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  鏡のかけら 作者:asami
23・過ち
 事故の後、姉の代わりに保護者になると言ったあの日から、マリアは変わった。
投げやりな毎日。犯罪すれすれの危険な仕事ばかり請け負って、わざと自分を痛めつけているようだった。
 だからあのとき決めたのだ。はつはマリアを守るのだと。姉の事故を背負ってしまったマリアが、粉々に壊れてしまわないように、そっと包み込んであげるのだと。
 ――違う、そんな偽善的なことじゃない。
 はつは心の中で否定する。
マリアのことが会ったときから好きだったからだ。
 姉がこの世からいなくなってしまったとわかったとき、真っ先にマリアのことを考えてしまった。もしかして、マリアが自分に振り向いてくれるかもしれないと。
 姉思いの妹ではない。姉を妬んでいたのだ。あの優しい眼差しを自分に向けてほしいと思っていたのだ。
 手に入れられるのであれば、どんなマリアであっても自分のものにしたいと思ったのだ。
はつの胸の中にドロドロとしたものがずっと渦巻いていたのだった。
 マリアの傍にいたい。それだけでいい。
 しかし、欲望は留まらなかった。次に、少しでも自分の方を向いてほしくなった。
 もっと、もっと。マリア、こっちを見て。
 どうしようもなかった。はつは自分を止められなかった。
「私、馬鹿だ。でも、マリアが悪いの」
 はつはぽつりと呟いた。
 生ぬるい風が窓から僅かばかり入り、はつの頬を触った。
 誰かに口を塞がれているような息苦しい夜。それは、暑さのせいだけではないことを、はつは自覚していた。

 真理谷は自己嫌悪に陥りながら、のろのろと自宅マンションに向かって歩いていた。
 いつまでもこの道が続いていたらいいのに。
 そんなことを思いながら、重い足を辛うじて前へ進めていた。
 早朝。空はもう白んでいた。
 光化学スモッグは相変わらず空を覆っている。曇天なのに煮えるような熱がアスファルトから伝わってくるような暑さだった。
 闇夜を這いずり回っている方がお似合いの、薄汚い仕事ばかりの自分には日差しは似合わないとでもいうように、真理谷は肩を丸めて縮こまって歩いていた。
 目的のためといえ、優花との情事を愉しんでいた。
 後悔するくらいであればやめればいいのにと自分でも思う。欲望に負けてしまう弱い自分がいるのだ。
「香津美のところに行こうか」
 すぐに香津美の怒る顔が浮かんできて、思いとどまった。
 何事もなかったように帰ればいいのだ。
 真理谷はそう思い直して、足を止めずに大股でずんずん進んだ。
 玄関の前で一呼吸おいて、真理谷ははつを起こさないようにそっとドアを開けた。
 だがそれは無駄な努力だった。
 はつは真理谷が玄関に足を踏み入れた途端に飛んできて、その胸に飛び込んだのだった。
おそらく、居間のソファにじっと座っていたのだろう。
 汚れた自分に触れてほしくなかった真理谷は、はつを引き離そうと肩に手をかけたがしっかりしがみついていて無理だった。
「はつ、寝てないの?」
「ううん、横になっていたよ。でも、暑くて少し前に起きたの」
 俯いていたので顔を確かめることはできなかったが、かなり前から起きていたに違いない。
「そう。エアコン買おうか」
「ちゃんと仕事して稼がないとね」
「そうだね」
 訊きたいことは沢山あるのに、当たり障りのないちぐはぐな会話をした。
「何か収穫はあったの」
「うん、まあまあ」
 何か引っかかることがあったのか、腕の中ではつの体が一瞬硬くなった感じがした。
「……あんまり、無理しないでね」
「わかった」
お互いに探り合いをしている感じだった。
 きっと、真理谷のシャツには優花の残り香があったことに気付いただろう。いつものはつであれば、真理谷を攻め立てるだろうに、何故だか追求しようとしなかった。
 真理谷は、はつの態度がぎこちないように感じた。
「何かあった?」
「ううん、別に……マリア、ぎゅっと抱きしめて」
 消え入りそうな声だった。
真理谷はそうしてあげなければはつが壊れてしまう気がして、言われるままに抱きしめた。
「もっと強く抱いて」
「苦しくなるでしょう」
「いいの、抱いて」
 抜け殻のような声。はつは一体どんな顔をしてそんなことを言っているのか。
真理谷は不安になり、はつの髪を撫ぜながらもう片方の手を頬にやって上を向かせようとしたが、その手が涙で濡れてはっとした。
「泣いているの?」
「気にしないで」
 はつは声を上げずに泣いていたのだ。
「ごめん、私がまた遅くに帰ってきて心配かけたから」
「違うの、ごめんなさい」
「どうしてはつが謝るの」
「ごめんなさい……マリア、好きなの。とっても、愛してる……」
「はつ?」
 真理谷はわけがわからなかったが、はつが何かに苦しんでいるということは伝わってきた。
「うん……ありがとう」
「嫌いにならないで」
「そんなこと、絶対ない」
「嘘でもいいから、一度だけでいいから、愛してるって言って」
 真理谷は戸惑った。こんなに苦しそうにしているはつは初めてだった。だが、ほのかのことを引きずっている今の自分でははつに応えられないこともよくわかっていた。
「きちんと面と向かって言える時が来たときに――」
「いや、お願い」
 真理谷はためらった。言葉の代わりに口づけをその額に落とした。
「違うの、ねえマリア――」
 真理谷は誤魔化すように、今度ははつの唇を塞いだ。頭をしっかりと押さえて、半ば強引に舌を絡ませて。
 やや抵抗していたはつの手は次第に力が抜けていき、だらりと下ろされた。
 これ以上不安になるようなことをはつに言われたくない。
真理谷は唇を離すことが出来ずに抱きしめ続けた。はつの両膝の力が抜けてよろけ、キスをしながら抱き合った状態で廊下の壁にはつを寄りかからせた。
 真理谷は小さく吐息をついた。
未成年者は眼中にないと公言してはつを蚊帳の外に置いていたのに、矛盾した行動をとっていると自覚しながら、うやむやに済ませたいずるい自分がいるのだ。後ろめたい気持ちがありながらも、止められなかった。
 はつは抵抗しなかった。
 されるがままに身を預け、息を荒くしている。
 それをいいことに、はつの涙の跡も消えぬ間に、また泣かせてしまうような中途半端な行動をとっているのだ。真理谷は、はつの悲しそうな瞳から逃れたいだけだった。
「マリア、嫌いにならないで」
 真理谷が唇を離すと、うわ言のようにそう繰り返して、はつの濡れた瞳からまた涙がこぼれた。
 聞きたくない言葉をかき消すように、また唇を塞いだ。
「悪いのは私だ。はつを不幸にしているのは私……」
 唇を離してそう呟いた真理谷に、はつは首を横に振った。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「何を謝っているの?」
「ごめ……」
 真理谷の問いかけが聞こえていないのか、はつはただ同じ言葉を繰り返した。
「もう、何も考えないで」
 はつの額に、優しく口づけを落としたが、ごめんなさい、嫌いにならないでの言葉は止まらなかった。
 見えないものに追われているような脅えかただった。
 いくら抱きしめてもはつは落ち着かない。
「好きなの、愛してる……」
 はつは濡れた瞳を真理谷に向けて苦しそうにそう繰り返しながら、片方の手をシャツの上に這わせて真理谷の胸を掴んだ。
「はつ……」
「お願い」
 いつもであれば撥ね退けてしまうのだろうが、はつの思いつめたような瞳に見つめられ、真理谷はされるがままになった。
「愛してるの……」
 シャツのボタンをはずすはつの手が震えていた。「いいよ、自分で脱ぐから」と微笑みながら優しく声をかけて、真理谷は自ら上半身をさらした。
「マリア、好き」
 真理谷の胸にはつが勢いよく顔をうずめ、その拍子に廊下の壁に真理谷の背中がついた。素肌に冷たい壁の感触が当たったせいか、はつの唇が乳房に触ったせいか、真理谷は一瞬びくりとした。
 はつのほっそりとした指がそろそろと乳房を這い、もう片方の手は真理谷の腰の辺りをぎこちなく探っていた。
 くすぐったいような感覚が続いたが、はつの生暖かい舌先が胸の頂を捉えたときには、真理谷は思わず声を漏らしそうになった。
「愛してるの」
 はつはそう囁きながら、自分のものだと確認するように、真理谷の乳房に舌を這わしていた。ぎこちない愛撫も、次第に真理谷を敏感にしていった。
 はつはジッパーを下ろして手を忍ばせ、真理谷の奥へと指を進めた。そろそろと震えるはつの指先は、焦らすようにゆっくりと動いた。
 初めて会った時は、幼い顔をした十三歳の少女だったのに。いつの間にこんなに大人びた表情を見せるようになったのか。
 恍惚となる頭の片隅で、はつの少女の顔と女の顔をすりあわせる。紅潮した頬、紅い舌が艶めかしく乳房をなぶっている女のはつ。少女ではない、愛を求める一人の女。
 一番大切な人。
 はつを想うと体の芯が熱くなっていった。
「あっ……」
 目眩がして真理谷は足の力が抜けそうになった。
「はつ、もう……」
「好きよ、大好き」
 はつは熱に浮かされたようにそう囁きながら真理谷の足元に屈んで真理谷のズボンと下着を下ろし、足の間に顔を埋めた。
 熱い感覚が真理谷を突きあげて全身を駆け巡った。真理谷の絶頂を更に求めようと、はつは指を押し入れて真理谷をかき乱した。
「はつ!」
膝を折るように座り込んで、真理谷は暫く火照った体ではつを抱きしめた。
「はつ、まだくらくらしてる」
「好きでいてくれる?」
「嫌いになるはずない」
 はつの瞳は涙が滲んでいてはまだいくらでも涙があふれ出しそうだった。
 身を預けてもはつの気が収まるとは思わなかったが、真理谷はほかにどうしたらよいのか思いつかなかった。案の定、はつはまだ泣いていた。堂々めぐりにしかならない。
 慰め方を知らない真理谷はまたその唇を塞ぐのだった。


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