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第19話 二人の距離
「百萌、本当にありがとう」
「いいよぉお礼なんて。後でデートしてくれれば」
「それってねだってると思うんだけどな……。うん、でも何かお礼はするよ」
玄関まででいい、と柊言ったのだが、百萌は部屋まで死にぞこないを運んだ。一歩進むごとに、表情を引き攣らせる柊に、階段を上るなどという苦行がなせるわけがないと思ったのだ。それは見事に正解だったわけで、柊はもう苦笑するしかない。それに、柊の両親は仕事に出ていたために、百萌以外に手助けできる者も居なかった。
ベットを椅子のようにして腰掛けた柊は、百萌にもう一度お礼を言い、布団へと入ろうとする。
「シュウくん、シャワー浴びるなら、手伝おうか?」
「…………百萌、一応は女の子なんだから」
「一応って酷いっ! そうやってシュウくんは、ワタシにだけデリカシーが無いんだから!」
ぷりぷりと怒り出す幼馴染に、ベットに仰向けで寝転び、微笑を向けた。
「うん、何も遠慮がいらないから」
「女の子だって見るなら、もっと言い方を考えてもいいじゃんっ! シュウくんのバカァ!」
怒鳴る声でも、筋肉痛に響く。そんなの初めての体験だ。
柊はここまで運んでくれたことも思うと、やはり態度を改めようかと考えたが、幼い頃から共に過ごして来た人に今更そういうふうにするのも変に思えた。
「ごめんね。こんな、馬鹿で」
「いいよっ、シュウくんは昔からそうだもんっ。他の女の子は褒めても、ワタシも褒めたことなんて…………」
「百萌……?」
表情を曇らせて俯いた百萌に不安感が掻き立てられる。そんなに気にしているとは思わなかった。
ちゃんと謝ろう、そう思って真剣な顔を作った柊に、百萌が突き放すように言った。
「そんな状態じゃあ大変だと思うから、飲み物持って来るね」
どこか硬い声。相当に怒っているようだ。
返事を待たずに部屋を出て行ってしまった。
――やっぱり、気にしてるのかな?
幼馴染。そう一言で表すことが出来るが、その一言には濃密でたくさんのものが詰まっている。今まで過ごして来た長い時間、そのほとんどに百萌の姿があった。小学六年の頃、柊の母が再婚し夏凛が現れるまで二人でよく遊んだ。
柊には他に友達がいたし百萌にも友達は居た。でも二人ともお互いを優先させていた。友達付き合いが悪いという訳ではないが、どちらかと言われれば迷わず幼馴染を取った。
だが、夏凛が現れてからは百萌だけとの時間は極端に減った。少し寂しい気分がしたがそれでも新しく出来た妹、たとえ血が繋がらなくても大切な存在だ。金魚の糞のようにどこに行くにも付いてくる姿は愛おしいと思えた。
その時からだろうか、たまに百萌は不機嫌な様子をするようになった。年中そうしている訳ではないが、夏凛といると大概はそんな様子だ。
そして、事件は起こった。
百萌が駄々を捏ねる夏凛を柊の前でぶったのだ。力はそこまでこもっていないが、きっと精神的なショックが大きかったのだろう、夏凛は大泣きした。
柊は、その時に取った行動を今も後悔している。
『百萌、なにするんだっ! ……あっちいってろ!』
怒鳴り軽く突き飛ばした。
あの時の百萌は見捨てられた子犬のような瞳をしていた。
でも、幼い柊いや今でも、あの時の行動の真意を理解できていないのだ、到底わかってあげることは無理だったろう。
どんなに幼くても、百萌は女だった。夏凛にやきもちをやいていたのだ。
『シュウくん……』
寂しそうに寄って来る百萌にそれからしばらくの間、冷たく当たった記憶がある。
『僕に付いてくるのは勝手だけど、夏凛には近づくなっ』
そんなことまで言ってしまった。柊が冷たく当たると百萌は瞳に絶望を宿し、そのままふらふらと去っていく。
物悲しい後姿に同情は抱かなかった。夏凛をぶった理由がわからないから、謝ろうとしないから。
ある日、夏凛が柊に言った。
『お兄ちゃん、モモお姉ちゃんを許してあげて』
ぶたれた本人がそう言うんだ。柊に拒否する理由は無い。
だから、なんとか形だけは戻った。また一緒に行動を共にした。ただ一つ、心のすれ違いを残したまま……。
『シュウくん、シュウくん!』
満面の笑みを見せてくる百萌。柊は暗鬱な気分になる。
また行動を共にするようになってからは、変に思えるぐらいに百萌は明るく振舞った。最初は、柊との気まずさを誤魔化すものと思えたが、自然なやり取りができるようになってからも、百萌はその明るさを持ち続けた。
今でもそれは続いている。
一体なんのために、何の意味があるのか、それが柊には理解できない。
だから、今でもあの事を気にしてるのかなと思う。いまだ柊からは許す、という言葉は出ていない。それにあの事件以来、百萌を元気付けたり、褒めたりすることは無くなった気がする。
それは、もしかしたら意地だったのかもしれない。
微妙に冷たくして自分にも謝って欲しかった、またはねだってほしかったのかもしれない。実際にところは本人もわからず、きっと単純なことではないのだと思い、少しずつ長い年月をかけて考えてきた。
その結果があれだ。やはり、何かしら百萌は背負っている。
わかってやれないのはもどかしいし、なんとも切ない気がした……。
「あぁぁ……ワタシ、最低だよぉ……」
一段ずつ数えるようにして百萌は一階へと移動をしていた。
吐き捨てるようなセリフ、物凄く身勝手だったと自分自身で思うんだ、柊がそう思わないはずがない。
「うぅぅぅ……どうして、あんなこと……」
緩慢な動作を続ける百萌は、今日の行動に至った理由を考えていた。
最初に思いつくのは、柊から受けた、最初で最後の拒絶だ。
『百萌、なにするんだっ! ……あっちいってろ!』
余りに衝撃的で一瞬それを現実だと思えない自分がいた。でも柊の怒りに染まった顔を見て、それが真実なんだと遅れて理解する。
悪い事だとはわかっていた。でも柊ならそんな事をした自分を咎めはしてもすぐに許してくれると思っていた。今にして思えば甘えていたのかもしれない。
柊がどんな人間なのか、そんなもの知っていたはずだ。優劣をつけず誰しもを大切にする。それが柊だ。
なのに、あの時に抱いたのは柊の一番だった。夏凛よりも、誰よりも、自分を選んで欲しかった。そんな感情が暴走しあの行動に至ったわけだ。
結果は見ての通り惨敗。いや、大失敗というのが正しい。
柊はあの時の行動に関して恋愛感情などの計算を推し量っていなかった。
ただ、百萌が夏凛をぶった、それだけしかわからなかったに違いない。勉強はできても、そういうところに疎いのは、実にやきもきとさせられる。それがあの行動へと至ってしまった理由の一つに該当してしますのがなんとも言えない。
「うぅぅ……」
昔の話だ。柊が覚えている訳がない。百萌は、それが嬉しい事なのか悲しいことなのか、今一判断をつけられない。
でも……もし、覚えていたのなら、どう考えているのだろう? 柊は、何も思っただろう?
気になるが、それを聞くのは墓穴のように思えてならない。
「ワタシのバカァ……」
そんな思考が、どんどん気分を落ち込ませていく。
一階に辿り着いた頃には、もう何もかも嫌になりそうだった。
(どうして、ワタシ……あんなことしちゃったんだろう)
後悔。手遅れの過去。
あの日以来、柊は……どこか、百萌に対して一線を引いているように思える。
いっそすべて話して答えを出してしまおうか、百萌はそう考えたが、拒絶という未来の訪れを想像し、身震いすると共に深い絶望を抱いた。
「……体が疲れてるから、こんな…………マイナスに考えちゃうのかな」
何度も訪れた柊の家、どこに何があるかは把握している。キッチンへ行くと、コップや飲み物を載せるおぼんを用意し、飲み物は余り深く考えず麦茶にした。食器棚に並べられているプラスチック製のコップを一つ取り、麦茶と一緒におぼんに載せる。
まだ部屋に戻る気がしないが突っ立っていてもしょうがないので戻ることにした。
「……はぁ」
学校からの帰り道、体を密着させて内心ではあんなにはしゃいで、今はこうやって昔の事でうじうじと……。情緒不安定というか、起伏が激しい一日だ。
はぁ、ともう一度深くため息をついてから百萌は階段を上がり、二階に向かった。
百萌は二階の柊の部屋の前で、入ろうにも入れずにいた。
「ん? わかった。遅くなるんだね。気を付けて帰って来るんだよ……。あ、でも、それぐらいの時間になるともう真っ暗になるね。迎え、行こうか?」
柊が一人で喋っている……と、考えるのは現代人としてはずれている。あの感じだと、電話をしているんだ。雰囲気から察するに、相手は夏凛だ。
(お迎えか。ワタシが頼んだら、来るだろうか? ……きっと、よっぽどの事ではなければ断られるな)
これもあの日からの事だが、柊は百萌と二人っきりになるのを避けている節がある。あからさまにという訳でないが、避ける事ができるのなら、そうする。そういった感じに、夏凛が加わった、というのもあるがそれとは別に何かしらの理由で、二人だけになる時間は減った。
「帰り? 百萌が手伝ってくれたから、大丈夫だったよ。……え? …………居るけど、それがどうしたの?」
どんな会話をしているのだろう、とても気になる。
もう盗み聞きへの罪悪感よりも、内容への好奇心が勝っている。
「そうかな? ………………そうだね。でも、それが普通じゃないかな? それに、特別話す事も無いから。
……えっ? …………夏凛っ! あ、切れたか」
どうやら、電話は終了したようだが、今入るのはまずい、後少しだけ待ってから入ろう。
その場で二分ほど待ってから、百萌はドアノブを捻った。
「お待たせぇ」
出て行った時は、不機嫌な態度を取ってしまったが、今はまたいつもの笑顔で部屋へと入った。
「遅かったね。もしかして、コップとかの位置が変わったから、手間取らせちゃったかな」
柊の対応もいつも通りだった。
「えっ? あ、違うよ。ちょっと、ね。模様替えをしてから一度来たからそれは大丈夫だったよ」
「……あれ? ん、そうか」
柊は少しだけ思案し曖昧に頷いた。百萌は最後にここに来た日を忘れられていただけの事だったが、冷たい風が心を抜けていった。
頬に引き攣る感覚がある。それを隠すように、手に持ったおぼんを、ベットの横にある小物入れの上に、ライトスタンドを少しだけずらし乗せた。
「麦茶で大丈夫?」
「うん、ありがとう」
完全に横になっていた柊は、痛みを堪えながら体を起こした。
「注いでおく?」
「お願い」
麦茶が入った、二リットルのペットボトルのふたを開け、コップへと流し込んだ。それを体をやっとのことで起こし終えた柊へと手渡す。
「ありがとう」
柔和な笑顔でお礼を言い、柊はコップを受け取った。
百萌は、どんなことがあっても柊を嫌いになることはやっぱり無いのだろうなと思う。鈍感で、たまに何を考えているのかわからないこともあるけど、底無しの優しさを持ち、運動神経抜群、成績優秀、完璧だった。
でもあの事件の時に百萌は気付いた。
――シュウくんは、心から――――――。
「ここまでしてくれて、本当にありがとうね。もう、大丈夫だから、帰ってもいいよ」
柊の言葉は百萌に対しての時だけ余り配慮が見られない。そこから、普段の学校でのあそこまでの優しさはある程度は取り繕っているのだというのがわかる。
百萌は、床に座ったまま、帰ろうとしなかった。何かを考えるように、俯いている。
それから数秒して、俯く百萌の口がもごもごと動いた。
「…………シュウくん」
(ワタシは、なにを言おうと思ったの?)
「なに?」
幼馴染から向けられる、その微笑。
(ああ、そうなんだ。きっと、こんなうじうじとしている自分が嫌なんだ)
「……シュウくん」
もう一度、繰り返す。
目と目が合う。柊は真剣な表情をする百萌を見て戸惑った。
「ど、どうしたの?」
柊が一口もつけなかった麦茶をおぼんに置き、それっきり部屋の中で動きを見せる者は居なかった。
百萌は久し振りに誰にも邪魔されない二人っきりの時間が訪れたのだと気付いた。
戸惑い続け対応に困る柊に百萌は淡い笑みを浮かべた。
「シュウくん、今日のお礼、ワタシが希望するものでいい?」
「えっ……? それは、僕が叶えられる事ならいいよ。ってやっぱり、お礼が欲しかったんだね。またケーキか何か?」
以前に、百萌はある事で柊の手助けをし、お礼として『美味しいケーキ』と言った。そこから、あの時は本当に美味しそうに食べていたからまた食べたいのかなと柊は考えた。余りに、裏側のことが見えていない柊らしい答えである。
現にケーキが美味しいのは柊と一緒だったから、というのが大きく起因していたのだから。
「違う」
短い返答。香りつけ程度ながらも、怒りが滲んでいる。
「じゃあ、何かな?」
気付いていないのか、大人な対応なのかはわからないが、特に気にしたふうを見せない柊。
「目、閉じて……」
「えっと、なんで……?」
「必要なの……」
「わ、わかった……」
納得がいっていないようだが、柊は言うとおりに目を閉じた。
「これで、どうするの?」
「そのまま動かないで」
「う、うんっ」
百萌はこちらを向いたまま目を閉じ固まる柊に、膝立ちで向かい合った。
(カリンちゃん、ごめんっ)
ソッと顔を近付けて行く。
(でも、ワタシ、やっぱり……)
学校にはたくさんのライバルが居る。柊が、誰かを好きになるなんてきっと時間の問題。ここでこんな事をしてら嫌われる可能性がある。でも異性とすら見られていない自分は、夏凛が妹だからそんな想いを抱いてはいけないというのと似ている。幼馴染の間では抱いてはいけない訳ではないが、一般的に女を感じさせない存在ではある。
これで嫌われるなら最初から無理だった、そう自暴自棄的な考えでこの行動へと踏み切った。
(本当は、ライバルですらないのだから……)
柊の息づかいが聞こえる。
心臓が緊張で高鳴る。
手が汗ばんで余計に焦りが増す。
沈黙が耳に痛い。
百萌は、ゆっくりと瞼を閉じた。
首を少しだけ傾ける。
(シュウくん…………)
そして、二人の唇は重なり合った。
幼馴染。
一線を越えた。大きく、大胆に…………。
+注意+
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