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第一章『邂逅』二
 自分に与えられた部屋に下がり、光竜はため息をつく。
(何か面倒なことになったわね。それもこれも、みんな斗信のせいよ。あーあ)
 椅子に座って頭をかかえている彼の前に、暖かな湯のみが差し出された。
 友美が、どうぞ、と緑茶を出してくる。
「ありがとう」
 元気のない声で、それを受け取り、口をつけた。
 暖かいお茶が、彼の体に染みとおる。
「あー、美味しい。ほっとするわ」
「本当に大変でございましたわね。この傷といい、おいたわしいことです」
 友美は心配そうに、手当てをした肩を見た。
「ま、これはこれでいいわよ。明日は宴だけど、それまであたしはこの部屋から出るつもりはないわ。傷が痛んで、休んでいるって言えばいいしね」
 彼は笑って、また一口茶をすする。
「さっさと退散よ。これ以上、面倒に巻き込まれたくはないわ。州城から何か連絡は?」
「これといってございません」
「そう。なら、良いけど」
 光竜は、ほっと息を吐いた。
 それにしても。
(ま、うわさ通りの姫様だったわねえ。ちょっと気位が高そうなのが、いまいちだけど)
 華玲の艶姿を思い出し、彼は苦笑する。
 彼女の容姿や性格など、自分には関係ない事だ。
 ここに集った若者たちの誰かが、姫の心を射止めることになるだろうし。
 何を考えているのか――黙ってしまった光竜を、友美は心配そうな目で見つめる。
「なあに?」
 何か言いたそうな彼女の顔に、光竜は気がついた。
「あの、先ほど厨房で耳に挟んだのですが……今、華玲姫のご機嫌が、すこぶるお悪いとか」
「あら、何かあったの?」
 無邪気に問い返す彼に、友美はため息をつく。
「何でも先ほど姫様を拒絶した若君がいたそうで、姫様は大層お怒りで、なんとしてもその若君をとっちめてやるっと息巻いているそうですわ」
「随分命知らずがいたものね」
 光竜は、愉快そうにくすくす笑った。
(あの気位の高い姫のことだもの。相当いじめ抜くでしょうよ。まったくどこの馬鹿かしら。あの姫の機嫌をそこねるなんて)
 姫に敵視されるということは、ここに集まった若者すべてを敵にまわしたも同然だ。
「姫様が負傷した若君に手当てを申し出られたそうですが、その若君は、逃げるように姫の前から立ち去ったとか」
「え……」
 光竜は、思わず飲みかけの茶を噴出してしまう。
「何ですってえっ、悪い冗談でしょ?」
「だといいんですけど……」
 友美の不安そうな顔に、光竜の顔から血の気が引いた。
(嘘っ、ちょっと何てことなの)
 別に姫を嫌っているわけではなく、自分の都合上、お断りしただけだ。
 なのに、あらぬ誤解を受けてしまったらしい。
(もう、何てことなの。これ以上厄介ごとには、首をつっこみたくないのに……)
 穏便に帰らせてもらえるのだろうか。
 一気に自信を失くし、重苦しい胸を抱えて、光竜は椅子にぐったりと陥没してしまった。



 屋敷の奥では、凄まじい物音が鳴り響き、家人が声を張り上げていた。
「華玲様、お静まりください」
「華玲様!」
「うるさいわね、ほっといてちょうだいっ」
 一番美しい家具調度が整えられていたはずの部屋は、物取りにでも入られたかのような状態である。
 自室に下がった華玲が、室内の様々な物に苛立ちをぶつけていたのだ。
 衣は引き裂く、置物は投げる、屏風は倒され、椅子は横倒し――部屋の中は惨憺たる有様だ。
(あのなまいきな子! 何とか恥をかかしてやる方法はないかしら)
 ひとしきり暴れ、投げられる物は投げつくし、彼女は息も荒く立ち上がる。
 ガラクタ置き場と化した部屋をうろうろしながら、必死に頭をめぐらせた。
 しかしなかなか良い方法が見つからない。
「おやおや、我が姫君は随分ご機嫌ななめだね」
 部屋の戸が開いて、父の泰 仁栄が姿を現した。
「お父様」
 華玲は父の胸に飛び込み、わーっと泣きじゃくる。
「あんな侮辱を受けるなんて、生まれて初めてですわ。お父様、あたくし、悔しくてしょうがありません」
「まあまあ。そう怒るな、華玲」
 父は、なだめようと彼女の背を優しく撫でた。
「彼は、お前の命を助けたそうじゃないか。それにまだ子どもだ。許してあげなさい」
「嫌です。大勢の殿方の前で恥をかかされたのですわ。あたくし、我慢できませんっ」
 身を震わせ、華玲は泣き続ける。
(やれやれ、この子も聞き分けがもう少し良ければいいんだが――)
 たった一人の愛娘と、今まで甘やかしてきたかもしれない。
 ちっとも泣き止まぬ華玲を抱きしめながら、仁栄は大きなため息をついた。





 奥の騒動は、客人たちの宿室までは届いていなかった。
 先ほどの屈辱を酒でまぎらわそうと、呉考は一人、部屋で杯を干す。
 そんな気分の良くないところに、思わぬ来客があった。
「失礼する」
 呉考は、部屋を訪れた人物を見て、眉をひそめる。
 中 斗信――先ほどの試合で、自分に負けた男だ。
「何か御用かな」
 警戒しつつ、声をかける。
 光竜の介入でうやむやになったが、本当は彼こそが呉考を殺したいほど憎んでいたはずだ。
 さっきは危ういところで命びろいしたが、今度は何だというのだろう。
 不信げに彼を見つめる呉考に、斗信は笑ってみせる。
「ご心配なく。あなたと雌雄を決するために、参ったのではございません」
「では、一体……」
 首をかしげる彼に、斗信は薄く笑ってささやいた。
「実は、あなたにご協力申し上げようと思いましてね」
「協力ですと?」
「ええ。あなたは華玲姫と、ご結婚なさりたいのでしょう?」
「もちろんだ」
 呉考は、熱っぽく答える。
「あの方以外にわたしが欲しいと思う姫はいない。一目見たときから、わたしはあの方に心を奪われたのだ。どんなことをしても姫をこの腕に抱きたい。そのためなら、わたしは何でもするだろう」
「しかし先ほどは惜しかったですな。せっかく姫にお声をかけていただいていたというのに、あの小僧に邪魔されて」
「……」
「姫の前で、あれだけの恥をかかされたのです。悔しいとはお思いになりませんか」
「それは」
 言葉に詰まる呉考に、斗信は更にせまった。
「わたしも、あいつにはいつも一杯食わされているのです。どうです? 一緒にあいつに敗者の屈辱を味合わせてやるというのは」
「そんなことが出来るのか」
「もちろん。あなたなら可能でしょうな。先のあやつの姫に対する態度を見ましたか。あの優しいお心を、見事に踏みにじりおった。姫はあいつのせいで、たいそうご心痛だとか聞いております。姫の御前であいつをやりこめれば、姫も心が静まり、あなたに感謝するやもしれませんぞ。いかがですかな」
 他人を策略の同士に誘い込む、甘い誘惑の声。
 呉考は、つばを飲み込んだ。
「して、その方法は?」
 彼がのってきたのを見て、斗信はにやりとする。
 狙った獲物が、ゆっくりと彼の手に落ちていく。
「わたしに一つ策があります。それもとっておきのがね」
 彼はそう言うと、呉考の耳に何事かささやいた。
 呉考の顔色が変わる。
「しかし……そううまくいくものか」
「わたしに万事おまかせ下さい。うまくやって見せますよ」
 斗信はそう言うと、どうします? と問うた。
 返事などわかりきってはいたのだが、一応念を押してみる。
 呉考はしばし考え込んでいたが、彼の望む答えを出した。
「わかった。やろう」
「では明日、よろしくお願いしますよ」
「ああ」
 二人は策謀の協力者同士に特有の意味ありげな微笑を浮かべ、手を握りあった。




 翌日もさわやかな春空にめぐまれ、気持ちの良い風が皆の心を弾ませる。
 美しく花咲き誇る庭で、盛大な祝宴が始まった。
 艶やかに着飾った華玲は、昨日以上に美しく見える。
 彼女の登場、父である仁栄の挨拶に続き、彼女の誕生日を祝して、乾杯がなされた。
 酒や料理が運び込まれ、にぎやかになる。
 光竜はおとなしく末席に座り、隣の応麟と世間話をしながら、宴の進行を眺めていた。
 若君たちは次々名乗りを上げ、得意技やたしなみを彼女に見せる。
 楽を奏でたり、詩歌を朗読してみたり、見事な剣舞で姫の気を惹こうとする者もいた。
 そんな中、光竜の前に弓を下げた呉考が現れる。
「魁 光竜殿」
 彼は、はったと光竜を睨み据えた。
「昨日は剣であなたにやぶれたが、今日はぜひ弓の相手を願いたい」
「えっ?」
 光竜は突然の申し出に面食らってしまう。
(昨日負けたこと、まだ根に持っているの? あきれちゃうわね)
 ため息をついて、彼は答えた。
「申し訳ないが、せっかくの宴の席です。そのような試合は慎んだ方がよろしいかと」
「いや、ぜひに。姫の前で、あなたに勝負を挑みたい。受けていただけますね」
「……」
「それとも臆病風にふかれましたか。上州の領主殿は、弓も満足にこなせないのですか」
 ここまで挑発されるとは――光竜は受けないわけにはいかなくなった。
 周りも、興味津々に二人を注目している。
 重い気分で、光竜はわかりました、と答えた。
(まあ、なんとかなるわ。力技じゃないし、弓は得意だし)
「姫」
 呉考は、華玲姫の前に進み出ると、膝をつき、一礼する。
「ぜひ、ここでわたしの弓をご披露いたしたいのですが」
「まあ、面白そうですこと」
 華玲は、にっこり微笑んだ。
「剣も見事でありましたのに、今度は弓の腕をお見せいただけるなんて」
 彼女にうっとりしながら、呉考は続ける。
「わたしの腕をよくごらんいただくために、対戦相手をお願いしました」
「まあ、どなたですの? あなたに対抗なさるお方は」
 華玲は、面白くなりそうだわ、と胸躍らせながら問う。
「はい。昨日わたしの剣の試合で勝利を治めた、魁 光竜殿です」
 周囲がざわめいた。
 昨日の一戦は、見ていない者にまで伝わっていたのだ。
 その二人が、今度は弓で対戦するとは。
(あの子と? ますます面白いわ)
 華玲の目が光った。
 部屋から弓を取ってきた光竜が、ため息をつきながら、呉考の後ろに控えている。
 皆の視線が、一気に二人に注がれた。
「勝負方法は?」
 低い声で、光竜は呉考に問う。
「ただ同じ的を射あってもつまらない。そこで札を用意した」
 呉考は懐から六枚の木札と、小布を出した。
 庭の一隅に咲き誇る想花の繁みの前に、小布を敷き、木札を並べる。
(札引きね)
 光竜は、彼が支度するのを見守った。
 よくある方法だ。勝負というより観客を楽しませる要素の方が格段にある。
(札を使うということは、勝ち負けより姫にいいところを見せるのが目的ってとこかしら)
 二人で交互に札を引き、その裏に書いてある物を射るのだ。
 見ている方は、どんな物を的にするのか、何を射るのかわからないから、面白みがあるというもの。
「介添え役を――そうだ、あなたにお願いしよう」
 呉考が指した人物に、光竜の顔色が変わる。
(斗信!)
「もともとわたしとあなたの対戦は、この人が発端だ。よろしいでしょう? 光竜殿」
「……」
 光竜に、反対する理由はない。
 ただ胸の奥で、心臓が注意警報を激しく鳴らした。
(これは偶然? それとも何か策略が――)
 しかし受けてしまった以上、あとには引けない。
 光竜は覚悟を決めた。
「わかりました」
 彼の承諾に、呉考は満足そうにうなずく。
「それだけでは、つまりませんわ」
 華玲の冷ややかな声が、割って入った。
「と申されますと?」
 怪訝そうな呉考に、にっこり微笑んで、華玲は言葉を続ける。
「何か特別な決まりごとがあったほうがよろしいかと。そうですわね……」
 考え込み、彼女はああ、と声をあげた。
「今日は、あたくしの誕生日ですの。ですから敗者になった方は、あたくしに家宝をゆずってくださると言うのはいかが? ますます真剣勝負になりますわ」
(何よそれ!)
 光竜は驚いた。
「そんな決まりごとは……それにわたしは宝など何も」
「あれがあるではありませんか、光竜殿」
にやにやと笑いながら、斗信が言った。
「あなたが肌身離さず身に付けておられる首飾り――あれほど献上するにふさわしい品物はございますまい」
「なっ!」
 光竜は、胸を押さえた。
 衣に隠して目立たぬように、あの紫水晶の首飾りが下がっている。
 それをぎゅっと握ると、彼はきっと斗信をにらみつけた。
「これは、我が家が先祖代々伝えついで来た宝。このような勝負の賞品になど出来るはずがない」
「まあ、上州の領主様は、随分狭量ですこと」
 華玲の声が、驚いたように響く。
「勝負に自信がおありでないのかしら。今から負けを認められますの?」
「……」
 光竜は、姫の嫌味な言葉に頭に来た。
(何よ、昨日の腹いせってこと? あれぐらいですねちゃって――子どもみたい)
「わかりました」
 不承不承、彼は承知する。
 ここまで来て、今更退けない。
 これだけの観客を前に、一領主として無様な姿を晒せないのも事実。
(負けられない! 何としても)
 彼の瞳に、強い決意がみなぎった。
「よろしいですな。呉考殿、あなたは何を?」
「わたしは、この刀を」
 彼はそう言うと、腰に下がった刀を示す。
「これは我が家に代々伝わる家宝の一つです。領主となったとき、父から受け継ぎました。わたしの物も、あなたの宝に勝るとも劣りはしますまい。これですべて対等だ」
「では両者、ご用意を」
 斗信の言葉に、二人は目線で互いの闘志をぶつけ合った。
「では、昨日敗者となられた呉考殿から、札をお引きください」
 斗信の合図で、呉考はうやうやしく札を一枚選ぶ。
 そして裏を見て、弓に矢を番えた。
 聴衆の見守る中、彼は庭にそびえる大きな桜の大木に向かって、弓を引き絞る。
 矢が放たれ、一直線に桜に向かって飛んでいった。
「おおーっ」
 客人の間から、どよめきが起こる。
 目的のものを射止めたようだ。
 呉考は満足そうな笑みを浮かべ、札を斗信に渡した。
 斗信は札を読み上げる。
「一枚目、桜花の花びら」
 地に落ちた矢は、見事に桜の花びら一枚を射抜いていた。
(うわっ、すごい)
 これには光竜も驚いた。
 たいしたものだ。
 あんなに小さな的を、他の花を散らすことなく射抜くとは。
「さ、光竜殿」
 うながされ、彼も一枚、札を選んだ。
(落ち着いて)
 自分に言い聞かせ、札を見る。
 そして弓に矢を番えた。
 彼は、屋根瓦の上にそれを向ける。
(あんまり好きな的じゃないわね。でもごめんね、しょうがないわ)
 光竜は、精神を集中させて弓弦を引く。
 彼の矢も、風を切る勢いで、真っ直ぐに放たれた。
 それは瓦に留まっている、すずめに向かう。
 バシッ。
 羽が飛び散った。
 矢音と共に、すずめは庭に落ちる。
「お見事!」
 歓声があがった。
 気配に気付き、飛び立とうとする雀を捕らえるのも、なかなかの腕だ。
「ほお、これは侮れませんな」
 呉考が、冷たく笑いながら賞賛する。
「どうも」
 流れ落ちる汗を拭きながら、光竜は軽く頭を下げた。
 緊張で体中がこわばり、心の余裕などどこにもない。
 チラッと華玲に目をやると、彼女は冷ややかな笑みを彼に向けた。
 とても応援しているとは思えない。彼のあせりを、面白がっている――そんな感じだ。
「次」
 呉考は、札を取ると顔をしかめる。
 どうやら難しい的に当たったらしい。
 しばし考え込んでいたが、彼はあちこちの木を調べた。
(何かしら)
 光竜は、彼の的が何か見当もつかず、固唾を呑んで見守る。
 しばらくすると目的の物が見つかったのか、呉考は弓に矢を番えた。
 その先を読み、光竜ははっとする。
(まさか、あれは)
 呉考の矢は、迷いなく真っ直ぐに放たれた。
 それは、木の幹に小さく開いたりすの巣穴に向かって飛ぶ。
 バシッ。
 矢は穴の中で、何かを射抜いた。
 こちらからは完全に見えない。
 斗信は家人に命じ、木に登らせた。
 家人が、小さな穴に手を入れて、矢を引き抜く。
「おおっ」
「これはこれは」
「何と見事に」
 呉考の矢は、見えもしなかったであろうに、りすを貫いていたのだ。
 皆、この腕前に目を見張り、感嘆のまなざしで呉考を見る。
 光竜も震える思いだった。
(すごいわ。どうしよう。負けられないというのに)
 胸に下がった首飾りを、汗ばんだ手で握りしめる。
 何としてもこれを手放すわけにはいかない。
(これはお兄様の形見というだけじゃない。将来の上州領主の物でもあるもの。絶対に渡せないわ)
 何としても守らねば。
「最後です」
 呉考は札を取った。
「おやおやこれは」
 肩をすくめ、彼は矢を番える。
 それをしゅっと、造作もなく放った。
 庭の一隅に咲く安遥花。
 これも見事に花を一つ貫いた。
 周りから彼の最後の一矢に対し、拍手が出る。
 額の汗を拭きながら、呉考は笑った。
「最後の的がつまりませんでしたな。これは判定がどう出るか」
 光竜は息をはいた。
 最後の一矢。
 ここで先ほどの呉考より、難しい的を射当てれば、彼の勝利は確定するだろう。
 最後の一枚を手にし、裏を見る。
 瞬間。
 光竜の顔色が変わった。
 札を持つ指先が震える。
(こんな……こんなことって!)
 彼は、きっと斗信と呉考を睨んだ。
(こんな馬鹿なこと、一体どっちが考え付いたの?)
 札には、見事な朱文字で、人の名が書いてあった。
『華玲姫』
「……」
 どう考えても射抜くことは出来ない。
 姫に、矢を向けるなど――。
(どうしよう! どうすればいいの?)
 あせる彼は、矢を番えることも出来ず、札を手にして震えてしまう。
「どうなされたのだ? 光竜殿」
 斗信の声が、いじわるく彼に迫った。
「むずかしいですか。棄権なさいますかな」
「……」
 声も出ず、彼は斗信をにらみつけた。
 今更札を換えろと叫ぶことは出来ない。
 斗信の事だ。上手く言いくるめる策ぐらい用意してあるだろう。
(この卑怯者っ。こんなの対等の勝負じゃないじゃない!)
 その怒りは、澄まして立っている呉考にも向けられた。
(あんただって知ってたんだわ。だからわざと斗信を介添え役に選んだ)
 どう考えても偶然とは思えない。
 おそらく昨日の雪辱をはらしたいと思っている呉考に斗信が近づき、光竜を陥れるよう誘ったに違いない。
 それに気付かず、まんまと罠にはめられてしまった自分のうかつさを思うと、苛立ちと自分に対する腹立たしさで、体がぶるぶる震えてしまった。
 この場を切り抜ける策は、何も思いつかず、最悪の事態が光竜にせまる。
 でも敗者となる以外、他に方法はない。
 ――たとえこの大切な宝を失うことになっても。
 光竜は、悔しそうに札を斗信に渡す。
 それは棄権を宣言することだ。
「おおーっ」
「棄権されたのか」
「では呉考殿の勝ちですな」
 皆のざわめきの中、光竜は唇を噛み締め、自ら首飾りをはずし、呉考に差し出す。
 彼はにやりと笑うと、それを検分した。
「なるほど、家宝だけあって見事な細工ですな」
 そして華玲の前に進み出、両手でそれを捧げた。
「お受け取りください、姫。わたしがこの手で勝ち取ったものです」
「ありがとう。まあ、綺麗だこと」
 華玲は、嬉しそうにそれを受け取る。
「それにしても意外でしたな、光竜殿。最後に何故棄権など? あんな簡単な的、あなたなら楽勝だったでしょうに」
 斗信が薄笑いを浮かべながら、皆に札を見せた。
「なっ」
 光竜は、顔が青ざめる。
『華翔花』
 その札には、そう書かれていた。
(やっぱり……替えの札を用意していたわね)
 彼は、悔しそうに斗信をにらむ。
 予想はしていたが、やはり策にはめられたのだ。
「ほう、これはこれは。どうやら勝ちを譲っていただいたようだ」
 呉考も愉快そうに笑む。
「きっと姫様に、その首飾りを献上なさりたかったにちがいございませんよ。そうでしょう? 光竜殿」
 光竜の険しい目線をものともせず、斗信は猫なで声で応じた。
「まあ、嬉しいわ。ありがとう、光竜様」
 華玲の皮肉を込めた謝礼とまなざし。
 彼女も気付いているのかもしれない。
(まさか、姫まで一緒になって、あたしを陥れたんじゃないでしょうね)
 そんなことまで考えてしまった。
 もうこれ以上、ここにいるつもりもないし、いたくもない。
 誇らしげな姫の首に下がっている紫の宝石を見ながら、光竜の目から悔し涙があふれそうになる。
(駄目……こんな場所で泣いたらいけないわ)
 必死に涙をこらえると、光竜は一礼し、祝宴の場から足早に立ち去った。



 宴は、にぎやかに続いていた。
 その楽しげな物音は屋敷中に響き、家人たちをも浮き立たせている。
 でも光竜は、外の物音を聞きながら、宿室の寝台に身を投げ出していた。
 友美も影から宴を見物しているのか――部屋には彼一人だけだ。
 先ほどの事を思うと、悔しくてしょうがない。
 紫水晶の首飾りを、なすすべもなく奪われてしまった。
 兄から受け継いだ大切な物だったのに――。
(ごめんなさい、お兄様)
 光竜は一人枕に顔を埋め、思いっきり泣いた。
 心の中で、亡き兄に何度も詫びながら――。




 午後の日差しが少しずつ陰りをみせたが、宴はまだずっと続いている。
「少し、失礼するわね」
 華玲はそう言うと、座をはずした。
 ずっと座っていたので、流石に疲れたのだ。
 自室に戻り、別な衣にお色直ししようと彼女は歩き出す。
 その心に、先ほどの弓の試合があざやかに蘇った。
(ほほほ……負けたわ、あの子が)
 無様に負けたのみならず、大切な宝物まで取り上げることが出来、華玲はすっかり満足していた。
(ふふっ、これからどうするかしら。この首飾り、大切な物みたいだったし。あたくしに返して欲しいと、ひざまずいて懇願してくる様が目に浮かぶようだわ)
 もし彼がそうしてきたら、自分はどう答えてやろうか。
 そんな意地悪を考えながら、機嫌よく廊下を歩いていると、斗信の姿が目に入った。
 人目を避けつつ、屋敷の壁と壁の隙間から、彼はそっと出てくる。
 とても客人とは思えない行動だ。
(あら、あんなところで何を?)
 不思議に思い、彼女は斗信が出てきた母屋と別館の間の隙間に身を滑り込ませた。
 柔らかな土の地面を掘って、何かを埋めたようである。
(なにかしら。こんな隠すように埋めるなんて――)
 彼女は、気になって掘り返してみた。
 出てきたのは七つの札。
 さっき、弓の試合で使ったものだ。
 手にとって、華玲は首をかしげる。
(札は六枚のはずだけど……何で一枚多いのかしら)
 なにげにめくって、彼女ははっとした。
 そこにとんでもないものを見て、体が震える。
(そう。そういうことだったの)
 先ほどの光竜の顔。
 この札を引き、彼は驚愕したに違いない。
 札を握りしめ、彼女は先ほどの二人に怒りを燃やした。
(よりによってこのあたくしを的に使うとは……許せないわ。何て卑劣な)
 唇をかみしめ、彼女は札を元に戻す。
 先ほどと同じように、土の中に埋め込んだ。
 そして何食わぬ顔で、自室に戻る。
「姫様、お召し物は何にいたしますか」
 控えていた家人が、彼女に問う。
「紫の高遥花の模様で」
 華玲は手早く答えた。
 家人は、丁寧に衣を着せる。
 着替えが済むと、彼女は紫水晶の首飾りを取り出し、首にかける。
「まあ、綺麗ですこと。どうなさいましたの? それは」
 家人が、関心して首飾りを眺める。
「どなたかの贈り物ですか」
「まあね」
 華玲は、小さく微笑んだ。
 指で、そっと紫水晶に触れる。
 ――これは我が家が先祖代々伝えついで来た家宝。このような勝負の賞品になど出来るはずがない。
 彼の叫びが、耳に蘇った。
 あの悔しそうな顔も。
(よっぽど大切な物だったみたいね、これ)
 華玲を射ることが出来ず、彼はこれを手放した。
(家宝よりあたくしを選んでくれたわけね。可愛いじゃない)
 華玲は、まだ男とは言いきれない、あどけない少年を思い浮かべ、くすくす笑う。
(面白そうな子だわ。もっとからかって遊ばなくちゃ)
「姫様、ご機嫌ですね。何か良いことでもあったのですか」
 家人の声に、華玲はうなずいた。
「ええ。しばらく退屈しないで済みそうだわ」
 そう答えると、華玲はまた宴の席に戻っていった。




 華やかな時は、いつまでも続かない。
 日が西に傾く頃、宴はお開きとなった。
「お集まりいただいた皆様、本当にありがとうございます。あたくし、とても楽しかったですわ」
 華玲はにっこり笑って、一同を見渡す。
「明日、お帰りになる方も多いのでしょう。どうかお気をつけて。またお目にかかれる日を、楽しみにしておりますわ」
 彼女は、優雅に身をかがめた。
「ところでたくさんの贈り物をいただき、本当に感謝しています。あたくしからも皆様に何か差し上げたいのですが」
 華玲は微笑んで、一同を見渡す。
「明日、よろしかったら近くのゲント山に、狩に行きませんこと? この辺りでは、最高の狩猟場と聞いております。そこで一番素晴らしい獲物を射止めてくださった方に、あたくしが身に付ける物の中から、お好きな物を差し上げることにいたしましょう。いかがですか」
 おおーっと歓声があがった。
「では明日。楽しみにしておりますわ」
 彼女は一礼すると、自室に下がっていった。
「これはこれは、面白いことになりましたな」
 斗信が、呉考にささやく。
「一番立派な獲物を姫に差し上げ、あの方の心をわたしのものにする。これは天がわたしに与えた好機だ」
 呉考の目は、姫への想いで燃え上がっていた。
(やれやれ。そう、あなたの思い通りにはさせませんよ)
 斗信はふっと笑む。
(先ほどはあの小僧に痛手を負わせるために手を組んだだけのこと。あの国一美しい美女は、このわたしにこそふさわしい。いずれこの国の最高権力者となるわたしにね)
 そのために邪魔な要因は、どんな手を使ってでも排除する。
 そんな事を考えながら、斗信は呉考を怪しげな瞳で見つめていた。




 夕闇が、辺りをそっと包みこむ。
 中庭に流れる小川の水が、心地よい音を立てて流れていく。
 光竜は小川の側の岩に腰かけ、夜風に髪を泳がせながら、物思いに沈んでいた。
(お兄様、ごめんなさい)
 おぼろげに見える月の影に、彼女は一人つぶやく。
 大事な首飾りを手放さねばならなくなったのは、自分のふがいなさのせいだ。
(あんな勝負、受けなければよかった)
 いくらでも断るすべはあったはず。
 それが出来なかったのは、いつも男らしくあらねばいけないという、自分自身の弱さのせい。
(やっぱり自信がないのよね、あたしって。少しでも強気に出ないといけないと思ってしまう。時には引くことも大切だってわかってるのに)
 はあっとため息をつき、彼女は小川の黒い流れに目をやった。
(ま、少なくとも、斗信にあの首飾りをとられなかっただけ、ましか)
 大事な家宝は、今華玲の手元にある。
 彼女が大切にしてくれるといいのだが――。
(頼んで取り戻そうかしら。いいえ、それは出来ないわ)
 勝負は勝負。自分は負けたのだ。
 それを今更、なかったことにして欲しいとは言えない。
 ただ何度も、後悔の溜め息だけが出る。
 深い息をつく音は、小川のせせらぎにかき消され、水と共に流れていった。





 一人沈んでいる少年を見つけ、斗信はにやりと笑った。
(見つけたぞ)
「これはこれは」
 わざとらしく彼は声をかける。
「夕餉にも姿をお見せになりませんでしたが、こんなところにおいでとは」
「何か用ですか、斗信殿」
 光竜は涙の後を見せまいと、そっぽをむいて答えた。
「実は、あなたにお知らせしたいことがありましてね」
 斗信は、薄ら笑いを浮かべ、話し始める。
「明日、華玲様が狩を催されるそうなのです。わたしはそれにぜひ参加しようと思うのですが、光竜殿もいかがですかな」
「残念ですが、わたしはそうそう領地を開けるわけにはいきません。宴も終わったのですから、明日の朝早くに失礼するつもりです」
 そっけなく彼は即答した。
「それは残念ですな。いえ、狩でもっとも素晴らしい獲物を射止めた者には、姫からご褒美が出るそうなのですが」
「え?」
「何でも姫がお持ちの衣や装飾品の中から、その者が望む物を何でも選んで良いそうなのです。わたしが狙うのは当然」
 光竜は、はっと顔をあげる。
(まさか、あの首飾り!)
 にやにや笑いながら、斗信は言葉を続けた。
「お帰りになるとは残念だ。まあ、ご安心なさい。あの首飾りは、見事わたしがいただいて見せますよ」
「あなたという人は!」
 光竜は怒りを発した。
「どこまでも卑劣な。そうまでして、何故領主の地位を望むのですか」
「何故? それは愚問ですな」
 斗信は、当たり前の事を聞かれたかのような、あきれた顔をしてみせる。
「このわたしこそが領主にふさわしい者だからだ。あなたのような子どもとちがってね」
「なっ」
 血気が、光竜の体中をかけめぐる。
 怒りに身を震わせる彼を、斗信は面白そうに眺めた。
「あなたは、何もわかっていない。この国がどれだけ腐りきっているか、この国には今、何が必要なのかをね」
「それをあなたが与えられるというのですか」
「もちろん。わたしには国のあるべき姿が見えている。上州の領主になり、いずれはこの国の皇帝をも凌ぐ位を得て見せる。わたしにはそれが可能なのだ。この国の過ちを正し、そのくびきの下にいる民を解き放つ。それは、わたしに天が与えられた運命。民は皆、わたしにひれ伏し、感謝の礼をするでしょう」
「この国のどこが間違っているというのです、斗信殿。わたしには、あなたの方が過ちを犯そうとしているようにしか思えない」
 吐き捨てるように、光竜は言い放つ。
「あなたは知っているのですか。あなたの奨励する事が何なのか――あなたが密かに売りさばく薬が、人体にどれ程害をもたらすか。あなたによって連れてこられ、身を売っている娘達の涙を、苦痛の叫びを、あなたは聞いたことがおありなのか」
「……」
「確かに竜神のもたらした法は、あなたが言うように、一部の快楽を否定するものでもある。しかしそれには、ちゃんと理由があるのです。国が乱れぬよう、人々が節度を守り、己の責任を果たして暮らすことが出来るよう、考えられて制定されたもの。一部の、いいえ一瞬の喜びは得られるかもしれないが、そのあとに続く苦痛と心の痛みを知れば、誰もがそれをもたらしたあなたを呪うことでしょう」
「流石は領主殿。あなたも兄上と同じことを仰いますな」
 斗信は、せせら笑った。
「いかに申されようとも、わたしの運命は、すでに決っている。あなたに決して止めることは出来ない。今からでも遅くはないですよ。わたしに協力なさい。そうすれば、あなたも極楽のような喜びを、毎日味わうことでしょう」
「お断りします!」
 光竜は、きっぱりと否定する。
「そうですか。まあ、わたしは心の広い人間です。気が変わったらいつでもどうぞ。では明日」
「……」
「あなたのことだ。明日、狩にご一緒にいかれることでしょう。よもやお帰りにはなりますまい。兄上の形見を、あきらめることは出来ないでしょうからね」
 己の心を鋭く突かれ、光竜は黙って斗信を睨んだ。
 笑いながら、彼は一礼し、退散していく。
(ふふ、明日の狩りで、わたしは最高の獲物を射止めてみせる。その時こそ貴様の最後……)
 明日の段取りはすでに出来ていた。
 何もかも彼の思惑通りに事が進んでいる。
 斗信は、己の勝利を確信し、笑いが止まらなかった。




 自室にて、華玲は寝支度をしていた。
 鏡に向かい、解いた髪を丁寧に梳く。
(明日が楽しみだわ)
 明日の狩で、あの少年は、きっと必死に獲物を追うだろう。
 首飾りを再び、手にするために――。
(そうね、もし彼が一番になったとしても、ただ返すのは面白くないわよね)
 もっとじらして楽しまねば。
 あの首飾りを取り戻すためならば、彼はどんなことでもやってくれそうだし。
(それにしても、あの二人は許せないわ)
 華玲は、櫛を鏡台の前に置く。
(このあたくしを的として使うとは――あの子よりよっぽど卑怯者だわ。あっちにも思い知らせる方法はないかしら)
 頬杖をつき、彼女は目を閉じて考え込んだ。






 闇はいっそう濃くなり、空には大きな月が昇る。
 宴の名残もなくなって、人の声も聞こえなくなった。
 みんな、部屋に入って休んでいるのだろう。
 それでもまだ光竜は動けなかった。
 いつまでも帰ってこない主を心配して、友美が探しに来る。
「光竜様、夜風は体によろしくありませんわ。そろそろお休みくださいな」
「先に帰っていて。あたしは、まだそんな気になれない」
 彼は、深いため息をついた。
「お心が痛むのは、わたしにもよくわかります。斗信の奴、何てひどいことを」
 友美は、光竜の手を握り、憂い顔で叫ぶ。
「光竜様。でもそれで沈んでおられては、あいつの思うつぼですわ。あの恐ろしい男から上州を救えるのは光竜様だけ――どうか、お気を落としになりませんように。それこそあいつは、小躍りして喜ぶことでしょう」
「わかってはいるんだけどね」
 彼は、更に沈んだ顔で答える。
 頭ではむろんわかっているのだが、感情はそうはいかない。
 理性で押さえつけられない心の痛みをひしひしと感じ、光竜は唇を噛み締めた。
「明日は、早くお発ちなのでしょう? 少しでもお体を休ませないと」
「それなんだけど、明日は出発しないことにしたわ」
「えっ」
 友美は目を瞬かせる。
「お帰りにならないんですか」
「うん。明日、狩があるらしいから、それに出ようと思ってね」
 思惑通りになるのは癪だが、あの首飾りを斗信の手に渡すわけにはいかない。
「でも」
 心配そうな友美に、光竜は無理矢理笑顔を作る。
「大丈夫。気をつけるし、無茶はしないから」
「そうだとよろしいのですが。本当にお気をつけください。兄上様は、あいつの毒矢で射殺されたのですよ」
「……」
「明日、あの卑劣な男が、光竜様を狙うかもしれませんわ。やはりお出でにならない方が」
 光竜はしばし考えていたが、やがて顔を上げた。
「やっぱり行くわ。あの首飾りを取り戻さないと。お兄様だって、危険でもきっとこうなさると思う」
 心を決め、瞳に闘志を燃やす彼に、反対することは出来ない。
 肩を落とした友美は、もう何も言わず、悲しそうな瞳で彼を見つめていた。














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