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少年の体験を妄想と片づける向坂。母親との核心を聞き出そうとするが……
第29話 オカルト
「入れますよ、保健室の中」
 少年はポツリと言った。それは低く、囁くような呟きだった。
 向坂は刹那、言葉を失った。
 この期に及んでまだ―――おどろきと腹立ち。
「無意識は時空を相対化する―――しかも外在化して物理的なつながりをもつ―――だとすれば、主観は客観であり、心的内容は物理的内容でもありうる」
 少年は伏せていた目をあげ、はっきりした口調でそう言った。
 詩的空想(シメール)は時と空間をこえて私の心に働きかける―――高野禎文の言葉がよみがえる。
「……バカな!」
 向坂は声を詰まらせた。
「君はユングの説を曲解しているだけだ」
 向坂は人差し指の爪を向けて少年を指弾した。
「あれは夢の性質をいいあらわしているにすぎない。夢の中では時間の流れも空間の隔たりも存在しない―――幻覚や妄想もそれと同じ性質をもっている」
「ちがいますよ、先生」
 少年の目にかすかに嘲りの色が浮かんだ。
「人間の無意識は何らかの意味を伴う外的な出来事と結びついているんです。それを物理的なあらわれと呼ぶなら、そう呼んでもいい」
 少年の背後に不吉な影がよぎった。足元から立ち上がろうとするそれが、次第に面接室全体に広がってゆくような感覚に、向坂はうそ寒いものを覚えた。
「ユングはそれを知っていた。人間の無意識的な意志や期待が物理的な作用力に置き換えられることを。ポルターガイストやホーンティング……ユングはそれらをすべて無意識が惹き起こす現象だと考えたんです」
 偉大なる神秘家としてのユング、その横顔が不気味に浮かび上がり、少年のそれと重なった。
「主体内部の無意識が客体となって外部のものとして知覚される――― 一種の投影。だが、それは単なる思い込みではない」
 少年は言った。
「投影された心の内容は実際に何らかの現象を招き寄せるんです。心的がそれを惹き起こすのか、それが心を惹きつけるのか―――たぶん、その両方」
 次第にその全体像をあらわしてゆく少年の心の宇宙―――無数の星辰(ほし)たちの輝きに彩られ、灼熱の炎のきらめく荘厳な獣帯(ゾディアック)……
「個人の心理的世界の出来事がそのまま外部の出来事とつながっているのなら、あの時間、僕が保健室にいたという主観的な事実は、客観的な事実でもありうるんです」
「オカルトだ」
 向坂は言った。
「君の言っていることは全部、オカルトだ」

 その語尾がかすれた。

                                     第29話 終



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少年の語る魔術的世界観、そして高野禎文の言葉の真意とは……
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