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  鏡のかけら 作者:asami
16・悩殺(2)
 斉藤優花は可愛い女だ。
 言い寄られて悪い気はしなかったが、真理谷はこの手のタイプが苦手だった。それに、これ以上石津刑事の機嫌を損なうことになれば、これからの仕事にも支障が出てしまうだろう。石津刑事以外にも警察に数人の知り合いはいるのだが、警察とのパイプラインは大事なのだ。それはなんとしても避けたかった。
「いやだ、そんなに深刻な顔をしないでください」
 優花は悲しげに瞳を潤ませて、真理谷の肩に腕を回してにじり寄ったのだった。ふくよかな優花の胸元が真理谷の胸の下辺りに押し付けられた。
 そして、とても自然に、優花は瞳を閉じて真理谷の口付けを待った。
 おねだりされて、それを跳ね除ける真理谷ではなかった。ほとんど自動的に片手を優花の頬に添えて、その桜色の唇に吸い寄せられた。
 優花はキスに慣れているようだった。真理谷の唇をそっと受け止め、真理谷が離れようとようとしても、また唇を寄せて求めるのだった。
 柔らかく巧みに動く舌が真理谷を捉え、全てを知り尽くそうとでもしているような、深い口付けが続く。このままのめり込んで、どんどん追い詰められていくような感覚が真理谷を襲った。
後ずさりした拍子に、真理谷はよろけてしまいスチール製の棚に背中をぶつけた。
ギシリ。棚は耳障りな音を立てた。
 真理谷は警察署の一室だということを忘れそうだったが、辛うじて冷静さを取り戻し、弾む息を堪えながら、優花の両腕に手をかけて引き離した。
「優花ちゃん、今は、仕事中でしょう」
「じゃあ、夜だったらいい?」
 優花は潤んだ瞳で真理谷を見上げた。
「……石津とは、いい友達でいたい」
「石津さんは関係ないわ」
「そうはいかない」
「こんなに、どきどきしてる」
 優花はそう言って切なそうに真理谷を見つめ、真理谷の片手を自分の胸に押し当てた。手を介して、優花の鼓動が伝わってきた。
「私、誰にでもこんなことしない。初めて会ったのに、自分でもびっくりしているの。でも今こうしないと、真理谷さんが何処かへいなくなってしまいそうだもの」
「あ、あのね、私なんかよりもっといい人がたくさんいるでしょう」
 真理谷は圧倒されて、どぎまぎしていた。
「真理谷さんからキスしてくれたのにぃ」
「いや、それはちょっとした弾みで」
「ひど〜い!」
「ご、ごめん! 出直してくる!」
 優花のペースでことが運びそうになり怖くなった真理谷は、言い寄る優花を押しのけて資料室を出た。
追いかけてきた優花が何か言っていたようだが、真理谷は振り向きもしないで逃げるように廊下を走ったのだった。
「おい、何かあったのか」
「わっ! 石津刑事、脅かさないでくださいよ」
 真理谷は飛び上がった。廊下の角を曲がったところで、腕組をした石津刑事が怖い顔をして待ち構えていたのだ。
「何があったか教えろ」
「こんなところで油売っていていいんですか」
 軽口をたたいたつもりだったが、真理谷の顔は引きつっていた。
「おまえ、話し方が変だぞ。優花ちゃんに手を出したな!」
 真理谷が無意識のうちに、ですます調になっているのを石津は見逃さなかった。
「絶対大丈夫だから! じゃっ!」
 ポーカーフェイスを保てなかった真理谷は、早々に退散した。
 石津刑事は優花と何かあったと思ったに違いない。優花が石津に余計なことを言わなければいいが。
 真理谷は警察署をでてから、ため息を漏らした。
前途多難な調査の始まりだった。


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