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第十三章『発覚』一
 上州領主、魁光竜の逮捕に、州城は震撼した。
 誰もがまさかと顔を青ざめさせる。
「女だったなんて――光竜様が」
「どうしてそんな罪深いことを」
 官は右往左往し、皆、混乱していた。
 そんな中、斗信は悠々と領主の執務室に赴き、領主の座に着く。
 この日のために備えてきた根回しの出来ている貴族や官を用い、確実に自らの政治体制を確立させていった。
 ずっと光竜によって敬遠され、遠ざけられてきた者たちは、みな得意顔で州城を闊歩し、今まで重く用いられていた官たちを次々と捕らえて処分する。
 後の憂いを断つために、斗信は容赦なく自分に従わぬ者を切り捨てた。
 ある者は斗信の前に膝を折り、またある者は、目立たぬように逃亡する。
 今や州城は血と冤訴が満ち、おぞましい場所と成り果てていた。




 州城の別館は、ひっそりと静まり返っていた
 愛利はかける言葉もなく、己の主を見つめる。
(華玲様)
 居間の椅子に座り、身動き一つしない姫に、愛利のため息は増すばかりだ。
 光竜が捕らえられてから、華玲は椅子に座ったまま、動こうとしない。
 朝が来ても、夜になっても、彼女はぴくりともしなかった。
(よほどお心が傷ついてしまったのだわ――無理もないけど)
 そっと華玲の様子を見ながら、彼女も信じられないと胸のうちでつぶやく。
 まさか光竜が女だったとは。
 華玲は自分が光竜を騙してきたつもりが、実は騙されていたのだ。
(これから華玲様はどうなるのかしら)
 州城にいる斗信は、まだ何も言ってこない。
 愛利は先を慮って胸が重くなった。




 時が止まったままの別館に、二人の人物が訪れた。
 常磐と雄那である。
 常磐は変わり果てた姿の華玲を憂い顔で見つめ、その手を取った。
「おかわいそうに――心中お察しいたします、華玲様」
 涙を浮かべ、痛んでくれる彼女の声に、やっと華玲は顔をあげた。
「まさかあの光竜様が、あなたを騙していたなんて。わたくし、信じられませんわ」
「……」
「お気の毒に――あれほど想っていらしたあなたのお心を欺くなんて、なんてことでしょう」
 華玲は何も言えず、常磐を悲しげに見つめる。
「辛いでしょうが元気をお出し下さいな。世の中にはもっと良い殿方がおられます。華玲様を心から愛し、幸せにしてくださる方が。さ、もう泣き止んで、いつもの微笑みをお見せください」
「ありがとう、常磐姫」
 華玲は弱弱しく微笑んだ。
「あたくしをこんなにも心配してくださって――でも今は何も考えられないのです」
「そんな……どうか元気を出してください」
 常磐は一生懸命、華玲を励ます。
「そうですよ、華玲姫。あなたは絶望にのまれるほど弱くはないはずだ。光竜様のことは、もうお忘れにならないと」
 力強い声に、華玲ははっと目を向けた。
 雄那が常磐の横で微笑んでいる。
「雄那様、あれから州城は――」
「斗信が新たな領主となり、体制を整えつつある。光竜様――いや、香蘭姫の処分は本日決るでしょうが、おそらく極刑はまぬがれますまい」
「そんな……」
「皇帝陛下からも、強いお言葉が下っている。法を重んじねばならない領主の家に生まれし者が、このように民と国を欺き、権力を握るとは許しがたし。極刑を持って対せよ、との宣旨が届いたとか」
 淡々と語る雄那の口調に、華玲は激した声で叫んだ。
「雄那様。あなたまでが光竜様をお見捨てになるのですか。斗信がどういう者だかわかっていながら、あんまりですわ」
「華玲姫?」
「斗信は恐ろしき野望を持った者。皇帝陛下をも狙う不届きな輩です。あなたはそんな者にこの上州の領主が勤まると、本気で思っていらっしゃるのですか」
「姫、あなたは……」
 雄那は怪訝そうにつぶやき、はっとした。
「まさか、あなたはご存知だったのか、香蘭姫のことを」
 唇を噛みしめ、華玲はじっと雄那を睨む。
「なんということだ」
 驚いたように、雄那は口をあけた。
「あなたはすべて承知の上で――」
「斗信がどういう者かわかっているのなら、光竜様のお気持ちもおわかりになるでしょう。あの方はかよわい少女の身でありながら、前領主を殺害し、領主の地位に着こうとしたあの者を許せず、大罪とわかっていながら事を起こされたのです」
「……」
「あのような男に兄の守ってきた領地を渡してはならないと、今日まで必死に――そのお心をどうして理解してくださらないの? いいえ、わかってくださらなければいけませんわ」
 華玲はそう叫ぶと長椅子から立ち上がり、雄那の前に跪いた。
「お願いです、雄那様。どうか皇帝陛下にお話くださいませんか、光竜様のことを」
 華玲に迫られ、雄那は一歩身を退く。
「光竜様の犯した罪は罪。でも事情はあったのです。どうかそれを皇帝陛下に申し上げて、あの方の助命を――お願いです、雄那様」
「華玲姫、それは出来ません」
 顔をゆがめ、雄那は辛そうに答えた。
「竜神の法は我が国では絶対のもの。皇帝陛下は特にそれを重じておいでのお方。どんな事情があろうとも曲げることは許されません。そんなことを奏上できるわけがない」
「では斗信は? 前領主を暗殺した罪は、大罪ではないと仰るの? あの男は誰も罰してはくださらないのですか」
「証拠がない。皇帝陛下といえど証拠がないものを罰することは出来ません。天の前に、今斗信は潔白な男なのです」
「そんな馬鹿なことがありまして?」
「それが事実だ。華玲姫」
 雄那は顔を背け、きっぱりと告げる。
「どんな理由があったとしても、香蘭姫は天の前に罪を犯された身。言い逃れも裁きを免れることも出来ないでしょう」
「……」
「今、あなたが仰ったことは聞かなかったことにします。姫、今後、一切そんなお考えはされぬように。あなたが今、口にされたことは、はっきり申し上げて天の前に大罪となる。あなたもまた竜神の法を破ろうとしているのですよ」
 華玲は悔しくて拳を握りしめた。
(あたくしでは、光竜様の何のお役にもたたないの?)
 何の策も思いつかない自分が、辛くて情けない。
(もうあの方のために何もしてあげられないの? あきらめるしかないの? そんなことって――)
 絶望に瞳を染める華玲を、哀れむように雄那は見た。
「姫、あなたもすべてを忘れて、領地にお帰りになるといい。そして新しい出会いを見つけるのです。いつまでも過ぎたことを悩んでいては前に進めませんよ」
 彼女のために言ったのだが、何の返答も返ってこない。
 ため息を落とすと、雄那は常磐をうながし、静かに館を立ち去っていった。




 客人が去った居間に、また静寂が戻る。
「あの、華玲様」
 二人を玄関まで見送ってから、愛利は恐る恐る訊ねてみた。
「華玲様は、本当にご存知だったのですか。光竜様のことを」
 愛利の言葉に、華玲はうなずく。
「そんなことが――わたし、ちっとも気付きませんでしたわ」
 一体いつお気づきに? と首をかしげる彼女に、華玲は答えた。
「あの方が山賊に襲われたあたくしを助けてくださった時に――瀕死のお姿になりながら、それでもあたくしの無事を確認しに来られたあの時に、あたくし、わかったの」
「えっ……ということは、華玲様……」
 愛利は、ぽかんと口を開ける。
「そうよ、あたくしにはわかっていたわ。光竜様が絶対にあたくしを妻にしないと。だから」
 だから利用したのだ。
 父の勧める結婚から逃げるために。
 そう、ただそのためだけのはずだった、この上州に来たときは。
 目を閉じ、華玲は過ぎし日に想いをはせる。
 お人よしで優しい少女。
 困っている人を見ると、ほっておけない性格だとわかっていて、彼のところに押しかけた。
 でもいつしか彼に惹かれてしまい、運命は大きく華玲を変えてしまったのだ。
(あの頃は、まさかこんな風になるなんて思いもしなかった)
 華玲は静かに瞳を閉じる。
 後悔はしていない。
 どんな結果であれ、光竜と出会ったことを悔いる気持ちはなかった。
(光竜様、今頃どうしておられるかしら)
 華玲は窓の外、州城を見やる。
 その地下深くにある囚人の牢獄。
 日も射さず、希望のかけら一片もない冷たい場所。
 未来をあきらめ、静かに最後の時を待つ少女のことを思うと、華玲は苦しくてどうしようもなかった。
(光竜様、せめて今、あなたのお側に行って、お慰めすることが出来たらいいのに)
 あきらめきれず、少女を思って、華玲は頬にひとすじの涙を流した。




 薄曇りのどんよりした気配がたち込める執務室。
 悠々と上座にふんぞり返った男を眺め、扶安はぼんやりと考えていた。
 以前、ここはとても明るくて、温かかった気がする。
 雨の日も雪の日もあったはずなのに、どうしてそう思うのだろうか。
 やはり主の器量というものはあるのだと胸の内に感じながら、彼は神妙な顔で礼をした。
 斗信は、ぎろりと扶安を見る。
「お前も随分面白い男だな」
 視線に動じず、扶安は表情のない顔で自分への評価を受け止めた。
「恐れ入ります」
「お前には、恥も外聞もないとみえる。真恵とあの小娘に重く用いられたであろうに、こうも簡単に主を見限るとはな」
 今度はわたしに仕えようとするとは――鼻で馬鹿にしたように笑いながら、斗信は彼を嫌な目線でいたぶる。
 しかし皮肉や嫌味にも動ぜず、扶安は淡々と答えた。
「わたしはこの上州の州官です。上州領主様にお仕えするのが勤め。たとえどんな方であろうと、国より認められた正当な領主様である限り、誠心誠意を尽くしていく所存です」
「ほう、それで? このわたしがお前を信頼し、側に置くと思うのか」
「はい」
 顔色一つ変えず、澄まして肯定する男に、斗信の興味は増していく。
「お前とつるんでいた警護長官は、さっさと逃げ出したようだが」
「彼とわたしは価値観も人生の目的も違います。わたしに言わせれば、ああいう態度は職務怠慢。上州の警護を司る責任者としてあるまじき振る舞いかと思います」
「もしあやつが再びこの地に戻ってきて、わたしに刃を向けたとき、お前は一体どうするのだ」
「もちろん領主様をお守りする最善の策を考えて、あいつを破滅に追い込みます」
 淡々とした口調、当たり前のことを何故聞くのかとでも言いたげな答えに、斗信は破顔した。
「で、お前を側に置くとしたら、わたしに何の得があるのか」
「先代及び先々代の領主様に用いられたわたしの頭脳と忠誠心を持って、あなたの望みを必ずかなえて差し上げましょう」
「わたしの望み? それがなんだか知っているのか」
 斗信の問いに、ずばりと扶安は答える。
「この国の変革。あなたの理想とする国に生み変えることと心得ています」
 彼は懐から書付を取り出し、斗信の前に差し出した。
「とりあえずこれを」
「何だ、これは」
 斗信の不信げな顔に、扶安は薄く笑う。
「わたしが考えた秘策です。あなたの望みをかなえるために、今一番効果的な方法だと自負しています。どうぞご検分を」
 斗信は書付に目を走らせ、唇をゆがめた。
 最後まで読み終わり、低くうなる。
「確かにお前は有能だな」
「恐れ入ります」
 扶安は一礼し、言葉を続けた。
「一気に中央を狙うなど愚の極みとしか思えません。まずは周囲を固めることから始めるべきかと」
「そうだな」
「行州は上州と都の間に位置する州。ここを押さえるのは必須です。幸い風向きは、こちらに有利。何故なら行州領主の宝が、この地にはあるのですから」
「ふふふ……そうだったな。生かしておいて正解だったか。あの女に、こんな使い道があるとは」
 面白そうに斗信は言った。
「よし、お前の策に乗ろうじゃないか。気に入った。今日からわたしの元で働くと良い。成果次第で、報酬は望みのままにくれてやる。わたしは頭の固い前領主とは違うからな。最高の快楽をお前に与えてやるぞ」
「ありがとうございます」
 気分良く笑う斗信に、扶安は静かに頭を下げる。
 彼の表情には以前と違い、何の感情も浮かんではいなかった。


 扶安が執務室から出て行くと、横に控えていた斗信の側近が近づいてくる。
 顔を曇らせ、彼は不安そうに問うた。
「あの男、信用出来るでしょうか」
「心配することはない。先々代領主の側近にして親友も同然の男だと聞いていたから、わたしも警戒していたのだが――これを見ろ」
 斗信はにやりと笑い、扶安の残した書付を側近に投げやる。
 受け止め、目を通した側近の顔がみるみる青ざめた。
「こ、これは、また……」
「面白かろう。こんな非道極まりない策を提案出来るのだ。よくも今まで頭の固い連中の下についていたものよ」
「そうですね」
「魁家に対する忠誠心など欠片も残っておらぬようだ。良いではないか。前領主の側近をすべて始末するより、使える者は召し抱えておくことで、わたしの評判も上がるだろう」
「さすが斗信様。お心が広くていらっしゃる」
 両手をもみ合わせながら、側近はお世辞を言う。
「ですがどうぞ古株の我らのこともお忘れなきよう、よろしくお願いいたします」
「わかっておる。そう急くな」
 煩そうに斗信が顔をしかめたその時、下官が一人、入ってきた。
「失礼いたします。斗信様、お屋敷から御文が届いております」
「文?」
「春奈姫からです」
 姫の名を聞いたとたん、斗信はさも嫌そうに眉をひそめた。
「ここへ置け。あとで読む」
 下官は文を卓の上に載せ、一礼して出て行く。
 側近と二人きりになると、斗信は無造作に文を掴み、びりっと表紙を破いた。
 中の文を取り出し、目を通す。
 女らしい丸みを帯びた文字で、執務の労苦をねぎらい、早くお戻りにと書かれていた。
(早くあなたにお会いしたい。帰宅を心待ちにしています。あなたの妻 春奈――ふん、わずらわしい女だ)
 読み終わり、彼は文をぐしゃっと握りつぶす。
「そろそろ春奈も用済みだ。母親共々始末せねばな」
「そうでございますね。この策を実行するためには、決まった許婚がいると面倒なことになりますし、早めに手を打っておいたほうがよろしいかと」
「それなりに役に立ってくれた女だ。苦しませずに逝かせてやろう」
 そう言って、斗信はにやりと笑った。
「今日は屋敷に戻ると伝えよ。義理の母君を招待して、家族最後の夕餉を取らせてやらないとな」
「ご命令どおりに手配いたします」
 側近は一礼し、命じられたことを成すため執務室を出ていく。
 あとに残された斗信は笑みを顔に浮かべ、窓から外を見た。
 庭園の向こうに小さく別館の屋根がある。
 その中で今、国一の美姫は何を考えているのだろう。
(まあ、あの女の思惑などどうでもよい。どうせ最後はこの手に落ちるのだ。ふふふ、気位の高いあの顔が、わたしの前に跪く瞬間が待ち遠しいぞ)
 ずっと望んでいたことが、一つ一つ実現していく。
 国を盗る日も近いはずだ。
 その時、やはり自分の側には――。
「誰もが誉めそやし、あこがれ、手に入れられなかったほどの最上級の女でないとな。しけた家柄の血を持つ小娘など、このわたしにはふさわしくない」
 高慢きわまりない欲望を胸に、斗信の暴政が始まろうとしていた。


  
 州都の変革は、まだ州境にまで届いていなかった。
 深夜。
 行州に向けて騎馬が一頭、全速力で州境を駆け抜ける。
 幸い見張りの警人は知り合いだったので、騎馬の主は深く疑われずに検問を通過することが出来た。
 検問からかなり離れた街道で、やっと馬は足を止める。
 闇色の被い布で身を包んだ青年は、やれやれと馬の背で一息つく。
「なんとか上州を脱出出来たな」
 無骨で単純な顔をしかめ、彼は前方を見やった。
 夜が明けるまで、まだ少し時間がある。
 本来はこの時間、みな寝静まって動くはずはないのだが、隠密行動を余儀なくされている彼には、一番都合の良い時刻だ。
「なんとか間に合うといいが」
 そうつぶやき、黒衣の青年、善慈は顔を曇らせる。
「それにしてもあいつはまったく――人をこき使いやがって」
 思い出したのか、苦々しげに一人悪態をついた。
「こんな無茶苦茶で行き当たりばったりな策が通用するのか? 骨折り損になるかもしれないぞ、こりゃあ」
 腹立たしそうにため息をつくと、脳裏にしたたかな顔をした親友の姿が浮かぶ。
『他に手立てがあるというのか。何事もやってみなければわからないだろう』
 そう言ってとんでもない策を自分に押し付け、自らもっと危険な役目を果たすため、一人窮地に残った親友。
「全部片付いたら、覚えてろ。たっぷりお返ししてもらうからな」
 頭の中にいる友の残像にそう言って、善慈は街道をまっすぐ進んでいった。

 


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