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序章二(華玲)
さわやかな春の風が、中庭に咲く花を揺らす。
「まあ、綺麗だこと」
渡り廊下を通りかかった、一人の少女がその様子に足を止めた。
「本当に今日のお庭は、美しゅうございますね」
後ろに控えた家人の娘も、うっとりと見入る。
「本日、成人の儀式を受けられる姫様を、花たちも祝福しているようですわ。なんて美しいのでしょう」
「……そうね」
少女は、何故か寂しそうにつぶやいた。
「さ、華玲様。参りましょう。もう、皆様お待ちですわ」
娘は、少女をせかす。
「わかっているわ、季江」
溜め息をつくと、少女はゆっくりと歩みはじめた。
まるで気が乗らないのか、どことなく表情が憂鬱そうだ。
中庭を過ぎ、屋敷で一番立派な部屋に入る。
「失礼いたします」
季江は、膝をついて頭を下げた。
「華玲様、お支度が整いまして、お越しでございます」
「おお、待ちかねたぞ」
そこには中年の男が三人、夫人が三人、左右に並んで座っていた。
男性は右、女性は左に並び、正面には金の屏風と朱塗りの卓がある。
華玲は、華やかな衣の裾を上手く捌き、優雅に膝をついて一礼した。
「本日は、あたくしのためにお集まりくださいまして、ありがとうございます」
左右の椅子に座った貴人たちに顔をあげ、美しい微笑みを見せると、誰もがほおっと息をつく。
「いや、噂には聞いていましたが……」
「本当にお美しいですな」
「これは将来が楽しみだ。いずれ後宮からお声がかかるやもしれませんぞ」
右の男性達から、感嘆の声があがった。
女性達は慎ましやかに扇で顔を隠していたが、それぞれが瞳に宿る思惑は様々である。
(こんなに美しいなんて――わたくしの娘よりも)
(これは、うちの息子の嫁に、ぜひ欲しいものだわ)
(……)
最後の一人、一番後ろに座った女性は、ため息とともに目頭を押さえた。
「采夫人、宜しゅうございましたな」
彼女の涙に気付き、一番前の男性が声をかける。
「ご息女がここまでお美しく成長されて、さぞ感激でありましょう」
「まったくです。本日父君がお越しになれなかったのが残念ですが、かわりにわたしが、姫君の儀式を見事に執り行ってみせましょうぞ」
一番後ろに座っていた体格のよい男が微笑んだ。
彼は泰 天孝。華玲の父の弟である。
「では、始めましょうか。華玲姫、前へ」
彼の言葉に、華玲は静々と屏風の前に進んだ。
跪き、卓の前に座った彼女の後ろに、天孝が立つ。
彼はおごそかに卓の上の小刀を取ると、姫の艶やかな黒髪を、左右一房ずつ切り取った。
そして姫の前に立ち、小刀を差し出す。
「本日を持って、泰 華玲姫を成人とする。これよりのち、成人女性としての責務を果たすことをここに誓われよ。すなわち娘として父母によく仕え、婚姻後は妻として夫に仕え、子をなせば母として子に仕えること。これすなわち、成人になられた女性の務めである。貞操を守り、不義に染まることなかれ。誓い破ることあらば、この刀にて命を捧ぐべし。今ここに、あなたの心を持って、真実の誓いを立てられるか。ご返答はいかに」
「謹んで、お誓い申しあげます」
華玲は静かにそう答え、小刀を受け取った。
「本日、このときを持って、泰家 一女華玲を成人となす」
天孝が宣言すると、姫は立ち上がり、静かに一礼する。
そして振り向くと、今度は左右の貴人に向かって頭を下げた。
「おめでとうございます、姫」
「おめでとう」
左右から、お祝いの言葉がかけられる。
「さあ、姫様。こちらへおいでくださいませ。お披露目のお支度をいたしますので」
季江に導かれ、華玲は部屋を出た。
そのあとに采夫人――華玲の実の母が続く。
退出する姫の華麗な姿に、座の一同は見送りながら、誉めそやした。
家人の娘がやってきて、貴人たちに一礼する。
「皆様はこちらへ。席を設けましたので、おいでくださいませ」
衣装直しをして、お披露目の席に現れるであろう姫の姿を楽しみに、客人たちは中庭に設けられた座に移動していった。
「しばらくこの子と二人にさせておくれ」
着替えるため、衣裳部屋に入った華玲。
ついてきた采夫人は、そう言って家人たちを下がらせる。
「お母様」
「華玲」
彼女を見る母の眼は、とても喜んでいるとは思えなかった。
むしろ苦しんでいるかのようだ。
「華玲、許してくださいね。おろかなわたくしを――こんな風にあなたを育ててしまった母を」
采夫人はそう言うなり、その場に泣き崩れた。
華玲はため息をつき、優しく母を抱き起こす。
「お母様、何を仰います。あたくしはこれで十分幸せですわ。お母様があたくしを守るためになさったことではありませんか。それを感謝こそすれ、どうして恨むなど出来ましょう。さ、もう顔をあげてください」
彼女は微笑んで、母を抱きしめた。
「でも、いつまでこうしていられるやら」
采夫人は、気弱な声でつぶやく。
「あなたは今日で十五歳。成人になってしまいました。お父様が、いつあなたに縁談を勧めてくるやら……わたくし、怖くてなりません」
「ご心配なく、お母様」
彼女は、労わるように母の背を撫でた。
「あたくし、ちゃんと考えてございます。これでも今日から成人ですのよ。一人で立派にやってみせますわ。それに――あたくし、体は男でも、心は立派に女でございます。今から男に戻れと言われた方が困ってしまいますわ。そうでしょう? お母様」
「それもそれで問題ですが」
母は、大きなため息をつく。
「大丈夫です。さ、お母様、そろそろあたくし着替えないと。皆様、お待ちですから」
そう言うと、華玲は声をかけ、家人を呼んで着替えを始める。
そんな娘――いや、息子の様子を見守りながら、采夫人は重い心で過去に思いをはせた。
十五年前。
泰家は、行州の領主を代々受け継ぐ家で、現当主にして行州の領主 泰 仁栄には、二人の夫人がいた。
正妻は皇族の血筋から迎えた姫。そして第二夫人の采夫人。
正妻の姫は泰家の長男を生んだが、その子はあまりにも病弱で、生まれたときから床についていた。
言葉も話せず、ずっと寝たきりの息子がどうして跡取りになれようか。
采夫人が身ごもったとき、当然期待がかけられた。
元気な男の子なら、跡取りになれる。
しかし彼女の身ごもりは、正妻にとっては許せないことであった。
嫉妬深い彼女は、采夫人をことあるごとに苦しめ、なんとしても子を生ませないようにしようとしたのだ。
采夫人は、必死に腹の中の赤子を守り、なんとか産み月を迎えた。
すると正妻は、彼女を屋敷に閉じ込め、生まれるその時、産婆に言いつけた。
――もし生まれた子が男なら、その場で殺すようにと。
産婆は幸い天の道理をわきまえた者で、このような罪を犯すことを恐れた。
そして采夫人に忌まわしい企みをすべて打ち明け、子の命を守るため、女として育てるよう申し入れたのだ。
采夫人はその忠告を受け入れ、産婆は生まれた子を女として報告した。
これによって、華玲は何とか命を保つことができたのである。
美しく成人の女性として髪を結い上げる華玲を見ながら、采夫人の心は複雑だった。
その後も疑って、正妻から何度も見張りの使者がやってきた。
おかげで家の中でも彼を完全に女として育てねばならず――結果、美しく姫としか見えない者に育ってしまったのだ。
なんどか折を見て、仁栄に打ち明けようとしたのだが。
そのたびに正妻の目が光り、それも出来ずにいた。
正妻にもう一人男の子が生まれれば――そう思っていたが、今日にいたるまで懐妊の兆しはなく、ついにあきらめた仁栄は、最近新たな妻を迎えようと探しているとか聞いている。
(まともに育っていれば、今頃あなたは……)
そう思うと、やるせない気持ちでいっぱいになり、采夫人は涙が頬を伝うのを抑え切れなかった。
華玲は美しい衣を纏い、髪を上げ、髪飾りや飾り櫛で艶やかに装う。
「お綺麗ですわ、姫様」
「本当に。都中の高貴な若君が、姫様を争って大騒ぎすることでしょう」
家人たちは、姫の艶姿に感嘆の声を漏らした。
「ありがとう」
華玲はにっこり微笑むと、まだ顔色の優れない母の手を取る。
「さ、お母様。参りましょう」
采夫人は涙を拭き、華玲の手を引いて部屋から出た。
二人は、静々と中庭に進む。
春の花咲き誇る中庭には、赤い絨毯が敷きつめられ、おひろめの席が設けられていた。
儀式には立会人として父母を含む六人の貴人のみ参席するが、その後他の親しい人々に顔を見せるのが、このお披露目の場である。
すでに招待された客たちが、二人の登場を今か今かと待ちかねていた。
得に若者達は、胸を弾ませていたことであろう。
なにしろ噂に聞く、国一番とうたわれる美姫を、じかにこの目で見られるのだから。
二人の姿が現れると、皆の中から感嘆の声があがる。
「何てお美しいの!」
「国一というのは本当ですな。これほどの美姫にはお目にかかったことがない」
口々に皆、誉めそやした。
華玲と采夫人は中央の一段高くなっている席に上がり、膝をついて頭を下げる。
「本日より成人となります、娘の華玲でございます。皆様の暖かいお心遣いを受けまして、先ほど儀式をつつがなく済ませることが出来ました。これよりのち成人として一層勤めますことを、皆様の前にお誓い申し上げます。ささやかではありますが、祝いの宴を設けましたので、ごゆるりとお楽しみくださいませ。さ、華玲。皆様に挨拶を」
彼女は母の言葉にうなずき、慎ましやかに礼をする。
「華玲と申します。本日はあたくしのためにお集まりいただき、本当にありがとうございます。これからは父母に尽くし、立派な成人になれるよう、精進したいと思います。皆様のご指導を、よろしくお願いいたします」
唇から流れる声は良く通り、銀の鈴を振るように心地よく響いた。
皆、うっとりとこの艶やかな少女を見つめる。
彼女が微笑むと、若君達の間から熱い視線が注がれた。
「さあ、宴を始めましょう。これ」
采夫人が合図をすろと、心得たように家人たちが料理や酒を運んできた。
一人一人、前に朱塗りのお膳が据えられ、次々と皿や鉢が置かれていく。
最後に美しく着飾った踊り子と楽師たちが現れて、歌や踊りが始まった。
若者達は酒が入ると気が大きくなるのか、次々華玲の側に寄ってきて、気を惹こうと一生懸命だ。
彼らに取り囲まれながら、華玲は優雅に微笑み、時には愛嬌のある返事を返し、若君たちの心をかき乱す。
「姫。どうかわたしの方を向いてください」
「姫。何かお言葉を。あなたを一目見たときから、わたしの心は燃えるようです」
熱烈な告白から甘いささやきにいたるまで、少々華玲もうんざりしてきた。
(ま、しかたないわね。今日で、あたくしも成人だし)
この国では竜神の掟に従い、成人になるまで婚姻することは許されない。
男は十八歳、女は十五歳である。
婚姻は、己の務めを果たすだけの年齢になってから行わなければならない。責任を果たせる年齢として、この歳の基準が定められていた。
男は働いて、一家を養えなければならず、女は家のことを取り仕切り、夫に仕えることが出来なければならない。
姫が成人に達すると、大抵どこの家も婿探しに目の色を変える。
やはり良い家に、娘を嫁がせたいのが親心だろう。
それにそれは、逆もまたしかり。
成人に達した姫は、格好の求婚対象となるのだ。
だからこういった席には親戚だけでなく近隣の有力な独身男性が招かれるし、中には噂が広まって、忍び込んでくる者もいるほどだ。
今日も招待客ではない者の姿が、ちらほらと見受けられる。
しかしそこは祝いの席。得に問題がなければ、細かいことは問われないのだ。
「姫、ぜひお聞かせください。あなたはどのような男性に心惹かれるのか」
一人の若者の質問に、華玲は愛らしく小首をかたむけた。
「そうですわね。でもあたくし、まだそのようなことは考えたことがございませんでしたわ」
「では、ぜひ考えてはいただけませんか。答えはわたしだけに教えてくださいませ。よろしいですね」
甘くささやく青年に、皆のやっかみの目が向けられる。
「一人抜け駆けは許しませんぞ」
「恋にそんなもの、関係ありません。早い者勝ちですよ」
「なんと風情のないお言葉。姫、こんな男に惑わされてはいけません。真実あなたを愛する者にのみ、あなたの手を取る資格があるのです」
「それはどなたですかな。よもやご自分とは申されますまいな」
やっかみにひやかし。でも華玲は内心、この状況を楽しんでもいた。
(やっぱりその辺の女より、このあたくしの方が、男なのに数倍も美しいのね。こんなに殿方の心をかき乱すなんて)
彼女の微笑み一つ、言葉一つに一喜一憂し、賛美と賞賛を浴びせる男達がこんなにいるとは、女としてやはり嬉しいもの。
たとえ体は男であったとしても、彼は――いや、彼女は心は完璧な女だと思っていたのだから。
ちらりと目をやると、青ざめ、心配そうな母の姿が目に入る。
彼女は気付かれないように溜め息を漏らした。
(ま、お遊びはこれぐらいにしておきましょうか)
自分に関心を持つ男たちが多ければ多いほど、性別がばれる確立が高くなる。
母の不安げな視線を受け、華玲は楽しむのはここまでにしようと考えた。
そしてわざとうつむくと、恥らいを込めて言葉を紡ぐ。
「でも、あたくし信じておりますの。いつかきっと運命の殿方が、あたくしの前に現れることを」
「おおっ、運命の人ですか」
周囲が、その情熱的な言葉にざわめいた。
「ええ、だって夢の中で竜神様があたくしにそうお告げになったのです。いつか必ずあたくしの前に、運命の方が現れると。そのときまで決して他の方を迎えてはならないと申されたのですわ。だからあたくし、他の方の元には嫁ぐつもりはございません」
まわりの若君達は黙り込んだ。
皆、心の中で運命の相手とはどのような者であろうか、想像をめぐらせる。
華玲はとても美しく、竜神がそのような定めを負わせるにふさわしい女主人公のように思えた。
静まり返った青年たちを見て、華玲はにこやかに続ける。
「ですから皆様、どうかあたくしのことはお気になさいませんように。他にもお綺麗で気立ての良い方など星の数ほどおりましょう。どうぞ他の方をお探しになってくださいませ」
そう言われて引き下がれる者が、どれだけいるだろう。
むしろ皆、余計に心を燃やし始めた。
「姫、教えてください。あなたの運命の相手とは、どのような人物なのか」
「さあ、あたくしにもよくは――竜神様も、そこまでくわしくは教えてくださいませんでしたわ。でも、こう申されました。一目会ったときに、この方だと感じると。あきらかに他の方たちとは違う感情が、あたくしの中に芽生えると」
「……」
彼女の答えに、彼らの中から残念そうなため息や、悲嘆にくれる声もあがる。
一目、今出会ったというのに、自分たちは華玲の心を動かす存在ではなかったということだ。
まだあきらめがたそうな顔もあったが、みな先ほどまでの態度は控え、別な話題を口にするようになった。
その様子を見て、采夫人はほっとする。
(うまく言いましたね、華玲)
これで彼女に言い寄る男たちを、追い払う口実が出来たというもの。
これからも夢の話は使えそうだ。
宴に出た人々の口から、噂として広まるだろうし、言い寄る者もへるだろう。
それでもやってくる男がいたら、竜神のお告げにある運命の人ではない、と言って、いくらでも拒絶できる。
まさか本当に婚姻するわけにはいかないのだから。
華やかに宴はお開きとなった。
中には一層彼女に想いを燃やし、迫ってくる者もあったが、華玲は上手くかわしてしまった。
それでも体は、思ったより緊張していたらしい。
やっと夜になってすべてが終わり、自室に引き上げたときには気が抜けて、疲れがどっと押し寄せた。
華玲は寝台に身を横たえ、ぐったりと目を閉じる。
しかし彼女なりに満足な一日であった。
自分も本来ならば、今日側に寄ってきた取り巻きたちと同じように、美しい姫君の元に惹かれていくのが普通なのだが。
(あたくし、そんなこと考えられないわ。それよりまわりにあたくしを崇拝する方たちを、にぎやかにはべらせるほうが楽しいもの。あたくし、やっぱり心は乙女なのね)
しかし。
追い払う口実とはいえ、心が乙女の彼にとって、運命の人はかなり魅力的な言葉であった。
(あたくしの運命の方は、どこにいるのかしら。こんなあたくしを優しく包んで愛してくださる人――男でもかまわないと受け止めてくださる方は。ああっ、あたくしがすべてを捧げて愛することの出来る方に、いつかお会い出来ると良いのだけれど……)
そんなことを思いながら、心が乙女の少年は、深い眠りに落ちていった。
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