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  鏡のかけら 作者:asami
13・依頼
「コロサレタ?」
 聞いたことのない外国語を繰り返すように、はつは機械的にその言葉を発音した。そして、言葉の意味をやっと理解したのか、はつの大きな瞳が、より大きく見開かれたのだった。
「病院で、立花はそう言ったよ」
 そう言いながら、真理谷はへらへらと笑った。
 はつに自分の弱いところを見せたくなかった。
「立花さんは本当にそんなことを言ったの?」
 はつは確認するように、ゆっくりと訊き返した。
「あの言葉は忘れようとしても忘れられない」
 深刻な言葉が口から吐き出されているのに、顔がどうしても笑ってしまうのだった。何もかも笑って済ませたいという自己防衛反応が働いてしまうのだ。はつの顔が曇るのを見たくない、さらりと流してしまいたい。
 だが、それを無視して、はつの言葉は容赦なく真理谷を問い詰めた。
「マリアは言い返さなかったの?」
「う、ん……」
横恋慕してしまったのだから、立花にそう思われても仕方ないことなのだ。真理谷は今も同じ気持ちだった。
「ばっかじゃない。あれは事故なの」
「あのほのかが、事故を起こすとは考えられない。自分から突っ込んだとしか……。私がほのかを自殺に追い詰めてしまった。だから、私が殺したといわれても――」
「ばっかじゃない!」
 はつはさっきよりも力を込めて否定した。
「お姉ちゃんが自分の命を粗末にすると思う? 誰よりも命を大事に思っていたのに」
「ほのかの車はかなりのスピードでガードレールに突っ込んでいた」
 目を瞑ると、あのときの山間の緩やかなカーブの道が鮮明に広がった。白い山に灰色の空。新雪が薄っすらと積もった雪道。ひしゃげた白いガードレール。ほのかの愛車は引き上げられてレッカー移動後だったが、紙のようにぐにゃりと曲がったガードレールは、衝突の激しさを物語っていた。
 病院に駆けつけた真理谷は立花に追い払われてしまい、ほのかに会うことができなかった。少しでもほのかに近づきたかった真理谷は、その足で事故現場に向かったのだった。そして、生々しい事故現場を目に焼き付けたのだった。
自分への戒めとして。
「私がほのかのことを精神的に追い詰めてしまったのは事実だ」
「そう思いたければ、そう思っていれば? でも、お姉ちゃんはそうやってうじうじしていても喜ばないわ!」
「そういうわけじゃない。立花が言ったことは事実だから、私は何も反論できなかった、ただその言葉を受け入れるしかなかっただけだ」
「立花さんは私にはそんなこと一つも言わなかった。温泉に出かけたのに、一緒に行けばこんなことにならなかったかもしれないって、自分を責めるようなことを口走っていたわ!」
「立花は私を責め立てて罵った。ほのかは自分の過ちを後悔して俺にすまないと謝った。俺はほのかを許したが、ほのかは自分を許せなかったのだ。だから、留守の間に黙って家を出て行ってしまった。ほのかが自殺したのは、お前がそこまで追い込んだせいだ。お前に殺されたのだ、と」
「違う! だって立花さんは事故だから仕方がないって。葬儀も警察でのやり取りも全て引き受けてくれて、はつちゃんは何も心配しないでって親切にしてくれて、いつまでも悲しんでいたらほのかが悲しむぞって励ましてくれて」
「……立花は……」
 真理谷は冷静に話しているつもりだったが、声が震えていた。頭の奥が凍っていくような感覚が、真理谷の思考を止めてしまい、その後の言葉が続かなかった。
 動揺しているはつを気遣う余裕など、真理谷にはまったくなかった。
「立花さんは真理谷とのことを知っていたけれど、ほのかと結婚したいから一時の迷いだと思いたい。でもどうするか決めるのはほのかだから、僕はじっと待つって」
 はつの言葉は冷たい響きを持って、真理谷に次々と突き刺さった。真理谷には責められているように聞こえたのだった。
「そう……」
 真理谷は薄っすらと笑みを浮かべた。
はつにこれ以上は反論できなかった。いづれにしても、横恋慕してほのかの将来を滅茶苦茶にしたには違いないのだ。
「どうして言い返さないの。マリアはそれでいいの?」
 はつは目を吊り上げた。
「だって、はつは立花を信じるでしょう」
「そういうことじゃない。私はそう聞いたといったの!」
 はつは苛々と真理谷を怒鳴りつけた。
過去をほじくり返したところで、嫌なことを思い出すだけだ。真理谷は押し黙った。
「わけがわからない! 立花さんはどうしてそんなことを?」
「もうよそう」
「だめよ」
「立花も動揺していたんだろう。憎まれ口のひとつも言いたくなるさ」
「でも、自殺だって言うなんておかしいじゃない! お姉ちゃんは絶対に自殺なんかしない」
「ごめん、私の聞き間違いかもしれない」
「そんなことありえない。マリアはしっかりと聞いているのだから」
 少し冷静になった真理谷は、はつの感情を逆撫でしないようにやさしく声をかけたのだが、はつは聞き入れなかった。
「どうしてマリアにそんなことを言ったのか立花さんに聞いてみる」
「やめたほうがいい。立花もそのことを思い出したくないだろうから」
「うやむやのままでいるから、マリアはいつまでたっても前へ進めないのよ」
「そんなつもりはないけれど」
「ううん。いつまでもうじうじと引きずっているもの」
 後ろ向きに生きているとは思わないが、前向きではないのも確かだった。
 真理谷は口をつぐんだ。
「私、マリアに依頼する。お姉ちゃんの死の真相をはっきりさせて」
「そんなことは警察が十分調べたはずだ」
「あのとき、情報は全て立花さんを通して聞いていた。もしかして事実と違うかもしれない。マリアの話を聞いて、そう感じたの。それに、事件性がなければ警察だってしっかりと調べていないかもしれない」
 確かにそうだ。単独事故として処理されたのであれば、簡単な現場検証しかされていない可能性が高い。だが、真理谷は躊躇していた。
ほのかは命を粗末にするような人間ではないことを真理谷はよく知っていたが、発作的に自殺することだって考えられる。結婚式間近で精神的に追い詰められていたのも確かなのだ。
 立花が未成年のはつを思いやって真実を伝えずに事故だったと伝えたのかもしれない。だとしたら、重たい現実をはつに突きつけることになるのだ。
 そして、真理谷も再びその事実を受け止めて向き合わなければいけないのだ。
 耐えられるのか。
「子供扱いしないで。どんな結果であれ真実を知りたいの」
 その考えを見透かしたように、はつは力強い視線を真理谷に向けてこう続けた。
「マリアのほうこそ、覚悟できないのでしょう?」
 心のうちを言い当てられて、真理谷は視線を逸らさないでいるのがやっとだった。
「ありのままを受け入れて、泣いたらいいの。私の胸を貸してあげるから。だからお願い、私の依頼を受けて」
 真っ直ぐなはつの眼差しは、同居し始めた頃より少し大人びたように見えた。
 はつは成長しているのだ。いつまでも成長できないのは自分のほうなのだと真理谷は思った。
 真理谷は小さくため息をつきながら前髪をかき上げて、小さく肯いた。
「わかった。引き受ける」
「有難う」
 はつはにっこりと笑った。