警告
この作品は<R-18>です。
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10・拒絶
淡雪が舞っていた。
雪のせいで、昼間だというのに辺りは薄暗かった。
手袋をはめなくても寒く感じない。しかし、奇異にみられるため、コートだけは羽織っていた。
「いるんでしょう? シャナン」
三神加奈は、買い物の帰り道、誰もいない住宅街の路上で、空に向かって呼びかけた。
時折記憶が飛ぶ。その間隔が次第に短くなっていた。
しかし、不思議なことに、山崎はるやといる時には自分の中のカナーンが現れることはなかった。
きっとシャナンは何か知っているに違いない。
自分は一体どうなっているのか。これからどうなるのか。加奈はシャナンに訊きたかった。
記憶が飛んだ後、我に返った時の満ち足りた感覚。英気を取り戻し、力のみなぎりさえ感じる。
カナーンが若い娘を手にかけているに違いなかった。
正気を取り戻した後に漂う、血の匂い。
その匂いが嫌ではない自分にショックを受けた。もう、不安だなどといっている場合ではなかった。これ以上、犠牲者を出したくはない。だからといって、お互い仕事のある身で、山崎はるやと始終一緒にいるわけにもいかなかった。
シャナンなら、カナーンを封じておく手立てを知っているかもしれない。
加奈はそう考えていた。
しかし、シャナンの想い人であるカナーンを封印する方法など、そう易々とシャナンが教えてくれるとも思えなかった。
シャナンの想い人は、カナーン。カナーンもシャナンが好きなのだろうか。
三神加奈としてシャナンに惹かれているのか、カナーンの意識に引っ張られ、シャナンに惹かれているのか、加奈自身、今もまだわからない。姿が昔と全く変わらないシャナンに再開して戸惑ってしまったが、シャナンが好きだという気持ちはその後も変わらなかった。
自分であって、自分でない者。自分の中にいるもう一人の自分に嫉妬してしまう。加奈は複雑な気持ちでいた。
「シャナン! お願い、姿を見せて!」
降り積もっている雪が舞い、黒い人影がその中に現れた。
「傍に必ずいるわけではないわ」
「シャナン」
黒いブーツに黒のロングコートをまとい、長く緩やかなウエーブのある漆黒の髪を肩に垂らし、真っ白な景色にたたずんでいるシャナン。黒ずくめの中、白い肌と真紅の唇が艶かしい。その姿を目にするたびに胸が熱くなる。だが、いつもと違い、シャナンは疲れた瞳をして畏怖を抱かせる強靭な視線は感じられなかった。
「なにか、あったの?」
「……加奈は知らない方がいいかもしれない」
いつになく、シャナンは気弱な態度だ。
「カナーンのこと? だったら、知っておきたい」
加奈は勇気を振り絞って聞いた。
「決して自分を責めないで。あなたが意識のない間にカナーンは若い娘を手当たり次第、手にかけている」
「十数人?」
恐る恐る加奈は聞いた。
「いいえ、もっと」
加奈は絶句した。カナーンは吸血鬼。若い娘を糧にして生きる異形のものだと頭ではわかっていたが、そんなに多くの犠牲者が出ているとは思っても見なかった。
手にかけられた娘達は、その後どうなってしまったのか。
死? それとも、永遠をさまようのか。加奈はそれ以上、恐ろしくて訊けなかった。
考えたくなかったが、犠牲になった娘達のおかげで、加奈もまた生きているのだ。
犠牲者がいて、自分が存在する。耐えられないことだが、だからといって自分から命を絶つ勇気もなかった。
加奈は心のどこかで、これは自分の仕業ではない、カナーンが勝手にやったことだと責任逃れをしていた。
そう思っていないと、気が変になってしまいそうだった。
シャナンもカナーンと同じように若い娘を手にかけているのだろうか。シャナンはカナーンが若い娘を手にかけても、なんとも思わないのか。
そんなことを考えながら、同時にそれが愚問だということも、加奈はよくわかっていた。
吸血鬼にとって、生と性はきっと密接に関係しているに違いない。シャナンはカナーンの行為に口出しなどできないのだろう。
その行為を禁止するということは、吸血鬼にとって、死を意味するのではないだろうか。
いや、そもそもシャナンがカナーンの吸血行為に疑問を持ち、口出しするなどとは考えられない。
吸血鬼にとって当たり前すぎる行為なのだから。
「カナーンは、久々にこの世に現れ、力を蓄えている」
加奈があれこれと考えをめぐらしていると、シャナンは重々しい口調で付け加えた。
「じゃあ、カナーンの力が強くなるの?」
「ええ」
シャナンの、気の抜けたようなそっけない返事に、加奈は再びショックを受けた。
自分はこのまま消えてしまうのか。シャナンは加奈が消えても平気なのか。
自分のことは眼中にないようなシャナンのうつろな瞳。絶望が加奈の心を支配した。
だが、ここでしょげているわけには行かない。
人の命が、自分の存在が、カナーンに脅かされているのだ。
「シャナン、訊きたいことがあるの」
加奈は思い切って切り出した。
「カナーンを封印する方法、シャナンは知っているのでしょう?」
「カナーンはあなた自身なのよ?」
シャナンは、悲しそうに眉を寄せた。
「だけど、カナーンでいる間の記憶はないもの。私は三神加奈だわ!」
「長い眠りだったから、今はまだ、しっかりと覚醒していないだけ。いずれ自我は一つになるはず」
「三神加奈が消えるということでしょう? それに、知らないうちに人を殺めているなんて耐えられない。お願い! 教えて」
「カナーンを封じる方法なんて、……わからないわ」
苦しそうにシャンは呟いた。
「シャナン、シャナンは今の私、加奈をどう思っているの? 三神加奈のままでも、好きでいてくれる?」
にじり寄った加奈に、シャナンは黙ったまま俯き、雪道の上でじっと身を硬くしていた。
その肩や髪に、雪が降り積もっている。
「……どちらも、カナーンだもの」
間をおいて、シャナンはやっとそう答えた。
「じゃあ、私を助けて! お願い。私、消えたくない」
「あなたは、あなただわ」
加奈が持っていた買い物袋が、雪の上に落ちた。シャナンはいとおしそうに加奈を優しく抱き締めた。
「ねえ、私と行きましょう。人間の男といても、あなたは辛いだけ。私の元へいらっしゃい」
髪を撫ぜるシャナンの指先を感じる。シャナンの体から微かに匂う薔薇の香りが心地よい。
シャナンは人の血が通っていないはずなのに、抱き締められると、体中が火照って暖かく感じた。
人通りもなく、車も通らず、静まり返った二人だけの世界。雪が二人を包み込んでいた。降り続く雪が二人を隠す。
「シャナン……」
加奈は夢見心地だった。何度、こうして抱きしめられることを夢に見ただろうか。
加奈は吸い寄せられるように、シャナンの赤い唇にそっと唇を重ねた。
ひんやりとした柔らかな感触。
シャナン、愛している……。
加奈はキスをしながらシャナンをきつく抱き締めた。
――シャナン、愛しいシャナン。手離したくない。私の一噛みで蘇ったシャナン。あのままそっと逝かせてあげたほうがよかったのか。だが、死に逝くお前を黙ってみていられなかったのだ。許せ。私はお前に会う資格がない。お前の生を脅かしたくはない。
加奈の意識に別の意識が流れ込んできた。慈愛に満ちた優しい感情。後悔と自責の念。激しい葛藤。カナーンなのだろうか。
「加奈、どうかしたの?」
シャナンは唇を離して抱き締めていた腕を解き、うつろな表情の加奈に向かって不安そうに声をかけた。
「なんでも、ない」
「もしかして、カナーンが来たの?」
加奈の両腕に手をかけ、顔を見上げたシャナンの探るような瞳が、加奈の瞳を捉えた。
そんな目で見ないでほしい。シャナンはカナーンに会いたいの? 加奈ではだめなの。お願いだから加奈を見て。
しかし、加奈は口に出さなかった。シャナンの瞳を見れば、よくわかったから。シャナンの口からはっきりそうだと言われるのは辛い。
「カナーン」
そう呼びかけて、シャナンは加奈を再び抱き締めようとした。だだが、加奈はシャナンの手を振り払った。
「カナーンは、シャナンを避けている。会いたくないと思っている」
「カナーンの考えていることがわかるの?」
「少しだけ、感じた」
加奈はカナーンの想いには触れなかった。カナーンに嫉妬していたのだ。
「何故、何故私を避けるの? もう以前のカナーンではなくなってしまったの?」
捨てられて心細そうにしている子猫のように、震える声でシャナンは加奈にすがった。
「シャナン……」
泣きそうなシャナンを、加奈は抱き締めてあげたくなった。
加奈の腕が無意識に動き、シャナンを抱き締めた。
これは自分の意思だろうか。それとも、カナーンの……。加奈はわからなくなっていた。
「泣くな、カナーンはシャナンの傍にいてはいけないのだ。お前は、私から離れて生きるのだ」
加奈の意識はあった。だが、カナーンに支配されているのか、口が勝手に動く。
「カナーン!」
「いや、私は加奈だ」
「違う、カナーンだわ」
シャナンが少し背伸びして加奈に口付けしようとしたが、加奈は顔を背けた。
「だめだ。カナーンはお前のことなど想っていない。ただの下僕に過ぎぬ」
溢れ出るカナーンの強烈な想いを、加奈は感じていた。
――シャナンを巻き込みたくない。
どういう意味だろうか。
「カナーンはお前のことなど眼中にない。生娘の甘く芳しい血のみが、カナーンを満たすことができるのだ。私の前から去れ」
シャナンの深く青い瞳から、涙が流れた。
「本気で言っているの?」
「何度も言わせるな。お前のことなど眼中にない」
今度はシャナンが涙をためていても、優しい手は差し伸べられなかった。
棘を刺したように胸が痛む。苦しい。カナーンと加奈の気持ちが重なった。
淡雪が、体温のない二人に冷たく降り積もっていた。
加奈のふりをしたカナーンは、立ち尽くすシャナンを残して足早にその場を去った。
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