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刺客の佐助が真田幸村の前に現れた。家人の三好政海まさうみは佐助の美しさに魅入られていく。ある嵐の夜、佐助の闇の剣が舞う!真田十勇士でおなじみの「猿飛佐助異聞」、いかなる展開になるか請うご期待!衆道の描写があるので嫌いな方は注意。しかし本格的時代小説です。
政海と佐助
政海と佐助

一、九度山


 三好一族の雄、三好政康の子、政海まさうみは関が原の戦いの後も、九度山に蟄居を命じられた真田昌幸の子、幸村に仕えていた。

 政海は慶長五年(1600)に会津の上杉景勝を討つため徳川家康に呼び集められた真田軍に加わった。政海は三十五、幸村は三十四歳であった。
 その直後、大阪での石田三成の挙兵により、真田の頭領である昌幸は、長男信幸を家康のもとに残し、西軍に付くために幸村を連れて上田城に帰った。
 これは戦記史上希に見る状況と言ってよい。明日、敵となることを承知であるが従容としてお互いを見送った分けだ。どんなことをしても勝てば良いというのが戦争の真実だが、混乱を避け敵味方の明確な一線を時間的に画す、ということがこのように行われたのは面白い。それを許した家康の心境としては、夜も寝られぬほどではなかったか。

 政海は、幸村に従って上田城に入った。そして、上田に押し寄せた徳川秀忠の三万八千の軍を父昌幸とともに翻弄した、比類なき武将である幸村に魅せられた。ここに無二の臣従を誓ったのであった。

 戦いは徳川家康の勝利に終わった。とはいえ、まだ豊臣秀頼への信奉は西国の諸大名に篤く、西の豊臣、東の徳川の二つの大儀が成り立つべくもなく、今ひとたびの波乱の予感が諸国に満ちていた。
 徳川方に付き、関ヶ原の戦いで戦功を上げた昌幸の長男、信之の命がけの懇願で昌幸、幸村の命は許され、高野山に九度山に蟄居を命ぜられた。しかし、家康の子、秀忠を信州上田城で翻弄し、関ヶ原に間に合わせなかった知将の存在は徳川方には疎ましくないはずはない。
 特に秀忠側近達の憎悪は計り知れないものがあった。
 恭順を示して蟄居し、非武装の彼らに表立った攻撃は無いものの、毒物入りの食べ物が届けられたり、不審の輩が庵の周りを徘徊したりすることがあった。側近として九度山に入った数少ない家臣の中の政海は、徳川方からの刺客への警戒に選任されていた。
 刺客を放つのは徳川家自体とは限らない。徳川におもねる大名からの可能性もあった。

 昌幸、幸村親子には徳川の軍門に下る道もあるであろうが、家康に就いた信之の所領安堵に既に真田家存続の悲願は果たされていた。
 この上の臣従は潔しとされないであろう。
 よって、豊臣秀吉に恩顧を受けた者として豊臣とともに滅ぶべしと心を決めていた。

 政海は三好三人衆といわれたほどの父の武士の頭目の器量はないと自覚して、もっぱら六尺(約180センチメートル)の戦場で鍛えた体躯と、槍と弓術をもって戦働きをした。主をいろいろ変えた後、真田父子を気に入って仕えた。
 既に三好家は落ちぶれ、父の政康は浪人していた。政海は妻を持つ気もなく、主を変えながら武功を挙げようとしたが思うようにはいかなかった。戦に明け暮れ性格も荒れていたが、幸村に会ってからは、幸村が死すまでのただ一人の主と決めていた。幸村の側近を押しのけ後ろにぴたりとつき、命を賭けて仕える様は始め反感を持っていた彼らにもいつしか受け入れられていた。幸村も心を許した『友』とも考えているようだった。

 所領を失った昌幸父子の家来達は、その所領を代わりに受け継いだ信之が召し抱えたが、全て養うことは出来ず、妻子を持つ大半は浪人し、上田で土を耕すなどして、糊口を塞いでいた。彼らは身軽で剛の者に昌幸達の守りを託し、再び豊臣譜代真田家とともに立つことを夢みていた。徳川はそのような主従に警戒し、昌幸等に付ける家臣を絞ろうと考えたが、二十数人の家臣が九度山に付き従った。

 だが、月日が流れる中で、幾たびの嘆願に関わらず、昌幸父子は上田に帰ることは許されず、家臣の間でも不安を訴える者が増えた。

 そんななかで慶長十六年(1611)の六月、昌幸が不遇の中で死去した。その翌年、一周忌が明けると殆どの侍臣は上田に帰還していった。幸村のために残る者は数人しかいなくなった。皆、政海等に頭を下げ、幸村のことを政海に託していった。政海は歯噛みをしながらも仲間の気持ちを汲み、送り出した。
 侍臣達の家族や下人達も去ったので真田庵には人手が足りなくなった。政海達では食事や日々の雑事をすることは無理である。
 幸村は、後見役の紀伊藩に下人を一人要請した。

 紀伊藩は家老の家人の斎藤内記という男と共に一人の下人を送って来た。
 真田庵と呼ばれる高野山の入り口、九度山くどやまの郷の蟄居所には、昌幸と幸村の藁葺きの書院造りの庵が少し離れて建てられていた。一度に刺客に襲われるのを防ぐためである。昌幸の庵は人気が無くなり、ひっそりとしている。幸村の庵には主人、幸村の部屋が塀を巡らせた中庭に面した奥にあり、空き部屋を巡って廊下があり、政海の部屋と下人の部屋が玄関の隣の厨房と風呂場の横にある。
 下人の様子がおかしい場合、政海がすぐ行動に移れるようにしてあるのだ。


 障子が開け放たれた客間で内記が幸村と話し、その傍らに下人が頭を下げている。
 障子を開けたのは密談を行っていないという蟄居中の作法である。初春になっていたがまだ晴れていても寒い。庵の裏の林からは不如帰ほととぎすの幼鳥の声が聞こえる。
 後から呼ばれた政海は油断なく二人を見ながら幸村の横に座った。
 内記が、これが新たにお世話をいたす者でござると言った。下人はまだ少年らしい。頭を上げた。
 幸村と政海は仰天した。

 年の頃は十五、六ぐらいであろうか。浅黄のこざっぱりとした小袖と、紺の袴を纏ったそのかんばせは、えも言われぬ趣きであった。寺の稚児か公家の小姓のように、月代さかやきは剃っておらず後ろで長髪を絹紐で結わえ、艶のある髪の束はさらりと背中に垂れる。結わえを逃れた前髪は、緊張と寒気で紅くなった両の頬にかかる。まだ、をとなになる前の首と肩は華奢に見え、形のよい腕と手が正座の前に添えられていた。

「・・・佐助と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます」
 内記が言った。
「これはとある名家より根来寺に預けられた者でござる。寺小姓(稚児)であったと思われましょうが、これでなかなか気が利きます」
「・・・刺客ではなかろうの」
 政海が恐い顔で睨みながら疑い深そうに言った。
 佐助は政海を見て、怯える風もなく、
「ははは!面白い!」
と笑った。小童こわっぱながら恐れを知らぬようだ。だが、その瓜実顔の美しい笑顔に政海は我を忘れて見入ってしまった。
「・・・そして少々、気が強いので・・」
 内記が心配そうに言い終わる前に、幸村のほうに向き直っていた佐助が政海をちらと見ながら言った。
「だから寺を出されたんじゃ!」


二、佐助

 その次の日から佐助は朝早く起き、水を汲み、皆の手水ちょうずを用意し、近くの農家から来る老女を助けて飯を作り、幸村と政海の世話を焼いた。寺で高僧の世話をしていただけあって衣服や手回り品の手入れも、幸村の妻が驚くほどぬかりない。内記の言ったとおりよく気が付き、政海が言う前に欲しいものが目の前にあるということがたびたびあった。
 気が強いとは言われていたが、命令されても口答えするでもない。ただ、可愛い口を一文字にして、政海を不敵な目で上目で見ながら聞いていて、聞き終わると小憎らしそうに「はい、わかりました」と言う。じっと秀麗な人形のような顔で見られると、政海は気を取られて言葉を失うことがあった。
 政海は、根来寺から来たというだけで素性が判然としない佐助を監視するというつもりであったが、いつしか忙しく立ち働く佐助の姿をうっとりと見てしまう自分を発見した。
 佐助の立ち居振舞いは女子をなごの様ではないが、無骨な男の不興もない。洗練されて動きに無駄が無いのだ。背筋をいつも伸ばし、足を無様に広げて歩いたり座ったりすることはない。立つ時は膝を揃えすっと立つ。政海は佐助は稚児として育てられたと思った。

 そのころ寺にいた稚児という少年達は決められた高僧に常に侍従し、夜は彼らの「妻」として相手をした。彼らは幼少の頃、見定められ、厳しく躾られ、寺の秘された宝物のような存在であった。
 稚児に関する寺の内情は「秘中の秘」とされ、その義務にあった者達も掟により口を開くことはない。ただ、寺を追放された破戒僧や身を持ち崩した者達によって語られることはある。しかし、もし寺に知られれば、津々浦々の山門にお達しが回り、宿坊に立ち寄ることも出来なくなる。

 佐助は稚児であったということを何もしゃべらないが、その所作はそれを想像するにかたくなかった。
 政海はの子の形をしているが、夜は女の様に妖艶に変身する佐助を妄想して興奮するようになった。女が欲しくなれば里に行ったついでに宿場女郎を買うのだが、佐助に強い欲望を抱くこの頃であった。
 だがそのような所行に出れば佐助どころか、潔癖な主君に嫌われるだろう。死んでもそんなことは出来ない。

 ある日、佐助が政海の部屋に来て言った。
「政海様。・・・俺、政海様の部屋に一緒に暮らして良いですか?」
 政海は自分の妄想をまさか感づかれたかと慌てた。
「・・・な、なぜじゃ!」
「俺、まだここに来て間もないので、何か忘れそうで心配です。だから・・・政海様のそばに居ればわからないことは教われるし、習うことも出来ます。だから、俺をこの部屋に置いてくれませんか?」
 政海の心臓は高鳴った。だが、わしを慕ってのことではないらしい・・・
(この少年は勤めをちゃんと果たそうとしているのだ。それに比べわしはなんと下卑た男じゃ・・・)
 政海は汚い劣情を抱いている自分を恥じた。
 その夜から佐助は政海の隣に布団を敷き寝ることになった。

 隣から持ってきた鏡台を、布団を隔てて政海の書台の反対側に置き、政海が書物を読んでいる(ふりをしている)ときに背中を見せて髪をく。結わえを解き、櫛を首のもとの髪に刺し、豊かな長髪を背に肩に分け、蜜柑を食べながら梳く。稚児の髪は僧門にあって艶やかで長く保たれる。その後姿だけを見ればをなごと言っても不思議ではない。
 肩越しに佐助の所作を盗み見しながら政海の一物は怒張した。
(・・・い、いかん!このようなことでは幸村様をお守り申し上げることは出来ん!)
 痩せ我慢の一途である。
 大体、稚児や若衆を抱く輩の話は聞いていたが、小姓を持ったこともないこの男には別世界の話であった。尻の穴に一物を突っ込むということだが、糞をひった後、竹べらや縄で擦り取るこの時代で、冗談ではないと思っていた。それで若衆も悦ぶということだから、分けが分からぬ。
 そのうち、
「政海様、お休みなさい!」
と言って寝てしまう。
 無邪気な寝顔を見て思わず股間を手で擦る。
 そんな日々が続いた。
 幸村や昌幸や家人に佐助が政海と同居していると知れてからかわれる。近隣の農家から小間使いに来ている女達に噂される。みな、政海が佐助と契りを結んでいると思っている。政海は否定しても誰も信じぬ故、そのままにしている。
 だが、相手が佐助なら、ちょっと鼻高いところもあった。

 ある日、幸村の使いで里の神社に米の無心に行った。蟄居の身の真田親子の収入は、故国上田からの差し入れ、歳暮などと借金のみである。
 広大な社に馬に乗った政海と轡を取った佐助が入った。
 政海が神官に面会をして紐が入った袋を献上した。幸村が暇つぶしに刀のつかを巻く紐の工夫をして編み出した、後に「真田紐」と呼ばれたものである。世に戦いの武将として真田の名は有名であったことより、寺の神人じにんに行商をさせて売って貰うのである。
 歓談しているとき、どたどたと使用人が注進をしてきた。神官が立ち上がる。神人達の間で争いが起きたようだ。一緒にうまやに行く。
 そこには人だかりがたっていて、腕や腹を押さえている神人達の中央に佐助が枇杷の鼻捻りを両手に持ち、怒りの様相で立っていた。一目で回りに蹲っている神人達は佐助に倒されたものと分かった。
 鼻捻りというのは馬の鼻面を押さえて御す一尺ぐらいの木の棒で、戦場ですわというとき、それを武器に使うこともあった。
 佐助は怒りの目で駆けつけた神官の方を見たが、政海を見ると目を伏せ顔を背けた。

 六尺の棒を持ち、長尺の太刀を下げた警備役の神人達が、寝殿の白州に争った者どもを座らせた。
 高座の神官に対して左に体の一部を押さえている数人の神人達の一群、右には怒りの表情で片膝を立てて座っている佐助一人。政海は神官の横にいた。警備兵達は双方を交互に睨んでいたが、幼い少年に歯が立たない不甲斐ない連中にあきれたようだった。だが、最後に、毅然として悪びれない佐助に怒りの目が止まっていた。
「お前達、何故、争ったのじゃ?」
 神官はまず神人達に問うた。
 だれも答えない。今度は佐助に問うた。
 佐助はきっと神官を一度睨んだが、肩で大きく息を吸って言った。
「俺は悪くない!」
 その不遜さに政海はびっくりしたが、神官の手前、発言出来ない。そのあと幾度も双方に問われたが、どちらもうんともすんとも言わない。
 政海は、このままでは幸村の顔に泥を塗る事態になると考えた。神官に許可を請い高座から白州に降り、
「佐助。お前はこの神社の方々に傷を負わせた!何故じゃ!何故お前が悪くないのだ!」
 佐助はきっと政海を睨んだ。
「俺が悪いと思うなら俺を裁け!」
 政海は佐助を罰する以外この場を凌ぐ手はないと思った。神官に向かい、
「このいさかいの理由は分かりませぬが、そちらの方々を傷つけたるは我らの落ち度。この者を罰しますればどうかお許し願いたい」

 神官は判断が付かぬ様子だったが、政海は一人の神人が持っていた馬の鞭を借りた。
「これよりこの者をそちらの心安くなるまで打ちます。これでご容赦の程を!」
 と言って、少し佐助の後ろに退いて長い鞭を構えた。
 佐助は一息吸い込むと息を止め背筋を伸ばし下を向いた。その表情は興福寺におわす阿修羅像の三面の一つ、怒りの顔に似ていた。

 一撃が佐助の背を打った。声を堪えびくっと仰け反る佐助。また次の鞭が鳴った。
 政海は打つたびに心が引き裂かれる思いだった。
 もう佐助はわしに心を許すまい。政海は心を鬼とした。

 四回,五回目になると佐助は思わず手を前に突く。打たれるたびにひっ、ひっと悲鳴ならぬ息の音がする。小袖の背が千切れ、血が浮き出る。
 絶世の美少年が打たれ痛みを堪える様は倒錯的な美しさを持っていた。政海も打ちながら、堪える佐助の横顔が見えるたびに愛おしいと思った。股間に漲りを覚えてしまった。
 衆人もそれぞれの心は分からず、ただ、自らの劣情に苛まれただろう。
 幸運にも神官は、佐助の受ける痛みにのみ恐れを持っていたようだった。打たれる音の度に顔を顰めていた彼は、十を数えた時に、
「お、お前達、これでよいじゃろう!」
と配下の神人達に叫んだ。先頭にいた腕を押さえていたダカツと呼ばれる男が、
「は、はい。十分です」
と言った。
 ほっとした雰囲気が居並ぶ者達に流れた。政海は鞭を投げ捨て、蹲る佐助の肩を抱こうとした。が、佐助が蹲ったまま叫んだ。
「触るな!」
 驚く皆が見守る中、佐助はふらと自力で立ち、青い顔をして厩の方に歩いて行った。冷たい汗が額から垂れ、口の端に前髪の一筋が入っている。
 政海はその気力の凄まじさと妖艶さに鳥肌が立った。
 佐助はよろよろとしながらも厩から馬を引き出し、政海の前に連れてきた。
「佐助、お前が乗れ」
 佐助は激しく言った。
「俺はお前の従者じゃ!俺が乗ることなぞ出来ぬ!」
 周りに居並ぶ野次馬どもがざわめいた。
「おお、なんと気丈なをのこよ!」
「政海どの!はやく帰っていたわりませい」
などと声が飛ぶ。
 政海は仕方なく馬に跨った。
 神社の最後の鳥居を潜るまで幾人かが付いてきて、そのうちの一人が轡を取る佐助に紐で縛った葉っぱの束を渡した。襤褸ぼろを着た犬神人いぬじにんと呼ばれる下層の者達だった。神社の所領内の糞尿や骸を始末する奴隷である。馬の上の政海でさえもぷんと漂う異臭に思わず鼻を曲げた。
 一人の犬神人が佐助に向かってその垢だらけで皺だらけの顔をもっとしわくちゃにした。笑ったのだ。
「・・・痛みと膿むのを防ぐ草じゃ。このまま咬んで汁を飲むんじゃ」
 佐助は虚ろな目で首を少し前に傾げた。それが今の佐助の精一杯の礼だった。いつも威張っている上級の神人達をやっつけた佐助に彼らは薬草を与えたのだ。

 真田庵に向かって佐助は馬の轡を取ってふらふらと歩いた。上り坂に息が乱れた。小袖の背中は破れ、血がじっとりと滲んでいる。山道にかかると政海は気が気ではなかった。

 九度山の庵に着くと佐助は馬を厩に入れようとしたが、政海に肩を抱かれ、玄関の式台に座らされた。柱に寄りかかり目を瞑って肩で息をしている。
「よいか!ここに待って居れ!」
 政海は馬を厩に入れるとすぐ取って返し、佐助を井戸の前に連れて行った。小袖をゆっくり脱がし、裸にして傷を洗ってやった。
 部屋に布団を敷いてうつむせにして、軟膏を傷に塗ってやった。犬神人に貰った葉を確かめると洗って佐助に咬ませた。
 傷に当たる度に佐助は体を捩じらせた。柔らかく絹のような佐助の若い肌を触り、強い欲望を押さえながら政海は手当てをしてやる。
 佐助は手当てが終わる頃、張っていた気が緩んだのか寝てしまった。やれやれと思っていると夕暮れが近づいた頃、目を覚まし、起き上がろうとした。
「まだ、寝ていろ!」
「夕餉を作る!俺の仕事じゃ」
「馬鹿者!お前は弱っているのだ!儂がやるから寝ていろ!」
 佐助はそれでも立ち上がろうとしたが、押さえる政海の腕に倒れかかった。額に手を当てると熱い。
「・・・こ、これは!お前は熱がある!起きてはならぬ!」
 政海は湯を沸かし、老女を手伝い飯を作った。うまくはないが、戦さの時はならしたものだ。
 妻子と遠出していた幸村が帰宅してどたどたと足音を鳴らしやって来た。
「佐助!大丈夫か!」
 佐助はうつ伏せになった状態から顔を起こし、
「ご主人様・・・申し訳ありません・・・俺、お顔に泥を塗りました」
 そばに座っている政海に幸村は言った。
「政海!なぜ佐助をかばってやらなかった!」
 佐助がそれを聞いて言った。
「・・・俺が悪いんです!政海は悪くありません!どうか俺を罰してください!」
 気にせず傷を治せと佐助に言って、政海を幸村は自室に呼び出した。
「お前は何故、佐助があやまらなかったのか分かっているのか!」
「・・・は、はあ」
「きっとお前のことでからかわれたのじゃろう。佐助の心が分からんのか!それなのに、お前は佐助を打ったのだぞ!」
 政海ははじめて何が佐助を怒らせたのかを知った。
 内記が気が強いと言っていたのはこれだったか!同じようなことで佐助は根来寺を追い出されたのか!
 下手に佐助に手を出していたら自分も神人達と同じような目にあっていたのかも知れぬ。
 冷や汗が出た。

 寝息を立てている佐助の寝顔を見ながら政海は考えていた。
 わしが佐助と契っているとからかわれたのじゃろう。下卑な言葉で。佐助はわしの名誉を守るために暴れたのじゃ・・・
 政海は限りない愛おしさを佐助に抱いた。
 もはや自分の一時の快楽なぞに、佐助を使うことは出来ない。稚児のように抱けば心にも体にも傷を受ける。わしは佐助を一人前の武士にしてやる。
 立派な武士に育ててこそ儂の想いが通じるのだと。幸村のもとで同じ赤揃えの甲冑を着て共に戦いたい。佐助がそれを望めばの話だが。
 佐助はその晩、高熱に苛まれた。政海は必死に額を冷やし汗を拭いてやった。
 朝、政海が胡座をかいたままこっくりしていると、膝に手が掛かった。目を開けると俯せから顔をこちらに向けている佐助がにっこり笑った。
 抱き起こしてやると佐助は半身になって政海の膝に腰を乗せ、政海の首にかぶりつく。政海の頬に頭をつけ、鼻の穴に佐助の髪が入る。背を抱くわけには行かないので政海の首に回された腕の脇をそっと持つ。

 甘美な時間だった。

 佐助の髪の匂い。寝間着の晒した麻の小袖を隔てて、柔らかい体が政海にひっつく。郭で抱いたをなごとは全く別の愛らしい生き物のようだ!
 同じ男でありながら、この少年は儂なぞを慕ってくれているのだろうか?
 慕われると言うことが、このような甘美であるとは!

 政海の一物は完全に上を向いていたが、運良く佐助の腰と自分の腹の間にあった。・・・佐助はそれを感じているのだろうか?
 不倶戴天の劣情という『敵』を辛うじて退けた政海は、背の傷に障らぬようにそっと佐助の体を布団の上に戻した。

 佐助がまた寝てしまうのを認めると政海はそっと部屋を出て、裏の小滝まで駆け上がり下帯ひとつになって晩春の冷たい流水の落ちる下に座った。一物はまだ隆々と抉りいれるところを求めていた。政海は下帯の上から激しく自らのものを扱いた。
 獣の唸りのような声が滝の流れ落ちる音の間に聞こえた。




三、夏の嵐

 佐助の傷も癒え、また同じ生活が始まった。
 だが政海の煩悩は日増しに深まった。

 ある夜、先に寝た佐助が苦しそうな声を出した。まだ背中の傷が痛むのかと政海は佐助の枕元に膝を突いた。佐助は汗をかき、うなされていた。
 政海は佐助を悪夢から覚まそうと肩を揺すった。
「お、・・・おい、佐助!大丈夫か」
 佐助は薄目を開けたがまだ夢中のようだ。
「・・・く、来るな・・・!俺は・・・務めを果たしただけだ!」
 政海は佐助の肩を抱いて起こそうとした。すると佐助は政海の胴に手を回し、しがみついた!政海は驚いて引き離そうとしたが、ますます佐助はくっついてくる。
 佐助は夢の中で明らかに何者かに追われ、必死に庇護を求めているようだった。

 政海は思わず抱きしめ、口を吸おうという欲望が湧いたが、必死にこらえた。
 自分も身を横たえ、佐助が手を解くのを待つしかなかった。しばらくしても佐助の手は一向に緩まない。だが安心したのか、佐助は穏やかな寝息をし始めた。
 身を合わせて横になり、お互いの体が暖まり、佐助の髪の匂い、体の甘い匂いが立ちのぼる。佐助の心臓の鼓動が感じられる。男になりきっていないが、俊敏な動きが不思議ではない柔軟で柔らかい体を感じる。
 政海は興奮でまんじりとも出来なかったが、夜が白む頃、睡魔に襲われ、眠りに落ちた。胸には愛する者をいだいて。

 胴の下で引き抜かれる手を感じ、目を覚ました。すぐ近くに起きた政海を見て、怯えた表情の佐助の顔があった。政海ははっとして身を起こし、
「あ・・・こ、これは・・・」
 佐助は何も覚えていないのか、政海の顔から目を背けて座った。はだけた胸元と身を繕う。下を見たまま言った。
「な・・・なんでお前が俺の寝床にいるんじゃ!」
 佐助の声には狼狽と怒りが含まれていた。
「そ、それは・・・」
 言葉を継ぎあぐねたが、ようやく、
「・・・お前がうなされていたので起こそうとしたら、抱きつかれた・・・」
 佐助は疑り深そうな目で政海を見て、右手を自分の臀部に持って行った。
「ち、違う!儂はなにもしておらぬ!誓って言う!」
 佐助と政海はお互いの目を凝視していたが、
「・・・分かった・・・朝餉の支度しなくちゃ」
と言って、佐助は台所に行った。

 政海は着替えて、台所で飯の用意をしている佐助の所へおろおろしながら行った。まだ賄いの老女は来ていない。佐助は恥ずかしそうにちらと政海を見ると、
「・・・俺、怖い夢を見たんだ。でもお前が守ってくれたんだな。ありがとう・・・」

 これで政海は佐助に本当に恋してしまった。そして、何を自分が考えているのか佐助に絶対悟られたくなかった。
 ・・・だが、押さえられた欲情は佐助が目の前からいなくなったときに顔を出す。

 政海は佐助が用事をして部屋にいない間に、佐助の下着の匂いを嗅ぎながら一時の昂ぶりを押さえることを覚えてしまった。佐助は持ち物を女子をなごがするように整えていたが、雨の日などに着替えた後、無造作に書台の下に汚れ物と一緒に下帯を繰るんで置いてゆく。
 佐助に会ってから、女への欲望とは違った、美しいをのこへの欲望を政海は持ってしまった。自分が情けなくなったが、鞭打った時の喘ぐ佐助の顔を念じながら放出するときの快楽は、このうえもないものだった。

 男のごつごつした体に変わる前の少年の体は古来、女への禁欲を強いられた僧の性欲の発散に使われたが、どう開き直って考え出されたか、高貴な性の処理道具として稚児という役が少年に与えられ、「衆道」が密教で始められた。天台の祖(弘法大師)が唐から伝えたと言われるこの道は日本中の寺院に広まっていた。佐助の躾を見ると、やはり稚児として育てられたと思わざるを得ない。
 以前、高野山金剛峰寺に幸村と参った折、そこで働く稚児達を見たが、佐助ほどの器量の者はいなかった。
 だが、政海の苦悩はさらに深く、佐助を異性のように愛してしまったようだ。

 どんよりとした日が続いた夏の終わりに嵐が近づいていた。

 風と雨が強く振り出した夜、佐助はいつものように最後に風呂に入るため部屋を出て行った。政海もまた、いつものように自責の念に駆られながら、籠の中に佐助の不用意に脱ぎ捨てられた下帯を手に取った。
 そこに夢精の跡を見つけた。

 佐助の体のなかから出された尊い、されど政海の獣欲を解き放つようなその匂いを吸い、自らの一物を薄皮が向けてしまうのではないかと思えるぐらいに扱き、果てた。佐助の下帯がさらに政海の劣情の液に汚れた。余韻に浸りぼうとしていたそのとき、佐助が風呂場を出る物音がした!政海は慌ててその下帯を隠した。
 一番最後に風呂に入る佐助は風呂桶を洗うため、上がるまでに時間がかかる筈だが、今宵は早い!
 佐助が、女がするように長い手ぬぐいを頭からかけて風呂から上がってきて、籠の衣類をひっくり返していたが、
「・・・政海。俺のここに脱いだものを知らぬか?湯に漬けておこうと思ったのだが」
 神社での一件以来、佐助に自分のことを呼び捨てにすることを許していた。
 政海はぎくとなったが、
「・・・さ、さあ。どこかにしまったのではないか?どうせ明日も雨じゃ」
 政海は背を佐助に向けて書物の前に平然としたようにしていたが、その顔面は風呂で流したはずの脂汗がべっとりと垂れていた。
「・・・ふうん。そうかな」
 佐助は首を捻って政海をちらと見ると不思議な笑みを浮かべ、鏡台の前で髪を梳き出した。それが終わると、
「政海。風が強くなってきてうるさくて眠れんじゃろう。酒を持ってきてやるよ」
 政海は主人警護の警戒のため、夜は酒を飲まなかったが、このときばかりは後ろめたさと佐助の精がついた下帯を盗んだ嫌疑を免れたいという衝動から、
「あ・・・ああ、すまぬ」
と相槌を打った。

 佐助は微笑みながら女中のように徳利と杯を膳の上に持ってきた。政海の前に正座し、徳利を差し出す。まるで女房のようだ。政海は天にも登る気持ちで杯を差し出す。
「お前も飲むか・・・?」
 佐助はゆっくり顔を横に振り、笑って、
「俺まで飲んだら幸村様は誰が(、、)守る?」
「はは・・・そうだな。お前が守ってくれるか・・」
 数人の神人達を打ちのめした佐助の腕を思い起こした。
 その言に気が緩み、政海は杯を重ねた。佐助が武術を身に付けていたことを隠していたということがちらと頭をぎった。だが酒を注ぐ佐助に気が向いた。
 折から外は激しい台風が来たようだ。
 幸村の妻子は、比較的自由に九度山に出入りできたので、父の一周忌の盆を迎えるため、お女中を連れて信州の真田信之のもとに里帰りをしていた。護衛のため、政海以外の家臣も付いて行き、この庵には三人だけで、寝室に居るのは幸村一人である。
「わしはお前を一角ひとかどの武士にしてやる・・・」
「俺なんぞを武士にしてどうする?俺は身分も低い下人だぞ」
 政海は真っ赤な顔に口に一文字を張ると、
「お前はわしに習いたいと言ったな・・・だからわしはお前を身分あるりっぱな侍にしてやりたいのだ・・・お前が良ければ幸村様と共に豊臣家の為に戦い・・・」
 政海はそこまで言うと頭がぐらぐらするのを覚えた。
 おかしい!
 徳利一本でここまで酔うことはない!はっと佐助を見た。佐助は真剣な面持ちで政海を見ていた。その目は悲しそうな光を湛えていた。
「な・・・何を飲ませた・・・」
 佐助を掴もうとしたが、その手は空を掴み、膳の横に倒れこんでしまった。苦しい。心臓が早鐘のように鳴っている。だが、神経はぐるぐると回る目に必死に焦点を結ぼうとしている。

 佐助は意識を半ば失った政海の様子を確認するとすくと立ち、押入れの荷物の中から持って来て手を付けていなかった自分の行李こうりを解いた。寝間着を脱ぎ素裸になると、行李に入っていた皮で出来た下帯を着けた。前と尻を覆う三角の形の皮が股の部分で繋がっており、腰の前後に開けた穴に皮の紐を通して前で結んだ。皮はぴったりと佐助の陰部を覆い、身を引き締める。
 丈の短い黒染めの半袖小袖に着替え、皮製の手甲てっこうを小手につけ、やはり皮製の脛当てを当てた。細い帯を腰に巻き、その上に丈夫な綿の帯を三重にして政海が見たこともない二尺一寸(刃渡り63センチ。大刀としては短め)の黒漆塗りの大刀を腰に刺した。
 そこまで佐助の挙動を見るために目を剥いて見ていた政海が、眩暈にたまらず目を瞑るのを見ると、佐助は燭台の火をふっと吹き消し音もなく部屋を出た。政海の全身は汗を吹き出していた。声を出そうにも吐き気がして声にならない。うめき声は大きな風の音に掻き消された。

 台風の雨が雨戸を激しく打ち佐助の足音を消している。意図して作ったのか、廊下の板は歩くとぎしぎし鳴るのだが、この夜だけは聞こえない。もう夜半を過ぎている。
 佐助は奥の幸村の寝室に近づいた。闇の中だったが庵の間取りは体が覚えている。佐助はそうでなくとも尋常ではない五感を持っていた。
 ますます風が激しくなってくる。
 佐助ははっとした。幸村の部屋から明かりが見えた。まだ寝ていなかった!佐助は鯉口をいつでも切れるように左手を刀に添え、鞘の尻を板間に打ち付けないようにそろりと廊下の一隅に片膝をついて待った。
 いくら待っても明かりは点いている。幸村は常に陣取りや陣構えの研究を蟄居中も続けていた。風に庵全体が揺れている。佐助はこの台風がとてつもない大きさを持っていることを知った。この庵も飛ばされるかも知れない。だが、その音に幸村は眠れないのかも知れぬ。
 嵐に紛れ幸村を討とうとしたが、この大嵐は幸運か、不運か!
 佐助はささと幸村の部屋の障子に走り寄り、指に唾をつけ障子に穴を開けて中を窺った。書台の前には幸村はおらず、蚊帳かやの中の布団の中に向こうを向いて横たわっていた。
 横に音も無く剣を引き抜くと、だっと障子を開けるや薄布団を掛けて寝ている幸村の背中に蚊帳の外から剣を突き立てようとした。
 だが、踏み込んだその足が、障子のもとに転がしてあった槍を蹴った!
 はっと思わず下を見たその一瞬、幾度の血を血で洗う戦の中に身を置いてきた幸村、十数年の閑居にも関わらず、殺気ある侵入に気がついて跳ね起き、無意識に掛け布団を侵入者の方に押し出した!
 佐助の体は蚊帳の外からそこに突き入り、右刃に横にした剣が薄布団を突き通す!
 手応えあった!幸村の腹を突いた!
 幸村はうめいて薄布団の上から剣を押さえた。その時、雷鳴と共に部屋の外の雨戸が飛んだようだ!
 一瞬の光の中、幸村は佐助の顔を間近で認めた。
「・・・佐助か!やはり刺客だったか!」
 察知されていた?
 佐助は驚きの顔で幸村を凝視した。庵が揺れた茅葺かやぶきの屋根の一部が吹き飛ばされ、障子が倒れた。寝室の屋根が落ちてきた。この部屋の四方の柱が斜めになった。
 佐助は剣を引き抜くと幸村を突き飛ばし、倒れる柱を避けて表に出た。中庭の桜の大木に抱きつき、後ろを見ると幸村の部屋がある庵の柱が横倒しになり、倒壊した。

 政海は口に当たる水で目を覚ました。古寺の堂の天井が見え、明り取りから射す日の光に舞う塵が目に入った。空気はまだ湿っているが台風一過の清清しさだ。そして膝を突いて自分を見ている佐助も。
「うがっ!」
 政海は思わず身を起こそうとしたが、まだ体は痺れていた。ようやく身をうつ伏せにして腕で体を起こした。その前には昨晩に着替えた黒の小袖に戦闘具足を着け、袴をはかず女の様な妖艶な太ももを晒した姿の佐助が。
「・・・さ、佐助!貴様は・・・刺客だったのか!」
 佐助は哀れそうに政海を見た。政海ははっとして、
「ゆ・・・幸村様は・・・?」
 佐助は目を堂の外に移して、
「庵の下敷きになられた・・・その前に一太刀仕った・・・」
 政海は苦労して首を回し佐助の見た方向に向いたが、清冽とした青空と雨に洗われ静かに揺れる樹木以外何も見えない。腹から絞り出るような声で、
「う・・・うおおお!幸村様!」

 政海は鬼のような形相で佐助を見た。
「き、貴様・・・許さぬ!儂をたばかって・・・許さぬ!貴様を殺す!地獄の苦しみを与えて殺してやる!」
 体をさらに起こそうとするが、どうと前に突っ伏して酒臭い胃液を吐いた。まだ目がぐるぐると回っている。
「政海。お別れじゃ。俺は務めを果たしたので帰る。俺を神社で鞭打った後、せめていい思いをしておればよいものを」
「待て!・・・お前をどこまでも追ってやる!そして目にものを見せて殺してやる!」
 佐助は刀を差しなおすと、
「ああ、いいよ。でも地獄で俺を探すといい」
 佐助は一瞥すると政海の前から去っていった。

 あの後、佐助はまだ倒れていなかった政海の部屋から政海を担ぎ出し、崖上の古刹まで引きずり上げた。
 だが、主君をまんまと討たれた政海には、よりによって佐助に命を助けられたことこそ苦痛だった。自分の不覚を呪い、泣いた。
 政海はせめて幸村の遺体を確かめて腹を切ろうと、体が動かせるようになると倒壊した庵に戻り、残骸を泣きながらどけ始めた。神社や近くの農家から知らせを聞いて人々が集まりだし、幸村を探して瓦礫をどけた。
 絶望して後を追おうと、幸村の部屋のあったあたりに座り込んだ政海にかすかに声が届いた。
 紛れも無く主人の声。
 夢中で瓦礫を再び掘り出すと縁の下に古い穴井戸が。その中から幸村の声がする。庵の造営のとき、幸村は寝室の床下のこの穴の存在を知ってそのままにしておいた。古墳の上だったのだ。屋根が落ちてくる寸前に畳を外し、滑り落ちて、下敷きになるのを逃れたのだ。傷も内蔵と腹の筋肉の間を縫っていた。佐助の剣を布団で押さえ込み動かせなくしたため、内蔵は傷つかなかった。
 政海は小柄な主人の胸にしがみつき号泣した。


四、秋の雷雨

 九度山に秋が来た。倒壊した庵は、徳川家に申請して大急ぎで建て直された。お許しが出るまで紀伊藩にお世話になりたい、と記すと、慌てた徳川がすぐ許可と慰労費を出してきたのだ。
 斎藤内記が様子を見に再度訪れて、お怪我が軽く祝着至極などと挨拶し、あたりを見回して佐助はいかがに、などと言う。
 政海は脇差に手を掛けようとしたが、その瞬間、幸村が手を打ち、あの者は今、用を言いつけ遠くに行っております、と言った。内記の様子では佐助が刺客とは知らなかったようだ。徳川が巧妙に送り込んだのだろう。

 主君の命には別状無かったが、政海の心は佐助を思い出すたびに煮え繰り返った。

 本気で惚れたことを思い出したくなかったが、思い出すと両の拳を潰れるほど握り締めていた。幸村が生きていなかったら、自分は本当に地獄の底まで追って行っただろう。
 まためぐり会える機会もあるかも知れないと考えた。
 幸村はまだ、生きている。
 それを知ったら再び襲ってくるかも知れぬ。その時は・・・政海の心は、あるかも知れぬ又の邂逅に期待していた。
 捕らえて残虐な拷問を行い、泣き叫ぶ佐助を犯す夢想が今の政海の唯一の夜の慰めになっていた。
 夜の孤独な荒んだ営みに、政海は主人を話すとき以外は寡黙になった。

 政海は淫靡な復讐を誓った鬼となっていた。

 その稀とも思われる期待が適うときが来た。
 今度は姿を現さないが、佐助のあの甘い体臭を政海は敏感に嗅ぎ取った。
 まさに恋焦がれた者の到来を本能的に知るように、憎しみで満たされた政海の鼻腔にあの蜜柑の匂いが感じ取れたのだ。
 佐助は幸村を打ち損じたことを知ると、根来の猿飛の郷を出た。九度山の高い杉の木の上で幸村と政海の動きを見ていた。政海の強い憎しみを感じ、すきを見せぬ警戒にじっと機会を待っていた。
 ある夜、湿った風と雲の動きに再び激しい雷雨の気配を感じた。

 夕方から雨が降り出した。雷も鳴り出した。
 主人達と夕餉を済ませると政海は部屋に引いた。主人の前では冗談を言い合い、何事もないかのように振る舞っていた。
 自分の部屋に入り後ろに障子をぴたと閉めるとそこには烈努の面の鬼がいた。

 部屋の畳を上げ、隠してあった鎧櫃を開け、篭手をつけ、鎧を着出した。徳川の監視を逃れ、少しづつ運び入れた自分の鎧と武具だ。あの台風による倒壊の後も巧妙に主の目からも隠し通した。徳川からは腰の大小や護身用の槍は許されたが、具足を持つことはは禁じられていたのだ。
 赤威しの軽量に作った二枚胴で草摺りをつけ、袴の上から脛当てをし、肩は動きやすいように何もつけず、鉢形の兜に鉄の猿頬を締めた。矢立に鉄矢を数本入れ、六尺(180センチ)の素槍を持ち、雨の中に駆け出した。
 彼が行った後、幸村が何事かと雨戸を開け、雨の闇に目を凝らしたが何も見えずまた閉めた。

 佐助は大嵐の後、政海と分かれた古刹で身繕いをしていた。これまでは転々と隠れ場所を変え、出来るだけここには近づかなかったが、幸村をつけ狙う最後の夜に、雨を避け具足を整えるためにここに入った。無意識にここを選んでいた。用意が出来ればすぐさま、堂を走り出て崖を駆け下り、幸村の庵の前にいるはずだ。
 あのときのように皮の下帯、黒の丈の短い半袖小袖に脛当て、軽い鎖帷子を肌に着けた。閉めた堂の戸の破れ目から入った風が蝋燭の火を揺らす。外の雨は激しさを増してきた。
 草鞋の紐をしっかり堅結びして余剰を切った。
 佐助は大刀の目貫に唾をつけた。外に出ればどうせ濡れる事に気づき、ふっと微笑む。
 戸を開け、縁に出る。どしゃぶりの雨が古刹の屋根から溜まり滝のように落ちている。
 すうと息を吸って刺客の顔になる。階段を一段降りながら大刀を腰に刺そうとした。背後の風に乱れる灯火が佐助の体を浮き出させた。

 その時、激しく落ちる雨に叩かれる茂みの中から、黒いものが凄まじい勢いで飛んできた!
 佐助は本能的に刀の鞘で打ち落とそうとした。ただの放たれた矢であったら佐助の天才的な運動神経の前には簡単に外されるか、はらわれただろう。
 しかしこの時飛んできたのは、憎しみを込めて三人張りの強弓から放たれた鉄の矢羽だった。
「あうっ!」
 叩かれてもまだ鉄の矢は方向を変えず、佐助の右の腿にぐさと刺さった!
 刺さった鉄の矢を引き抜こうとするが、鋭い戻しが付いた矢羽はどうすることも出来ない!
 茂みから黒い人影が走り出た。ものすごい勢いで突進して来る。佐助は大刀を抜こうとしたが、その右肩に素槍が刺さるほうが先だった!
 佐助は叫びを上げて槍の柄を左手で掴み、押し戻した。大刀を黒い魔物に投げつけ、恐怖に駆られ、右足を引きずりながらも四つんばいで堂の中に逃げ込む。すでにまともに立つことも出来ない。
 手ごたえを十分覚えた黒い巨大な影は、ゆっくりと佐助を追って堂に入り戸を閉めた。

 堂の隅まで這って辿り着いた佐助は壁に身を擦り付け、傷ついた右肩と右腿を前に向け、左肩を壁に付けてこちらを向いた。這った道には血の跡が。のびやかな足の腿に刺さった矢が佐助の移動の自由を奪っていた。
 燭台の明かりが魔物を浮かび上がらせた。
「・・・政海・・・」
 佐助は、上目で鎧に身を固めた政海を見て、、痛みを堪えながらも懐かしそうに笑った。以前のように心を許しあった時のような甘えた声で、
「・・・なんじゃ、熊でも狩るのか?鉄弓と槍とは」
 政海は憎憎しげに佐助を見下ろし、
「こうでもせねばお前は討てぬ!」
「そうか。遂にお前の言うところになったな。もう、これでは手向かいは出来ぬ。俺に地獄の苦しみを味合わせるのだろう?」
 政海は腰を落とすと佐助の顔に近づいて、
「そうじゃ。これからお前が死んだほうがよいと思うような苦しみをたっぷり味あわせてやる。儂があの時味わった苦しみをな」

 佐助は小悪魔のような顔をして言った。
「・・・なら、この矢を抜いて傷を縛れ」
「なに?」
「・・・このままでは血がすぐ失われてしまう。長くは楽しめんぞ」
 政海は苦笑して、
「何かまた企んでいるのか。良いだろう。今ここで殺してくれ、と願わなかったことを後悔させてやろう」
 政海は鉄矢を容赦なく引き抜いた。
 手向かいなぞさせるものか!
 小賢しい計略なぞ、もう鬼となった儂に二度と通ずるものか!
 佐助は叫んだ。腿の傷口は広がりどくどくと血が吹き出る。持っていた皮紐できつく傷を巻いて押さえた。そして容赦なく佐助の小袖と具足、鎖帷子を剥ぎ取った。皮下帯も剥ぎ取り、その腰の皮紐で両手を後ろに回しぎりぎりと固く縛った。関節に巻いたので刃物で皮紐を切る以外は自由になる術は無かった。
「もう解く必要もなかろう!」
 これで佐助の奸計をなきものにしたと政海は思った。儂をまたたぶらかし、喉笛にでも食らいつく算段だったのだろう。
 全裸で戒められ、弱って息を浅く突く佐助の前で政海は鎧を脱いでいった。下帯を最後に取り去るとその一物は天を仰ぐように勃起している。
 佐助はびっくりしたように下からそれを見た。
「・・・どうじゃ、これをお前に抉りいれる夢を夜が来るたびに見ておった。・・・怖いか?」
 佐助は目に恐れを写して目をそむけた。政海はあの甘美なひと時を思い出した。だが、許すことは出来ぬ!
 ・・・ただ一度だけ機会をやろう。

「・・・誰がお前を送り込んだのだ?・・・言えば苦しまぬように殺してやる」
 今度は佐助の目に不敵さが戻った。
「はは・・・やはりお前は甘いな。そんなことでお前をこけにした俺を許すのか!」
「な、なにを言うか!」
 佐助はきっと政海を睨み、
「よいか!俺は刺客じゃ!そんなこと、死んでも言うか!」
「おのれ!」
 送り込んだ者は徳川に決まっている。せっかく与えた温情を馬鹿にしたような返事をした佐助に、政海は理性をかなぐり捨てた。
 こやつは本当に儂を謀っただけなのだ!
 儂に抱きついて心を許したふりをして、その奥底では儂の人の良さを蔑んでいたのだ!政海の目は、美しい獲物を殺す前にいたぶり尽くし、性欲を満たそうという陰獣のものになっていた。
 唾を吐きそれを一物に擦り付けると、佐助をうつ伏せにしてその腰を掴み、膝を折らせた。をんなのものとも見まごうような、ふっくらとした尻の全てが鬼と化した政海の目の前にある。政海はあまりの興奮に目が眩んだ。
 思う存分玩もてあそんでやろう。犬畜生の様な姿でな。
 そして蕾に押し入れた!
 佐助は絶叫した。
「あ、あ!ぐ・・・」
「どうじゃ!儂のような阿呆に犯されるということは!どんな気持ちじゃ!」
 佐助は頭を板間に擦り付けて身を捩った。半分解けた長い黒髪が床に落ちる。だが、喘ぐだけで何も言わない。
「儂の臭い口でお前の口を吸ってやろう!稚児の味とはどんなじゃろうな!」
 政海は佐助の身を後ろから起こし首を向けさせた。さらに戒められた左腕の肩を右に捻ると、柔軟な身体の佐助の胸がこちらに回る。だが、貫かれた下半身はあちらを向いたままだ。
 佐助は口を半開きにして激しく息をしている。だが、反抗してくる気配はない。政海は警戒しながら口を佐助の口に近づけた。佐助の甘い息が顔に掛かる。政海は猛然と口を吸った。
 長い髪のもとどり近くを掴み、首を掴んで佐助の口に無理やり自分の舌を押し込む。舌を噛み切られても構わぬ、それでも犯し抜いてやる!
 かつて焦がれて大切に思った少年に劣情の楔を打ち込み、口を思う存分吸う悪魔的な快楽に、政海は激しく腰を動かしだした。
「ん・・・んんっ!うーっ!」
 佐助は両手を戒められ、口をふさがれ内臓の中をかき回される感覚に身悶えした。政海はしっかと首を抱き放さない。
 政海の動きが終局に向かう時、急に滑りが良くなった!
 生暖かいものが股間に広がった!政海はかつてない快楽に突き上げられ長い射精を佐助の中に行った。
 ぐったりした佐助にまた入り、今度は乳首を弄り、執拗に吸いかじった。佐助は悶えた。

 長い時間が過ぎ、政海の憎しみによる欲情がようやく萎えた。燭台のほのかな灯りに汗にまみれた若い肉体が横たわり、肩と足だけではなく尻からも流れ出る血潮がどす黒く写る。
 政海はしばらく放心して佐助を見ていた。

 ・・・いくら憎いからと言って儂は何をやってしまったのではないか?
 この瀕死の若者を身動きも出来ぬように縛りさらに辱め、苦しみの中に息を引き取らせるなど、戦場を駆け巡る武士もののふのやることであろうか?

 後ろ手を高くぎりと縛られ横向きに横たわる佐助の激しかった息が、次第に緩やかになってくる。
 政海はここまで辱められなぜ佐助が何も言わないのか、殺してくれと哀願もしないのか不思議だった。
 武芸を極めたの子が儂のような醜い男に散々犯され、苦しいとは思わぬのか?仏法の深淵で、高貴な稚児として一時は育てられたなら、儂に赦しを乞うことなど、佐助にとって穢わらしいことなのだろうか?
 そうならば、儂のしたことなど、自分の汚さを曝け出しただけだ。佐助の心は、わしの憎悪の地獄など相手にせぬほど高貴なのだろうか?

 政海の心に畏れが生じた。

 かつて佐助が自分を見る目を見て、煩悩が見透かされるのではないかと思った不安が蘇った。闇に棲む刺客なのに、なんと清らかな目をしていたことか!

 それにも増して、かつて愛おしく思った者の命が、失われようとしているという喪失感が突然、襲ってきた。
 思わず佐助を胸に抱き起こし、
「お、おい、佐助!起きろ!」
 佐助は揺り動かされてゆっくりと目を開けた。空ろな目をさ迷わせたが、政海の顔を見つけて小さく言った。
「・・・やっぱり政海は優しいな」
「な・・・?」
「最後にこうして抱いてくれた」
 政海は仰天の相で佐助を見た。
 蒼白な顔で優しく微笑む菩薩を観た。
「・・・騙してごめん」
 佐助は眠るように目を閉じた。
「・・・お、おい!佐助!・・・目を醒ませ!」
 政海は唸り声をあげて佐助の戒めを脇差しで切り、脱ぎ捨てた自分の小袖に佐助を包むと抱きかかえ、雨の中に飛び出した。

 幸村は目を覚ました。雨の音に紛れて自分を呼ぶ声がする。夜具を跳ね除け、雨戸を開けた。
 そこには半裸で何かを抱きかかえた男が蹲っていた。燭台を翳して、
「・・・政海か?・・・それは何だ?」
 暗闇に目を凝らすとむくろのようだ。悟った。
「・・・それは佐助か!生きているのか?」
 政海は腹から泣くような声を出した。
「幸村さま!・・・どうか・・・止めさせます!刺客を辞めさせます・・・だから・・・佐助をお許しください・・・!」
 幸村は雨の中を地面に裸足で降りた。抱いているのが佐助であることを確認すると、びしょ濡れになって涙と鼻水を垂らしている政海の頭を打った。
「馬鹿者!まず、人としてすべきことをせよ!」
 政海は電撃を受けたように身体を強ばらせたが、はっとして佐助を抱いたまま立ち上がった。彼らは厨房の土間に入ると窯に火をつけ湯を炊いた。布団に大量の古着や布を持ってきて佐助の体を拭いた。
 腕に付いたむごい戒めの跡や足の傷、臀部の裂傷を見て幸村は政海を見た。政海は消え入るように言った。
「・・・儂は獣になりました・・・」
 幸村は厳しく命じた。
「よいか、佐助を死なすな。お前のしたことは人のするべきことではない。どんな理由があっても佐助を救え!それがお前のするべきことじゃ」



 五、帰依

 佐助は目を覚ました。枕元の政海が笑った。
「・・・これを飲め」
 政海は木匙に堅魚(鰹節の前身)を煮込んだ汁を佐助の口に運んだ。一口ごとに腹に染み込み失った血液になるような感じだ。
 食事が終わると、ほっと一息突いた佐助に記憶が蘇ってきた。佐助は憮然と政海に言った。
「・・・なぜ助ける。俺に地獄の苦しみを味あわせて殺すのではないのか?」
「・・・お前はもう刺客ではない。幸村様のお許しを貰った。刺客はもう辞めるのだ」
 佐助はきょとんとして聞いていたが、軽蔑したような顔をして、
「お前は馬鹿か!お人好しだと思ってはいたが、ここまで阿呆とは知らなんだ!」
「な、なんだと!」
「俺は生まれながらの人殺しだ!この体で幾人もの敵を血祭りにしてきた!閨で相手の舌を噛み切ったこともある!俺が刺客を辞めますと言ったらお前は信じるのか!飯に毒を入れるかも知れぬぞ!」
 政海は絶句した。
 佐助は卑屈に笑うと、小悪魔のように言った。
「・・・俺を助けるのはまだ抱き足りないからじゃろ?」
「そ、そんなことは!」
「俺に惚れているんじゃろ!」
 政海は素直に言った。
「・・・あ、ああ、そうじゃ」
「じゃ、俺の手足を切り落とし厠にでも繋いでおけ!お前が好きなときに相手してやる!」
「そ!そのようなことが出来るか!」
「俺がまた、幸村様を狙ってもよいのか!俺は血にまみれておる!そんな穢れた者を赦すなどと馬鹿じゃ!」
 佐助は絶叫した。
「俺は加藤清正様を殺した!それでも俺を許すのか!」
「な・・・なんと!」
「だから殺せ!俺は人などではない!犬畜生以下の者じゃ!」
 佐助の目には必死の涙が流れていた。その涙はあくまで清らかだった。そんな者に天は何故これほどの因業を課すのか!
 政海はどう説得すればよいのか分からなかった。佐助は回復する前に殺すか手足を切れと言って睨んだ。それまで自分を存分に嬲り抱けとも。なぜそこまで自らを嫌う?命を惜しまぬ?佐助は人として生まれたのではないのか?佐助の過去には儂の想像も及ばぬ暗い陰がある!
 政海は何も言わず佐助を見ていた。決心をしていた。

 その翌朝、下女に膳を持たせ、幸村が佐助の寝ている部屋に来た。佐助は体を強ばらせ、起きあがろうとしたが傷の痛みで出来ず、左足だけ曲げて布団の上で首を垂れた。
「・・・佐助。よい。寝ておれ」
 暖かく低い声だった。だが、佐助は幸村を睨んだ。
「なぜ俺を・・・お命を狙った者の手当なぞさせるのです?誰が俺を送ったかなぞ聞く必要があるのですか?」
「政海がお前を救ったのだ・・・」
「俺のような闇の者なぞに情けを掛けられるなど、幸村様のような大身のお方には、あってはならぬこと。その油断が命取りになります!」
 佐助はこんなことを言っている自分が信じられなかった。しかし刺客としての自分がもう死んだという想いが、心の言葉を吐かせていた。また、幸村の大きさが、小さな自分を庇護していてくれるという、刺客としては決して許されぬ安らぎを感じさせていた。
「・・・はは、これは一本取られたな」
「・・・政海に俺を殺すか、刀を持てぬようにして慰めにでもしろと命令して下さい!俺は・・・体が治れば幸村様のお命をまた狙いまする!」
「我らはそのようなことはせぬ!」
 一瞬厳しい声の幸村に佐助は顔を上げた。
 そこには戦に望む武将の顔があった。だが、その目は深い慈愛が映っていた。佐助は思わずその目を見た。
 慶長五年、幾万の敵に囲まれながら従容として軍配を振り、父昌幸と共に関ヶ原に急ぐ徳川秀忠を苦しめた男。そのためには、配下全てが幸村を信じて戦ったはずだ。あの家康でさえも殺すのは惜しいと、敢えて信之の嘆願を受け入れさせた男!だが、家康側に靡く様子はなく、幸村を憎む征夷大将軍となった秀忠の家臣が佐助を送ったのだ。
 幸村は人が命を捧げても良いと思わせる「将」の器を持っていた。話には聞いていたが、はじめてその意味を悟った。「掟」に縛られる自分達とは別の「信義」の世界に生きる男だ。
「佐助・・・お前はお前の『義』があるであろうが、今少し儂に時間をくれぬか」
「・・・?」
「人間五十年・・・そのなかで出来ることは少ない。儂は幸か不幸か武士の頭領の子として生まれた。儂は家の名誉を守り、太閤様に受けた恩義を返さねばならぬ。だが、兄の後に徳川に付いて命を長らえたでは家名を守りたるとは言えぬ」
 佐助には意味が分からなかった。
「・・・人の言うこと、どうでもよいではありませぬか?」
「口さがない輩の言うことなどどうでもよい。後の代の信之の真田家のことじゃ。信之と袂を分かつた祖先の豊臣譜代、真田昌幸、幸村が一点の裏心無くこの世を去ること、それが肝心じゃ。それでこそ、おおあいつ等はまっこと武士の頭領であった、その血を信之の真田は継いでいると言われるのじゃ」
 佐助は思わず叫んだ。
「命は惜しくないのですか!」
 幸村はただ驚きの目を大きく開けた佐助に微笑んだ。
「武士の命は本来、土地にある。そこを守り抜いてこそ家と人がある。儂等が死んでも家を継ぐ者が或る限り、武士の本懐が成就されるのだ」
 佐助はあたら知ることはなかった秘密を覗いたような気になった。武士であっても保身と命乞いをする者達もいるのに・・・
 幸村は言葉を継いだ。
「一人では出来ぬ。儂の家来はそんな儂等に付いてきてくれる。・・・儂は、政海や、今は浪人や百姓をして儂を待っていてくれる家来がまっこと可愛くてしょうがない」
 幸村は顎髭をすうと撫でると、
「そしてお前のように、使命を全うしようと真摯に生きている者も可愛い。儂等の生き方と同じじゃ」

 幸村は立ち上がり、去る前に言った。
「政海はお前に赤揃えの鎧を着せて一緒に戦いたいと言っておった。お前のような者がおれば、儂も心強いが」

 佐助は考えていた。真の侍の本願は、刺客のけがれた刀が触れることなぞ出来ぬほど高い。それに俺なぞが真田の赤鎧を着て戦場に出ることなど、許されるわけがない。俺は道理に適うはずもない暗殺を繰り返してきた虫けらなのだ。

 根来寺で稚児の躾を受けたが、佐助の類い希な容姿に魅せられた教育係の僧達に性の奴隷にされた。幼心に覚えた恋心を裏切られ、彼らを殺し、塔頭たっちゅうに火を付けて逃げた。そして、殺されるところを根来の忍びのをさに助けられ、刺客の道に入った。
 今でも殺した僧や暗殺した者達に追われる夢を見る。俺はどうしようもなく血で穢れているのだ。
 だが、追われて逃げ惑っているときに夢中に現れた政海に抱きついたとき、安心感に包まれた・・・!

 その日も翌日も政海はいなかった。下女に尋ねてもさあと言う。
 佐助は寂しかった。
 幸村への答えを一緒に探して欲しかった。

 右足を伸ばして起きあがり座れるようになった朝に聞き覚えのある足音がした。
 待ちかねて廊下を見ていた佐助の前に現れた政海を見て驚いた。
 政海の頭の髪はすっかり剃られ、小袖の上に麻の薄い袈裟を着て首には大粒の数珠が掛かっている。
「・・・どうしたんじゃ!それは・・・」
 政海は恥ずかしそうに頭を撫でると、
「高野山に行って大乗戒(大乗仏教〔日本の仏教は全て大乗仏教〕の戒律)を受けて来た。これからは在家の修行僧じゃ」
「な、なんでじゃ!出家など!」
 政海は佐助の前に座ると深く優しい目で佐助を見た。
「・・・儂はお前を苦海から救おうと思う。お前の罪と、儂がお前に犯した罪を贖おうと思う」
 佐助は目を大きくして政海を見ていた。つつと一筋涙を流した。そしてわっと政海に抱きついた。
「佐助、儂は今から三好清海入道と名乗る。お前も真田の家人として働くか?」


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