警告
この作品は<R-18>です。
18歳未満の方は
移動してください。
やーっと時間が経ちます。
八話より三日ほど後です。
……いきなり始まります。
9.動き出す
体の中心を割って、グレンが突き込んでくる時、いつも彼女は声をあげてしまう。
歓喜と快楽に溢れた深い声は聞き苦しくて、まるで獣のようなのに、行為の最中は、自らの声すら自分を煽り立てる。
額を寝台に押し付け、両手で掛け布を握り締めて、レジーナは指先にまで満ちてくる悦楽に耐えた。味わった。
辛うじて残っている理性が気にしているのは、背後から彼女を貫くグレンに、見苦しく見えないか。それだけだ。こんな時でも、醜いとは思われたくない。そんなことでグレンに冷めてほしくない。
「気持ちよさそうだな、レジーナ」
背中の上から降りかかる声に、夢中で頷く。微かに歯が震える。
「満足した? じゃあ抜いていい?」
「まって……まって。やだ」
波のように押し寄せる快楽に揺らぐ声をあげ、レジーナは首を振った。言葉もおぼつかぬ、泣いている子供のようだ。自分でそう思った。
「じゃ、どうすんの」
脳髄まで痺れ、歯の根も合わないレジーナと比べ、グレンの声はひどく落ち着いている。悔しいし、憎たらしいのに、何故か安堵も感じる。
「もっと……」
「もっと何?」
言えない。言えるわけがない。レジーナは首を振って恥辱を堪える。でも這いつくばって、他人に後から貫かれながら、これ以上恥ずかしいことなどあるのだろうか。
「もっと……奥まで……入れて」
「こう?」
さらに彼自身を深くねじ込まれて、レジーナはまた快楽に鳴いた。そこが彼女にとって最も愉悦が溢れる場所であることに最近やっと気づいた。恐らくグレンも気づいているだろう。
「お前もほんと好きだね。もっと昔からこうして悦ばしてやりゃよかったな」
呟くグレンの声が耳を撫でる。彼は言うなり、腰を動かし始めた。さらに切ない声がレジーナの喉からこぼれ出す。体が揺れ、髪も乳房も尻も揺さぶられる。
「ああああっ! あっ、あっ、ああう……!」
「こら、はしたないよ、奥方様。廊下に聞こえちゃうって言ってんだろ」
レジーナは顔を寝台に押し付け、声を殺す。でもできない。どうしても喘ぎが漏れる。わななく唇の間から唾液も漏れた。顔を下げると、持ち上げた尻が反る。陰茎が打ち付けられる場所が微妙に変わった。グレンの動きも激しさを増す。
許しを請うように寝台に突っ伏して、体内で甘く狂おしく燃え盛る炎に呑まれた。
貯水槽での一件から、三日ほど経った。あれ以来、例の男の姿を見かけたことはなく、同じような日々が続いていた。
レジーナは一日かけて領地の僻地を訪れ、様子見と公国軍の駐留を告げる。グレンはグレンで、午前中は兵舎で兵士の訓練を行い、午後は城内を探索するか、書庫で読み物をしているらしい。
夕食は二人で取り、その後にはグレンに腕を引かれて寝室に誘われる。抱き合った後に、レジーナは自分の客室へ戻り、朝まで寝た。
悔しいのか悲しいのか、グレンとの交わりは快楽に満ちていて、それが日課にすらなりそうで、彼女はある意味恐ろしかった。
だが、あの夜以来、グレンは寝室にレジーナを誘う時に、彼女の意志を確かめたことはない。いつも当然のことのように彼女の腕を取り、寝室へと導いた。そして心の渇き、魂の飢えがわずかでも満たされるような交合もあの時だけだった。この先も無いだろうと思った。それでいいし、そうでなければならない。
空気が澄み、晴れ渡る山地の太陽は鋭い。日差しが突き刺さるように肌を焼く。空気は冷え冷えとしていても、日光に当たる部分だけ熱くなった。
「暑いですねえ」
レジーナが連れているやや太めの侍女は、汗を拭って呟いた。
歩き始めてそろそろ半刻経つ。一度休憩を入れた方がいいだろう。
レジーナは林を出る前に休憩を取ることを告げると、手近な木陰の下に腰を下ろした。
今日は東にある酪農家とその一族を訪ねる。城下から離れた牧草地では、公国軍が滞在しても生活にさしたる違いは無いだろうが、しばらく訪れていないことだし、様子も見たかった。今くらいの時期なら、丁度子牛が産まれているころだろうか。
レジーナが連れているのは、侍女の一人と年老いた役人、子供と言ってもいいような年の若い助手だった。心もとないが、領地の中だ。さしたる危険も無いだろう。
貯水槽での一件の翌日に、グレンは護衛をつけようかと申し出てくれたが、断った。領民に事情を説明するのに、当の大公の兵士が側にいては、印象はあまり良くはならないだろう。
季節は春の盛りだ。
林の木々の緑は濃密に生い茂り、そこから漏れる日差しも生命力に満ち溢れているように見える。
そこから少し離れた場所に、例の廃墟となった修道院が見える。乾いて明るい陽光に照らされた廃墟は、古い時代を偲ばせる遺跡でしかなかった。その側に広がる荒地もかつては葡萄畑だった。あの神の血と称えられる葡萄酒も、元々はこの修道院で作られていたものだ。
明日は葡萄酒農家を回ろうか。
そんなことを考えていると、侍女がレジーナに水筒を差し出してくれた。
「あの修道院、最近また幽霊が出るっていう話をよく聞きます」
人一倍怖がりのぽっちゃりとした侍女は、レジーナに身を寄せるようにした。視線は落ち着かずに、廃墟のあたりをさまよっている。
「昔っからじゃないの」
彼女の臆病をからかうように笑うと、侍女は首を振る。
「でも、本当に多いんですよ。酒屋の息子が夜ここで亡霊がちらちらと動くのを見たって……」
侍女が言葉を切った。
他ならぬその修道院から黒い人影が揺らめくように現れた。
侍女が息を呑む。レジーナは水筒を置いて立ち上がった。
人影はこちらを向き、近づいてきた。
修道士の亡霊か。いや、自分がかつて殺した盗賊の亡霊かもしれない。
それに続くように別の人影が修道院から出てきた。もう一つ。さらに一つ。
離れた場所で休んでいた老役人と助手もレジーナの元に身を寄せた。
人間だ。恐らく。
近づいてくる足取りは重みがある。陽光が作る影を引いているし、亡霊には見えない。その歩き方は無造作ではあったが、ゆったりとしていて、どこか優雅ですらあった。明らかに身構えるこちらを気にした風もない。
やがてそれが黒い外套を纏った小柄な人間であることが分かる。女かと思ったが、二十歳に達してないような少年だった。
少年は人間の身長二人分位の距離を置いて、レジーナと向き合った。金色がかった明るい茶色の髪を頭の後ろで束ねた、色白の少年だ。敵意が無いことを示すように穏やかに細められた目は青灰色。品のある顔立ちは美少年と言ってもいい。
少年はそれ以上彼女に近づかずに、膝をついた。
後から現れた人間は五人。同じように黒い外套を着込んでいた。いずれも青年や壮年の男たちで、少年の背後で、彼にならって同じように膝をついた。
「どちら様?」
油断無くいつでも剣に手をかけられるように構えながら、レジーナは誰何した。
「初めてお目にかかります。副伯夫人とお見受けしますが……」
少年は顔をあげてそう言ったが、レジーナは答えなかった。彼はまだ彼女の質問に答えていない。
「……私は前副伯の弟の末子であり、一族の生き残りであるエドワードと申します」
突然の少年の言葉に、頭の中を整理する。前副伯ということは、彼女の義理の父だ。その弟の子供ということは……。
「あなた様が副伯夫人であれば、私の従姉妹殿ということになります」
少年は丁寧に答えた。
夫から親戚の話はあまり聞かなかった。というのも元々親戚の数は多くなく、各地に散らばっている上に、盗賊団が乗り込んできた時にさっさと領地を離れてしまった者も多かったからだ。
彼女にとっての義理の叔父となる、この少年の父親の話も聞いたことが無かった気がする。
「おかしいわね」レジーナは身構えたまま告げた。「義理の叔父と息子たちは死んだと聞いたわ」
無論、嘘だ。かまをかけて少年たちの反応を見た。
城主が留守の間に親戚を名乗って上がりこみ、夫人と子供を追い出して──あるいはともどもに──城を乗っ取ってしまう盗賊の話など、昔からいくらでもある。
しかし少年は激高するでもなく、顔色を失うでもなく、静かに首を振った。
「いいえ、父と兄二人は確かに既に亡き人です。家も人手に渡りました。ですが私はこうして少数の供の者と各地を放浪してまいりました。さらにお疑いでしたら、父の元から奉公に出した、女官のマイラにお尋ねください」
マイラは彼女が嫁ぐずっと前からここに仕えていた侍女だ。まだ二十歳ほどの若い侍女だが、親戚筋から預かり、八、九歳の頃から勤めていると夫から聞いた。勤めが長いだけに、若いが夫や侍女頭からの信頼も厚い。レジーナも嫁ぐ前から随分と世話になった。
なるほど、マイラの名前を出すからには、このエドワードという少年は、本当に従兄弟なのかもしれない。だが問題は血筋の正否ではない。彼の目的だ。
「分かりました。そうします。それで、従兄弟殿がどんな用事でしょう?」
レジーナはやや口調を和らげたが、警戒は解かなかった。少年もそれが分かるのか、屈んだままの姿勢で受け答えた。
「付近の領民より、現在の城下の状況を聞きました。……公国軍の占領下におられるとか。さぞおつらいことでしょう」
レジーナは少しの間黙った。おつらいことは確かだ。だが略奪は回避できたわけだし、自分より十歳近くも年下の少年に、悲痛な顔で同情されるほどの、惨めな状況というほどでもない。
「そうですね。ですが、領民たちの協力を得て、どうにかうまくやってます。城下も今のところ平穏ですわ」
「レジーナ様」
素っ気無く言ったレジーナに対し、エドワードは首を激しく振って訴えた。
「公国軍を受け入れる為に、苦しいご決断があったことはお察しします。ですが、このまま彼らを駐留させてよいものでしょうか。大公は野心ある方です。このままではこの副伯領も戦乱に巻き込まれないとも限りません。差し出がましいようですが、まずは若輩の私の忠言をどうぞお聞き下さい」
まだ十六、七の少年だというのに、しっかりした言葉遣いだ。妙なところにレジーナは感心した。この少年が本当に夫の従兄弟かどうかは分からないが、それなりの教育を受けて育ったのは間違いなさそうだ。
「……どうぞ。お話しください」
少年の口調に押されるように、レジーナは頷いた。ありがとうございますと頭を垂れ、彼は話し始めた。
「このままでは、いずれ災難が降りかかります。大公は利用できるものは利用しようと考えるでしょう。あなた様も含めてです」
エドワードの言葉に、レジーナは僅かに苦笑いを返した。自分自身が大公に取って価値があるとは思えない。どころか、もしかすると邪魔者の一人かもしれないのだ。
「でも、私たちにどうしろとおっしゃるんですか? 公国軍は二千の兵を連れています。城を盾にしたところで、私たちが勝てる数ではありません」
「できます。あの城を使えば、不可能ではありません」
エドワードは自信ありげに断言した。レジーナが黙っていると、少年は熱っぽく話し続ける。
「夫人は既にご存知だと思いますが、あの城は上下水道が整備された、古代帝国時代のものです。上水道のうち一つ、兵舎に通じる部分に薬を流し込めば、軍を一網打尽にできます」
何かが頭に引っかかった。めまぐるしく思考を回転させながら、レジーナは答えた。
「でも士官たちは城に滞在しています。それはどうするのですか?」
「食事に薬を混ぜることもできるはずです。私がわずかばかりの供の者を連れていますし、事情を話して領民たちに協力を仰げば、薬で仕留めそこなった数人くらいは始末できるはずです」
確かに少年の話は荒唐無稽というほどではない。だが、士官たちはいずれも手練れに見える。この少年の供の者で仕留められるのだろうか。
第一、あの油断ならない司令官は誰が始末するのだ。うまく薬でどうにかできればいいが、それができなかったら? 先日の話ではないが、いくら素人が大勢で襲いかかっても、彼の残忍な戦いぶりを見れば、相当に訓練された兵士でなければ足が竦むだろう。生半可な士気では楽には勝てまい。
正直なところ、城内の人間も領民も──そしてレジーナ自身も公国軍を受け入れつつある。舞い上がった塵が落ち着こうとしているのに、さらに掻き回すのは億劫だった。これからなすべきことを一から考え直さなければならない上に、危険が高い。
「エドワード様、おっしゃることは分かりました。確かに彼らを撃退するのは不可能ではないと思います。ですが、その後は? 公国軍の兵力は圧倒的です。すぐに次の兵を送り込んでくるでしょう」
エドワードはレジーナを見上げながら、微かに笑みを浮かべた。誠実な少年に見えるが、なかなか食えないところもあるらしい。
「決して伝令を外に出さないようにし、公都に軍が全滅したという情報が伝わるのを防げば、かなり時間は稼げるはずです。その間に援軍を呼べるでしょう」
「援軍?」
レジーナの顔にも嘲笑が浮かんだ。そんなあてがあれば全面降伏などするものか。この小さな、何の価値も無い領地にわざわざ援軍を出してくれるような酔狂な人間がいるわけがない。第一、周辺の諸侯は遠征に出ていて、それどころではないはずだ。
「そうです」レジーナの表情に気づいていないのか、少年は続けた。「まずはこの先の伯爵領です。伯爵は遠征に出かけてお留守ですが、奥方様と守備隊がいらっしゃいます。この城が落ちれば、大公は次は伯爵領に攻め込むはずだと訴えれば、奥方様も兵を出してくれるでしょう。誰だって、自分の領地が戦場になるのは好まないはずです」
思わず黙り込んだ。
公国軍の目的が伯爵領であることは、レジーナは直接には誰にも告げてない。多少頭の回る人間なら気づくかもしれないし、特にグレンに口止めもされていなかったが、すすんで語るのはあまり彼の望むところではないだろうと思っていた。占領軍の司令官に愚かな女と思われるのは得策ではない。
無論、部外者であるこの少年が、正確に大公の目的を知る由も無い。先手を打って、伯爵家と結ぶという手を考えたのが本当に彼なら、相当に頭が切れる。
だが果たしてそれでこの領地を救えるのかは疑問だ。伯爵もそこそこ力を持っているだろうが、大公に並ぶまではいかないだろう。加えて伯爵軍の大半は遠征に出ているはずだ。
「でもエドワード様、私たちとお留守番の伯爵家の軍だけで、公国軍をそう何年も凌げるとは思えません」
「時間を稼げます。その間に王都と戦地に使いを出します。傍流とはいえ、私の伯母上は王家に縁のある方ですし、大公が国王陛下の遠征中に侵略を始めたと知れば、見ぬふりはできないでしょう」
エドワードにとっての伯母とは、レジーナの夫の母にあたる。彼女の血を引いているが故に、夫には王位継承権がある。レジーナが知っているのはそれくらいで、彼女が嫁ぐ少し前に亡くなった義母の家系の詳細や、現在王家ではどの程度の力を持つのか、全く知らなかった。知ろうともしなかった。
伯爵家にしても同じことだ。詳細が分からないから、公国軍の正確な目的も分からない。援軍を求めるにしても、彼らが擁する守備隊の規模を推し量るどころか、伯爵夫人の名前すらすぐには判然としない。
本当に甘かった。世界はこの小さな領地で完結されていると思い込んでいた。
レジーナが結婚したのは夫であり、領主という地位ではない。
だが、ひとたび伴侶として夫人となったなら、その義務は十全に果たさなければならない。だというのに、領地の中しか見ていなかった。いかに平和で、周囲から取り残されたような山間の城であっても、外のことは知らなければならなかったのだ。
自らの怠慢を悔やみ、少し先で膝をつく少年と供の者を眺めているうち、ふとレジーナは鍵が錠にはまるような感覚を覚えた。
あの男だ。
エドワードと名乗る少年のすぐ後ろで屈み、伏し目がちにこちらを見ている、三十代半ばくらいの黒髪の男。髭は綺麗に剃っていたが、太い眉と膨らんだような小鼻は、間違いない。貯水槽に出没し、彼女と取っ組み合いを演じた男だ。
「エドワード様」
氷のような冷ややかなレジーナの声に、顔をあげた少年は微かに表情を引き締めた。
「あなたの後ろにいらっしゃる方、お怪我を負っていらっしゃいませんか?」
少年は目を見開き、背後の男を振り返った。男の顔にも動揺が見える。
黒髪の男が例の侵入者であることは間違いなさそうだ。少年の指図なのかはまだ分からない。
だが、問い詰め方を間違えてはいけない。
少年を含め、相手は六人。こちらは四人で、全員帯剣しているし、一通り武器の扱いを教えているとはいえ、一人は子供、一人は老人、もう一人は決して俊敏とは言えない女だ。まともに戦えるのは自分一人。万一戦いになれば、犠牲無しに逃げ切る自信はない。
「申し訳ございません」
エドワード少年は、間をおかず、深く頭を下げた。
「おっしゃる通り、私が城内の様子見の為に、この男を侵入させました。実際に水道を使って、駐留軍を撃退できるかどうか、確かめたかったのです」
「城内で会った目撃者を始末するようにというのも、あなたのご指示ですか?」
「まさか!」
レジーナの皮肉に、エドワードは弾かれたように顔をあげ、大きく振った。動作が大仰なので、演技にも見える。後ろの男は、黙ってただ頭を垂れていた。
侍女や老役人たちは、話の経緯が分からず、おどおどとレジーナと少年たちを見回している。構わず、レジーナは話し続けた。
「ですが、実際に彼は私の口を封じようと、つかみかかってこられましたよ。私も死にたくはありませんので、抵抗させていただきましたが、その時、お尻に怪我を負われたはず」
エドワードは再び振り返って、唸るような声をあげた。
「貴様……なんてことを。本来の目的を忘れたのか」
「申し訳ございません」
男が口を開いた。がらがらとした、胴間声。確かにあの日レジーナに向かって「ネエちゃん」と呼びかけた男のものだ。
「副伯夫人とは存じませんでした。女官かと思いましたので、少々脅かして自分を見たことを口止めしようと考えてしまいました」
どこが少々だ。あれが脅しだけで済んだかどうか、怪しいものだ。レジーナは男の言い訳を鼻で笑ってやりたかった。あの時通りかかったのがレジーナでなく、例えばこのぽっちゃりした侍女のような無力な女であれば、どうにかしようとしていたのではないか。
「配下の者が不届きな真似をしでかしたようで、誠に申し訳ございません。なんとお詫びしてよいか……」
エドワードは再び深く、地に触れようとするほどに頭を下げた。それを冷ややかに見下ろしながら、レジーナは言い募る。
「全くですわね。それに私にも何も告げず、いきなりお使いの方を城内に忍び込ませるというのも、あまり感心できた方法ではないと思いますが」
「おっしゃる通りです。ですが、城内の状況が分からなかった為、突然書簡を送っても、またマイラに接触を試みても、公国軍に嗅ぎつけられるのではないかと……」
エドワードの話には一理ある。確かに自分あての書簡を届けたところで、手紙の類は一度全て公国軍に届けられる。見つかれば少年たちは一巻の終わりだ。
しかしやはりいきなり女に襲い掛かるような男とそれを配下に加えている人間を、一度会っただけでは信用できない。確かにこの少年は礼儀正しいし、頭もいいようだが、それだけにその目的もはっきりと読めない。
本当に会ったこともない、従兄弟の妻である自分の身を案じてくれているのか。それよりは、夫が遠征に出ている内に、混乱している城に入り込んで公国軍を追い出し、うまいこと城主の地位に納まろうとしているのではないか。そう考える方が自然だ。
それにしても余計なことをしてくれたものだ。おかげで不用意に公国の兵士たちを疑う羽目になり、先日の兵舎での茶番を招いた挙句に、またグレンに借りを作ってしまったではないか。無実のまま尻の検査をされた兵士たちも、したニコラスも哀れだ。さすがに申し訳なく思った。
レジーナはひとつ息をつき、腹から声をあげた。
「エドワード様、お申し出には感謝します。ですが、私たちにとっては決断が難しいことはご理解いだけますわね? 公国軍が駐留するのは愉快ではありませんが、今のところ彼らは問題を起こしていませんし、司令官は私の旧知の人間です。軍の主力が遠征中に無理をするよりも、彼らを受け入れるのも一つの選択だと……」
「分かっております」エドワードはそれまでにない激しい語調で、レジーナの言葉を遮った。「しかしそれでは、私の従兄弟殿は帰る場所が無くなってしまうではありませんか」
顔に血が上る。
この少年は何も分かっていない。夫が帰る場所を守る為に、屈辱的な条件を呑み、公国軍を滞在させているのだ。その為に、毎晩司令官に抱かれているのだ。それを全てひっくり返して、敢えて戦いを挑むことこそ、夫の帰る場所を瓦礫に埋もれた廃墟に変えてしまうことだ。
「今日のところはお引取りください」
お前のような子供に何が分かる。そう罵る代わりに、レジーナは抑えた声で告げ、礼を取った。
エドワードもレジーナの強固な意志を感じたのか、体を起こして立ち上がった。
「かしこまりました。──夫人、どうかよくお考えください。確かに私の申し上げることは無謀かもしれません。ですが、公国軍を駐留させておくというのは、大公が作り出す流れに甘んじて巻き込まれるということです。そうなれば、もうご自分の手で運命を変えることはできません。逆らうなら、今しかないのです」
「もとより自分の手で変えられるような脆弱なものは、運命などとは呼べないでしょう」
若者らしい希望に溢れた台詞にレジーナは皮肉を返した。少年は力の無い、疲れた年寄りを哀れむように顔を歪めると、礼を取った。
「今日はこれで失礼します。我々はあちこちを転々としていますが、お気が変わりましたら、この修道院に手紙を届けてください。いつでもお力になります。この山を抜けて伯爵領に通じる道も、我々なら知っています」
「ありがとうございます。お心遣いには感謝しますわ」
十歳近くも年下だろう少年に、むきになって言い返してしまった自分が恥ずかしく、レジーナはやや落ち着いた声で返す。少年はそれを聞き、男たちをつれて踵を返すと、出てきた修道院を避け、林の向こうへと歩いていった。
少年たちの姿が声も届かないほどに遠くなると、侍女は大きな溜め息をついて、レジーナにすがりついた。役人と助手も肩の力を抜く。
ひとまず危機は回避した。
だが、今後どうするか……。不穏分子が領地内をうろついているのはありがたくない。だが、公国軍に始末させるのも迷うところだ。それにエドワードの言い分にも、全く考えるべきところがないではない。
だが、そもそもあの少年が本当に夫の従兄弟なのか。それもマイラに確認しなければ。少年が長く領地を離れていたにしては、妙に事情通なのも怪しいといえば怪しい。会ったことがないはずだが、彼は自分の名を知っていた。
「でも、今の領主様の従兄弟の方、素敵でしたね」
のんきなことを言っている侍女を見て、まずはこの娘の口止めから考えなければと、頭痛が起こりそうになりながら、レジーナは思った。
晩秋から早春にかけて、この辺りは雪に包まれる。
降り積もった雨雪を溜め、ろ過して清らかな水に変える。それは厨房、厠、風呂にあまねく行き渡る。その水が枯渇しても、降り積もった雪は地下に沁みて水脈を作っているので、いくつも掘られた井戸からくみ上げることもできる。さらに、すぐ近くには麓で大河となる川の源流がある。
とにかくこの城は水に恵まれている。本気で戦う羽目に陥っていれば、こちらもそれなりの被害は出ただろう。
兵士たちも水洗の清潔な厠と、兵舎に備え付けられた巨大な風呂に驚き、そして喜んだ。公都で風呂を持つのは大公と一部の貴族だけだ。遠征先の兵舎にそんな豪華な設備があるとは、彼らは想像もしなかったに違いない。
その豊かな水の主たる水源である、貯水槽とろ過装置は城の地下深くに広がるが、蓋はそう大きくない。それを閉じている頑丈な鎖と鍵に手を伸ばすと、背後から声がかかった。
「触らない方がいいですよ」
グレンが振り返ると、いつの間にか側近の一人、彼の副官が背後に立っていた。
「別に開けてやろうってわけじゃない。どんなもんか、ちょっと見るだけだ」
「触ると、誰がいつどこでどう触れたのか、術者に分かります」
術者という言葉に、グレンは僅かに目を見張った。
「……魔術か?」
「恐らく」
「誰がかけたんだ? 夫人ではないだろうな」
「違うと思います」
彼の答えを聞き、グレンも馬鹿な問いをしたと思った。あの単純で無神経なレジーナが魔術など使いこなせる訳がない。使えるなら、まず自分をどうにかしようとするだろう。
「解けないのか?」
魔術の知識が深い、色白の副官に尋ねると、彼は首を振った。
「やってできないことはないですが……やはり誰がどうやって解いたかは分かってしまうでしょうね」
「ならいい。無理にすることはない」思わず舌打ちが出る。「しかし小賢しい真似を。あのジジイかな。それとも侍女の中か。心当たりはあるか?」
グレンの言うジジイとは、執事のことである。副官はまたかぶりを振った。
「よく分かりませんね。執事殿ではないと思います」
「じゃあ、侍女か厨房のババアか。……誰が術をかけたか、お前では分からないのか」
「調べることはできますが、時間はかかります。私も城内の人間全てを知っているわけではないので、すぐというわけには……」
「役立たずめ」
グレンは懐刀とも言える男に向かって毒づく。副官の方はいつものことだと承知しているので、表情すら変えなかった。
「あ、でもいいこと思いついた。夕飯の前に時間作っとけ」
不機嫌に何事か考えていたグレンは、急に顔を輝かせた。ころころと機嫌が変わるのもいつものことなので、副官は無感動に頷いた。
「はあ……分かりました」
「それから夫人が戻ったら知らせろ」
「先ほどお帰りになったそうですよ。今日はお早いですね」
彼の言う通り、今日はまだ夕方前だ。日はまだ高い。いつもレジーナが戻るのは空が赤く染まり始める頃だった。
「そりゃいい。好都合だ」
グレンは独り言のように呟くと、その場を離れた。ついてくるなと無言で告げる背中を見ながら、副官は上官と反対方向、城館の方へ歩き始めた。
あの司令官が顔を輝かせるようなことは、大抵ろくでもない、くだらないことだ。散々付き合わされた彼は、大きな溜め息をついた。
とにかくマイラと話し、そして無駄だとは思うが、夫にもう一度手紙を出そう。執事や役人たちに伯爵の話も聞いてみなければ。
高い位置にある窓から差し込む、遅い午後の日差しをぼんやりと見つめ、レジーナはそう結論づけた。あまり考えすぎると頭が煮詰まりそうだ。彼女は考えるより、行動したい人間だった。
よくそのことで夫と喧嘩もした。思考を重ねて、できる限りの事態の想定をしなければ、備えはできない。自分ひとりならいいが、領民を巻き込むのだから、慎重になるに越したことはない。それが彼の言い分だった。
黙ってひたすら考えるのは、レジーナが最も苦手なことだ。修道院の瞑想の時もそれで何度怒られたか。小さい頃からそうなのだから、育ちというより、生まれつきの性格だろう。
それでも不安があれば、つい思考はそちらへ飛ぶ。
薄明るい風呂場で、湯に浸かったまま、レジーナは目を閉じた。頭を休めなければならない。久しぶりに修道院で行ったような瞑想に入ってみる。
目を閉じ、ひたすら呼吸だけを意識すると、やがて頭の動きが静まる気がする。物音を捕らえる耳やその他の感覚も鈍く落ち着いてくる。
遠征に出ている夫のことも、図々しく滞在している公国軍のことも、今日会った従兄弟と名乗る少年のことも、全ての不安としがらみをこの数瞬だけ忘れてしまいたかった。
風呂場の扉ががたがたと音を立てた。
安全やその他の理由から入り口に鍵はついていないが、人が入っている時は一目で分かるように、外の扉に大きな布をかけてある。
まさか入ってはこないだろう。そう思った瞬間に扉が開いた。
「おー、いたいた」
グレンだ。
頓着もせずに風呂場に入り込んできた男の姿を見て、文字通り、レジーナは開いた口が塞がらなかった。
「なに入ってきてんのよ! 出て行ってよ」
一瞬の後、我に返ったレジーナは、浴槽で身を縮めて怒鳴り声をあげた。毎度のことだが、耳を突き破るようなレジーナの怒声もグレンには効いていない。
「いや、話があるんだよ。ちょっと聞け」
呑気な愛想笑いを浮かべたまま、グレンは自分も服を脱ぎ始めた。レジーナは慌てて浴槽からあがって風呂場を出ようと思ったが、手ぬぐいも服も、グレンの足元にある、入り口近くの籠に入れてある。いくら彼から逃れる為だと言っても、全裸で風呂場から出るわけにはいかない。
「話なら外で聞くわよ。出てって。何するつもりなのよ」
「昼間っから何もしねーよ。せっかくだから一緒に風呂入るだけ」
「何がどうせっかくなの。ちょっと……やだ」
言い合う内にもグレンは上着も下着も脱ぎ捨てる。風呂場にはまだ色のついていない昼間の明かりが、小さな窓から入り込んでいた。視界は十分に効く。レジーナはグレンから目を逸らした。
「だって俺まだここの湯の張った風呂には入ったことねーもん」
「来ないでってば!」
レジーナの様子に構わず、グレンはずかずかと歩み寄り、浴槽に体を沈めた。レジーナは後ずさり、閉じた手足で、縮めた体を隠した。グレンは彼女を見て苦笑する。
「今さらそんな嫌がらなくたって……」
「嫌よ! 風呂なんて二人で入るもんじゃないでしょ!」
「知らないの? この風呂は元々二人で入るように建造されたんだぞ。昔は夫婦とかで入ってたんだろうな。お前はその様子だと、ダンナと使ったことはないんだろうな」
「無いわよ」
目のやり場に困り、落ち着きなく視線をさまよわせるレジーナとは対照的に、グレンはじろじろと遠慮無くレジーナを見つめた。
湛えられた湯の中に、体を丸めたレジーナの肢体が揺らめくのが見える。腕で胸元を隠し、折り曲げた脚で秘部を隠そうとしているらしいが、筋肉がついて引き締まった二本の脚の隙間から、たゆたう長めの金色の陰毛と、黒い陰になっている陰裂が覗ける。
股間に血が流れ込むのを感じた。だが、今の目的はレジーナではない。グレンは衝動を押さえ込んで、口を開いた。
「ま、どうでもいいや。実はお前に頼みがあるんだ」
レジーナは黙っている。早く出て行けということなのだろう。彼はそのまま続けた。
「夕食の前に、侍女を全員紹介して欲しいんだな」
グレンの言葉に、レジーナは大きく顔をしかめた。ついに来たか、と思った。
「どういうこと?」
穏やかならぬ声でレジーナが尋ねると、彼は満面の笑みを浮かべた。こんなに楽しそうなグレンの顔は見たことがない。安心するというよりも、正直言って不気味だった。
「しばらく城に滞在するってのに、そこで働く方々のことを俺が知らないってわけにもいかないだろ。経歴とか年も含めて色々頭に叩き込んでおきたいんでね」
「私が知ってる。あんたには必要無いでしょ」
レジーナの声は増々冷える。だがグレンは相変わらずへらへらと喋り続けた。
「俺が隅々まで知りたいの。……意図を汲み取れよ。この前言ってたじゃん。女官たちの一覧を作って、毎晩一人ずつ夜伽をさせる。夢なんだよ、俺の」
死んでしまえ。そのくだらない夢ごと。
あまりの馬鹿々々しさに、レジーナは声も出ずに、ただ腹の中で罵倒するのが精一杯だった。
「知ってる? 今お前の旦那が遠征に出ている先の異教では、王族は何十人、何百人って単位の女を後宮に入れて、好きなだけやれるんだって。いや~、いいね~、俺もそっちに生まれたかったよ」
「ふざけんな、アホ」
衝動的に飛び出した口汚い悪態にレジーナは自分で驚いた。まるで傭兵時代の言葉使いではないか。グレンは面白そうに彼女を見ているだけで、気に留めた風もないが、さすがに口調を改めた。
「そんなことできるわけないでしょ。うちの侍女は異教の後宮の女じゃないのよ」
「嫌ならいい」あっさりとグレンは言ったが、僅かに視線が尖った。「必要なものがあれば、お前が徴収するから、略奪はするな。お前、そう言ったよな? だから筋を通してお前に話を出しただけだ。断るなら、俺が勝手にやるだけだ。気に入った女を適当に寝室に引っ張り込んでも文句言うな」
体を隠しながらグレンを睨みつけ、歯噛みした。確かにそう言った。そして自分が引き受けなければ、この男なら手当たり次第に女たちを犯すかもしれない。
だが、到底引き受けられる話ではない。侍女たちは領主の親戚筋の人間で、長くこの家に仕えていたり、レジーナを慕って城に上がったりしている者たちで、いずれも彼女にとってはかけがえのない、大切な部下だ。まだ幼い少女もいるし、そうではない女たちも、レジーナのように戦地に行った夫や恋人を待ちながら、不安な日々を送っている。そんな彼女たちに、占領軍の大将の寝室に行けなどと、命じられるはずがない。
「お願い、勘弁してよ」
表情を緩め、レジーナはなんとかグレンを説得しようと試みた。
「皆、恋人が戦地に行ってるのよ。それに、まだ十五、六の女の子もいる。男を知らない子もいるのよ。そんな子供に、あんたと寝ろだなんて残酷だと思わない……」
語尾から力が抜けたのは、グレンの目が輝くのを見たからだ。レジーナは話の持っていき方を誤ったのを知った。
そうだ、この男は若い女、それも処女の方が好きだった。昔からそうだった。情に訴えるつもりが、却って好奇心をかき立ててしまったに違いない。
自分の失敗に、沈鬱に顔を曇らせるレジーナに対し、意気揚々とグレンは言い放った。
「心配すんな。俺が素晴らしい体験にさせてやるから」
「そういう問題じゃないでしょ」
「いや、それが侍女たちの為なんだって。いいか、ここでお前が渋って処女たちを差し出さなかったとする。で、来年、間道が通った後に、うっかり俺たちが負けてみろ。仕返しに攻めてきた伯爵領のむさ苦しい兵士どもに、いたいけな少女たちがガシガシ犯されて、彼女たちは、ああこんな薄汚い男に処女を散らされちゃうくらいなら、もっと前に公国のあの素敵な司令官様に捧げておけばよかったわーとか思うわけだよ。恨まれるぞ、お前」
「バッカじゃないの。そんなことあるわけないでしょ」
勝手に想像力を膨らませていくグレンに冷や水のような声を叩きつけるが、彼は怒りも鼻白みもしなかった。相変わらずにやついているだけだ。
そして内心レジーナは軽い戦慄を覚えた。やはり間道が完成すれば、グレンたちの軍がそのまま伯爵領に攻め込むことになり、ここをこのまま砦として使うつもりなのだろう。いずれ災難が降りかかると言った、エドワードの言葉が蘇る。そうなれば否が応でも、この山間の城も戦乱に巻き込まれることになるのだ。
しかし、今は目の前のことだ。やはりどう考えても、大切な侍女をこの男に差し出すわけにはいかない。侍女たちは彼女の部下であるというだけでなく、副伯である夫の召使いでもある。レジーナには彼女たちを守る義務がある。自分の身はどうなっても仕方ない。
「……ねえ、お願いよ。侍女たちのことは諦めて」屈辱をこらえて、レジーナは次の言葉を続けた。「私のことなら好きにしていいから」
「えー、いいよ。お前のカラダなんかもう飽きたよ」
あまりに無礼なグレンの答えに、レジーナは呼吸も忘れた。
今まで生きてきて、色々と屈辱的な罵倒は受けてきたが、これほど自分の誇りを粉々にする言葉は無かった。
体が震える。だめだ。何か言わなければ、あまりにも惨めだ。そう思うと真っ白になっていた頭に、怒りが湧いてきた。
「……なんて、失礼な男なの。人の奥さん捕まえて、好き放題しておいて、飽きた!? 馬鹿にするのもいい加減にしてよ」
押し殺したレジーナの声に、もはや殺意にも近いどす黒い感情が混じった。さすがにグレンも若干表情を引き締める。
「馬鹿にしてないって。男と女なんていずれ飽きるもんなんだから、仕方ないだろ。お前と旦那だってそうだろうが」
「あたしたちは違うわよ」
咄嗟に反論したが、根拠は無かった。いや、言い放った一瞬後には、グレンの言う通りかもしれないと思った。レジーナと夫は互いの肉体に飽きた。だが、それでも絆を繋いでいるのが愛だ。この男との間には無いものだ。
「はあ、そりゃめでたいね。幸せで結構なことだ」
からかうようなグレンの声は、口調とは裏腹に冷ややかだった。だがすぐにまた声音を変え、彼は続けた。
「まあ何にしても、侍女たちと寝るのは、司令官として大事なことなんですよ。体の隅々まで調べられるし、お前も知らないような話を聞けるかもしれないし」
「じゃあせめて、あんたんとこに出す女は私に選ばせてよ。まだ若い子に傷を負わせるような真似したくないの。分かって」
食い下がるレジーナに、グレンはぶらぶらと手を振った。
「だめだ。どうせ、お前、二十五も過ぎたババアばっか出してくる気だろ」
レジーナの頬が再び怒りで痙攣した。
「……あたし、二十六なんだけど。喧嘩売ってんの?」
「そりゃご愁傷様。年食ったな~」
「お互い様でしょ! 三十も越えたジジイにババア呼ばわりされたくないわよ」
「おい、まだ越えてねえよ。俺は三十ぴったりだ。……いや、二十九だったかな? 八?」
不真面目な態度のグレンを見ていると、怒りと苛立ちのあまりに、むしろ力が抜けそうになる。レジーナは己を奮い立たせた。
「バカじゃないの。自分こそ年忘れるほど、耄碌してんじゃない。大体、あんたみたいな男は忘れてるでしょうけど、男と女が寝れば、子供ができるのよ。それはどうしてくれんの? 責任取って育てる気あんの?」
怒りが収まらないまま、レジーナは強い語調で言い募る。それを聞くと、グレンの目から笑みが消えた。口元は相変わらず吊りあがっているのが却って不気味だった。
「そんなん、しらねーよ。女が子供産むようにできてるのは、俺のせいじゃないし。お前が侍女たちを大切にしてるなら、せいぜいできた子供の面倒を見てやるか、堕胎の手伝いでもしてやれ」
女や子供を何だと思っているのだろう。レジーナは何か言ってやりたかった。できるなら殴りつけてやりたかったが、どうしても体も唇も動かなかった。
「だからさ、それも大勢の女とやれば、一人当たりの命中率は減るわけで、お互いいいことだと思うんだけどね。お前だって助かるだろ」
グレンは再び表情を緩めた。
確かに、このまま毎晩のようにグレンと体を重ねていれば、いくら避妊薬を飲み続けていても、いつかは子供ができてしまうかもしれない。だがその危険を侍女に振り分けるのは、同じことだ。夫とてそれを喜びはしまい。
だが、自分がここで頷こうと、首を横に振ろうと、結果は同じだ。グレンの思う通りになるしかないのだ。レジーナは押し黙ったまま、無力感に苛まれた。
「それにね」グレンは皮肉っぽく言った。「お前は侍女を大事に思ってるらしいけど、俺に言わせりゃ、奴らにそんな価値ないね。俺に、主人の妻であるお前を差し出して、毎晩抱かせておいて、自分たちは安全なところでのうのうとしてるんだぜ。お前の代わりに自分を抱けと言ってきた侍女は一人もいない。大した忠誠心だ」
侍女のことというより、グレンと比べて、指揮官としての自分の統率力を嘲られているようで、レジーナは返す言葉が無かった。
ただ、イブのことを思い出した。彼女は自分を身代わりにしてもいいと、そう言ってくれた。確かに誰もがレジーナを哀れみ、身を案じてくれていたが、身代わりになろうとまで言ったのは、イブだけだった。
「本来守るべき主人をほったらかして、自分は安全な場所から主人を哀れんでいるなんて、何様のつもりだか。お前の情けない部下どもに、俺からちょっと指導してやるよ」
レジーナはうなだれそうになる首を必死で支えながら、無言のまま眉を寄せた。
先日垣間見た、グレンの統率力。あの力に、レジーナは純粋に嫉妬した。自分にはできない。
レジーナが領民や侍女に慕われているのは、彼らの為に必死に何かしているから。彼らを守っているからだ。グレンのように、自分の為に危険に飛び込ませるような求心力は持たない。
かつて軽蔑していた人間と、指導者としての器の違いがかけ離れてしまったことを知り、レジーナは自分をみすぼらしく思った。
レジーナの沈黙をどう取ったのか、グレンはなだめるように柔らかに言った。
「そんながっかりすんな。また気が向いたら、お前も寝室に呼んでやるから、それまで一人エッチにでも勤しんでろ」
「アホじゃないの?」
顔を赤らめながら言い返すと、沈んでいた心に少し血が通った気がする。グレンの気遣いでもないだろうが、肩から力が抜けた。
「そう怒るな」
グレンが手を伸ばした。
体を隠していて手を動かせないレジーナは、身を捩って逃れようとした。
「やめてよ、さわんないで」
目を逸らそうとしたが、却って意識してグレンに視線が飛んでしまう。揺らぐ湯の中に鍛えた筋肉がついた体が見える。彼女とは反対に、グレンは下半身すら隠す素振りもない。ついそこに目がいきそうになり、レジーナは視線をあげた。
グレンと目が合う。
同時に肩を掴まれた。湯に温められたグレンの手はいつもより熱い。
狭い浴槽の中で、湯を波立たせてグレンが体を寄せる。その肉体で窓からの明かりが遮られ、一瞬グレンの顔も分からなくなる。そう感じた時に、レジーナの唇にグレンの唇が触れた。それもやはり熱かった。
今夜は一番気に入った侍女を抱くつもりなので、正直なところ、体力は温存しておきたかった。
だが、古代帝国時代の、どことなく淫靡な浴槽の中で、恥らって体を隠す全裸のレジーナは煽情的だ。必死に体を覆う手足からはみ出した白い肌と、時折隙間から覗く陰部が艶かしい。
侍女たちを差し出さざるをえない無力感に落ち込んでいるらしく、今は珍しいほどにしおらしい。追い込んだのは自分であることは棚にあげて、慰めてやりたくなった。
口づけるとレジーナは一瞬驚いたようだが、すぐに瞳から力を抜いて潤ませた。この四、五日で何度も抱いたのだ。もう彼が触れれば、ほぼ反射的に体が緩むに違いない。
唇を押し開き、舌を差し入れてもさしたる抵抗もない。湯に浸かって体が温まっているのか、彼女の口の中も熱っぽい。これなら、体内もいつもより温かいのかもしれない。考えると、急速に下半身が膨張した。
レジーナの舌を吸いながら、グレンは体を隠す彼女の手を掴む。当然レジーナは力を込めて抵抗するが、意外にたやすくどかせた。豊かな白い乳房が湯の下で揺れているのは、また普段と違って悩ましい眺めだ。手を沈めて湯の中でそれに触れて揉むと、いつもより摩擦が少なく、滑らかに動く。
「や……」
唇を首筋に滑らせると、レジーナはか細い声をあげた。息が乱れ始めている。さっきまでこちらを恫喝していたというのに、可愛いものだ。
「いい子にしてろ」
耳たぶを舐めながら囁くと、レジーナはあだっぽい溜め息をついた。彼女は普段言われれば激高するような言葉を、情交の時に囁かれるのが好きらしい。
下から持ち上げるように、豊満な乳房を握りながら押し上げると、水面から乳首が顔を出した。自分の体の卑猥な光景に、レジーナは息を弾ませて目を逸らす。そこを尖らせた舌で舐めると、彼女は目を閉じて快楽を訴えた。
グレンは空いている手と足を使って、折りたたんで閉じたレジーナの脚を開かせた。やはり抵抗は少ない。もう待ち望んでいるのだろう。右手を湯の中に沈めて、レジーナの脚の間に触れる。湯の中でも、そこが密度の違うねばついた液に覆われているのが分かる。
「ちょっと触っただけで、すぐ濡れちゃうんだよな。かわいいな、お前」
「そんなんじゃない」
掠れたレジーナの声はしっとりとした熱を帯びている。
「そうじゃん。最初に会った日だって、キスしただけで、濡らしてただろ? いいの、いいの。その方が可愛いから」
グレンの言葉を聞き、レジーナの顔にさらに血が上った。
そうだ、そもそもあの会談を持った日に、だらしなくこの男に身を任せてしまった。そうせざるをえない状況だとは言っても、もっと毅然としていなければならなかったはずだ。こんな男に可愛いと言われたところで、得るものはない。
秘唇を撫でていたグレンの指が、一度動きを止めて体内への入り口を探している。
それを受け入れてはだめだ。
レジーナは情熱を凍らせようとした。両手をそっと組んで持ち上げると、自分の胸元にあるグレンの頭に振り下ろした。ぶわ、という声があがって、彼の頭は湯の中に沈んだ。すかさずそれを湯の中で、膝で蹴り上げる。
そうしておいて、体を振りほどくと、さっさと浴槽から出て、入り口の籠に歩み寄り、手ぬぐいを取った。
「いってーな、おい。見事な連続攻撃だな……。マジで効いたよ」
湯から顔をあげたグレンがこちらを睨んだが、レジーナは無視した。かなり加減はしたのだ。本当に効いているわけがない。グレンも本気で怒っているようには見えない。
「話は終わったからね。侍女たちを広間に集めればいいんでしょ」
背を向けて下着を身につけながら、無愛想にレジーナは言い放った。脚の間がまだぬめっているのが癪だ。
「いや、話は終わったけどね、まだあっちは途中だし……。お前だってまだ濡れてるし……」
「うるさいわね! 飽きた女の体に気安く触らないでよ」
「そんなことで拗ねてんの? 冗談だって。飽きてないから、こっち来い」
「誰が! 一生そこに浸かってて、ふやけ死ねばいいのよ」
悪びれもせず手招きするグレンを尻目に、服を身につけたレジーナは捨て台詞を吐いて、浴室を出た。
レジーナの後ろ姿を見送り、グレンは一人で肩を竦めた。
激高しているレジーナを無理矢理押さえつけて抱いてしまうのも楽しそうだが、今日はやはり無駄な体力を使うのはやめておこう。あの状態のレジーナに思い知らせてやるのは、もう少し先の楽しみに取っておく方がいい。
それにしても扱いにくい女だ。
先日宴会を開いた広間には、侍女・女中が全員集められていた。総勢で士官と同じくらいの人数はいる。小さな子供から年老いた厨房の料理人までも集めたのは、ほんのささやかな嫌味だった。
グレンは居並ぶ女たちに実に嬉しそうに笑いかけながら、一人ずつ話を聞いて回っている。レジーナは少し離れて彼についていたが、年齢や結婚歴、この城に来た経歴などを聞いているらしい。グレンのすぐ後ろには、彼の副官が控え、羊皮紙にグレンの言ったことを何やら書き込んでいた。彼も疲れたような顔をしているのは、気のせいではないだろう。
レジーナが女たちを集め、沈痛な表情で司令官への夜伽の話を切り出した時、侍女たちは押し黙った。幾人かは何故自分が、という顔でレジーナを責めるように見た。
大切な臣下や召使いを恨みたくないが、グレンの話を思い起こす。レジーナひとりをグレンに差し出し、侍女たちは安穏としている。主人であるレジーナが至らないせいもあるだろうが、客観的に見れば、やはり不忠義ではないだろうか。
だが、そうは彼女たちに言えなかった。反感を買うのが怖かったからだ。グレンと比べてなんと器が小さいのか。再び自己嫌悪に陥る。
ふってわいたような災難に、侍女たちは色めき立ったが、結局は侍女頭やレジーナの腹心の侍女たち、イブのように彼女を慕う若い侍女や女中たちが、すすんでレジーナの苦悩を語り、申し出を受けてくれたことで、表向きは全員納得してくれた。
一通り女たちへの質問を終えると、グレンは副官に何事か告げ、並ばせた女たちに向き直った。
「ご婦人方、ご協力ありがとうございました。今後お世話になるのですから、できる限りお互いの親睦を深めようと考えました次第です。副伯に代わりまして、お留守の間は我々が皆様を保護しますので、ご心配なく。万一部下が不埒な真似をしでかせば、遠慮なく私にご相談ください」
何を抜かす。お前が一番不埒だろうが。
にこやかに演説を始めたグレンの取り澄ました顔に、飛び蹴りでもくれてやりたかった。
よく分からない美辞麗句を並べ立てた後、女たちは一度それぞれの仕事に戻るように伝えられた。呼び出す女には各々声をかけるらしい。
「いや~、いいねー。ほんとにここは美人揃いだな」
女たちが退出し、レジーナとグレン、副官の三人だけになると、グレンは表情をだらしなく緩ませた。
「お褒めにあずかりまして……」
他人がいるので、レジーナは苦々しくそれだけ言った。
グレンは副官に近寄り、彼がひたすら書き込んでいた一覧を眺めた。レジーナもちらりと覗いたが、侍女たちの名前や年齢、容姿などが書き込んであるようだ。どんなことが書かれているのか好奇心は湧いたが、読んでも楽しい気分にはならないだろう。
「よし、じゃあ今日はこのマイラって女にしよう。お前、丁重に呼んでこい。それから厨房に行って、メシの準備もさせておけ」
副官は恭しく頭を下げて、広間を退出した。
侍女を呼び出す役目を押し付けられるかと思っていたレジーナは、少しだけ安心した。本来なら自分がすべきことかもしれないが、やはり自ら部下を毎夜呼び出し、グレンの寝所に送るのはつらすぎる。
「そういうわけで、お前は今日から一人でメシ食って一人でエッチしろ」
「乱暴なことしないでよ」
グレンの冗談に取り合わず、硬い声でレジーナが言うと、彼は軽くレジーナの肩を叩いて、自分も広間を出て行った。
泣きたい。疲れてしまった。
何に対して疲れているのか分からないほど、今日は色々なことがあった。
こんな時に夫がいれば、思いのたけをぶちまけて、泣いて怒る彼女を優しく慰めてくれるだろう。会いたい。優しい声を聞きたい。
(裏切ったくせに……)
心の深いところから、自分で自分を苛む声が聞こえる。三日前、夫を裏切って、本来心を預けてはいけない男と、望んで抱き合った。もう同じことは起こるまい。だが、そう決意したところで、また夫を頼って涙するのは、都合が良すぎないか。
束の間、レジーナは他にに誰一人いない、だだっぴろい部屋で、顔を伏せて逆巻く様々な感情に身を浸した。
「失礼します」
突然の声に顔をあげると、グレンの側近の男が戻ってきていた。最も司令官の側にいることが多い副官である。
慌ててレジーナは姿勢を正す。軍人にしては小柄な副官は、レジーナの正面に歩み寄ると、彼女の目の前に小さな袋を差し出した。
「これは?」
「避妊薬です。よろしければご婦人方に使わせてください。成分に不安があるなら、そちらで薬に詳しい方に確認していただいて結構です」
袋を受け取って開けると、この前レジーナが侍女の一人からもらったのと似たような丸薬が詰まっていた。
「司令官様のご指示ですか?」
レジーナが尋ねると、彼は首を振った。
「いいえ、私の一存です。グレン様はこういったことには無頓着ですので。非常に有能な方ですが、女性には野心は無いと思っていらっしゃるふしがあります。ですが私は無用な混乱を招きたくはないのです」
レジーナのように、グレンに抱かれる女たちの体を心配してのことではないらしい。青年の意図が分からず、レジーナは眉を寄せた。その仕草に応えるように副官は言葉を続ける。
「せっかくあなたの元でまとまっている婦人たちの幾人かを、グレン様が無用に重用したりすれば、あなたを侮って追い落としたり、グレン様の正妻に納まろうという人間も出てくるかもしれません。女性の中には、ご自分で何もしなくても、力ある人間に気に入られているだけで、権力があると思い込む方が多いですので」
副官の言葉にレジーナは苦笑いを浮かべた。それは女に限った話ではないが、確かにそうだ。夫の権力をかさにきて、好き放題をする無能な女たちを、レジーナは数多く見てきた。そして何人かはその安穏とした地位から追い落としてやった。様々な方法で。
侍女たちの中にも、特にグレンに気に入られれば、舞い上がって野心を持つ人間が出てこないとは限らない。
「ありがとうございます。使わせていただきます」レジーナは丁寧に頭を下げた。「そうですね。野心ある女が、力のある男に近づく時には、子供は最大の武器ですからね」
普段無表情な副官は、やや目元を和ませた。
「グレン様はくだらないことほどむきになってやりたがるので、今止めても無駄だと思います。いずれ飽きるでしょう。──それまで、奥方様も、どうかご婦人たちに目を行き届かせてください」
レジーナも微笑んで頷いた。
「ええ。できることはします。私のとこの女たちが司令官殿に取り入ったせいで、そちらの本来の仕事に差しさわりが出ても困りますものね」
「いえ、それは多分無いでしょう」彼の返答は素っ気無かった「グレン様は混乱を招いて邪魔になるような人間なら、どんなに可愛がっていた女でも始末します。自分の子供でも同じことです」
背筋が冷える。そういうことか。副官がくれた避妊薬は、公国軍に混乱をもたらさない為というより、やはり侍女たちの身を守る為のものだったのだ。
グレンに近づき、子供を使って彼に取り入り、場合によってはレジーナを追い落とそうとするような女は、邪魔になれば即刻グレンに始末される。
女の順列を簡単に入れ替える、あるいはそう錯覚させるような子供は、侍女の野心に火をつけないためにも、できない方がいい。彼はそう考えたのだろう。
副官の言葉は、全く抵抗なくレジーナの胸に沈んだ。
グレンならそうするだろう。邪魔者、役に立たない者はためらいもなく処分するはずだ。
戦利品としての価値を失ったレジーナも例外ではない。
回を追うごとに、すこしずつ話が長くなっちゃってすみませんです。
一区切りするまでは、この長さが続きそうです。
せめて飽きられないように頑張ります。
作者ブログ『椰子の実ライブラリ』
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