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20・再生
「シャナン……」
「カナーン! なに? どうしたらいいの?」
 苦悶の表情を浮かべながらも、カナーンはシャナンに必死に何か伝えようとしていた。カナーンの声が聞き取れず、シャナンはカナーンの口元に耳を寄せた。
「シャナン……すまない」
「何を謝るというの? あなたをこんな目に合わせてしまって、謝るのは私のほうなのに!」
 カナーンはうっすらと瞳を開き、微かに笑ったようだった。
「大丈夫……生きて……」
 何かに逆らうように上げられたカナーンの片手は宙をさ迷い、シャナンの頬にたどり着く前にぱたりと床に落ちて、同時にその瞳も閉じられた。
「カナーン! いやーーーっ!」
 シャナンは覆いかぶさるようにしてカナーンを抱き締め、絶望の声を上げた。
 教会内に立ち尽くしていた十人ほどの制服姿の女学生達は、それと同時に意識をなくしてぱたりぱたりと次々とその場に崩れるように倒れていった。
「カナーン、私一人……何のために、生きるの? ……私も、あなたと一緒に、灰に……」
 シャナンは、はたとカナーンの胸から顔を上げた。
「灰……」
 カナーンは息絶えたように見えたが、まだ灰にはなっていなかった。
 これはどういうことか。
 シャナンは涙をぬぐって、床に横たわるカナーンをまじまじと見つめた。
「カナーン……生きている? カナーン!」
 シャナンはカナーンの両肩をつかんで揺り動かした。
 カナーンの体は未だだらりとしたままで、意思を持っているとは思えなかった。
 シャナンはカナーンの上体を起こして、背中の傷の辺りに恐る恐る手をやってみた。そこに傷らしきものは触らなかった。銀の短剣によって深く傷ついていた背中が癒えていたのだ。
「大丈夫なのね! そうなのね! 」
 シャナンはカナーンを抱き締めた。目には嬉し涙を滲ませて。
「はるや、有難う」
 シャナンは穏やかな顔をして永遠の眠りについたはるやに、心から礼を言った。
 カナーンを抱きかかえたシャナンは、引きずるように歩いて教会を出ようとしたのだが、二、三歩進んだところで、よろけて転びそうになった。
 そのとき、支えていたカナーンの体が急に軽くなった。
「ナイト役は……私のほうが良い」
「カナーン!」
 まだよろついてはいたが、カナーンはその足でしっかりと立ち、シャナンを抱き寄せた。
「無様だな。はるやに助けられた」
「……はるやは、もう……」
「そうか」
 カナーンは横たわって動かないはるやの方をちらと見て、俯いた。
「はるやから、黒い影が飛び去ったの。もしかして、バートリは生き延びたのかもしれない」
 それを聞くと、カナーンは悔しそうに唇をかみ締めた。
「でも、そんなことはいいの。こうして生きているのだから」
「心配させた」
「そうよ。『生きて』なんて、本当にもう、最期の言葉みたいなことを言うのだもの……」
「違う、聞こえなかったのか? 『大丈夫だ。生きている』と言ったのだ」
 そう言って笑ったカナーンだったが、足はふらつき、まだ十分な状態ではないのは明らかだった。
「早く極上の乙女を調達しないとならないわね。幸いここは女子高だもの」
「……それよりもっと力のつく方法がある」
 カナーンはおもむろにシャナンの顎を引き、唇を奪った。それは、むさぼるような濃厚なキスだった。
「……んん!」
 シャナンがいくら手で押しのけるように抵抗しても、カナーンに押さえ込まれて逃れられなかった。どこにそんな力が残っているのか。
 シャナンの息が荒くなり、頬が高潮して立っていられなくなった頃、カナーンは突然体を離した。
「私も精がつくが、シャナンも元気になったであろう?」
 口の端を上げて笑うカナーンが、シャナンには腹立たしかった。
 こんなに心配をかけておいて、悪ふざけをするなんて。
 体が火照っているのに、急に突き放されて肩透かしを食らったような、ちょっと惜しいような気がしたシャナンは、恥じらい交じりに嬉しそうな顔を無理に怒らせて「カナーン!」と叫び、カナーンの胸の辺りを手で小突いた。
「痛っ、本調子ではないのだから大事に扱ってくれ」
「なによ。あなたのキス、乙女の匂いがしたわ。あなた、私が捕まっていた間に何をしていたの?」
「なにも」
 カナーンはニヤニヤしながらそううそぶいた。
シャナンは本気で怒っているわけではなかった。ただ、カナーンがいつまでもまじまじとシャナンの顔を見つめているので、カナーンとまともに向き合うのが恥ずかしかったのだ。
「ああ、せっかくの純白のドレスが台無しだな」
 カナーンは血で染まったドレスを隠すように、シャナンの肩に手を回してさり気なく黒いマントで覆った。そのマントもまた、カナーンが流した大量の血によって濡れており、乾ききらない血が、ひたひたと足元に垂れていた。
壮絶な戦いでカナーンが生死をさ迷っていたことを改めて実感し、シャナンは身震いした。
 だが、傍らにはカナーンがいる。包み込まれている安堵感。居心地の良さに、シャナンはうっとりと目を瞑った。
「シャナン、機嫌を直してくれぬか」
 シャナンはカナーンのほうへ顔を向けた。
カナーンの琥珀色の瞳には、シャナンが映っていた。それがわかるほど二人はしっかりと寄り添っていた。
「怒ってないわよ。こうしてあなたはここにいる。その瞳には私が映っている。それでいいの。ずっとあなたを探し続けていたんですもの」
 シャナンはカナーンに微笑みかけた。
長い長い旅の末、カナーンを手に入れた。もう絶対に離さない。
シャナンは心の中でそう誓い、カナーンの肩に寄りかかった。
「言っておくが、お前を見初めたのは私が先だ。そのことは思い出したぞ」
 まるでシャナンの胸のうちを除き見たかのように、カナーンはシャナンから視線を外して照れくさそうに呟いた。
 カナーンの、無骨な愛情表現だった。
 シャナンは嬉しさに頬を染め、カナーンの腕に巻きつけていた手に力を込めて握り締めた。
「私と出会った頃のこと、少し思い出した?」
「まだらだが思い出した。……私がお前のいる村に行ったのだったな。会わなければお前を闇の世界へ引きずり込むようなことにならなかったものを。すまない」
「いいえ、あなたに会えてよかった」
 穏やかにそう言ってシャナンが教会の扉を押し開くと、冷たい空気が二人の頬を刺すように吹き込んできた。カナーンの黒いマントが風になびく。
昼日中ではあったが、真冬の空は雪雲が陽の光を遮って鉛色に染まり、吸血鬼には好都合だった。
ちらほらと雪も舞い落ち始めた。
「雪だわ」
 シャナンが片腕を伸ばし、落ちてくる雪を手のひらに載せた。雪は融けずに美しい結晶の姿を保っている。
「綺麗。宝石みたいね」
 そう言ってシャナンはカナーンに微笑みかけた。
カナーンもそれに応えるように微笑んでシャナンの手をとり、うやうやしく手の甲に口付けた。そして、「シャナンのほうが美しい」と言って目を細めた。
「そうやって、いつも私を見ていてくれる?」
「勿論」
教会の前を寄り添って歩く二人は、今この教会で永遠の愛の誓いを立てた新郎新婦のように仲睦まじく、闇に潜む吸血鬼とは思えないような晴れやかな姿だった。
 カナーンの血で染まった黒いマントから、降り積もった真っ白い綿雪の上に、深紅の雫がぽたりと落ちた。
 それは、元は人の血だ。人の犠牲の上に生き、生きている限り罪を重ねる吸血鬼なのだから。
 愛する人と幸せに過ごすなど、自分には過ぎたことだとシャナンは思う。それでも、カナーンと共に生きられるのであればそう願わずにはいられなかった。
 遠い遠い昔に引き裂かれ、さまよい続けてきた二人は、ようやく並んで歩けるようになったのだ。
 そして、二人は生き続ける。
 二羽の黒い鳥が、雪の中を舞った。
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