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第一章『邂逅』三
 次の日は、絶好の狩日和だった。
 皆、馬や馬車に乗り、山に向かって出発する。
 華玲も馬に騎乗した。
 彼女の側に少しでも行こうと、馬を寄せる者の何と多いことか。
 華玲は、ゆっくり列の中間を進み、側に来る若者達を微笑んでうまくあしらってしまう。
 山の麓に着くと、馬車は少し開けた空き地に止まり、天幕を張った。
 辺りには小鳥のさえずりが響き、ところどころに重なって生える大木が日差しを和らげ、涼しい憩いの場所を提供してくれる。
 天幕の前に若者達を集め、華玲は言った。
「では、これから狩を始めましょう。昨日のお約束を覚えてお出ででしょうね、皆様」
 彼女はあでやかに微笑み、一同を見渡す。
「一番素晴らしい獲物を射当てた方に、あたくしからご褒美を差し上げますわ」
 皆の間から、一斉に歓声があがった。
「これから方法を説明いたします。皆様、素晴らしい腕をお持ちですもの。でもそれによって後で揉め事が起こると困りますから、あたくしがいくつか約束事を決めさせていただきましたわ。よろしいでしょう?」
 華玲は家人に命じて、矢の束を持ってこさせた。
 矢羽の部分が様々な色で塗り分けられている。
 彼女はその一本をとると、皆に示した。
「狩には、この矢をお使いいただきます。皆様がお持ちの矢は、こちらで回収させていただきますわ。同じような矢で射て、どちらの獲物かわからない――なんて揉め事はあたくしもごめんですから。一色づつ三本ご用意いたしました。これをお使いくださいませ。獲物は証拠として矢をつけたままお持ちください。決して不正や横取り、ずるい行為はなさらないで。あたくし、そういう方が一番大嫌いですの。よろしいですわね」
「もちろんですとも」
 呉考が、熱心に声をあげる。
「天女のごときあなたの前で、誰がそのような行為を行えましょう。もしそのようなことを行った者は、即座に失格。あなたに求婚する資格も失うことでしょう」
 皆の間で、同意の声が上がった。
(面倒なことになったな)
 たった一人、斗信は心穏やかではない。
 彼の矢には、すでに猛毒が仕込まれていたのだ。
「同じ獲物を同時に射当てたときは、勝負なしとさせていただきますわ。必ずお一人で誰もが認める素晴らしい獲物をお持ちくださいませ。よろしいですわね」
 肯定の声が、次々にあがる。
「では矢をお渡しいたします。こちらへ」
 華玲は家人に命じ、皆の持つ矢をあずからせ、順番に色分けされた矢を渡した。
「皆様、準備はよろしいですか。それでは始めてくださいな」
 彼女の開始の声に、皆一斉に山道に分け入る。
 押し合いへし合い、ある者は皆から離れて、別な方へと進んでいく。
「姫様、こちらにどうぞ」
 家人が、華玲を天幕に導いた。
 茶を出され、彼女は敷物の上で優雅にくつろぐ。
「さて、どの殿方がお勝ちになるかしら」
「姫様は、どの方がよろしいのですか」
 家人の季江が、首をかしげて問うた。
「そうねえ」
 華玲は微笑んで、今日参加した若者達を思い浮かべる。
 二十一人の青年が、この狩に挑んでいた。
「皆様、素敵な方ばかりですもの。でも」
「でも?」
(ふふっ、あの子が何を持ってくるかしら。見ものだわね)
 面白そうに笑みを浮かべる彼女を、季江は黙って見つめる。
(どうやらお目当ての方がいるようね)
 彼女は主人たる仁栄の言いつけを思い出す。
(何とか姫様の意中の方を聞き出さないと)
 でもなかなか自分の本心を表さない姫君だとわかっているゆえに、難しそうだと季江は小さく溜め息をついた。






(ふう……けっこう登ったかな)
 山の中に入ってから、大分経った。
 光竜は額に流れる汗を拭い、獲物を探す。
 大木や繁みの動きに、ずっと緊張して目を走らせたが、風が草木を揺らすだけで、まだそれらしい獲物には出会っていない。
(ここには確か、大角を持った六角鹿がいたわね)
 六角鹿は額から出た二本の角が先端で三本に分かれている、とてもめずらしい鹿である。
 やはり優勝を狙うとしたら、それしかない。
(水場を探さないとね。この陽気じゃ、きっと水を飲みに出てくるはず)
 どこかに水音がしないか、彼は耳を済ませた。
 そして、はっと身を硬くする。
 草の揺れる音に混じって、人の足音がしたのだ。
(後をつけられている?)
 彼は、振り向きはせずに立ち止まった。
 そっと息を吐き、心を落ち着かせる。
(あたしの動きにあわせてるわ。足音が止まったもの)
 誰だろう。まさか――。
 彼はしばし考えていたが、やがてもっと奥深い方に足を向けた。
 振り返りはせず、どんどん歩く。
 速度を速め、小走りに彼は山道を突き進んだ。
 足音も、木々の間に身を潜めながら彼に近づいてくる。
 辺りを見回し、光竜は手近な木々の影にさっと身を隠す。
「ちっ」
 舌打ちの音と共に、彼を付けねらっていた者が姿を見せた。
 斗信である。
「まったくすばしっこい奴め」
 彼は左右を見回しながら、光竜が隠れた木の横を通り、先へ進んでいった。
 ほおっ。
 光竜は息を吐く。
(やっぱりあなたか。斗信)
 背筋が震えた。
 この山で自分を始末するつもりなのか――兄と同じように。
(あたしを殺すつもりね。ならば……)
 彼は意を決して、木の影から出た。
 斗信の姿を追って、今度は彼が忍び足になる。
 すぐに斗信は見つかった。
 あちこちに目を走らせ、彼は必死に何かを探している。
(獲物はあたしね。見てらっしゃい)
 光竜は、そっと上着を脱ぐと、側にある木の枝にひっかけた。
 そしてわざと大声を上げる。
「うわわっ。足がっ」
 そして上手く上着の影にしゃがみこんだ。
 いかにも足が痛くて動けない風を装い、その身はじっと木の幹に隠す。
 斗信は気付いたらしい。
 足音が、忍んで近づいてきた。
 光竜は更に大声を上げる。
「あーあ、まいったなあ。これじゃあ動けない。誰かが来るのを待つしかないか」
 あちらからは、彼がしゃがみこんでうずくまっているように見えるはずだ。
 ――実際は上着と光竜の間に大木の幹があったが。
(うまい具合に来てるわ。そろそろね)
 身をちぢ込ませて待っていると、弓を引き絞る音が風にのって聞こえてくる。
 彼は緊張する。
 もしばれたら、ただちに対応できるよう、腰の剣に手をかけた。
 木の枝の間をぬって、一直線に矢が放たれる。
 鋭い命中音がした。
 それは光竜の上着を貫き、幹に突きささる。
 斗信が急ぎ足で近づいてきた。
(確認しに来るんだわ)
 光竜は剣を引き抜き、身構える。
 しかしそのとき。
「おいっ、こっちに何かいそうだぞ」
「本当か」
 人の話し声が近づいてきた。
 斗信は確認をあきらめ、あわててその場を立ち去っていく。
(逃げたみたいね)
 光竜は緊張を解くと、そっと上着をつかんで引き寄せた。
(これは――)
 上着と幹に突き刺さった矢を見て、彼は仰天する。
 それは朱色の矢羽だった。
(この色は、確か呉考殿のだわ)
 矢を引き抜き、光竜はあきれてしまった。
(呉考殿の矢を使って、罪をなすりつけようとしたのね。まったく小ざかしい手を考え付くその頭だけは誉めてあげるわ)
 完全に斗信の気配はない。
 光竜は警戒しながら身を起こす。
(もうあいつに会いさえしなけりゃ、こっちに危険はないはずよ。さ、今のうちに獲物を探さなくちゃ)
 彼は肩に下げた矢筒を直すと、また道を歩き出した。




 

 斗信は先ほどの現場から出来るだけ早く遠ざかろうと、足を速めて山道を歩いていた。
(奴の死体は確認出来なかったが、まあ良い。このわたしが仕損じるはずはないしな)
 上手くいったと満足しているところに、人影が前方から現れる。
「これは呉考殿」
 何たる偶然か――呉考が前からやってきたのだ。
「良い獲物に出会えましたかな」
「いや、まだ大物には出くわしていない。残念だよ」
 そういう呉考の背には、すでに野うさぎが二匹、紐で結わえてぶら下がっていた。
「これしきの物ではとても優勝など出来ないが、姫様の襟飾りぐらいにはなるかと思ってな」
 まだ一匹も得ていない斗信を見て、彼は小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「いや、お見事ですよ。わたしなどまだ全然ですから」
 斗信も調子を合わせたが、胸のうちは呉考をあざわらっていた。
(まったくいい気なもんだ。先ほどの一矢が決ったにせよ決らないにせよ、お前はもはや上州の領主を狙った重罪犯。今のうちにせいぜい楽しんでおくがいい)
「ところで先ほどあなたにお会いしてから、矢が一本見当たらないのだ。何かを撃って、忘れた覚えはないのだが……ご存知ありませんかな」
「いいえ、獲物を撃たれたのに、お忘れになったのでは?」
「さあて」
 首をかしげる呉考に、斗信は甘く言い添える。
「そういえば、この先に泉があるそうですよ。何でも動物たちの格好の水のみ場だとか。わたしはそこへ参ろうかと思っていたところです。ご一緒にいかがですかな」
「おお、それはいい」
 満面の笑みを浮かべて、呉考は賛成する。
 二人は連れ立って、泉に向かっていった。






 ぴいいっ。
 頭上からの奇声に、光竜ははっと振り仰ぐ。
 高い空の上に、大きな影がかかる。
 黒羽鷹だ。
(うわーっ、大きいわ。あんなの初めて)
 思わず見とれたそのとき。
 別な方から、動物の鳴き声がした。
 ミイッ。
 小さなか細い泣き声と同時に、草むらから可愛らしいきつねりすが出てきたのだ。
(まだ子どもだわ)
 きつねりすはミイミイ鳴きながら、必死に草むらを走っていく。
 どうやら頭上の鷹に気付かれて、逃げているようだ。
 しかし所詮無駄な抵抗というもの。
 鷹は、か弱い獲物にねらいを定めて降下してきた。
(あ、危ないっ)
 とっさに矢を番え、鷹を狙う。
 ヒュッ。
 矢は風を切って飛び、見事に鷹に命中した。
「やった!」
 鷹は大きな体を矢に貫かれ、地面にどさりと落ちる。
 きつねりすは震えながら、草むらに身をちぢ込ませた。
 光竜が寄っていくと、ミイと泣きながらも逃げようとしない。
(足を痛めたんだわ。そういえばさっきも走り方が変だったっけ)
 彼は、草むらから震えるきつねりすの子を抱き上げると、足を注意深く調べた。
「矢で射られた傷じゃないわね。お前、きつねかなんかに襲われたの?」
 ミイと甘えるようにきつねりすは、彼の腕に身を擦り付ける。
「お前、親がどこにいるかわからないの? 困ったな」
 このまま保護者もなしにここにおいておけば、そのうち鷹かきつねのえさになるだろう。
「しょうがないわね」
 光竜は笑むと、きつねりすの子を肩に乗せる。
「お前のおかげで良い獲物が取れたし。親を探してみてあげる」
 鷹の足を縄で結わえると、彼はよいしょと肩に担いだ。
 重みで肩にずっしりくる。
(うわっ、けっこうきついわね)
 何とか体制を整えつつ、彼は山道を歩いていった。







 泉の水を、夕刻の風がさあっと揺らしていく。
「そろそろ刻限ですな」
 しまりのない笑みを浮かべながら、斗信は呉考をうながした。
「ちっ」
 呉考は舌打ちする。
 泉でずっと待っていたが、鹿の一匹も姿を現さなかった。
 獲物には出会えず、時間だけが過ぎてしまったのだ。
「ついてない。このわたしが野うさぎ二匹とは」
 悔しがる呉考に、斗信は気遣うように言葉を添える。
「お気をおとしなさいますな。きっと皆も苦戦しておりましょう。もしかしたらうさぎすら持ち帰れない者もいるでしょうし――このわたしのように」
 斗信は何も射ておらず、手ぶらのままだった。
(ふふっ、わたしの最大の獲物は、すでに射落としている。この競技などどうでもいいものさ)
 内心ほくそえみながら、斗信は呉考をせかす。
「さあ、天幕に戻りましょう。姫様がお待ちかねでしょうし」
「くそっ」
 足元に落ちた小石を蹴飛ばすと、呉考は斗信のあとに続いて山を下りる。
 二人が天幕につくと、火が焚かれ、もちや魚を焼く良い匂いが漂っていた。
 昼もすぎ、皆お腹をすかせている。
「お帰りなさいませ」
 家人たちが、帰ってきた若者達に水の入った手桶を渡したり、捕ってきた獲物を運んだりしていた。
 斗信と呉考も水で手を洗い、木卓の上に用意されたもちや魚の串を手に取る。
 家人が、二人に果実酒の入った杯を持ってきた。
 斗信は、一息に飲み干して笑う。
「一汗かいたあとの酒は格別ですな」
 呉考は、幾分暗い顔をして杯をかたむけた。
 先ほど見てきたのだが、並べられた獲物の中に見事な大きさの銀狐があったのだ。
 毛並みや色艶が他の物とは格別に違い、見ただけで最高の獲物だとわかる。
(おそらくあれが優勝だな。ちくしょう、運のいい奴め)
 どこの誰かはわからないが、姫からの褒美を得るのは銀狐をしとめた男だろう。
 考えれば考えるほど、呉考はやりきれない思いでいっぱいになる。
 そんな彼を、おもしろそうに斗信は見つめていた。







 夕日が西の空を赤く染める頃になった。
「おそいわね」
 華玲は、ぽつんとつぶやいてしまう。
 もうほとんどの者が帰ってきたというのに、光竜はまだ姿を現さなかった。
(どうしたのかしら、あの子)
 別に帰ってこないなら、それでもいいけれど――と自分自身に言い聞かせながらも、彼の事が気になってしょうがない。
「姫様」
 心やきもきしている最中、季江が天幕の中に入ってきた。
「そろそろお時間ですが、あと三人ほどお帰りでないとか。いかがいたしますか」
「そうね」
 華玲は、小首をかたむける。
「もう少し待ってみましょうか」
「はい」
 季江は、心得顔にうなずいた。
「それにしても姫様、ごらんになりましたか。獲物の中に、見事な銀ぎつねがおりましたのよ。毛皮にしたら素晴らしいものになりますわ。よろしゅうございましたね」
「そう。どなたがお持ちになったのかしら」
「紀州の貴族で、碌 英辰ろくえいたつ様と仰る若様とか。なかなか美丈夫でございますよ」
 華玲は、軽く溜め息をつく。
(つまんない。あの子ったら遅いわねえ)
 一体彼は、どんな獲物を持って来るのだろう。
(あたくしを拒絶したあの子に、最高の獲物を捧げさせないと気がすまないわ。そしてあたくしにひざまずき、首飾りを返して欲しいと願ってもらわないと。ほんとに何してるのかしら、あの子は)
 季江は、わずかばかり失望の色を浮かべた姫を見て考える。
(どうやらお目当ての方ではないようね)
 一体どの殿方が、姫の心を捉えているのか。
 あれこれ思いをめぐらせながら、季江は天幕を出ていった。






 夕焼け空を横目で見ながら、光竜は急ぎ山道を歩いていく。
 しかし自分の体の半分はあろうかと思われる鷹を担いでいるせいで、思うように速度が上がらなかった。
「よいしょっと」
 結局探し回ったが、それらしいきつねりすの巣穴は見つからず、あきらめて子きつねりすを放してやる。
 そして、あとはひたすら天幕に向かった。
(あーあ、完全に遅刻ね。失格になっちゃうかも)
 歩みを遅くさせているのは、一重にこの重い獲物のせいだ。
 しかしこれが彼に勝利をもたらしてくれるやもしれないと思うと、どうしても置いていくわけにはいかない。
(しっかりしなきゃ。男ならこれぐらいでねをあげちゃ駄目よ)
 自分を励ましながらも、体はしっかり悲鳴をあげている。
 彼は、しかたなく手近な木の影に回りこみ、少し休むことにした。
 もうすぐ天幕のある広場の前なのだろう。
 木々の間から、わずかに皆の明るい声が聞こえてくる。
「ふう」
 額に流れる汗を拭い、彼は再び立ち上がろうとして、はっと身構えた。
(何? 広場じゃないわ。どこからか足音が――)
 なにやら尋常な数ではない。
 しかも足音に混じって、刀や槍のような物の金属音までする。
 光竜はすばやく草むらに身を隠し、様子をうかがった。
(動物じゃないわ。あれは確かに人のもの)
 彼は目を凝らし、ぎょっとする。
 道の反対側の草むらから、強面の屈強な男達が姿を現したのだ。
 ざっと見て、四十人以上はいそうだ。
(どう見ても山賊ね。この山にそんなのがいるなんて聞いてないわ)
 物々しい一団に、背筋がぞっとする。
 光竜は一層息を殺し、気配を消した。
 もし見つかったら、いくら剣に自信があっても無事ではすまないだろう。
 多勢に無勢とは、まさにこのことだ。
 それでも用心は怠らず、いつでも剣を抜けるように身構えながら、彼はじっと身を隠していた。
 山賊たちは声をたてずに合図しあい、忍び足で広場に向かっていく。
(奇襲をかける気ね)
 光竜は彼らが去っていくのを見て、そろそろと草むらから出た。
(どうしよう、皆に知らせないと)
 山賊より早く広場に着かなければ、姫をはじめ多くの若君たちが危険にさらされることになる。
 先ほどよりもっとあせる思いで足を動かしながら、光竜は天幕を目指して進んでいった。





 広場では、そろそろお開きの雰囲気が漂っていた。
 酒も軽食も振舞われ、家人たちは天幕や敷物、杯や皿を片付け始めている。
「遅いですな」
 呉考は、山道に目を走らせた。
 もうあと一人――光竜だけが戻ってきていない。
 斗信は薄笑いを浮かべながら、酒を飲み続ける。
(戻ってくるわけがない。このわたしが仕留めたのだから)
 心からぞくぞくする思いを、斗信はこらえきれずにいた。
 これで邪魔者はいなくなった。
 上州の領主の座は自分のものだ。
(帰ったら、やることは山ほどあるぞ。まずは、あのいまいましい国境警備のやつらを下げて、密輸取締りの法を撤回せねば)
 あれこれ考えをめぐらせ、斗信は微笑んだ。
 作戦は成功し、未来への道が開かれたのだ。
 これが喜ばずにはいられようか。
(いつまでも待つがいいさ。あの小僧が来るわけないぞ)
 一人にやにやと笑いながら、斗信は酒を楽しんでいた。






 皆が帰り支度を始めた時だった。
「ん?」
 呉考は、はっと顔色を変える。
 黙って体を緊張させた。
 彼だけではない。
 数人が、やはり身をこわばらせる。
 何かいる。
 繁みに、草むらの影に息を殺し、鋭い殺気をみなぎらせて。
 そろそろと、呉考は剣に手をかけながら後退した。
 自分の愛馬の方まで下がり、いつでも飛び乗れるようにかまえる。
 彼は、自分で思っているほど勇敢でも正義感にあふれているわけでもなかった。
 剣の腕は見事なのに惜しいことである。
「どうしましたか、呉考殿」
 引き下がる彼に、斗信が問いかけた。
 その彼も、次の瞬間はっとする。
「うりゃあーっ」
「やっちまえっ」
 勢いのついたかけ声と共に、草むらから何人もの武装した男達が現れたのだ。
 構える隙も与えず、彼らは切りかかってくる。
「うわあっ」
「早く逃げろっ」
 若者達は皆恐れて、右往左往逃げ惑った。
 動ける余力のあるものは馬に騎乗し、この場から駆け去っていく。
「お、お待ちを」
「姫様を、姫様をお助けくださいっ」
 家人の悲鳴にも取り合わずに、若君たちは勇気を示すことなく、皆散り散りに逃げ去ってしまった。






「何事なの?」
 天幕にいた華玲は、物音を聞きつけ、外へ飛び出した。
 そして息を飲む。
 悲鳴をあげなかったのは流石というべきか――山賊の襲撃に、彼女はあわてて護身用の短剣をかまえた。
 しかし。
 頼りになるはずの求婚者達は、彼女達を見捨てて自分だけ逃げ去って行く。
 荒くれ男の集団に囲まれ、動きにくい姫の衣と短剣では、どうにもこうにも太刀打ちできなかった。
 あっという間に捕まえられ、縄で縛られてしまう。
「放しなさいっ、この無礼者っ」
 必死にもがく彼女を、彼らは笑いながらこづいた。
「こりゃあ、たいした器量じゃねえか。一番の獲物だな」
 華玲は彼らを睨み据える。
「ほお、なかなか度胸があるな」
 いかにも頭目といった風情の男が、彼女のあごに手をかけた。
「俺は気の強い女が好みでな。お前は俺のものにしてやるよ」
「おあいにく様。あたくし、あなたの情婦になんか、絶対なりませんから」
 華玲は、にっこり笑ってみせる。
(実は、なりたくてもなれないのよね、あたくしって)
「おいっ。引き上げだ」
 彼の合図で、残された物をあさっていた男達は、顔をあげた。
 頭目にかかえられ、華玲も連れて行かれる。
「おいっ、さっさと歩け。なんならかついでいってやろうか」
 いやらしい目つきで迫ってくる頭目に、ふんっと華玲は顔をそむけた。
「やれやれ、これは嫌われたもんだ。だがな、お前の前でちやほやしていた貴族のやつらはどうだ? みんな行っちまいやがった。あんな連中より俺達の方が、よっぽどましだぜ。よく考えるんだな」
「……」
 返す言葉も出ない。
 華玲は、惨事を見ながらため息をついた。
(確かに情けない方ばかりだったわ。いざとなると自分のことだけ)
 広場にころがっているのは、ほとんど華玲についてきた家人たち。 主を守ろうとして、体をはってくれたのだ。
 それを見た彼女の目が潤む。
(みんな……あたくしのために)
 貴族の若者は、誰一人として残っていない。
(みんな無事に逃げたようね。ま、それはそれで良かったのでしょうね)
 彼女は目を伏せ、歩き出した男達に無理矢理引きたてられていった。








 山賊たちとほとんどすれ違いに、光竜は広場に着いた。
 でも――。
(遅かった!)
 光竜は、広場の有様を見て舌打ちする。
 結局鷹は邪魔になるので、途中に置いてきてしまった。
 あとで取りに戻ることが出来ればよし。今は、早く山賊のことを伝えないと――。
 そう思って急いだが、彼らの方が地の利がある。
 追いつくことは出来なかったようだ。
「うっ……」
 うめき声に気付き、光竜は倒れている者に駆け寄る。
「大丈夫? しっかりして」
 抱き起こすと、その家人は光竜の手をつかみ、懇願した。
「わたしは大丈夫です。それより……それより、お願いです、姫様を……」
「姫様?」
「華玲様を……どうか、お助けください」
 光竜は、辺りを見回した。
 彼女の姿は、どこにもない。
(あれだけの器量だもの。山賊に連れていかれたのね)
 彼はため息をつくと、家人を助けて木の下に連れて行った。
 幹を背に座らせると、持っていた竹筒から水を飲ませる。
「ありがとうございます」
 どうやら大丈夫そうだとほっとして、光竜は家人に命じた。
「少し休んで、動けるようになったら、屋敷に知らせに行ってくれ」
「あの、若様は?」
「わたしは山賊を追う。姫をお助けしないと」
 このまま見捨てることも出来るが、やっぱりそれはしたくない。
(あんなに気位の高い姫が、山賊におもちゃにされるなんて、とても辛いことよ。なんとかしてあげられたら……)
 光竜は辺りを見回し、何かないかと探してみた。
 そのかいあって、引きちぎられた天幕の中から、回収された矢を見つけ出す。
(山賊に押収されてなくて良かったわ。剣一本じゃ太刀打ちできないし……あっ、あれも使えそう)
 役に立ちそうな物を見つけて、彼は身支度を整えた。
 彼らの残した足跡が、広場からくっきり道についている。
(急がなくちゃ。暗くならないうちに追いつかないと――)
 光竜は勇気を奮い立たせ、小走りに山に入った。








 山賊の一向は、山の中腹まで登りついた。
「よし。ここらで別れるか」
 頭目の合図で、何人かが列から抜けていく。
(どこへ行くのかしら)
 不思議そうな華玲に、頭目は、がははと笑った。
「収穫があったからな。今夜は酒盛りだ。そのための獲物を仕留めるのさ」
 他の男たちもニヤニヤ笑う。
 見るに耐えられず、彼女は不機嫌そうに顔をそむけた。
「お前さんも少し足が疲れたか、ん?」
 頭目は猫なで声で言うと、皆に休息を申し渡す。
 別れたため、華玲の周りにいる男たちは十人に満たなかった。
(縛られてさえいなければ、この人数なら振り切って逃げられるのに)
 華玲は身をよじるが、縄は切れそうもない。
 あきらめて彼女は目を閉じ、様子をみることにした。
 木陰や岩に寄りかかり、男達は座って休む。
「お前はこっちだ」
 華玲は、頭目の横に座らされた。
「何をするの」
 突然襟元に手を伸ばした頭目に、華玲はおどろいて飛び退る。
「おっと。ちょっとぐらい味見をしたっていいじゃねえか」
「冗談じゃないわ。あたくしに触れたら承知しませんよ。ここで舌をかみきってやる」
 華玲の叫びに、頭目は肩をすくめた。
「やれやれ。俺は気の強い女が好きだと言ったが、往生際の悪い女はごめんだ」
 そう言うと、彼は華玲を引き寄せ、耳元にささやく。
「お前もいい加減おとなしくするんだな。でないと痛い目を見るぞ」
 華玲は悔しげに唇をかんだ。
「そうそう、おとなしくしてな。いい子だ」
 頭目は、彼女の襟の隙間から手を差し入る。
 抵抗の手段はなく、顔をゆがめて、彼女はされるがままになった。
「うん、いい肌触りだな、こりゃあ」
 満足そうに頭目は、彼女の胸に触れる。
(うっ、気持ち悪い……)
 華玲は、思わず目をつぶった。
 男の這い回る手はとても不快だ。
 頭目の顔色が変わる。
 どうやら気付いたようだ。
「おっ、お前、まさか……おと」
 男、と叫ぼうとして。
 彼は突然、言葉をとぎらせる。
 そのまま、どさっと華玲の方に倒れこんできた。
「きゃあっ」
 彼女の悲鳴に、周りの男達も異変を察し、顔色を変える。
「お頭っ」
「お頭っ。しっかりしてくださいっ」
 頭目の背には、深々と矢が突き立っていた。
 山賊たちは、一斉に武器を手に身構える。
「ちくしょう、どこだ」
 辺りを用心深く見回す男達の頭上から、何かが降ってきた。
「うわあっ」
「なんだ、この匂いは」
 木の枝や藁にまじって、異様な匂いと煙が辺りを覆い隠す。
「ちっ、これは煙玉かっ」
 男の一人が叫んだ。
 もうもうと立つ煙――それにはわずかだが神経を鈍らせる効果がある。
 本来なら狩のとき、見つけた獲物に使われるものだ。
 彼らは白い煙に包まれ、完全に視界を奪われてしまう。
「くそっ、どこだっ」
「出て来いっ」
 勢い叫んで構えても、白煙に覆われて辺りの状況が見えず、ただうろうろすることしか出来なかった。
 それから少しして、山の風に煙がはらわれた時。
 あの美しい姫君のの姿は、もうどこにもなかった。







「こっちだ、早く」
 小柄な少年に手を引かれ、華玲は必死に走っていた。
 道ではなく、草を掻き分け進むので、時折小枝や鋭い棘が彼女の衣や肌を引っかける。
 少し開けた場所に来ると、少年は彼女の方を向いた。
「大丈夫ですか、姫」
「……」
 華玲は、少年――光竜を、大きな瞳で見つめる。
 彼自身の方が、実は彼女よりも大きく肩で息をしていた。
(よりによって、この子に助けられるなんて……)
 言葉もなく、ただ見つめていると、彼は顔を上げ、柔らかく微笑む。
「間に合ってよかった」
 その笑顔に、華玲は素直に礼も言えず、ぷいっと顔を背けてしまった。
(まったく……他にも勇敢そうな殿方があたくしのまわりにたくさんいたっていうのに、どうしてこんな子が来たのよ)
 ただでさえ意地悪してしまっている相手だと言うのに、ばつが悪いとはこのことだ。
 機嫌の悪そうな姫を見て、光竜は肩をすくめる。
 彼にも彼女の微妙な感情が伝わってきて、それ以上何を言うことも出来なかった。
 ただいつまでもここにいるわけにもいかなくて――光竜はしかたなく小さな声で、行きましょうとつぶやき、先に立って歩き出した。







 姫の手を引いて、光竜は麓へと向かった。
 しかし地の利がまったくわからない。
 たぶんこっちだろうと思う方向に足を向けるが、さっぱり広場は見えてこなかった。
 やがて日は暮れ、辺りは暗くなり、周りが見えなくなってしまう。
(参ったな。これは)
 光竜は舌打ちした。
 こんな状況じゃ、道を探そうにもわからない。
 方向を間違えれば、確実に遭難してしまう。
「……」
 立ち止まり、迷っている彼に、華玲はため息をついた。
(どうやら道に迷ったみたいね)
 彼女も、さっきから歩き続けて疲れている。
「道に迷われたようですね」
 華玲が声をかけると、光竜は肩を落とした。
「申し訳ありません。わたしもここは初めてで――姫はおわかりになりませんか」
「あたくしがわかるわけないでしょう」
 華玲はそう言うと、やれやれと彼に提案する。
「とりあえず闇雲に歩いたって、しょうがありませんわ。どこかで今夜はしのいで、日の出るのを待たないと」
「そうですね」
 思ったよりしっかりした姫の言葉に、光竜はうなずいた。
「先ほどから水音がしますわ。どこかに川があるのでは? あたくし、のどがからからですの。そちらに参りましょう」
「あ……はい」
 先ほどとは反対に、今度は華玲が光竜の先に立って歩き出す。
(立場が逆になってしまったわ。なんか……複雑な気分)
 光竜には、確かな足取りで歩いていく華玲が何だかとても頼もしく思えた。
(あたしが助けなくても、ひょっとしてこの人、一人で逃げられたとか)
 そんなことまで思ってしまう。
 華玲は進みながら、ひっかかった木の枝を拾い、小脇に集めた。
(枝なんか何にするのかしら)
 そう思いながら、光竜も何気に枝を拾って集める。
 しばらく草をかき分け進むと、水音がはっきりと聞こえてきた。
 華玲は光竜の手を離し、丈の高い草をかき分ける。
「ありましたわ」
 嬉しそうに彼女は言った。
 草の向こうは、小さな石がころがっている川原だった。
 水が小川を作り、気持ちのよい音を立てて流れている。
 華玲と光竜は、川原に足を踏み入れた。
 小石を踏みしめ、休めそうな場所を探す。
 あちこちに大岩が突き立っており、十分身を隠してくれそうだった。
 華玲は岩陰の一つに回ると、石を積み、枝を置いて焚き火を作る。
「光竜様。火をお貸しくださいな」
 彼女が差し出した手に、光竜は懐から火打石を出して乗せた。
 華玲は、まったく慣れた手つきで火を焚きつける。
「こんなに明るくしたら、見つかるのではありませんか」
「大丈夫ですわ。連中、もうあきらめてると思いましてよ、今夜は」
 華玲は確信ありげに答えた。
「いくら地の利に明るいと言っても、彼らも人間。この暗さではどうすることもできません。わざわざ松明をかかげて探さねばならぬほど、あたくしは大切な略奪品でもありませんし」
「どうでしょう。あなたをあきらめられる男がいるでしょうか。あの山賊だって男でしょうし」
 苦笑しながら光竜が言うと、華玲はふっと笑む。
「頭目は、あなたが倒しておしまいになりましたわ。それに、もしそうだとしても」
 先ほどの頭目の驚いた顔を思い出し、華玲は軽く息をはいた。
(あたくしを男と知って追って来るわけないわよ。ま、いい具合にばれて良かったってとこかしら)
 それ以上何も言わずに、華玲は燃える温かい炎に手をかざす。
 そんな彼女を、光竜は焚き火の向こうから不思議そうに見つめていた。







 春とはいえ、日が落ちれば少し肌寒くなってくる。
「流石に夜は冷えますね。寒くありませんか、姫」
 ふるりと身を震わせて、光竜がかけた声に、華玲は首を横にふった。
「そうですか」
 光竜は、また黙り込む。
 さっきから、ずっと二人は沈黙が続いていた。
 お互い何を話したらよいのかわからなかったし、光竜は眠気もあって、時々火を見ながらうつらうつらしてしまう。
 華玲がちらっと彼を見ると、もう相当眠いのだろう――横の岩にもたれて、光竜は目を閉じ、寝息を立てていた。
(あら、あどけない寝顔だこと。朝早かったら疲れたのね)
 整った顔立ちは、少年というよりまるで少女のようになめらかだ。
 華玲はほっと息をつくと、光竜の寝顔をじっと見る。
(まったく、この子は大馬鹿者だわ)
 冷たい言葉を言われ、家宝まで取られてしまったというのに。
 それでも自分を助けてくれるなんて――。
 なぜか暖かい感情が、華玲の胸に込み上げてきた。
(本当は照れ屋で、素直にあたくしのところに来れなかったんじゃないかしら。そうよね、きっとそうだわ)
 華玲はそう思い、彼の寝顔に小さく微笑んだ。
 そして自分の衣を一枚脱いで、彼にそっとかけてやる。
(目覚めたら、お礼を言ってあげなくっちゃ。そして……)
 彼に対するわだかまりが、少しずつ消えていく。
 華玲は親しみを込めて彼の寝顔を見守りながら、一夜を明かした。






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