警告
この作品は<R-18>です。
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#2
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この不夜城の町に暮らす者たちの間では、その病院のことはこう呼ばれている。
「保険証のいらない病院」と。
実際にその前に立ってみると、それは、病院は病院でも、響の知っているものとはだいぶ違っていた。
小さな建物のドアは開け放たれ、中の至るところに人がうずくまっているのが見える。
老若男女。肌の色も違う。
痛みや辛さを訴える言葉もバラバラだ。
その中を、色の褪せたランニングに膝のぬけたジーパンという格好の男が歩き回っている。
無精ひげを生やし、大きな体でのしのしと歩き回っている姿は、まるで熊のようだ。
今時、ホームレスでももう少し小奇麗な格好をしているだろう、と響は思った。
床に座って痛みを訴える老人に、男は注射器を渡すと、
「よし、じいさん、この注射を打って、しばらく休んでから帰りな」
「おいおい、あんた、やってくれないのかよ?」
「ここは、自分にできることは自分でやるセルフサービスなんだよ!
なに、じいさん、シャブ打つ要領でやればいいんだ。
同じ静脈注射なんだから。
ついでに、隣の姉さんの点滴が終わりそうになったら教えてくれ」
「なんて人使いの荒い病院だ。こっちは患者だぞ」
「患者扱いしてほしけりゃ、保険証持ってまともな病院に行くんだな!」
長身の男が言い放つと、老人も諦めたように肩をすくめた。
「若先生、子供の点滴終わったから、帰るよー」
別の一隅から、声が上がった。
「おう、注射針抜いたら、いつもの所に捨てといてくれ。
さっき渡した薬、忘れるなよ!
二、三日したらまた見せに来い」
「はーい。若先生、ありがとー」
舌足らずの声が返事する。
その可愛らしい声に一瞬表情を和ませたのも束の間、
「センセイ、頭ガフラフラスルヨ」
浅黒い肌の女が伸びきったランニングの裾を引っ張ってくる。
男は面倒くさそうな素振りも見せず、すぐに女の脇に膝をついて、その顔を覗き込んだ。
「顔色悪いな。貧血か?生理は順調?ちょっと診察室入って、見せてみな」
よろよろと立ち上がるフィリッピーナに、隣で点滴を受けていた男が、
「ねえさん、足元、気をつけなよ」
と声をかけ、近くに座り込んで休んでいた者たちは少しずつ体をずらして道を空けた。
病院は病院でも、ここは戦場の野戦病院だ。
「ここにサディナという女はいるか?」
響は、玄関から大声を張り上げた。
とたんに、蜂の巣をつついたような大騒ぎだった小さな病院内が、しんと静まり返った。
うずくまっていた者たちの視線が、一斉に響に集まる。
「てめえ、どこの組の者だ!?」
雷鳴のような声が轟いた。
その迫力に、さすがの響も一瞬、サングラスの奥の目を見張った。
気付くと、狭い室内を熊のように歩き回っていた、長身の男がこちらを睨んでいる。
その目つきの鋭さは、カタギじゃない。
「そっちこそ、どこのヤクザだ?」
響は怯むことなく、睨み返す。
すると男は眉をつり上げ、
「誰がヤクザだ!オレはここの医者だ!!」
「医者・・・?」
響は、男の頭のてっぺんから足の先までじっくり眺めて答えた。
「とてもそうは見えん」
「ヤクザに言われたかねえや」
男はけっと吐き捨てると、
「帰れ。
サディナはお前らには渡さん。
あんな体で客なんか取れるわけねえだろう」
「ここにいるのか」
響は土足のまま、野戦病院に上がりこむ。
ずい。
ランニング姿の男がその前に立ちはだかった。
まるで壁のような威圧感。
響も背の低いほうではないが、この男には敵わない。
百九十はあるだろうか。
「誰が入っていいと言った」
大きな目を剥いて、上から睨みつけてくる。
そこらのヤクザでも、この眼光なら裸足で逃げ出すだろう。
「体ボロボロになるまで働かせておいて、まだ足りないのか、お前らは・・・!!」
「『保険証のいらない病院』・・・
不法滞在の外国人やホームレス、保険証がなくてどこの病院にも行けない訳アリの患者でも、診察している医者がいるという噂があったが・・・
七十過ぎの爺さんだと聞いていたがな」
「龍先生は高齢で、体の具合いが良くないから、オレが引き継いだんだ」
「ほう。二代目は、先代に輪をかけて頑固者らしいな」
響が答えると、丸めた紙くずが飛んできて頭に当たった。
「ヤクザなんか出て行け!」
「若先生に手を出すな!」
室内の患者たちから声が湧きあがる。
その声がもはや抑えられないほどにまで大きくなると、
「おれはヤクザじゃない。警察だ」
響は仕方なく、警察手帳を取り出した。
中を開いて、顔写真を示しながら、サングラスを外した。
ほう・・・
患者たちの間から、ため息がさざ波のようにもれる。
「心配するな。
おれは、彼女を保護するために探していたんだ」
「よかったな、サディナ。もう奴らに追われることもない。故郷に帰れるぞ」
熊のような大きな手で頭を撫でられて、若いフィリッピーナは嬉しそうに笑った。
「アリガト。若先生。アタシ、先生ノコト、忘レナイヨ」
たどたどしい口ぶりでそう言うと、男の額に感謝のキスをした。
「ひゅう〜」
見ていた患者たちの間から冷やかしの声が飛ぶと、
「うるせえ」
男は意外にも真っ赤になって照れている。
患者たちの間から笑い声が起こった。
サディナと呼ばれた女は、入国管理局の役人たちに引き取られていった。
熊のような医者は彼女の乗せられた車を見送っていたが、ふいに響を振り返って尋ねてきた。
「サディナは無事に故郷に帰れるよな?」
「ああ。その前に、取調べに協力してもらわなけりゃならないが」
響は答えた。
「彼女の証言があれば、東南アジアルートの大規模な人身売買組織を摘発できるかもしれん」
「騙されてここに連れて来られた女もたくさんいるからな。
彼女たちが無事に祖国に帰れるよう、頼むぜ、刑事さん」
男はそう言ってから、まじまじと響の顔を見て、
「・・・しかし、本当に刑事には見えねえよな、あんた」
「お前に言われたくないね。
そっちこそ、とうてい医者には見えん」
響が答えると、男は玄関の壁に貼ってある紙を指差した。
「正真正銘の医師免許だ。モグリじゃねえぜ」
「そうらしいな。あの迫力はカタギとは思えないが。
いつもああして、ヤクザ相手に娼婦たちを守ってやってるのか?」
「医者には、患者の命を守る責任がある」
男は答えた。
「龍先生も同じことをしたはずだ。
オレは先生を尊敬してる。それで、弟子になったんだ」
「お前も物好きな男だな、静馬センセイ」
いきなり名前を呼ばれて、熊のような医者は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに、壁の医師免許状に気付いたようだ。
「大学病院に勤めるより、オレにはずっと性に合ってるね。
それにこの町を離れたくなかったし・・・
刑事さん、あんた、ここの所轄のデカなんだろ?この町のこと、頼むよ」
静馬という名の医者の目が、やけに真剣に輝いた。
深く刻まれた想いがあるのだろうか。
この男の胸の奥にも。
永遠に消えることのない刻印が。
もう十年以上経つというのに、忘れることなどできない。
昨日のことのように、今も鮮やかに胸に甦る。
押さえきれない激情に、全身の肌があわ立つ。
「・・・どうした?気分でも悪いのか?」
熊のような医者が、怪訝そうな顔をしているのに気付いた。
思いに耽り、自分の世界に没入していたようだ。
心を覆う黒い霧を振り払うように、響は頭を振った。
今日の自分はおかしい。
だいぶ情緒不安定なようだ。
――でも、それも仕方ない。
理由は分かっている。
今日は、特別な日だから。
心配そうな顔をしている医師に、響は黙って背を向けた。
(#3へつづく)