場の美しい建物を見上げる。休みなく立ち上る湯気が、朧に霞む夜空に吸い込まれていった。
番外編:おわり。
シーマスとプリシラが仲がいいのは、思考回路が似ているからなのですが…。相手が悪かったようです。
本編の続きは、少し後になりますが、頭にある話は必ず書きますので、気長にお待ちいだけると嬉しいです。
作者ブログ『椰子の実ライブラリ』
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