警告
この作品は<R-18>です。
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8・傷
はつは口を閉ざし、重い足を引きずるように運んでいた。
真理谷は後悔していた。
思わず何も考えないではつを抱きしめてしまった。そんなことをしても答えは出ないのに。はつはどう思っただろうか。
「ねえ、はつ」
数分後、重い沈黙に耐えかねて真理谷が声をかけた。
「決めたから!」
はつがそれを遮った。吹っ切れたような妙に明るい声だった。
「な、なに?」
今時の十代の娘が何を考えているのか見当もつかない。
はつの意外な態度に、真理谷は何を言われるのかとびくびくしながら聞き返した。
はつは足を止めて真理谷の前に道をふさぐように立ち、真理谷を睨むように見上げて、真一文字に閉めていた口を開いた。
「マリアの生活を健全にする!」
「へ?」
真理谷は宇宙人でも見るように、はつの顔を覗き込んだ。
ついていけない。真理谷には理解不能な思考回路。びっくり箱のようなはつ。ときにはそれも面白く、適度な新鮮さを真理谷に与えてくれるのだが、今はただただ唖然としてしまった。
はつは私が正しいのだとばかりに、子供を諭す母親のように腰に手を当てて胸を張り、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
真理谷はぽかんと口を半開きにして固まってしまった。
はつはそのまま演説めいた口調で真理谷に説教をし始めたのだが、はつのお小言は真理谷にまったく聞こえていなかった。はつをただぼおっと見つめていたのだ。
真理谷を見つめるはつの真剣な眼差し。
一点の曇りもない澄んだ瞳には、夜のネオンがきらきらと映っている。猥雑な夜の街もはつの瞳に映ると星屑のように美しいから不思議だ。
ノースリーブから見えているふっくらした白い二の腕が、幼くもあり、なまめかしくもあり。話すたびに上下するまだ成熟しきっていない胸元。三分丈の短いスパッツから伸びる、やや肉付の良い健康的な足。はつの発展途上の肢体は、今まで真理谷が肌を重ねた女性たちのような豊潤な肉体は持ち合わせていないのだが、思わず惹きつけられる不思議な魅力がある。
真理谷の視線は無意識に下りていき、はつの露出された肌に注がれていた。はつの若さに当てられたようにうっとりと魅入ってしまったのだ。
真理谷は頭の中ではつを抱き寄せてその肌に唇を当て、胸元に指を這わせていた。はつの淫らな喘ぎ声を想像していた。
「マリア? な、なによ。ちゃんときいてるの?」
真理谷の視線に気がついたはつは、一瞬、動揺を見せて、胸元を隠すように腕組をしたのだが、すぐにもとの調子に戻って口を尖らせた。
「ああ、ごめん。飲んだ後に全力疾走したから、酔いが回ったのかも……」
妄想から現実に引き戻された真理谷は、自嘲的な笑いを浮かべてごまかした。
「馬鹿! 人が真面目に話してるのに」
はつの口は、まだ尖っている。
これ以上不毛な話をしたくない。
仕事を終えたホステス風の濃い化粧をした女たちが奇異な目で二人を見て通り過ぎていった。
路上に散乱した塵が目に付く。ネオンも薄れ、空も白み始めてきたようだ。
「もういいから、帰ろう」
「待って!」
歩き始めようとした真理谷のシャツを、はつが引っ張った。
「まだ話は終わってない。こんなこと繰り返していたらマリアはいつまでたっても幸せになれないじゃない。目先の快楽におぼれちゃだめ」
はつは顔を上げて真剣な瞳を真理谷に向けた。
「快楽って、すごい表現……」
真理谷は大げさに笑って茶化した。
それでもはつは負けじと続きを話そうとする。
「本当に好きな人と――」
「ちょっと待って。私はね、そのときそのときでそのこのことを本気で好きだと思ってる」
「そんなの嘘!」
「私のすべてを知ったようなことを言うな」
何がわかるというのだ。真理谷は頑なに意見を押し通そうとするはつにだんだん腹が立ってきた。
「だって、知ってるもの。……ほのかおねえちゃんのこと、まだ、好きなの?」
「なにをいってるんだか」
真理谷は白んできた空を仰いで、はき捨てるように言った。
真理谷は夏川ほのかのことを唐突に訊かれてうろたえていた。はつと同居を始めてから、はつの姉、夏川ほのかについて話をしたことはなかったのだ。
はつには隠していたが、はつは薄々二人のことを察していたのかも知れない。
真理谷には癒されない傷がある。その傷には未だ鋭利な鏡のかけらが食い込むように突き刺さり、取り除かれることはないのだ。
その深い傷口を突然刃物でえぐられたのだった。
真理谷は無理に口の端を上げて笑い、必死で平静を装うとした。うまくやり過ごしたいが、自分を守るための言葉が見つからない。
「ほのかおねえちゃんは、マリアのことが好きだった。はじめからそんな感じがしていた。お互いに好きだったんでしょ?」
夏川ほのかと同じ瞳で見上げるはつを、真理谷は直視できずに固く目を瞑った。
「マリアのこと、どうしようもない仕事ばかりして、女の人が好きだって公言している変な人だって。憎まれ口ばかりなのに、マリアのことを話すとき、ほのかお姉ちゃんはとっても楽しそうだった」
あの人の幸せを壊したのは私だ。私なんかと出会わなければ。
あのときのことがよみがえってくる。胸が押しつぶされる。真理谷は泣きそうになった。
これ以上聞きたくない。
「もういい。わかったから。はつは私が好きなんでしょ? 私もはつは好きだよ。それでいいでしょ?」
「どうでもいいような言い方をしないで!」
はつの言葉が真理谷をちくちくと刺した。
もういやだ。
「黙れ!」
真理谷は腕をはつの肩に伸ばして強引に体を引き寄せた。
気がつくと、衝動的に唇ではつの唇を塞いでいた。
これ以上何も聞きたくない。真理谷は何も考えたくなかった。
夜が明けた繁華街の街角は、祭りの後の薄汚れた塵の街だった。
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