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19・浄化
「つう……姑息な手を!」
「ははは! 馬鹿め、情に流されたか。教えてやろう。お前の弱点は人間の心を捨て切れていないことだ! 死ぬがいい!」
 見る見るうちに山崎はるやの姿はバートリに変容し、バートリは血に染まった銀の短剣を握り締めて、屈んでいるカナーンめがけて突進した。
「お前の思い通りになどさせるか!」
 カナーンは力を振り絞ってそう叫んだものの、深手を負っており、立ち上がることすらできなかった。
「カナーン!」
「来るな! お前まで、死ぬ必要はない!」
「いやーっ!」
 カナーンはシャナンを制したのだが、シャナンは聞き入れずにバートリの前に立ちはだかった。
「シャナン、邪魔立てするな! その吸血鬼はもはや助からぬ」
「私も一緒に灰になります。その銀の短剣を私の胸に収めてください」
「シャナン、逃げろ!」
 カナーンがシャナンの背後で呻くように叫んだ。
「はるやくん! このままでは加奈が、死んでしまう!」
 シャナンはすがる思いでバートリの中にいるはるやに必死に訴えかけた。
「無駄だ。はるやはもう現れぬ。この体は私のものだ」
 バートリは口元をゆがめてにやりと笑いながら、強靭な腕力でシャナンを容易く払いのけて壁際に吹き飛ばした。
カナーンの足元に立ったバートリは、余裕の笑みを浮かべて銀の短剣をカナーンの頭上に振りかざした。
 シャナンはその光景に目を向けていられず、顔をそらして目を硬く瞑った。
 しかし次の瞬間、意外にもバートリの呻きが漏れ聞こえてきたのだ。
「うう……」
 シャナンは恐る恐る目を開いてバートリのほうを見た。
 既にカナーンにとどめを刺しているはずの銀の短剣は、振り上げられた状態で止まり、短剣を持っているバートリの両手は小刻みに震えていた。その姿は自分の中の何かに必死に抵抗しているようだった。
「何をする!」
 悲鳴にも似たバートリの叫び声と供に、振りかざしていた銀の短剣の先端が、とうとうバートリの胸に向けられたのだ。
「馬鹿な! やめろ! お前も死ぬのだぞ!」
「悪魔よ、人間を見くびるな」
 バートリのその口から、はるやのものと思われる声がした。
 必死に自分の腕に抵抗し続けるバートリだったが、ついに彼の両腕は自分の心臓めがけて振り下ろされたのだった。
「ギャーッ!」
 凄まじい断末魔が教会に響き渡り、バートリはよろよろと仰向けに倒れた。心臓にしっかりと突き刺さった銀の短剣の周囲からじわじわと血が滲んでいく。
「なんということだ……人間ごときに……」
 それがバートリの最後の言葉だった。片肘をついて立ち上がろうとしたのだがままならず、力尽きたようにだらりと伸びた。
「死んだ、の?」
 シャナンは信じられないとでも言うようにそう呟きながら、よろよろと立ち上がり、ぴくりとも動かなくなったバートリの足元を恐る恐る横切ってカナーンの元へと走り寄った。
 カナーンも相当重症だった。自己回復力が追いつかず、出血が止まっていないのだ。青白い顔が、一層透き通るような白さになっていた。
「銀の、短剣のせいだ……治しきれない」
「カナーン! 話さないで。さあ、私の血を!」
 シャナンは両膝をついて血の海に横たわるカナーンを抱き上げ、自分の首筋にカナーンの顔をもたれかけさせたが、カナーンには血を吸う余力が残されていなかった。
「私は、もう無理だ……シャナン、私の名を、継いでくれるか」
「何を言うの? カナーンはあなた一人よ!」
「我が後継者として、この名を……シャナンに捧げよう」
「名前なんかいらない! あなたが、あなたがいなければ!」
 白いウエディングドレスをカナーンの血で滲ませながら、シャナンはカナーンを抱き締めた。
「美しい……お前の胸で灰になるのであれば、悔いはない」
「そんなことを言わないで!」
「……やはりお前に出会ってはいけなかったのだ。これは……お前を吸血鬼にしてしまった、私の罪だ」
「違う、あなたは悪くない。カナーンは私を助けようとしたのでしょう? あの日のように、今度は私があなたをきっと助ける」
「そうか……有難う」
 カナーンは消え入るような微笑を浮かべ、瞳を閉じた。
「カナーン! 目を開けて!」
 絶叫するシャナンの傍で、横たわっていた山崎はるやの体から黒い煙が湧き起こり、その頭上に集まって渦となったそれは、教会のステンドグラスを突き破って空へと舞い上がり消えていた。
 と、同時にパウル・バートリは山崎はるやの姿へ変わっていたのだった。
「シ……シャナン……」
 山崎はるやはまだ息があったのだ。
「はるや!」
 シャナンは警戒しながらはるやのほうを向いた。
「……まだ、加奈を……助けられる。……祭壇にある、聖杯の血を飲ませろ。急げ……」
 はるやは辛うじて聞き取れるかすれ声でそう伝え終わると、力尽きたように動かなくなった。
 半信半疑のまま、シャナンはカナーンをそっと床に横たえて立ち上がり、銀の聖杯を手に取った。罠かもしれない。だが、このままではカナーンは確実に灰になってしまう。
 シャナンはわらをもすがる思いでその聖杯をカナーンの口にあてがった。
「カナーン、お願い、これを飲んで!」
 カナーンは声かけに反応しなかった。シャナンは咄嗟にその聖杯をあおり、カナーンに口移しで飲み込ませた。
 ごくりとカナーンの喉が動いてその液体が飲み込まれると、びくりとカナーンの体が痙攣した。
「うああぁーー!」
 その直後、カナーンはあまりの苦痛に叫び声をあげながら顔を歪め、体をくの字に折り曲げた。
「カナーン! ああ、ごめんなさい! やっぱりこれは毒だったのね!」
 なす術のないシャナンは、ただ泣きながらカナーンの体をしっかりと抱き締めるしかなかった。
「あつ、い! 焼ける……ようだ!」
 カナーンの痛々しい呻き声は尚も続いた。
「カナーン! カナーン! しっかりして!」
 苦痛のため必死にしがみつくカナーンを、シャナンは抱き締め続けた。


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