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第一章『邂逅』一
 春のうららかな日差しが、窓から室いっぱいに差し込んでくる。
 柔らかな風が、眠気を誘うのも無理はない。
 上州は、州城の一室、領主の執務室。
 下官の報告を聞きながら、つい光竜はあくびをしてしまった。
 じろりと睨まれ、肩をすくめる。
「ごめんごめん、つい……続けて」
 ごほん、と咳払いをしながら、下官は続けた。
 十枚に渡る報告書は、国境の警備状況を伝えるもの。上州にとっては大事な報告である。
 光竜が領主となって、早三年。
 その間彼女――いや、彼は得に国境の警備と密輸の取り締まりを強化していた。
 それこそが、宿敵中家が裏で行っていることでもある。
 隣国の山賊や海賊、盗賊と組んで、彼らが押収してきた盗品や人を狂わせる麻薬に媚薬を、ひそかに国内に持ち込み、刺激を求める人々に極秘で売りさばいているのだ。
 困った事に国内でも有力な貴族達がその魅力に取り付かれ、中家を保護し、力をあたえているという、どうしようもない現実があった。
 この新宋国は、周辺の国とは少し法律のあり方が変わっている。
 初代皇帝 光帝は、自身に与えられた竜神のお告げに従い、法を整備した。
 それによってこの国では、様々な事が禁止事項として定められている。
 その一つに、人身売買と売春があった。
 これは売った方も買った方も、双方共に死刑になるほどの厳罰が下る。
 だから国の民は、誰も人身売買と売春を行うことは出来ない。
 花街などの歓楽街も存在しないはずであった。
 しかし。
 その法の目をかいくぐり、上州に大きな歓楽屋敷をかまえてしまったのが中家である。
 確かに国民は、それを行うことは出来ない。
 しかし法は、他国の者にまで及ぶことはない。
 だから他国から職を求める娘達を連れてきて、彼らは密かに売春をさせていた。
 そこに有力な貴族や皇族を招待し、彼らに接待として酒に媚薬を、褥に美しい美女を差し出せば、この魅力に膝をおらぬものはいないだろう。
 一度関係を持ってしまえば、それらの貴族も皆、自分がいかがわしい行いに加わったと広められるのが怖く、中家の意のままにならざるを得ない。
 こうして一地方の貴族というだけの存在だった中家の勢力は、今や国中に広がり、皇宮にまで及ぼうとしていた。
 幸い今の皇帝陛下は法を重んじるお方だったので、たとえ皇族であろうとも、中家の言うとおりに皇帝に媚薬を勧めたり、美姫を差し出す者はいないのが、せめてもの救いであるが。
 中家の所領に手を出すことは出来ないので、光竜は出来ることから始めることにした。
 まず媚薬や麻薬を発見し、届け出た者には褒美を与えることにした。
「軍だけじゃ、こんな隠された物を見つけられないわ。民の力を借りるのが一番よ」
 そして自身が所持していた者、使ってしまった者も、自分で名乗りをあげれば減刑。  
 有力な情報を提供した者にも報奨金を与えて奨励すると共に、州内に教師をまねき、各地域ごとに民を集め、麻薬や媚薬が人体にどのような作用を及ぼすか、くわしく説明させた。
 一時はその魅力に酔ったとしても後に恐ろしい副作用を起こす事を、徹底して領民に教育したのだ。
 これにより媚薬の使用者が激減。
 自分に害のある物とわかれば、よほど気が弱い者でもなければ、まず手を出さなくなった。
 また上州では時々薬の影響で気がおかしくなった者たちが、あちこちの路上に倒れ付しているという事がしばしある。
 光竜は施設を作って、そのような人々を収容し、何とか薬から立ち直れるよう面倒を見た。
 道に行き倒れる者たちが減り、州の主だった町の雰囲気が全体的に明るくなる。
 それだけではなく国境警備を強化し、荷を改めさせ、もし職を求めてきた難民の者がいれば保護し、仕事の斡旋を行った。
 おかげで他国から来た少女たちは売春行為を回避出来、まともな職を得られるようになっている。
 皇宮への報告と貢物も、定期的に行った。
 国境で商人がめずらしい品を持っていたら買い上げて、皇宮に報告書と共に献上する。
 これらの品々はたいそう喜ばれ、まだお目通りはかなったことはないが、細かな気配りが幸いし、光竜の名は帝もよくご存知になっているほどだ。
 彼の政策は兄をも上回ると、州城で働く官たちにも感心され、光竜を指示する声は日増しに増えていく。
 おかげでここ三年の間に、中家の勢力はかなり削げてしまった。
 売春をしたくても女性がおらず、薬を広めたくてもよく売れない。
 挙句の果てに屋敷からの脱走者や州城への投降者まで出る始末で、彼らも頭をかかえていた。
 何とか光竜を始末せねばと彼らは躍起になっていたが、彼自身の警戒度は高く、また得に気を許すような関係の者もいなかったため、近づく事も出来ず、策を弄しても上手くいかないのだ。
 しかし。
 これ以上、手をこまねいているわけにはいかない。
 中家は、次の手を打とうとしていた。





 報告が終わり、光竜はほっと一息つく。
 どうやら順調に警備は行われているらしい。
 しかし報告書を受け取って、それで終わりには出来ない。
(明日あたり、馬で一走り見に行ってこないとね)
 彼はそう心に決め、お茶を運ばせようと呼び鈴を鳴らす。
 現れた下官に、お茶を頼もうとすると、彼は顔をゆがめて来客だと告げた。
「誰だ?」
「それがその……中 斗信様でして」
 光竜は眉をひそめる。
 宿敵、その張本人がここに乗り込んでくるとは一体――。
 考えても始まらない。
 彼は心を決め、立ち上がる。
 客を迎える迎賓の間に行くと、あいかわらず抜け目のない顔で、中 斗信は彼を待っていた。
「これはこれは領主殿。ご機嫌麗しゅう」
 軽く返礼を返し、光竜は斗信に椅子を勧める。
「お待たせいたしました。で、本日のご用件は?」
 睨みながら問うと、斗信は薄く笑った。
「あいかわらずあなたは、わたしがお嫌いのようですな。ま、いいでしょう。今日は良い話を持ってきたのですから」
「良い話、と申されますと」
 幾分警戒しながら、光竜は聞く。
「あなたは、今年で確か十六歳になられますな、光竜殿。成人まであと二年。早いものです」
「それが何か」
「あなたの兄君も、確かその歳にご婚約なさいましたな。あなたはどうなのです? そろそろいかがですか」
 胸の鼓動が警報を鳴らした。
 今度は縁組で何か仕かけてこようというのか。
「わたしはまだ若輩者。この地を治めるのでせいいっぱいです。とてもそんな事を考えることは出来ません」
 光竜は、きっぱりと言い切った。
「そう、あなたはたいそうお忙しい。しかし領主がいつまでも一人身では、上州の民も安らがぬでしょう。それにあなたも男なら女性に心時めく年齢だ。興味がないとは言わせませんよ」
 にやりと意味ありげに笑まれ、光竜は返す言葉を失う。
 まさか本当のことを言うわけにはいかない。
 女性になど関心が湧かない、真の理由を――。
「先ほども申し上げましたが、わたしはまだ成人でもありません。今、それを考えるには早すぎます」
 関心がなさそうな彼に、斗信はずいっと身を乗り出した。
「そう硬いことを仰らずに。ああ、別にあなたに縁戚の娘を紹介しようとか、そういうことではありませんから、ご安心を」
「では何なのです」
 首をかしげる光竜に、斗信は澄ました顔で続ける。
「あなたも聞いたことがおありでしょう。行州の領主、泰家のご息女のことを」
「行州の、泰家ですか」
 光竜は、ますます首をかしげた。
「泰家の御名は存じておりますが、それ以上のことは……」
「おやおや、政策にはまったく隙がないあなたが、色恋のこととなると疎いですなあ。今、国中で評判なのですよ」
 斗信は、あきれた顔で続ける。
「泰家のご息女、華玲姫は、国一番の美女だと言われていましてね。姫が成人になるやいなや、たくさんの求婚者が現れ、後宮にまで推挙されたほどです。ですが今日に至るまで、あふれるほどの求婚者を前にしても、本人が頑固に首を縦に振らないとか」
「随分と自尊心の高い方のようですね」
 まったく興味のない姫の話題を聞かされ、うんざりしながら光竜は顔をしかめた。
「そんな姫も、今年で早十八歳になってしまいまして、いい加減良家の娘としては結婚相手を見つけなければと、父の泰 仁栄殿が宴会を催すことにしたのです。国中の貴族の男性なら誰でも歓迎だそうですよ。そこにぜひ一緒に参りませんか」
「十八歳? わたしは、年上はあまり……」
 めんどくさそうに、光竜は答える。
「しかしうわさの姫を一目見るのもよろしいでしょう。 何しろ彼女は竜神に愛されている姫という評判です」
「竜神にですか」
「なんでも今まで結婚相手を選ばなかったのは、竜神のお告げがなかったからだとか。彼女が成人になったとき、夢に竜神が現れて、運命の殿方が待っていること、その人以外のところには嫁ぐべからずと告げられたそうです。そんな不思議な美女に、ぜひ一度会ってみてはいかがでしょう」
「……」
「それとも他に行けない理由がおありですかな」
 探るような目線に、光竜はあきらめのため息をついた。
「わかりました」
「では十日後に、お誘いにあがりますので」
 にこやかにそう言うと、斗信は立ち上がる。
 一礼して去っていく彼の後姿を眺めながら、光竜は胸が重苦しくなった。
 うわさの美女を一目見るのはいい。
 しかしたくさんの男性達の中に、数人の供しか連れていけない環境で。
 果たしてうまく男として振舞えるのか――女だとばれる確立が、とても高いのだ。
(まさかそれを予想して、仕掛けてきたっていうんじゃないでしょうね)
 彼はぞっとして、体を自分の腕で抱きしめる。
(しっかりしなきゃ。ここで受けてたてなかったら男じゃないわ)
 光竜は自分で自身を奮い立たせ、瞳に強い闘志を燃やした。




 光竜が魁家本屋敷に久しぶりに戻ると、心配そうな母と姉の姿があった。
「光竜、大丈夫なのですか」
 すでに知らせを受けたと見える。母は震える声で彼に問うた。
「そんな宴に出るなど、あまりにも無謀です。何とかお断りできませんか」
「あたしも出来たら避けたいところなんだけど、うまく断れなかったんです。へたに否定したら、なんかばれそうだし」
「でもどうしたって立派な殿方とあなたでは、力でも体格でも無理がありますよ。それはどうしようもない現実。わたくしは心配でたまりません」
 目を潤ませる母の横で、春奈姫が、ふんと鼻を鳴らす。
「そうよ、光竜。あなたが失敗したら、あたくしたちだってただではすまないのよ。あたくしの縁談のお話だって全部壊れちゃうわ」
「ご心配なく、そうならないようにしてみせるから」
 光竜は肩をすくめた。
「でもすてきねえ。国中の若君を集めて宴だなんて。ねえ光竜、あたくしもぜひそんな宴がやりたいわ。いいでしょう?」
「やってもいいけど、人が来るかしら」
 首をかしげる彼に、春奈姫はいーっと舌を出す。
「本当にあなたは意地悪ね。もういいわっ」
 ふくれて去っていく姉を、苦笑して見送りながら光竜は思った。
(お姉様もあいかわらずね。でもそうね。もうお姉様も年頃だし、今度の宴で良い若君がいたら、お姉様とお引き合わせしようかな。あっ、でもきっとうわさの姫の方が、お姉様より美しいかも――とすると、比べられて可哀相かしらね)
 今来ている縁談話はなかなか良いと思うのだが、相手が気に入らないと言い張り、姉はなかなか承知しない。
(あっちのお家の領主も大変よねえ。いろいろ注文の多い姫君を身内に持つと苦労するわ)
 なんとなく向こうの領主のことが他人事に思えなくて、光竜はため息をついた。




 泰家の別邸――采夫人の住まう館は、宴の支度で大忙しだった。
「華玲」
 震える母の声に、彼女は振り返り、にこやかに微笑む。
「あら、お母様。いらしてたんですの?」
 部屋で新しく新調した衣に袖をとおして喜んでいる息子――いや、娘を見ながら、采夫人は不安にかられた。
 父の仁栄から、なかなか華玲の縁談話が決らないので宴を開くことにしたと聞かされた時には、なんと気絶してしまい、皆を驚かせたほどだ。
『華玲も、もう十八だ。そろそろ婿を探さないと、婚期を逃してしまうぞ』
 確かに結婚してもおかしくない。
 どちらかというと、この国の貴族の娘としては遅い方だ。
『それもこれも竜神のお告げだとかいうあれだ。それのせいで、お前はいつまでも結婚出来んではないか。今度は国中から若い者を残らず招待する。その中に必ずお前の運命の相手とやらがいるであろうぞ』
 うんざりしながらそう言われ、采夫人もただ頭を下げるしかなかった。
 しかし。
 まさか本当に相手を選ぶわけにはいかない。
 ここまで大きく国中のうわさになってしまったのでは、今更男だとも言えないし、采夫人の心痛は増すばかりである。
 重いため息をつく母を見ながら、華玲はやれやれと肩をすくめた。
(お母様も心配性ね。あたくし、うまくやりますってば)
 それにもしかしたら、本当に運命の相手に出会えるかもしれない。
 彼女は、ひそかにこの状況を楽しんでいた。
(本当に好きになったら、きっとあたくしが男だって受け入れてくださるでしょう。そんな勇気のある方にお会いできるといいんだけど)
 胸をときめかせ、彼女は宴の支度を続けるのだった。



 ついに、その日が来た。
 泰家別邸において、宴が催されるのだ。
 早朝から馬や馬車やらで道には列が出来、邸は大変な賑わいである。
 表向きは華玲の誕生日を祝う宴として行われるため、参席者は何かしら彼女に贈り物を持ってきた。
 部屋は祝いの品で埋め尽くされ、彼女はそれを楽しそうに開く。
 宝石や首飾り、耳飾りなどの美しい装飾品、衣や帯に香、珍しい置物や有名な絵師の描いた掛け軸など、どれもこれも高価で品のある物ばかりだ。
「ぜひこれを身に付けてください」
「姫、あなたのために作らせたのです。ぜひ宴の席に、これをお召しになってください」
 若君たちは次々にそう言って、贈り物を渡しに来た。
 熱い期待が、彼女の装いにかけられる。
 それを受けながら、華玲はとても良い気分になった。
(あたくしの微笑み一つで、殿方は皆、意のままね。何て素敵なのかしら)
 次々に寄せられる賞賛、優しい誘い文句や情熱的な誓いの言葉まで――彼女の胸は時めき、踊っていた。




 光竜と斗信が宴会の開かれる屋敷に着いたのは、夕刻であった。
「おやおや、もうたくさんの人だ」
 斗信が、出遅れましたなと笑う。
 光竜はまったく関心がなく、ただ出るのはため息だけだった。
 二人は供の者と一緒に、門で案内を請う。
 身分をあきらかにすると、すぐに屋敷の中に導かれた。
「斗信様は、こちらをお使いくださいませ」
 家人に案内され、斗信は部屋に入る。
「ではまた後ほど。お互い楽しみましょうぞ」
 軽く頭を下げ、光竜は彼と別れた。
 中庭をはさんで、別な棟に案内される。
「光竜様は、ここをお使いくださいませ。何かご入用のものがございましたら、何なりとお申し付けください」
「ありがとう」
 光竜は微笑むと、そっと家人に小銭を握らせた。
 嬉しそうに家人の娘は引き下がっていく。
 荷物を中に入れると、彼は寝台に腰掛け、一息ついた。
「流石に緊張するわね」
 そうつぶやいた彼に、ついてきた友美はうなずく。
「わたしもです。何時ばれやしないかとひやひやですわ」
「ま、今回は人が多いから大丈夫よ。これだけ多けりゃ、よっぽどのことがない限り、姫と言葉なんてかわせないし、あたしたちがいることすら気付かないかも。そっと明日の宴に出て、さっさと夕方には帰りましょう。州城も心配だし」
 留守はよく頼んできたが、どうも不安だ。
 自分がいない間に、何事か画策されてしまうかもしれない。
 縁戚の娘を紹介するんじゃなければ、光竜を州城から遠ざけ、その間に何かことを起こす腹かもしれないのだ。
 とにかく気は抜けない。
 重い気分で寝台に寝転んでいると、失礼いたします、と扉が開いて、先ほどの家人が姿を現した。
「あの、そろそろ庭にて姫様が剣技会を催されるそうですが」
「わかりました」
 光竜は、やれやれと起き上がる。
 一礼して娘が去っていくのを見送ると、友美はお召し変えをと荷を解いた。
「いいって。そんなに堅苦しいもんでもないでしょ」
 これがあれば事は足りるし、と光竜は、兄譲りの名刀を手に取る。
「荒くれの力自慢の方ばかりでは――どうか、お気をつけくださいませ」
 心配そうな友美に、光竜はわざと微笑み、じゃあねと手を振って部屋を出た。



 剣技会とはよく貴族の催しに行われ、集まった若者たちが対抗して剣技を披露し、誰が優れた剣士か競い合うものである。
 もちろん自由参加なので、光竜は見ているだけにするつもりだった。
(本当に求婚したいわけではないし、姫にわざわざいい格好見せなくてもいいしね)
 彼は、そう気楽に考えていた。
 にぎやかな声のする方に行ってみると、すでに始まっている。
 若者たちが四つの組に分かれて、それぞれ剣を交えていた。
 光竜は隅の方で見物しながら、なにげに貴賓席の方を見やる。
 そこには、うわさの華玲姫がいるはずだ。
 しかし誰もそれらしき人はいない。
(どうしたのかしら。姫はご覧にならないのかしら。この人たちって姫にいいところ見せるために戦っているというのに)
 首をかしげている彼の横に、すっと一人の若君が近づいて来る。
「あの、あなたも見物ですか」
 光竜は目を瞬かせ、突然声をかけてきた青年を見た。
 いかにも下流貴族の出らしく、身なりもそれなりでぱっとしない。
 剣も下げているが、あきらかに飾りのようだ。
 おまけに顔は白くて痩せていて、何だか元気がなさそうだった。
「良かった、僕と同じような人がいて」
 彼はほっとしたように、光竜の横に並ぶ。
「どうもああいうのにはついていけなくて――あなたもそうですか。僕は争い事が苦手なんです。身が震えてしまう。兄弟達は、皆僕のことを臆病者と笑うんですが……でも向いてないのはしょうがないじゃないですか、ねえ」
「はあ」
 光竜は、なんと返事をしてよいものかわからなくて、気のない返事を返した。
 青年は、まったくかまわずに話し相手が出来たとばかり、しゃべり続ける。
「僕もかなわぬまでも一目天女のようなお姿を見ようとやってきた者ですが、とても僕などお呼びもつきません。あんな立派な人たちと姫を競うなどとんでもない。今日にでも家に帰ろうと思っていたところです」
「そうですか」
「姫のお顔を見られただけでも僕は幸せですよ。この中には姫とまだ会えないでいる人も多い。だからみんな必死なんです」
「え?」
「この剣技会ですよ。上位の者は、姫の前で剣技を披露できるんです。だからみんな、ああして命がけで争ってるんです」
「なるほど」
 光竜は苦笑した。
「それで皆、一生懸命なのですね。わたしは何故姫も居られないのに、皆がああも燃えて剣を振るっているのか、不思議でしょうがなかったのです」
「ところで宜しかったら、あなたのお名前を教えてはいただけませんか。わたしは、東 応麟(とう おうりん)と申します。行州の都にいる者です」
「地元の方なんですね。わたしは、魁 光竜。上州から参りました」
 さわやかな笑顔で、光竜は手を差し出した。
 応麟も微笑んで、握手をかわす。
 仲良く話し込んでいると、右手の方からおおっと歓声があがった。
「あちらが盛り上がっていますね」
「行ってみましょうか」
 二人はそちらの方に足を向けた。
 まわりを囲む人々の目線は、勝負に挑む二人の若君に注がれている。
 (あれは、斗信!)
 光竜は、剣をかまえる青年を見て、眉をひそめた。
 斗信が剣を構え、どこかの青年と対峙している。
 相手の方は、整った顔立ちの好青年といえる男だった。
 身なりも派手ではないが、かなり高価な物を身に着けている。さりげなくしているものの、どことなく品がつきまとう青年だ。
 そして何より。
(あの人……出来るわ)
 光竜は、その青年の気迫に息を飲む。
 斗信もなかなかの剣の使い手だが、この青年の比ではない。
(何て闘志なの。面白いわ)
 光竜は、わくわくしてきた。
 こういう面白そうな試合を見るのは、大好きなのだ。
 自分も思わず、打ち合ってみたくなる。
 つい勝負に惹き込まれ、彼は気がつかなかった。
 ――背後に、すっと誰かが近づいてきたことに。




 退屈していた華玲は、試合の様子を見に行くことにした。
 家人に渡された被り布を頭からすっぽりと被り、皆に気付かれぬよう中庭に入る。
 白熱した試合をあちこち巡っていたが、そのうちひときわ人が集っている右の試合に気がついた。
(何かしら。あんなに人が……)
 どこの貴人の試合かと、彼女も興味をそそられ、取り巻く人々に近づく。
 小柄な少年の後ろにまわって、彼女は試合を見つめた。
(あら、あちらの方、かっこいいわね、なかなか)
 彼女はわくわくしながら、試合に見入る。
(どちらの殿方かしら。もしお勝ちになったら、声をかけてみるのもいいわね)
 などと考えていると――。



 
 試合開始の合図が鳴った。
 斗信がすっと構え、青年の方ににじり寄っていく。
 お互い隙をうかがっているのだ。
 どちらが先に仕掛けるか。
 我慢が出来ず、先に攻撃をかけたのは斗信だった。
「やあーっ」
 かけ声とともに、剣先を青年に向けて、突っ込んでいく。
 それを青年は、いとも簡単によけてしまった。
「やあっ、とおっ」
 続く第二撃も軽く身をかわす。
(相手が強すぎる。斗信には無理だわ)
 光竜は、張り詰めた雰囲気の試合を見守った。
 青年は、いともたやすく斗信の一撃をかわしていく。
 かわすばかりで受け止めようとしない。
 周りからも失笑が漏れた。
(何よあいつ! ちょっと出来るからって完全に遊んでるわね)
 斗信の方は、息があがりかけながらも必死に攻撃していた。
 それを薄笑いを浮かべながら、まともに打ち合う必要なしとばかりに避けて遊んでいる。
 明らかに相手を見下した態度――見下げられた者のなんと惨めな事か。
 見ていられなくなって、光竜は目をそらした。
 弄ばれているのがわかるのか、斗信は顔を真っ赤にして怒り狂う。
「このっ」
 勢いよく突きを繰り出すと、青年はやっと剣を抜いてそれを受け止めた。
 カキーンッ。
 剣の刃がぶつかり合い、響き合う。
 青年はにやっと笑うと、そのままぐっと体重をかけた。
 斗信は、受け止めきれず体制を崩す。
 そこをすかさず手首に一撃。
 カーンッ
 勝負は一瞬でついた。
 斗信の剣が弾き飛ばされる。
「くっ……」
 手首を押さえながら、悔しそうに斗信は膝をついた。
 青年は、涼しい顔で剣を収める。
「あなたの剣は、あまりにも小物すぎてつまりませんな。もっと精進なさることです」
「何いっ」
 いきり立つが、斗信には剣もなければ、なぐりかかるだけの体力も、もはや残っていなかった。
 馬鹿にしたように笑いながら、勝者の青年は勝ち名乗りを受ける。
「勝者、遥州領主(ようしゅうりょうしゅ)範 呉考(はん ごこう)殿」
(ふーん、あれが遥州の領主ね)
 光竜は、彼を興味深そうに眺めた。
(この宴って、けっこう意味があるのかもしれないわ。都の有力な貴族や地方の勢力者たちの集まりでもあるもの。ここでいいところ見せれば、姫にだけじゃなく国中にも広まるわね)
 そうか、と彼は気がつく。
(斗信のねらいはこれね。ここでとんでもない失態をあたしに犯させ、皇帝陛下も目をかけてくださってるこの光竜を笑いものにしようって魂胆か)
 ここでもし少しでも名に恥じる行為があれば、それはたちどころに国中に広まる。
 上州の若き領主の名に傷がつくことうけあいだ。
 そしてそのうわさを機に、責めて領主の座から引きずり下ろそうという作戦なのだろう。
(ますます気が抜けない。あたしには圧倒的に不利だもの)
 内心ため息が出る。
 彼はここに集まった者達の中で、一番小柄で力もなかった。
 剣や弓なら自信があるが、力技で来られたら、ひとたまりもないだろう。
 顔を曇らせる彼の後ろで、鈴を振るように柔らかな声がした。
「まあ、素晴らしい試合でしたわ」
 手を叩きながら、彼の後ろの女性は勝者を賛美する。
「範 呉考様でしたわね。お強いのですね」
 彼女は微笑んで、被っていた布を落とした。
 光竜は、振り向いてあぜんとする。
 そこには、うわさにたがわぬ艶やかな美女の姿があった。





「華玲姫」
「華玲様だ」
 皆の視線を一身に受け、美女は華やかに微笑んだ。
(これが華玲姫? 確かにうわさになるだけのことはあるわ)
 本来同性の光竜でさえ、目を見張らざるを得なかった。
 黒髪は絹糸のようになめらかに流れ、大きく愛嬌のある瞳は、神秘的な紫水晶のようだ。
 白い石膏のような肌をし、形のよい珊瑚色の唇は、男性達をうっとりさせる笑みを浮かべている。
 動きも優雅で気品に溢れ、立っているだけで誰もがその美貌に目を奪われてしまうだろう。
 青い衣の裾を華やかに引いて、天女のような女性は、勝者に祝いの言葉を述べる。
「おめでとうございます。本当に良い試合でしたわ」
「あなたにそう言ってていただけるとは、光栄です、華玲姫」
 姫の手を取り、その甲に唇を寄せながら、呉考は感極まって答えた。
「あなたのお目にとまるとは、この呉考、法外の喜びです」
「まあ、そんな……」
 手を引っ込めると、華玲は恥らうように袖を口元に当てる。
 まわりを囲む若者たちは皆、呉考を羨望のまなざしで見つめていた。
 ただ一人、光竜をのぞいては。
(ふーん、あれがそうなのね。ま、大抵の男なら心が動くでしょう)
 自分も本当に男だったら、この取り巻きの一人になっていたかもしれない。
 そう思いながら、彼はふとさっき知り合った応麟の方を見た。
 彼はなんと袖口から小布を出すと、目を拭いている。
(ちょっとなあに? 姫に会っただけで感動で泣いてるってわけ?)
 半分あきれて光竜は、小さなため息をついた。
 確かに美しいと思うが、泣くほどとは思えない。
(やっぱりあたしは年上は好みじゃないわね。何かここまで完璧な美女だと、逆に気が引けるわ)
 わざとらしい笑みも、男達を惹きつける仕草も気に触る。
(やっぱり同性だからかしら)
 自分より美しい姫に嫉妬しているのか。
(あたしも、まだまだ心は男になっていないということね)
 そう思い、目線を姫からはずした時、彼ははっとする。
 ものすごい殺気を感じたのだ。
 振り向くと、そこには弓を構え、怒りに我を忘れた斗信の姿があった。
 その矢の先は、真っ直ぐ呉考に向かっている。
 いや、あのまま矢を放てば、呉考は避けるだろう。
 しかし。
(でも避けたら……その横にいる姫に当たるわ!)
 光竜は咄嗟に声を上げた。
「危ない!」
 その声に、皆振り向く。
 しかし気付くのが遅く、斗信の矢は放たれてしまう。
 光竜は考えるまでもなく、体が動いていた。
 呉考は、思ったとおりすぐに避ける。
 しかし、そのとき彼も気付き、顔色を変えた。
(姫!)
「ああっ」
 一瞬の出来事だった。
 光竜は姫に飛びつき、覆いかぶさると、その身を押し倒す。
 矢は彼の右肩をかすめ、後ろの木に突き刺さった。
 予想外の出来事に、皆その場に固まってしまう。
 誰もが動けず、立ち尽くし、事の成り行きを見守るばかりだ。
 光竜は、肩に痛みを感じながら起き上がる。
 彼の下には、大きな瞳を見開いて彼を見つめる華玲がいた。
 その無事を確認し、ほっとして起き上がる。
「失礼をいたしました。お怪我はありませんか」
 華玲に手を貸して、起き上がるのを手伝った。
 その時。
「ちくしょうっ」
 弓に再び矢を番え、斗信は呉孝を狙う。
 光竜は、その前に立ちふさがった。
「退け、光竜殿。わたしを侮辱したこの男に一矢報いねば気が済まぬわ」
「止めなさい、斗信殿。そのようなことをして何になる。弓を退きなさい」
「うるさいっ。わたしに意見するな」
「あなたの気持ちはわかる。だが試合内容はともかく、あなたは負けたのです。いさぎよく身を退かれよ」
「……」
 それでも気が治まらない彼を見て、光竜は腹をくくる。
(もう、しょうがないわね)
 この場を静めるためには他に方法がない。
「ならばあなたの怒りは、このわたしが引き受けましょう。それで弓をおさめていただきたい。いいですね」
「……」
「退かれよ。斗信殿。領主であるこのわたしの言葉が聞けないのか」
 身をすくませるほどの覇気を込め、光竜は言葉を放った。
 唇を噛みしめながら、斗信は不承不承弓を下ろす。
 彼が退いたことにほっとし、光竜は呉考に向き直った。
「本意ではありませんが、そういうことであなたに勝負を挑ませていただきます。受けてくださいますね」
「ほう、あなたが?」
 あきらかに小柄な少年の彼を見て、青年はにやりと笑う。
「おやめになった方がよろしいのでは」
「わたしとてあなたと勝負がしたいわけではありませんが、約束は守らねばなりません」
「敵討ちですか。無謀なことだ、お若いのに」
 周りの若者たちからも、失笑が漏れた。
 もはや結果は見えている。なのに勝負を挑んでくるとは。
「ま、いいでしょう。あなたがそう申されるなら、お相手しますか」
 呉考はそう言うと、試合場に戻った。
 光竜はさっと袖口から小布を出すと、負傷した肩を縛り上げる。
(お兄様! お願い……あたしに力を貸して)
 竦む心を奮い立たせ、少女――いや、少年は青年の前に立った。
 そして彼を見つめながら、一言告げる。
「わたしは、本当は剣技会に参加を希望しておりません。なのでこの試合は、剣技会の勝敗とは何ら関係のないものとさせていただく。よろしいですね」
「もちろん。でもそんな心配はいりませんな。それはあなたが勝った場合にのみ通用する言葉でしょう」
「……」
 光竜は黙って、自信満々の相手を見つめた。
 冷や汗が出でくる。
 そんな彼の様子に、呉考は苦笑する。
「剣は必要ないかもしれませんな」
「では、そうなさるがいい。わたしは失礼ながら剣を使わせていただきます」
 腰に帯びた剣を抜きもしない相手に対し、光竜は闘志が体中にみなぎるのを感じた。
(小さいと思って油断してるわね。でも見てなさい。必ず剣を抜かせて見せるわ)
 彼は、腰に下げた剣を抜き放つ。
 剣を手に持ち、構えると、不思議に心が落ち着いた。
 周りの喧騒も聞こえない。
(見える――あいつの気迫が)
 少年は、瞳に強い闘志を燃え上がらせた。
(あたしには背負うものがある。ここで負けるわけにはいかない!)
 静かに気息を整える彼を、呉考は驚いて見つめる。
(ほう! これは……)
 確かに体格差はある。しかしこの気迫はあなどれない。
「……」
 先ほどまでの見下げ果てた態度は消え、呉考の瞳に真剣な光が宿った。
 互いに相手の間合いを計る。
 光竜は、相手が一瞬体を横に滑らせた間をつかんだ。
(捕らえた!)
 剣を、そこに突き通させる。
「うっ」
 呉考は一瞬のうちに剣を抜き、あわてて光竜の剣を受け止めた。
 カキーンッ。
 するどい音。周りからは息を飲む音が響く。
 華玲も、思わず二人に見入った。
(あのぼうや、かなりやるわね)
「ふん、このわたしに剣を抜かせるとは、なかなかのものだ」
「どうも」
 二人は互いに剣を構えて、飛び退る。
(面白い!)
 呉考は、久々に心が燃え滾るのを感じた。
 どうやら相手は、少し出来るらしい。
 彼は受身をやめて、積極的に攻めに出る。
 光竜は呉考の直線的な攻撃をひらりとかわし、流れるような剣さばきで受け止めながら、まったく隙を見せなかった。
 どの攻撃も受け止め、流してしまう。
「ちっ」
 思わず呉考に、焦りが出た。
「やあーっ」
 振りかぶって上からの攻撃を、光竜は読んでいた。
 さっと身をかわすと、彼の右手に鋭い一撃を叩き込む。
「くっ」
 先ほどとは逆に、剣を弾き飛ばされたのは、今度は呉考の方だった。
「おおっ」
 周囲がざわめく。
 よもやこの少年が勝つとは、誰も思っていなかったのだ。
(あら、予想外の展開だわ)
 華玲も目を丸くする。
(あの子、まだ大人じゃないからあたくしの相手には役不足だけど――ま、少しは可愛がって上げようかしら)
 彼女は笑みを浮かべ、勝者となった少年に近づいた。




 光竜は痛む肩を押さえながら、剣をおさめ、呉考に手を差し出した。
「ありがとうございました」
「……」
 彼は光竜の差し出した手を、悔しげな顔で振り払う。
「貴様……」
 呉考の目に憎悪がよぎるのを見て、光竜は肩をすくめた。
「勝敗は時の運と申します。今日は、たまたまわたしが勝っただけの事。そのようにお気を悪くなさいませんように」
「……」
「また機会がありましたら、お相手ください。わたしはこれで」
「名は何と言うのだ」
(まだ、そういえば名乗ってなかったっけ)
 光竜は笑みを浮かべ、答える。
「上州から参りました、魁 光竜と申します」
 周囲から、一人の若者が声をあげた。
「上州の魁 光竜ですと? もしかしてあなたは上州の領主では」
「はい」
 はにかみながら、彼はうなずく。
「兄が突然亡くなりまして、若輩ですがわたしが後を継ぐことになったのです」
「ではあなたが、上州にこの人ありとうたわれる若干十六歳の名領主なのですね。これはこれは。わたしは一度、お会いしてみたいと思っていたのですよ」
「名領主?」
「知らないのか。国境の守りを固め、州内の混乱を抑え、帝の覚えもめでたい方だ。歴代の領主の中で、この方の政策は帝も大層感心しておられる」
「ほお」
 感嘆のため息が、辺りに満ちた。
「わたしはただ領主の位置を与えられているだけにすぎません。州の政策の成果は、すべて民や官の努力の賜物です」
 彼はそう言うと、では失礼します、と立ち去ろうとした。
「お待ちくださいな」
 微笑みながら華玲が近づいてくる。
(側で見れば、なかなか可愛い子ね。あたくしの小姓にぴったりだわ)
「先ほどは素晴らしい試合でしたわ。まだお若いのに大したものです。誉めて差し上げましてよ」
「……ありがとうございます」
 周りの嫉妬と羨望の視線を受けながら、光竜は顔を曇らせた。
(まったくもう……目に付きたくなかったのに)
 華玲は思ったより少年が反応しないのに、綺麗な眉をひそめる。
(緊張してるのかしら。無理もないわね。こういううぶな少年には、母性的な愛情が一番有効だわ)
 彼女はそう考え、手を伸べて彼の肩に触れた。
 そこに巻いた白い小布は、血で真っ赤に染まっている。
「負傷しているのに、よく戦われました。ご褒美に、あたくしがこの傷を手当てして差し上げましょう。さ、こちらへ」
 艶やかな笑みを浮かべ、誘ってくる彼女に、光竜はあわてて身を引いた。
(冗談じゃないわ。服を脱ぐような事――出来るわけないじゃないっ)
「い、いえ、どうぞお気遣いなく。このぐらいの傷、姫のお手を煩わせることではございません」
「ご遠慮なさらないで」
「いいえ、本当に結構です。では」
 光竜は、あわてて逃げるように立ち去った。
 差し伸べた手が浮いてしまい、華玲はあっけにとられる。
(な、何よあれ。せっかくあたくしが手を差し伸べてやったというのに――このあたくしを拒絶するとは!)
 むらむらと怒りが込み上げる。
 こんな侮辱をうけるなんて、初めての事だ。
 まわりもあっけにとられ、去っていく少年を見送っている。
(このあたくしの誘いを無碍に断るとは良い度胸だわ。見てらっしゃい、名領主だか何だか知らないけど、皆の前で大恥をかかせてやるから!)
 彼が泣いて、自分に助けを求めてくるぐらいぼろぼろにしてやろう。
 部屋に戻る彼の背中を睨み、華玲はそう心に決めた。



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