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この作品は<R-18>です。
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14・不安定なカナーン
午前零時、静まり返った寮内。
足音も無く、少女が滑るように廊下を通り抜けていった。
少女というには冷徹な表情を浮かべ、口の端についていた血を手の甲で拭いながら、彼女は漆黒のマントを翻した。
「カナ―ン。派手な動きは命取りだわ」
シャナンは廊下の柱の影に身を潜め、声をかけるべきか迷いながらも、背後からその少女、カナーンを呼び止めた。ぎろりと睨みつけるような眼差しが、シャナンに突き刺さる。
「シャナン、私に指図をするな」
カナーンのマスターとしての威圧的な態度は、シャナンを圧倒させる。シャナンは思わずひれ伏してしまいそうになった。
カナーンと呼んでも否定しなくなった三神加奈。
パウル・バートリが教師としてこの高校に赴任していたことを知ったその夜、本格的にカナーンが現れた。現れたといっても、三神加奈とカナーンの融合が進み、カナーンの人格が一層色濃く現れたというのが正確なところなのだが。
「カナーン、何を急いているの?」
カナーンの出現に、今、自分の気持ちを言わなければとシャナンは必死の思いで口を開いた。
「バートリが直ぐ側にいるのだぞ」
パウル・バートリは何かを仕掛けてくる気配もなく、一週間が過ぎていた。パウル・バートリが現れてから、シャナンに対するカナーンの態度は一変して冷たいものになり、手にも触れず、視線すら合わせようとしない。夜な夜なカナーンは寮をさまよい、手当たりしだいに寮生を獲物にしていた。あからさまに少女たちを誘惑する手口。力を蓄えるためだけには思えない、シャナンを避けるような態度。シャナンは、そんなカナーンの行動に不安を抱いていた。
カナーンは、私から離れていこうとしている。そんな嫌な予感がシャナンにはあった。
「――もう、私から離れないと誓って」
「そのようなことを誓って何になる」
見つめるシャナンから顔を背け、カナーンは窓の外へ視線をはずした。
雪も降らない夜。月明かりがカナーンの横顔を照らす。カナーンの人格が色濃くなった三神加奈は、顔立ちさえも変貌していた。冷酷な鋭い視線。だが、その瞳には陰りを感じさせる。
「私は一度死んでいるの。ただ貴女に会いたい一心で生きてきた。もう充分幸せを味わえたわ」
「勝手なことを言うな」
「それに、いくらバートリでも、人間が周りにいれば無茶なことはできないでしょう?」
「そうは言い切れぬ。今は多くの下僕を用意するのが先決だ」
カナーンは窓に顔を向けたままだ。
こんなことをしても気休めにしかならぬが、やらないよりはましだ。
カナーンの沈んだ表情は、そう語っているようにシャナンは感じた。
「悪戯に哀れな娘を増やさないで。かつては私もその一人に過ぎなかったのだから」
「お前は既に同族としての生を受けているのだ。下僕と同じはずがないではないか」
「いいえ、私もあなたに魅了された人間の一人だったことに変わりはない」
「私にどうしろというのだ!」
カナーンはシャナンの方を向き、声を荒げた。
カナーンの焦燥感がシャナンにも痛いほどよくわかった。
カナーンはパウルに立ち向かうと断言したものの、最悪の事態が頭から離れないに違いない。
最悪の事態――灰と成り果てた姿。
そんな姿はシャナンも想像したくはなかった。だが、カナーンの不安定な態度はシャナンをも不安にさせる。
いつも、威風堂々としているカナーン。貴女がそこまでパウル・バートリを恐れているのは何故なのか。
「ごめんなさい。怒らせるつもりはなかったの。私は人間をこれ以上巻き添えにしてほしくないだけ」
「おかしなことを言う。では、己の存在を否定しろというのか」
「そんなことは言っていない。無用な犠牲を――」
「愚かな殺戮を繰り返している人間とは違う。シャナンもこの何百年、その目で見たはずだ。それでも、自分を犠牲にして、人間をかばうのか」
「……加奈はそれでいいの?」
シャナンはカナーンに一歩近づき、その瞳の奥を覗き込むように首をかしげた。
「誰に話しかけている。初めから加奈という存在はない。お前もそう言っていたではないか」
「でも、人として過ごした三神加奈も、あなた自身だわ。三神加奈は確かに存在している」
「それは偽りの私だ」
「違う――」
「黙れ!」
シャナンはカナーンに腕を鷲摑みにされ、よろけるようにカナーンの胸元に寄りかかった。離れようとしたが、カナーンに長い黒髪をつかまれて、身動きがとれず、無理に上を向かせられ、その口を唇で乱暴に塞がれてしまった。
シャナンはカナーンの腕の中でもがくが、カナーンの力にはかなわなかった。
「こんな……嫌!」
やっとの思いでカナーンから離れたシャナンは、よろよろと廊下の壁に寄りかかった。その頬は高潮し、瞳は潤み、息を弾ませながら。
久しぶりの口付けだった。
カナーンに口付けされると、欲望に我を忘れてしまう。媚薬のような魔性の口付け。シャナンでさえ、その魔力には太刀打ちできない。火照った身体をいさめようと、シャナンは目を瞑った。
「ふん。お前に、私を拒む理由などないではないか。このカナーンを好いているのだろう? 三神加奈が消え去り、元来のカナーンに会えて嬉しいか」
「どちらも……カナーンに変わりはない。人間的な優しさのある加奈も好きよ。無理をしないで」
総てが以前のカナーンになっていたわけではなかった。過去の記憶は未だ戻らぬまま、人間の弱さを兼ね備えた三神加奈も存在している。カナーンであろうとするが故に、虚勢を張っているのではと思える粗野な部分を、シャナンは度々垣間見ていた。
カナーンは決して無理強いをしなかった。物腰も、もっと気品に満ちていた。今の不安定なカナーンで、バートリと対峙できるのか。
カナーンの子供じみた乱暴な行動は、シャナンを一層不安にさせた。
カナーンの気配がすぐそばに感じ、シャナンは目を開けた。身体に触れるほどの位置にカナーンは立っていた。
「どうしたというのだ」
カナーンはシャナンの不安を感じ取ったのか、安心させようとしたのだろう。口の端をあげて無理に笑った。
「いつも傍にいて、私を避けないで。貴女が何処かに行ってしまいそうな気がしてならないの」
「お前は、何も心配しなくていい」
そう言って、カナーンはシャナンの肩に手を置いた。
窓から入り込む月明かりに照らされたシャナンは、白い肌が透き通るように美しく、白いガウンに漆黒の長い髪が悩ましく揺れ、挑発しているようにカナーンの目に映ったようだった。
「バートリを消し去るまでは、お前に触れまいと誓っていたのだが」
カナーンはシャナンが羽織っていたガウンを指先で肩からずり落とし、おとがいから胸元にその指を走らせ、嘗め回すようにシャナンの身体を見つめた。
シャナンは薄手のネグリジェを通して、素肌を目で陵辱されているように感じた。その瞳から逃れたいという思いと、このまま、何もかも忘れるくらい、カナーンにめちゃくちゃにされたいという相反する思いが混同し、シャナンは身動きができないでいた。
カナーンの指先はネグリジェの上から胸元を執拗になぞっている。
抑えようとしても抑えきれぬ欲望。その指先で、もっと触れて欲しい。シャナンはカナーンを渇望した。
「寂しかったか」
「そんなこと……ない」
荒い息遣いの合間に、シャナンはやっとの思いで答えた。
「我が魂は、何時もお前と供にある。例えこの身が滅びようとも」
カナーンの優しい囁きは、シャナンを一層、快楽に溺れさせた。
カナーンに愛されている。カナーンを失いたくない。
「愛しいカナーン……」
シャナンはカナーンの背に両腕を絡ませた。
カナーンの指先は、ネグリジェをたくし上げてシャナンの白い腿を露わにした。
「邪魔な布だ! お前の美しい身体を包むのは、私の手だけで充分だ」
カナーンは躊躇いもなくシャナンのネグリジェを引き裂いた。カナーンの行為に、シャナンは思わず声を上げそうになり、口に手を当てた。
「カナーン、誰かが目を覚ましたら……」
「こんな夜更けに? 邪魔をする奴は眠らせればよい」
カナーンは手を休めようとせず、シャナンの言葉に一層、触発されたかのように、白い素肌へと指先を滑らせた。
カナーンの指、手の平が、シャナンの大理石のように艶やかな肌の上で、執拗に這っている。
シャナンは壁に寄りかかっていたのだが、立っているのがやっとだった。気を抜くと足の力が抜け、意識が遠のきそうになるのだ。
カナーンは時折、恍惚に浸っているシャナンの顔を眺めては、目を細めてにやりとしている。
シャナンは恥ずかしさに目をそむけ、まともにカナーンの顔を見られなかった。
カナーンの魔性の瞳を見つめてしまったら、それだけでその場に崩れこんでしまうかもしれない。シャナンは吐息と共に漏れ出る喘ぎ声を押し殺しながら、そんなことを心配していた。
「カナーン、だめ……もう」
「まだ何もしていないぞ」
カナーンは意地悪く口の端で笑い、ゆっくりと顔を乳房へ近づけ、舌先を伸ばした。
「ああっ」
全身に走る鋭い快感に、シャナンはのけぞった。
「そそる声で鳴く。これ以上私を挑発するな。夜が明けてしまう」
「意地悪……」
シャナンはかすれ声でそう言い返すのがやっとだった。
月明かりが差し込む薄暗がりの寮の廊下で、二つの黒い陰は重なり合い、人目をはばかることなく、飢えた獣のように愛し合ったのだった。
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