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  鏡のかけら 作者:asami
28・事実
真理谷は立花数馬がすんなりと会ってくれるとは思っていなかった。そのため、アポをとるときはかなり気を使いながら丁重に電話を入れたのだった。
だが意外にも、立花数馬はすんなりと応諾した。
仕事が忙しいからという理由で休憩時間に十分ほどなら、という条件付きだったが。
そして昨日、会ったのだ。
ランチの時間ということもあり二十席程度の小さな喫茶店はほぼ満席だった。
こわばった顔つきで店の奥の席に座っていた立花数馬は、真理谷が五年前に会った時より体形が丸くなっていた。
 幸せ太りだろうかと真理谷は想像した。
 立花は今もほのかを引きずっているのだろうと勝手に思い込んでいた真理谷は、以前の精悍な雰囲気が微塵もない、マイホームパパといった感じの角の取れた立花に、拍子抜けしてしまった。
 夏川ほのかが亡くなってから一年後に、立花が会社の重役の娘と結婚したのだと人づてに聞いていた。婚約者を失って落ち込んでいる立花を支えた女性とのことだった。
 立花はそれなりに幸福な生活を送っていたのだろう。丸い顔の立花を見ていると、五年もの間、ずるずると過去を引きずっている自分は滑稽なのかもしれないと思った。だが、夏川ほのかがあれだけ思い悩んでいたのは一体誰のためだったのかと考え始めると、真理谷は簡単に幸せを手に入れた立花が、段々腹立たしくなったのだった。
「久しぶりです」
 さすがに笑顔を作ることはできなかったが、真理谷は苛立ちを隠し、当たり障りのない言葉をかけた。
 指定されたこの喫茶店は、立花の会社から歩いて十五分はかかりそうな場所にあった。知り合いに知られたくないのだろう。立花は背中を丸めてびくびくと辺りを窺うように喫茶店の中を見回してから、早口に応えた。
「訊きたいことがあるということですが、手短にお願いします。もう思い出したくないのです」
「すいません」
 真理谷は儀礼的に軽く頭を下げてから差向いに座った。
「夏川ほのかさんのことで――」
 真理谷が立花に訊きたいことなど、ほのかのこと以外にあるはずがない。立花もそう思って来たはずだろうが、やはりその名前を耳にすると一層緊張した顔つきになった。
 立花は動揺を隠すように珈琲カップを口に持っていった。
「――五年前のあの日、あなたも温泉に行きましたね」
 真理谷は単刀直入に言った。
 立花の目が、僅かに宙を泳いだのを、真理谷は見逃さなかった。
 即答できない立花に、真理谷がたたみ掛けようとしたところに、タイミング悪く店員が注文を取りに来た。
 真理谷は立花から視線を逸らさずに苛々と「珈琲」とだけ告げた。店員は察したように、軽く会釈して下がった。
 その間、立花の膝の上で握られていた拳は震えているようだった。
「車の中で、ほのかとどんな話をしたのですか」
 真理谷は躊躇せずに訊いた。
「私は――」
 口ごもった立花の声にかぶるようにして真理谷はその先を続けた。
「あなたと言い争いになったのでしょう。そして――」
「私はやってない!」
 立花が声を荒げて真理谷を遮った。
 身を前に乗り出すようにした立花は必死の形相だった。
「なにを、ですか」
 真理谷の冷静な問いかけに立花は我に返って、周囲を見回して上半身を引き、小声でこう続けた。
「あのとき、私は気が動転していた。ほのかは自殺だったと決めつけ、あなたが追い込んで殺したようなものだとあなたを責めてしまった。そのことは謝ります。ですが、あれは事故だったんです」
「そんなことを聞きたいわけじゃない。立花さん、ほのかが死んだとき、あなたはそこにいたのですね」
 立花は飲みかけの珈琲を見つめて黙った。自分の考えを整理しているようだった。真理谷は答えが返ってくるのを待った。
 店員が真理谷の前に珈琲を静かに置き、目礼して去った。
「私は、いなかった」
 そう答えた立花は、真理谷と視線を合せなかった。
「本当ですね」
「……嘘は言ってない」
「では、死ぬ直前に会っていますね」
「……」
 返事はなかったが、青ざめた顔で膝元を凝視している立花の態度は、肯定しているも同然だった。
 あと一息で立花は口を割るに違いない。
 真理谷は本当のところ、立花がほのかと一緒にいたという証拠は何もつかんでいなかった。ただ、ほのかが会っていたと考えられるのは立花しかいないという確信だけで突き進んでいた。何もかも知っている、もう逃げられないという脅威を見せつけるために、真理谷は毅然とした厳しい姿勢を崩さないようにしていたのだった。
 立花はそれを疑いもせず、確たる証拠を掴まれているのだと思い、深く息を吐いた後、観念したようにぼそぼそと呟いた。
「……まさか、あんなことになるとは。私だってショックだった。ようやくふっきれて安定した生活ができるようになったところだ。もう思い出したくない」
 忘れることができていたのか。そんなに簡単に、たった五年しか経っていないのに。立花は――。
「ほのかとの思い出は、何もないとでもいうの」
「過去よりも今が大事だ。今の生活を乱さないでくれ。そっとしておいてくれないか」
 立花は呻くように言った。
 だが、真理谷の冷ややかな瞳は変わらず、真理谷が引き下がりそうもないと思ったのか、立花はとうとう白状した。
「……確かに、あいつと会ったよ。でもすぐに別れた」
「詳しく話して」
「――あのとき、あいつはきちんと話をしたいと言って私を呼び出し、ドライブをしながら話をした。でも、喧嘩になってしまい、私は車を降りた。あとは知らない」
「警察に言わなかったのは? そのことをなぜ黙っていたの」
「……喧嘩して車を降りたと言っても、警察があらぬ疑いをかけるかもしれないと思ったから」
「殺しだと疑われるのではないかということか」
「違う! あれは事故だ!」
 立花は顔をあげて声を荒げたが、すぐに周囲を見回し、再び背を丸めて小さくなった。
 殺してはいない。
立花は嘘を言っていない。真理谷は直観的にそう感じた。
咄嗟に逆上しての殺害ならまだしも、用意周到に手回しをして、計画的に事故に見せかけて殺害するようなことを、この小心者の男ができるとは思えなかったのだ。
興奮ぎみの立花を落ち着かせるため、真理谷は極力穏やかに話しかけた。
「どんな話をして、喧嘩になったのですか」
「それは……」
 立花は再び口ごもった。
「……もういいだろう、これ以上話すことはない。妻の両親も同居しているし、もうすぐ二人目の子供も生まれる。このことで家を訪ねて来るようなまねは絶対にしないでくれ。妻はあんたとのごたごたは何も知らない」
 立花は妻に知られることを恐れている。夫の元婚約者が同性愛者で相手の女と三角関係にあったなどということが妻の耳に入りでもしたら、重役の父親にも良い印象を与えないと考えているのだろう。自分の出世にもひびき、幸福な家庭が一気に崩れ、今の家庭も地位も自分の手からするすると流れ落ちてしまうかもしれない。
 下手に出て穏やかに話をしようと気をつかったものの、この男は真理谷の気持を踏みにじるばかりだった。
 真理谷は自分の目の前に座る、緊張感のない風貌になった男を睨みつけた。
ほのかの存在は、その程度のものだったのか。
 真理谷の胸に再び苛立ちが沸き上がってきたのだ。
 こんな男の為にほのかを諦め、息苦しい思いをしながら悩み、別れを考えた自分はいったい何だったのか。
この程度の男の為に! 
温かい家庭などぶち壊しにしてやろうか。
あなたの夫は婚約者を女に寝取られて、その腹いせに婚約者を殺しているかもしれないのだと妻に吹聴したらどうなるだろう。
真理谷は鋭い目つきで立花を仕留めていた。
その怒りは立花に伝わったに違いない。このままでは真理谷に何をされるかわからないとでも思ったのだろう。立花は慌ててこう付け足した。
「待て、思い出したことはすべて話す。だからことを荒立てないでくれ」
その言葉を聞き、真理谷は辛うじて出かかった脅し文句を飲み込んだ。
「では、喧嘩の原因は?」
「……あんたのことで、口論になった」
「どんな?」
「あいつは、あんたのことを忘れられないと言った」
「え?」
「結婚は――なかったことにしてくれと、言ったんだ」
 立花は一層肩を落として小さくなったのだった。
 真理谷は意外な話に、声をなくしたのだった。


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