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Bye Bye My Dears

「終わった……」
 ようやと店の移転作業が終わり、俺はカウンターにぐったりと突っ伏した。
 店舗の賃貸契約満了と同時に引っ越し、おまけに姉妹店を新しく出すというオーナーの無謀なる命令は、俺と比嘉店長の休みと体力と気力を、根こそぎ奪った。
 幾ら拾って貰って、バーテンダーとして仕込んで貰った恩があるからって、もうこんな無茶をするもんか。これ以上何か言われたら、過労死する前にすっぱり止めて競合店に移ってやると、俺は荷物を片しながら、心の中で悪態を吐きまくった。
 しかし、相手は百戦錬磨の商売人。オーナーは俺の不満を打ち消すようなイイ話――つまり、姉妹店の店長就任という餌をチラつかせて来た。
 新しい店は、以前より駅寄りで立地が良い。しかも一階の店舗は今迄より広く、二階に居住可能なフリースペース付き。つまり、店長になれば格安家賃で、そこに住み込めるって訳だ。
 家賃の高いこの界隈では、これは大変有難い。それに雇われと言えど店長になれば、オーナーはある程度、経営は任せてくれると約束した。
 俺は常々考えていた。
 ただ酒を出すだけでなく、例えば定期的にフレアバーテンディング※や、タトゥーイベント等の企画が催せる店をやりたい。そのために自分もフレアの練習は続けているし、企画や集客に関する人脈も、既にある程度押さえてある。オーナーはそれを知っていたから、今回俺にこの話を振った。金は持つから稼げる店をやれ、と言った髭面の笑顔が、憎たらしくも有難かった。
 ──そうして俺が死にかけながら、仕事に追われまくってた傍らで。いよいよルカが、家を出る事になった。
 アイツはアイツなりに頑張って生きている。俺達に保護され戯れる時期は、もう過ぎたって事なんだろう。好きな人も出来たと言うし、彼女が一人の大人として生きていくために、俺達は笑って送り出してやるべきだ。
 家を出る事に関して、カオルに食い下がられたと、ルカは言っていた。
「もうね、口煩い兄貴っつうか、一人娘を嫁に貰われそうになって、焦ってる頑固親父っつうか? 俺の前に相手連れてこいって言われた時、もーどうしようこの馬鹿、とか思っちゃったよ」
 迷惑な反面、実は嬉しかったらしい。ルカはわざとらしい顰め面を作った後、少し照れ臭そうに笑った。
 そんな風に馬鹿呼ばわりされた当の本人は、面を見せる度に不機嫌を装っている。尤も俺がこんな状態だから、この処は話すらまともにしていない。だから、本当に不機嫌なのか、実は寂しいから装っているのかは判らない。
 けれど多分、あれだけ身も心も許したルカが居なくなるのは、カオルにとって辛い事だろう。いや、もしかしたら。
 アイツは本当は、ルカを女として憎からず思っていたのかも知れない。



   ***



 ルカが家を出る、三日前の午後。俺はやっと取れた休みを、一人ベッドで満喫していた。
 とにかく眠かった。体は油が切れた機械みたいに軋んで、頭は総ての神経が断線した様に働かない。当然起き出して皆の食事なぞ作る元気も無く、半分目覚めながらも、だらだらタオルケットに絡まって居た。
 ルカは先ほど引っ越しに纏わる買い物に出掛け、カオルは今、台所で何かごそごそやっている。アイツは料理が殆ど出来ないから、大方レトルトかインスタントでも漁って居るのだろう。
「痛って、んなろっ!」
 ──食べ物の事を考えた途端に、カオルの間抜けな叫びが聞こえた。出来ない癖に、何か調理でもしているのだろうか。全く、いちいち騒がしいヤツだ。ヤツに台所を引っ掻き回された上、怪我でもされたら面倒が増える。俺は放って置けず、舌打ちしながらよたよたと起き上がった。
 下着一枚でも室内は暑い。けれどリビングはクーラーが入っていて、幾分涼しく感じる。棚に置かれた時計は、午後の一時を指して居た。
「──何してんだよ?」
「へ? あ、ああ。腹減ったから、炒飯食いたくなって」
 台所に立つカオルに声を掛ければ、振り向いてそうバツが悪そうに答える。その手には何故か出刃包丁が握られ、目の前のまな板にはメッタ斬りされたハムが散って居た。
 最低に、下手糞。しかも包丁のチョイスから間違っている。俺は困った表情のカオルに溜息を付き、調理の続きを引き受けた。
 卵と多少の具を使い、インスタントの調味料で手早くかつ適当に作った炒飯を、カオルの前に差し出す。ヤツは一瞬嬉しそうに笑うと、手を合わせた後で旨そうに食べ始めた。
「アンタの料理、久しぶりだな」
「アァ? こんなん料理のうちに入んねえよ」
 そう答えればカオルは笑って、また蓮華を口に運ぶ。みるみるうちに皿から飯が減って行くのを見ながら、俺はソファでぼんやり煙草を咥えて居た。
 適当に作った只の炒飯を、こんなに旨そうに食うなんて。カオルは余程、飢えていたんだろうか。
 そう言えば、俺が料理をしなかったここ一カ月ほどの間、コイツは一体何を食っていたのだろう。インスタントかコンビニ弁当か、ルカの作った飯のおこぼれか。コイツは一人で外食するほど金に余裕が無いし、誰かの奢りに縋ると言っても限界がある。何れにしろあまり良い物を食ってなかったのだろうと思うと、少し不憫になった。
 早々に平らげたカオルは、ご馳走さんとまた両手を合わせて頭を下げた。
「ああ、旨かった…なあ、アキラ。今日これから、少し付き合わねえ?」
「は?」
「ルカに、引っ越し祝買ってやろうか、ってよ」
「引っ越し祝い?」
「うん」
 そう頷いたカオルは、少し寂し気に見えた。
 やはり、本当はルカを手放したく無いのだ。けれど“引っ越し祝い”を買ってやると言う事は、コイツなりに気持ちのカタを付けた結果なんだろう。
 コイツがルカに対してどんな思いを持っているかは、俺には判らない。ただ俺は、カオルがルカを送り出す気になったのを知って、僅かな安堵を覚えた。
「そうだな、そりゃアイツも喜ぶだろ。良いぜ、但しシャワー浴びる時間くれ」
「ああ、ドーゾ」
 そう素っ気なく答えて、カオルは立ち上がると食器を片付け始めた。俺は煙草を消すと、後をカオルに任せてそのまま風呂場へ向かった。

 ――それからカオルに伴われたのは、街中にある某ファッションビル。そこは以前、ルカの服を買ってやった時に来た処だ。
 夏らしく飾られた正面入口すぐのコーナーに、きらきら輝く沢山のアクセサリーが、ショーケースに並べられている。カオルは品定めするカップルの横で、暫しその中を探るように覗いていたが、溜息を付くと眉を寄せた。
「無え。やっぱ季節が変わると、中身も変わるよな」
「何、探してんだ?」
「ん、前に来た時に、ルカが欲しがってたヤツ……あ、すいません」
 諦め切れない様にカオルが店員を呼び、品物の特徴を細かに問う。黒いスーツを着た妙齢の店員は愛想良く頷くと、席を外し店のバックルームへ消えた。
「シルバーの、ハート?結構普通のデザインだな」
「ああ、ルカがそういうのが似合う大人になりたいって、前に言ってたんだ」
 カオルは眼を逸らしたまま、俺にそう答えた。
 ルカが家に来て、もう少しで一年。
 当時は高校生、と言うよりは中学生のような幼い少女だったが、今ではすっかり魅力的で綺麗になった。この年頃の女は、本当に成熟が早い。カオルの部屋着を着て、まるでダサい少年の様だった姿が、懐かしく思える程だ。
 ここへ三人で買い物をしに来た時の事を思い出しながら、ポケットに手を突っ込んだままのカオルに目を遣る。カオルも何がしか回想していたんだろう。俺に向けた鳶色の瞳が、優しく笑っていた。
「何、思い出してたんだよ、アキラ?」
「──アイツ、最初は随分餓鬼臭かったな、ってよ」
「ああ、アンタ凄く心配ばっかしてたな。まるで兄貴か保護者みたいによ?」
「そりゃ、身近にお前みたいのが居たら、誰だって心配するだろ。いつ食われるかって」
「酷えなソレ。つうか、アイツを最初に俺達の間に引っ張り込んだの、アンタだろ」
「そうだったか? もう忘れちまったな」
「忘れんなよ、馬鹿アキラ」
 カオルはそう口の端を意地悪気に曲げて、それから懐かしいと呟いた。
 こんな風に、カオルと思い出を語り合う日が来るとは思わなかった。ルカが居なかったら、コイツとこんな話が出来ただろうか。
 ようやと現れた店員が、嬉し気に戻って来た。手には水色のビロード張りの、小さな細いケースを持っている。カオルは中身を確かめると財布を開き、万札を三枚ほど取り出して店員に渡した。彼女は丁寧にそれを受け取ると、ああ、そうそう、とカオルに問い掛けた。
「プレゼントですか?」
「ああ、まあ、そんなとこ」
「じゃあ、ラッピングもしますね。ええと、もしかして彼女に、とか?」
 店員が満面の笑みでそう訊くと、カオルは少し笑って首を振った。
「いいや、妹。大人になったから、そのお祝いに」
「そうですか。お誕生日か何か、なんですね」
 優しいお兄さんなのね、と店員が感心するのを、カオルは曖昧に笑って流した。それからラッピングに使う包装材の配色を訊かれて、ヤツは少し考えてから、薄い水色の包装紙に銀色のリボンを選んだ。



   ***



 そして迎えた、引っ越しの当日。
 その日は雲一つ無い晴天で、朝から真夏の陽射しがアスファルトを焼いていた。
 家出して転がり込んで来たルカの荷物は、その殆どが服とアクセサリー等の小物ばかりだ。家にあった要らない食器や雑貨を加えても、引っ越し便の単身者パックが埋まらぬ程に少なかった。
 手早く積込を済ませ、先に軽トラックを見送る。新居には既に留守番が居るらしく、後から遅れて行っても大丈夫なのだと、ルカは言った。
 新しい部屋の鍵を注意深くショートパンツのポケットに納め、それからバッグを肩に掛けたルカは、忘れ物を確認した後でにこりと笑った。
「じゃあ、そろそろ行くね。二人とも、色々ありがとう」
「おう。気を付けてな」
「あ、ルカ。これやるよ」
 玄関で靴を履いたルカに、カオルが仏頂面で、あの日買った物を差し出す。目の前の小さなオレンジの紙袋を見た途端、ルカは驚いた様に眼を見開いた。
「このお店、もしかして……」
「俺とアキラから。もうお前に似合うだろうから、引っ越し祝いに」
「……」
 俺とアキラから、と言う言葉が一瞬引っ掛かったが、敢えて何も言わずに笑ってみせる。ルカはそんな俺とカオルの顔を交互に見ながら、いそいそと袋の中から箱を取り出し、綺麗に結ばれたリボンと包装紙を解いた。
「……覚えてて、くれたんだ」
 銀のネックレスを摘まんだルカの指が、微かに震えている。それをカオルが受け取り、彼女の細い項に掛けてやった。
 浮き出た華奢な鎖骨の間に、小さなハートが収まる。それは元からそこに有ったように思える程、違和感が無い。ルカは右手の指先でそれをそっと押さえると、小さく鼻を啜り上げた。
「ありがとう。大切に、するよ」
「元気でな。何かあったら、すぐ戻って来いよ」
「うん。じゃあ、アンタ達も、皺々のジジイになっても、仲良く一緒に居てね」
「その頃アキラは肝硬変で死んでっから、無理」
「悪かったな酒飲みで。お前はきっと色ボケしてるぜ、カオル」
「何だ、アタシだけじゃない、元気でモテモテなのは」
「介護頼んだぜ、ルカ女王様」
「介護プレイは死んでも嫌」
「ツレねえなあ。あと、金無くなったら、すぐアキラに電話しろよ?」
「俺かよ?」
「判った、電話する。取り敢えず、十万ちょうだいって」
「誰がやるか! トオサン※なら貸し付けてやるぜ」
「やだ、アキラってチョー悪徳じゃん!」
 他愛ない言葉の遊びに、三人で声を上げて笑う。別に一生の別れじゃない。だから、俺達にはこんないい加減な調子がお似合いだ。
 一頻り笑った後、ルカはカオルと俺にキスをすると、まるでちょっと出掛ける様に手を振って出ていった。
「じゃあまたね、アキラ、カオル!」
 そう笑ったルカは、とても綺麗だった。そしてその笑顔は、ゆっくりと閉まるドアの向こうへと消えて行った。



「……行っちまったな」
 既にドアの閉まった玄関を暫し眺めた後。カオルはそう小さく呟いた。
 湿っぽくない別れだったせいか、不思議と悲しくは無かった。ただやはり、今まで有ったルカの気配が消えたのが、寂しかった。
 リビングに戻ると、カオルは何も言わず、俺に背を向け煙草を咥えた。ライターを擦る音と共に紫煙が立ち上り、窓から差す陽の光の中を揺れて泳ぐ。
 俺はそれを眺めながら、ルカを送った後は、自分の荷造りがある事を思い出した。部屋の契約もあるし、これだけの物を仕事しながら纏めるなら、早々に始めなければ。
「さ、俺もそろそろ引っ越しの準備しねえと」
「……は?」
 そう呟き振り向いたカオルが、俺に何事かと眼で問い掛ける。それを見て、俺はカオルに全くその話をしていなかった事に気が付いた。
「アンタ、引っ越しすんのか?」
「ああ」
「何処、へ?」
「新しい店の、二階」
「新しい店って……?」
「ああ、まだお前に言ってなかったよな。移転したんだ、ストリップ。それで、店の二階に格安で住めるから、引っ越す事に……」
「…何時?」
「月末までだから、あと二週間ちょい、か?」
 そう言った途端、カオルの顔が見る見るうちに怒りで歪んだ。何でそこでそんな顔をするのか、一瞬戸惑う俺に。カオルは噛み付く勢いで怒鳴った。
「何でもっと早く言わねえんだよ!?」
「アァ? ちょっと忙しくて後手になっただけだろうが」
「忙しくて、だと? アンタ、そんな大事な事、忙しいって理由で忘れてたのか!?」
「忘れてたんじゃ無え、ちょっと遅れただけだ。つうかカオル、何怒ってやがるよ?」
「怒ってやがるって……この、っ!!」
 がしりと両手で胸倉を掴まれ、俺もつい腹が立った。咄嗟に右手でカオルの胸倉を掴み返す。
 カオルは酷く怒った表情のまま、俺を睨み付けていた。ぎりぎり歯を鳴らして何か言いたげに唇を震わせたが、言葉が出てこない。そのうちに掴んでいた両手を離すと、俺の手を振りほどいてそっぽを向いた。
「良く、判った。俺はアンタにとって、その程度って事だって」
「何、言ってんだカオル?」
「後回しにされる程度なんだろ、俺は」
「だからそうじゃ無えって」
「もう良い、俺も出てく……アンタとは、もう一緒に住めねえ」
「待てって!」
 咄嗟に掴んだ腕を、勢い良く弾かれる。その強い拒絶の現れと投げ付けられた鋭い目線に、俺はそれ以上追うのを止めた。
(何だかんだ喚く癖に、きっとお前は、俺を全然判ってない)
 確かに、早めに言わなかった俺が悪いのかも知れない。けれど、コッチの話を聞く気すら、今のカオルには無いんだろう。抑え付けて無理矢理言う事を訊かす方法もあったが、もう一緒に住めないとはっきり拒否されてしまった今では、俺もそこまでやる気になれない。
 乱暴に閉められたカオルの部屋のドアが、酷く遠くて重いものに見える。そしてそれは、これからずっと閉められたまま、決して開かないように見えた。



   ***



 この後一週間ほどして、カオルは俺の居ない間に、本当に出て行った。
 ヤツが出て行く前に、二度程今後の事を話そうと試みた。だが一度目は意図的にタイミングを外され、二度目は外泊し帰って来なかった。もしかしたら次のヤサを探しに、何処ぞの誰かの処へ行ったのかも知れない。実際カオルは家に転がり込んで来る時、そうやって前の女の家を出て来た。
 全く、馬鹿で餓鬼で短気なヤツだ。しかも煩くて面倒で、世話になった癖に何も言わず、勝手に出て行く様な礼儀知らず。居なくなって、本当にせいせいする。
 でも。 
 もしゲームの様にリセット機能があったら、最初からやり直すことが容易く出来るのに。ルカに関係がバレた夜に、カオルが吐いた嘘を真実にしていたら、こんな思いはしなくて良かったのかも知れない。こんな最悪な終わり方で、アイツを手放さずに済んだかも知れない。
(もっと、判り合えたかも知れなかったのに……)
 俺は腹を立てる反面そう悔んで、それを紛らわす為に、益々仕事にのめり込んだ。

※フレアバーテンディング…バーテンダーがボトルやグラス、シェイカーなどを用い曲芸的なパフォーマンスによってカクテルを作り提供すること。発祥はアメリカ。現在では世界大会も開催されている。(出典・Wikipedia他)

※トオサン…貸し付けた元金に対し、十日で三割の利息を複利で付ける貸付方法(違法行為)。
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