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また…長いです。
二話目は、おなじみの人々の話です。
第三章 2.最も短い夜
 今夜、多くの士官たちは、大広間で素朴ながら手をかけた料理と、大公や国王にも献上された銘酒を味わっていたが、不幸にも見張りを言いつけられた者たちもいる。とりわけ夜風にさらされる、城館の見張り塔の番に当たった士官は気の毒だろう。
 司令官であるグレンの「俺からの差し入れだと恩着せがましく与えてこい」という命を受けて、葡萄酒がたっぷり入った大きな酒壷を持ってきたはいいが、見張り塔の下、城館の屋上では、広間の行儀のいい宴会に飽きた士官たちが数人集まって車座に座り込み、男だけの遠慮のない馬鹿騒ぎに興じていた。さすがに見張り番の当人である士官は、階段を上った塔の上で見張りを続けているが、真下で乱痴気騒ぎをされたのでは、気が散って仕方がないだろう。
 今夜は夏至である。一年で最も昼が長く、夜が短い。先ほど地平に沈んだ太陽は、この宴会が終わって人々が眠りに就いた頃に、再び東の空から上ってくる。
 この山地では、夏至の頃からのふた月ほどが、最も生命の輝きに満ちる短い夏だ。春の訪れを祝う謝肉祭より、秋の収穫祭より、夏至の祭りが最も盛大だという。日中は司祭や村の長老を交えて、広場で山地の聖人への感謝の儀式が行われた。夜になっても、城下では領民が祭りに興じているようだ。城館の屋上にいると、城下の家々の明かりや広場からの喧騒が聞こえてくる。
 事実上、占領されたことになるこの城の女主人も、大公の軍に抱く思いは複雑だろうが、今夜は同じ山に住む者として、士官たちを宴に招待してくれた。副伯夫人は自尊心が高く、頑なではあるが、まるっきりの考えなしではないらしい。山中に間道工事に出ていた隊も、今夜は交替を兼ねて戻ってきていて、城館内は久しぶりに賑やかになった。
 グレンが率いる軍の士官も経歴は様々だ。平民から兵士になり、手柄を立てて隊を任せられるようになった者、貴族や騎士の家に生まれた者、司令官と同じく傭兵や冒険者のような遊歴から引き抜かれた者。広間で夫人や侍女たちとの会話を楽しみ、礼儀正しく振舞って、心づくしの料理を味わう者もいるが、元が無法者であった士官たちなどは、堅苦しい宴会に飽きてしまったようだ。幾人かは、夜風に吹かれながら、葡萄酒片手に、婦人の前ではとてもできない類の話に興じている。
 それ自体は構わないが、うっかり酒を届けに来た彼も、車座になった赤ら顔の士官たちに捕まってしまった。断る間もなく、汚い杯を渡され、葡萄酒を注がれる。つきあいだと思って一杯飲み干すと、立ち上がる前に、すぐ次を注がれて、広間に戻る機会を逸してしまった。
 五、六人集まった士官たちは、なにやら女性との秘め事についての話に花を咲かせていた。
「相性だ、相性。それさえ良ければ、大したことしなくても女はイクって」
「バカじゃん、お前。そんな感覚に頼ってると、いつまで経っても上達しないんだよ。あそこの指使いがうまくならないと……」
「いや~、あそこん中は実は女はあんまり感じないらしいぜ。それより前のお豆ちゃんを攻めてやった方が喜ぶって」
 輪の中心にいるのは、四十代も半ばの大柄な士官だった。名をモーリスという。まだ黒々とした髪を短く刈り、上着を脱ぎ捨てて屈強な肉体を晒している。他の士官たちに取り囲まれて、休みなく杯を口に運びながら大声で笑う姿は、栄えある大公軍の大隊長というより、酒盛り中の山賊の頭であった。
 司令官のグレン同様、彼もたたき上げの傭兵出身であることを考えれば、他人にそんな印象を抱かせるのも無理はない。他の軍や貴族たちからは、密かに「野犬」と揶揄される彼は、グレンの命令しか聞かないし、モーリスの部下はモーリスの命令しか聞かない。外部からは扱いづらいことこの上ないだろうが、グレンが抱える軍の中でも、彼の隊は最も勇猛果敢で目覚しい働きをする。
「なあ、ロデリック」
 大層あけっぴろげな話をぼんやりと聞きながら、甘い葡萄酒を啜っていた彼に、突然モーリスが声をかけてきた。ロデリックが顔を上げて小さく返事をすると、よく日焼けしたモーリスはにんまりと笑った。
「お前さんはどう思う? 女をイカせる決め手は何だ?」
 言葉責めだよ。
 思ったが、当然口にはしなかった。代わりに気まずそうに目を伏せる。酒が入って顔が赤らんでいるので、今回は尻に力を入れて力む必要は無かった。
「あの……モーリス様……、いかに宴の最中とはいえ、そのような話を大声でするのはいかがなものかと……大公の戦士として……」
「カタいこと言うなって。お前さん、頭がいいんだから、さぞ勉強してるだろ。古代帝国の『女をイカせる十二か条』とかいう本でも読んでるんじゃねえのか」
 ロデリックの反対側にいたモーリスは、周囲の士官を押し退けて彼に近づくと、分厚い掌で背中を叩いた。酔って加減を知らないのか、ロデリックが咳き込むほどの力である。
「さあ……そのような本は存じません」
 いてえよ、オヤジ。
 舌打ちしたいのをこらえ、ロデリックは眉をしかめて首を振った。そんな本があれば、ぜひとも読みたい。
「隊長、そんなに副官殿を問い詰めたらいけませんよ」
 士官の一人が、ロデリックに底意地の悪い視線を送った。隣の士官も頷く。
「そうそう。いくらお勉強して知識があったって、実践が伴わなきゃなあ」
「お? まあなあ」
 モーリスは、うろたえながら俯きがちになる副官の顔を覗きこんだ。
「なあ、ロディ。この際だから、俺たちにぶっちゃけちまえ。あんた、女とヤったことないって噂は本当か?」
「いえ……私は……」
 ロデリックは視線を泳がせた。グレンが余計な噂を流したせいで、こんなことを正面から問い詰められるとは。しかしここは否定する方が、「相手は誰だ」などと、より彼らの興味を引いてしまうことになるだろう。
「隠すこたあねえ。あんた、勉強で忙しかったもんな。それにその体格じゃあ、女にゃもてねえよな」
 きっぱりと言い切った後、悪びれもせずにモーリスは続けた。
「俺はな、自分の隊の若いのの筆おろしをたんと世話してやってんだ。ここはひとつ、少年と呼ぶにはもうとうが立っちまったあんたの為に、ひと肌脱いでやろうじゃないか。公都じゃあ、その年まで童貞だなんつったら、まず女に気持ち悪がられるが、この片田舎なら、あんたみたいな男でもいいっつー、変わった女いるかもしれねえぞ」
 さりげなくかなり失礼なことを言われている気もしたが、とりたてて腹も立てずにロデリックはただ首を振った。
「いいえ。城内や城下の方への乱暴は禁じられていますので」
「乱暴しなきゃいいだろが。要は女をうまく丸め込んじまえばいいんだよ」
 モーリスは再びロデリックの背中を叩いた。咳き込みそうになりながら、ロデリックは弱々しい声で反駁した。
「しかしですね、未婚の女性と……えー……男性の間に、あー……何かがあった場合、やはりこの地方では結婚相手として認識されるのでは。そうすると、私、まだ結婚などする気はありませんので……」
「アホか、お前は。童貞が初物狙ってどうする。標的は人妻だ」
「はあ……」
 顎を落として、力なく頷くロデリックの肩に手を置き、モーリスは酒臭い息を吐きながら言った。
「もう二年近くもここには男どもがいないんだぜ。奥様方は熟れた体を持て余してるに決まってる。あーもう若い男なら誰でもいいわってとこに、お前がのそーんと現れてみろ。退屈しのぎには丁度いいと思われるぞ。年増を狙え」
「はあ……」
「あ、でも侍女頭はダメだぞ。俺が密かに狙ってるからな」
 脱力しきって頷いていると、別の士官が呂律の回らない声を上げた。
「あ、俺も。あの歩き方からして、たまんねえよなあ」
「いくつくらいなんだろうな」
「俺、厨房で見かけるぽっちゃりした子好き」
「あれだったら、黒髪の料理女の方が良くねーか?」
 いつの間にやら、男たちは勝手に女性の品評会を始めている。司令官によって、婦人との交渉は厳禁とされているが、娯楽の少ない山中のこと。日々訓練に明け暮れる男たちの興味といえば、やはり女しかない。
「ロディ」モーリスが馴れ馴れしくロデリックの肩をがっしりと抱いた。「今のうちだぞ。工事が完成して、下に攻め込むことになったら、命を落とすことだってあるだろ。後悔しないように、今できることはやっておけ」
 酔っ払っているモーリスの声が、ふと重くなった気がした。ロデリックは首を動かしてモーリスに目を向ける。黒い瞳と視線がぶつかった時、彼の頭を何かがかすめた気がした。
 しかしそれを捉える前に、モーリスは再び大きく相好を崩した。
「まっ、とりあえずは女を知ることだな。ひょろひょろのお前を見てて、母性をくすぐられそうな相手を選ぶんだ」
「はあ……」
「副伯夫人なんかどうですかね」
 ぐびりと音を立てて酒を飲み干した、若い士官が声を上げた。一同に、僅かに戸惑い、大隊長であるモーリスの顔色を窺うような空気が漂う。様々な侍女や女中、城下の女たちを評価するような話は出たが、女城主である副伯夫人については、意識的に誰もが避けていた。思わずこぼした当の士官も、やや気まずそうにもう一口、酒を飲んだ。
 戸惑うような士官たちを一瞥し、モーリスは口を開く。
「副伯夫人ねえ。それもアリかもなあ」
 それを聞いて、士官たちを包む空気が緩んだ。副伯夫人といえば、彼らとは身分を異にする高貴な婦人であり、しかも今夜の宴に招いてくれた当人である。無闇に彼女を話題に出すのは、隊長であるモーリスの叱責を招くかもしれないと恐れていた彼らは、この場は本当に無礼講だと知り、よりはめを外して騒ぎ始めた。
「いい、いい。副伯夫人!」
「あの目つきからして、たまんねえよなあ」
「脚、綺麗なんだろうなあ」
「俺、奥方様の馬になってもいい」
「俺も」
「ロディ、それでいけ。お前、そういうの好きなんだろ。『私を縛って踏みつけてください』って哀願してみろ」
 口々に勝手なことを言っている士官たちに、さすがにはあ、と返事をすることも憚られ、ロデリックはただ俯いて酒を啜り続けた。
「情けねえなあ、お前ら」
 モーリスの太い声が、士官たちの喚きを遮った。
「ああいう生意気そうな女こそ、中身は脆いんだぜ。あの意外にでかい胸とか、男に触ってくれって言ってるみたいじゃねえか……」
「いい加減にしないか」
 さらに副伯夫人の肉体について、口上を垂れようとしていたモーリスを、今度は別の声が強い口調で遮る。
 車座になった一同が声の主に顔を向けた。いつの間にか、盛り上がる彼らに別の隊の士官が近づいてきていた。夏までの間道工事の管理をしていたガブリエルは、険しい目つきで、ほろ酔い加減の士官を見下ろしている。
「おい、なんだよ。楽しく盛り上がっているのによ」
 わざとらしく大きな舌打ちをして、モーリスは突如現れたまま仁王立ちになっているガブリエルを睨んだ。彼の半分ほどの年齢の若い士官は、視線を受け止めながら無表情で答える。
「盛り上がるのは結構だが、話題は選ぶべきではないか。夫人への侮辱だぞ」
「侮辱とはなんだよ。見た目と違って可愛い婦人かもしれないって、誉めてるんじゃねえか」
「可愛いなどと……副伯夫人に対して畏れ多い。宴席とはいえ、最低限の礼儀は弁えるべきだ」
 冷ややかな声で言うと、ガブリエルはロデリックに顔を向けた。
「ロデリック、貴殿もこのような場で、いつまでも騒ぎに付き合う必要は無い」
 名門貴族の息子であるガブリエルと、たたき上げの傭兵出身のモーリスは、元からそりが合わない。加えて、どちらも安易に他人に阿らず気難しい気質である。
 モーリスはわざと音を立てて酒をあおり、嘲笑を浮かべて呟いた。
「へっ、童貞が童貞を庇いに来たのかよ。美しい友情だな」
 それを聞いた士官たちから、忍び笑いが漏れる。少年の頃は、修道騎士を目指して修行していたという生真面目なガブリエルは、浮いた噂をひとつも聞いたことがない。家柄や戦功に惹かれて寄ってくる女性は少なくはないが、彼は彼女たちを冷たくあしらっていた。軍内でも彼の女嫌いは有名である。
「いかにも私は女性を知らない」動揺も怒りも見せずに、ガブリエルは無愛想に答えた。「だが、独身なのだから当然のことだ。恥と思ったことはない」
 純潔を重んじる、敬虔な一神教徒の模範のような答えを聞き、モーリスは鼻白んだように肩を竦めた。
「あっそ。ご立派だな。俺たちみたいな誘惑に弱い人間にゃ真似できねえよ」
「神の信徒を名乗るなら、せめて努力はするべきだ」
 皮肉に対して大真面目に返したガブリエルは、モーリスの反論も聞かずに、再びロデリックを振り向いた。
「ロデリック、司令官様がお探しだったぞ。早めに広間に戻った方がいい」 
「ああ、そうですか。──では、失礼します」
 些かほっとしながら、ロデリックは銅の杯を床に置くと立ち上がった。グレンが探しているとは、碌な用事ではないだろうが、この場で延々と酒の肴にされるよりはましかもしれない。
 立ち去り際、モーリスが士官たちに向かって、仕切り直しを告げる声が背中の向こうで聞こえた。恐らく女の品評会が再開されるのだろう。

「すまない」
 屋上から階段を下ってすぐ、廊下を歩きながらガブリエルが口を開いた。ロデリックが顔を向けると、燭台を手にした若い士官は、前を向いたまま苦笑いを浮かべた。
「実は司令官様が君を呼んでいるというのは嘘だ。君があの場で困っているのではないかと思って……」
「ああ、そうだったんですか。お気遣いいただいて……」
 モーリスと彼の部下の無頼の士官たちに囲まれて、困っていたというほどではないが少々辟易していたロデリックは、小声で礼を述べた。
 ガブリエルは愛想が悪く、とっつきづらい印象があるが、意外と面倒見は良い。彼の隊の部下からも信頼は厚かった。
「君は司令官様には、言うべきことを誰よりもはっきりと告げるが、士官たちの前では意外と気後れするのだな」
「そうですかねえ」
 あの騒ぎの中で、いいように肴にされていたロデリックに、ガブリエルは少々苛立ったように言った。
 気後れしているわけではないが、そう思われて不都合は無いので、ロデリックは気の抜けた返事をしておいた。グレンに対しては、ずけずけと率直に話しているように聞こえるかもしれないが、口にしているのは、彼の心の声の一割ほどだ。あれ以上遠慮していては、三日と保たずに憤死するだろう。
 その後、二人は暗い廊下を無言で歩き、階段を下って、一階の広間へと向かう。ロデリックも饒舌な方ではないし、ガブリエルもまた無口な性質である。但し先ほどのように、他人を責める時だけ舌が回るものだから、一部の人間に煙たがられるのも分かる。
「屋上で、酔いを冷ましていたのですか?」
 無理に喋る必要も感じなかったが、ふと好奇心にかられてロデリックが尋ねると、ガブリエルは再び小さな笑い声を漏らした。
「いや……一人で屋上でゆっくり飲んでいた。天気が良かったのでな。そろそろ戻ろうとしたところで、君たちを見つけたのだ」
「はあ、なるほど」
 変わった男である。他人のことは言えないが。
 貴族や婦人にも愛想が無いガブリエルは、モーリス同様、扱いにくい存在だと思われているだろう。犬猿の仲の二人であるが、根は似た者同士なのかもしれない。
(変人ばっか。変な軍……)
 ロデリックがぼんやり考えているうち、廊下の向こうから哀愁を誘うような旋律が聞こえてきた。
 繊細な弦楽器の音に合わせて、笛のように甲高く細い女性の歌声が聞こえる。身分違いの悲恋を嘆いた歌のようだ。彼が広間を出てきた時には、士官たちは食事と歓談に興じていたが、その後で余興が始まったらしい。
 ロデリックが、廊下から大広間の隅に通じる目立たぬ小扉に手をかけると、燭台を手にしたガブリエルは小声で告げた。
「では、私はこれで失礼する」
「少し、中で飲んでいきませんか? 果物も出ていますよ」
 ロデリックに続かずに、立ち去ろうとする若者に声をかけると、彼は再び苦笑と共に首を振った。
「いや、結構だ。どうも、ああいう大人数で騒ぐ場所は苦手だ。そろそろ休む」
「そうですか……」
 社交性に欠けた、ガブリエルらしい返答である。密かに共感を覚えるロデリックは、無理に引き止めるようなことはせず、就寝の挨拶だけを返して扉を開けた。

 廊下に薄く漏れ聞こえていた音楽が、直接鼓膜に届く。心臓を羽で撫でられるような、切なく淡い弦楽器の音色。それに合わせて、流浪の民の郷愁を美しい女の声が歌っている。
 天井に据え付けられた大型燭台には、たくさんの蝋燭が灯され、庭園に向かって開け放たれた木戸から月明かりが差し込んでくるので、広間は夕方のように薄明るい。中央を塞いでいた長テーブルは隅へと移動され、女主人と大公軍の司令官が座る上座の前では、一人の女が歌い、その後ろで男がリュートを奏でている。
 一瞬、鮮やかな既視感に捕らわれた。
 何年も前のことである。ロデリックがあての無い旅の途中で立ち寄った宿の食堂で、演奏に合わせて歌っている少女を見かけた。子供が歌っているのかと思うほど高く澄んだ、美しいというより愛らしい声だった。彼は別の場所で二度まみえたその娘を、はっきりと覚えていた。
 妖艶な歌姫というには声があどけなく、清楚と評するには娘の体つきが肉感的すぎた。少女が持つ雰囲気は形容しがたく、独特の危うさを孕んでいた。
 しかし当時の彼には、踊り子の連れがいた。興味を引かれたものの、嫉妬深い連れの詮索を招くのが面倒だった為、ロデリックは少女に話しかけることもなく、彼女の歌が一息つく間を見計らって、踊り子の為の演奏を始めてしまった。
 美しい踊り子の舞が始まるやいなや、食堂中の客――主に男――が華麗で艶やかな舞姫に注目した。それまで水車小屋娘の淡い初恋を歌っていた少女は、見向きもされなくなってしまった。あろうことか、少女のために演奏をしていた、彼女の連れの楽士たちまで、踊り子にくぎづけになっていたのだ。
 少女はすごすごと食堂の隅へと後退していった。その姿を目にしても、客を奪ってしまって申し訳ないなどとは思わなかった。少女の歌は音程も外れず、声も透き通っていて上手ではあったが、素人っぽさが抜けきっていない。比べて彼の連れだった踊り子は、指先から足の爪先まで、舞を舞うために磨き上げられた、芯からの美しい踊り子だ。客がより達者な芸人――特に男客が色気のある方に群がるのは当然である。
 ただ、餌を横取りされた野良犬のような目で、美貌の舞姫を恨めしく見やる少女が、とても可愛らしかった。ロデリックは意地の悪い気分で、時折彼女に視線を投げながら、素知らぬふりで舞姫の為の演奏を続けていたことを覚えている。


 年下の侍女が蜂蜜入りの冷えた葡萄の果汁を持ってきてくれた。受け取ったシェリルは、それを立ったまま飲み干す。歌い疲れた喉に心地良い。
「シェリル様、次は羊飼いの恋歌がようございますわ」
 空になった杯を受け取りながら、侍女ははしゃいだ様子で言った。
 シェリルは笑顔で頷く。この山間の地域の素朴な歌は、ほとんど覚えてしまっていた。東の地方の、もっと洗練された複雑な音程の歌を練習していた彼女にとっては、童謡も同じだ。既に五曲も歌っていたが、こんな歌ならまだまだ歌える。
 都会で歌われるような、洗練された宮廷の恋歌も歌ってみたいが、伴奏をしている老役人のアルフレッドは、残念ながら複雑な曲を知ってはいても、弾きこなせないようだ。
「では、アルフレッド様、次は羊飼いの歌を」
 振り返って頼むと、シェリルの後ろで小さな椅子に腰掛けてリュートを弾いていた役人は、肩を竦めながらも頷いた。少々、疲れが出たのかもしれない。
「シェリル、大丈夫? もう五曲も続けているわ。少し休んだら?」
 シェリルの正面、一段高く設えられた座席に腰掛けた副伯夫人は、うっすら汗をかいている侍女を気遣うように言ったが、彼女は微笑んで首を振った。
「いいえ、まだまだ大丈夫です。私も歌は好きなので、このような場で歌わせていただけて、むしろ光栄です」
「それならいいけど……。アルフレッドは?」
 葡萄酒を片手に、レジーナはシェリルの後ろで調弦をしている役人に声をかけた。他に弦楽器を弾ける人間がいないので、アルフレッドも続けざまに演奏をしている。
「しばしお待ちを。音がずれてきていますので」
 多芸な役人は弦を爪弾き、音を聞いては、それを緩めたり張ったりを繰り返している。
「では、次の歌の前に少し休みましょうか」
 シェリルはもう一度アルフレッドを振り向き、侍女が彼の為に置いていった、冷えた葡萄酒を手渡してやった。代わりに彼が持っていたリュートを受け取り、床にそっと置く。
「それなら、少しだけ。一杯飲んで、音を合わせたら、すぐに次を始めましょう」
 老役人は汗を拭い、彼女から受け取った酒をおいしそうに口に含んだ。
 この山間の城では、他人に見せられる芸ができる人間などいない。とにかく娯楽が少ないのだ。村人と城内の人間だけを集めた祭りなら、地元の下世話な歌と踊りで十分に楽しめるだろうが、今夜の祭りは一応、副伯夫人が駐留中の大公軍の士官たちを招待している形になる。何かひとつ、洗練された余興でも見せたいところであったが、芸達者な人間は副伯と共に遠征に出ていた。残っているのは、弦楽器が弾けるアルフレッドだけだ。
 侍女たちも仲間うちで歌を歌うことは少なくないが、士官たちの前でとなると、尻込みして誰もやりたがらない。そこで幼い頃から歌に慣れ親しんできたシェリルが、余興を務めることになった。

 余興を引き受けた理由はもうひとつある。
(マイラ、大丈夫かな……)
 シェリルが世話になっている古参の侍女、マイラのたっての頼みで、強力な眠り薬を調合したのだ。
 マイラのかつての主人にあたる、副伯の従兄弟エドワードは、山中で間道の工事をしていた大公軍に捕らえられた。副伯夫人がいくら要請しても、司令官はエドワードの身柄を渡そうとはせず、牢に捕らえてしまった。
 野心がありそうに見えるエドワードは、シェリルには危険に映る。彼が幽閉されていることは、彼女にとっては安心だったが、マイラが心を痛めているのも、また無理もないことである。
 夏至の祭りの夜くらい、エドワードにせめて葡萄酒を差し入れたい。
 レジーナを通じて、大公軍の司令官に何度頼んでも面会が叶わなかったマイラは、ついに内密にシェリルに頼んできた。正義感が強いマイラが、そのような大胆なことを考えるとは、シェリルにも想像しがたかった。よほどエドワードに思い入れがあるのだろう。
 マイラはエドワードに対して、特別な想いを抱いているのかもしれないが、彼女には婚約者がいる。マイラが密かに牢の鍵を開け、エドワードを脱獄させるようなことはないだろう。副伯とレジーナに対して忠誠心が厚く、生真面目な娘だ。
 それに大公軍がエドワードを山の中で捕らえたことは、偶然ではない。シェリルはマイラやレジーナに対して罪悪感は感じていた。
 今ごろマイラは、牢の中で懐かしい元の主人と会えているだろうか。ずっと昔、シェリルも同じように牢に捕らえられた男に、密かに会いに行ったことを思い出した。
 マイラに協力して、牢の見張りにはシェリルが酒を届けた。その後、薬で眠り込んでしまった士官が後でシェリルに不審を抱いても、広間の真ん中で歌っていたなら、身の潔白を証明できる。こうなってくると、余興を頼まれたのも好都合であった。  
   
 仕方なく引き受けた割には、士官たちの注目を集めて、お世辞混じりの拍手をもらううちに、段々調子が良くなってきた彼女である。すっかり歌姫気分に浸り、もしかして若い──そして当然見目の良い──士官に見初められて求婚されたらどうしようかなどと、いらぬ心配までしていた。
 テーブルが広間の端に寄せられ、空いた空間の思い思いの場所に散った士官たちは、時折士官同士、そして侍女たちとの会話を楽しみながら、概ねはシェリルの歌を聞いていた。
 集団の中央に立ち、若い侍女や士官たちに囲まれている、よく目立つ青年は、筆頭士官のニコラスである。彼は音楽や芸術に興味が深いらしく、シェリルが歌を始めてすぐから、最前列に立って彼女の歌を聞いていた。最も厚い人の輪に囲まれている彼が、シェリルを熱心に見つめているのは、少しばかり彼女の虚栄心をくすぐった。
 無論、歌を聞いているだけであって、シェリル自身を見つめているわけではないのだが、彼女の好みである典型的貴公子風の青年と目が合う度に、昔から逞しかった想像力が騒ぎ出すのであった。
『シェリル様、今までこんなに美しい歌声をお持ちだとは存じませんでした。ぜひ、私の生涯専属の歌姫となっていただけないでしょうか』
 とニコラスが進み出れば、広間の隅にいた別の若い士官も立ち上がる。   
『待ちたまえ。シェリル様には、今私がお声を掛けようとしたところだ』
『いや、私もだ』
『抜け駆けはするな』
 広間じゅうから我も我もと、彼女の歌に聞き入っていた士官たちが踏み出し、一触即発状態となったらどうしようか。
(待って、皆様。私は生涯、どなたとも結婚するつもりはありません……)
 アルフレッドの隣で完全に想像の世界に入ってしまったシェリルが、彼女に群がる若者たちをどう抑えようかなどと、全く必要の無いことを考えていると、
「シェリル様」
 本当に彼女に声を掛ける者があった。当のニコラスである。
 シェリルが慌てて姿勢を正して彼に向き直ると、青年は微笑んだ。胸を弾ませるシェリルの前で、彼は口を開く。
「素晴らしい歌でした。夏の森の妖精と見紛うばかりでしたよ。──アルフレッド様も、今宵は本当にありがとうございます」
 侍女と老役人は、揃って恐縮するように頭を垂れた。シェリルは生まれてこのかた、妖精のようだなどと褒められたことはないので、顔を伏せながら唇を噛んで、言葉の余韻を味わっていた。
「それではまだ宵の口ですが、私はこれで失礼させていただきます。どうも少々飲みすぎてしまったようでして」
 彼と会話を楽しんでいた、若い士官や侍女たちが、小さく落胆の声を上げる。
 シェリルも同感であったが、顔には出さず丁寧に礼を取った。すかさずニコラスは、さらに深く礼を取って跪くと、シェリルの長い服の裾を取って口づけした。最上級の貴婦人への礼である。その洗練された仕草を見た侍女たちの中には、溜め息をつく者もあった。
 続いて青年士官は立ち上がると、上座にいるレジーナの前に進み出る。杯を手にしたアルフレッドの体に、うっすらと緊張が渡るのが肌で分かった。
 ニコラスはしかし、礼儀に則って剣の長さほどの距離を置き、レジーナの前で跪いた。
「奥方様。今宵はかように雅やかな祝宴にお招きいただきまして、誠にありがとうございます」
「いいえ……。お楽しみいただけましたら幸いです」
 城内の人間の視線を集めることには慣れているはずのレジーナだが、少々狼狽しているようだった。答えながらも視線が定まらない。
 ニコラスは誰に対しても礼儀正しいが、特に副伯夫人への崇拝と賛美は隠そうともしない。シェリルの目には、それは敬愛を超えた特別な関心のように映っている。恐らく他の侍女たちや、大公軍の士官たちも──そして当のレジーナも気づいているだろう。だからこそ、うろたえているに違いない。都会では、既婚者と独身者の恋愛も、肉体関係を含むにしろ含まないにしろ、公然とまかり通っているようだが、生真面目なレジーナはそういった駆け引きに慣れていない。それがニコラスにはさらに初々しく映るのではないだろうか。
 実直な役人のアルフレッドは、ニコラスが副伯夫人へ露骨に接近するのを好ましく思っていないようだ。しかしレジーナの性質を知るシェリルからすれば、夫を敬愛する誇り高い彼女が、この類の青年と良からぬ関係に陥ることは、考えにくかった。むしろ。
「銘酒の香りにつられて、慣れぬ酒を飲みすぎたようです。ひとまずここで中座させていただきます。ご無礼をお許しください」
「構いませんわ。どうぞお大事に」
 レジーナの返答を聞くと、青年士官は大きく礼を取り、それ以上夫人に近づくこともなく立ち上がった。レジーナの隣に座る、上官であるグレンにも軽く礼をして、広間の出口へと歩き去っていく。ほとんどの人間がその後ろ姿を見送った。容姿、立ち居振る舞い、朗々とした声などが作り出す雰囲気が、人目を引かずにおかない青年である。勇気を出して彼に話しかけていた侍女たちも、非常に残念そうであった。
 シェリルも同様である。望まれれば夜明けまでも歌うつもりだったが、最前列にいたニコラスが去った途端、どっと疲れが出てきた気がする。現金な話ではあった。

「シェリル殿」
 もう歌もやめようかなどと考えていると、上座から呼びかけられた。
 彼女は慌てて振り返った。声の主は司令官のグレンである。目が合うと、彼は穏やかに微笑んだ。
「いや、ニコラスの言う通り、素晴らしい歌でした。私などは音楽や芸術には疎い性質ですが、機会があれば、ぜひ大公の前でもご披露いただきたいものですな」
 繁栄する公都の主である大公は、学問や芸術にも理解があり、大学に資金を提供して規模の拡大に努めているという。シェリル個人は大公に興味が無くもないが、今は立場が立場である。
 シェリルはグレンの隣に座するレジーナをちらりと見た。伏し目がちな彼女は、特にシェリルに視線を送ってこない。
「ありがとうございます、閣下。機会がございましたら、是非」
 シェリルは再び礼を取って、無難に答えておいた。機会があれば。無ければ大公の前に出ることもないということだ。シェリルの胸中を知ってか知らずか、グレンは上機嫌に見える顔で頷く。
「これほどの歌を聞かせていただいたのだ。何か褒美を差し上げたい。ご所望はありますか?」
 またもや現金な話で、褒美がもらえると聞くと、疲れが吹き飛ぶ気がした。
(お菓子かな……)
 シェリルの頭に浮かんだのは、この城では滅多に食べられない焼き菓子である。小麦粉は主にパンを作るために利用されていたため、甘い菓子を焼くという調理法は、この地方では廃れてしまった。しかし甘党のニコラスが、手に入りにくい砂糖の代わりに蜂蜜を使って、公都で食されている焼き菓子に近い甘い菓子をたまに焼いているらしい。シェリルは王都にいた頃から焼き菓子は好きだったが、ニコラスが焼く菓子は侍女や女中たちに大人気で、なかなかシェリルまで回ってこないのだった。
 しかし、褒美はと尋ねられて、「お菓子をください」というのは、まるで子供のようではないだろうか。
 シェリルが躊躇していると、朗らかな声でグレンは続けた。
「絹織物、宝石、楽器、上等の白粉、香油、古書、公都で揃わない物はありません。秋にはまた物資と食糧を取り寄せる予定ですので、お望みの物があれば、その時にでも届けさせましょう」
 いずれの品も、山村や麓の村では、なかなか手には入らない物である。シェリルとて欲が無いわけではない。美しい衣装、宝石、公都でしか手に入らないような書物、いずれも手にとってみたい。
 だが。

「ありがとうございます、閣下」目を伏せて礼を取り、シェリルは低い声で言った。「私の望むものはひとつです。副伯と軍が無事に帰還し、領民共々、今まで通り平穏に暮らせることだけでございます。私への褒美の分として、将軍にもご尽力いただければ、これ以上の幸甚はございません」
 さっさと村から出ていけ。遠まわしにそう言ったつもりだった。
 嫌味を解さない男であれば鷹揚に頷くだろうし、度量の狭い男であれば怒り出すだろう。膝を軽く折ったまま、シェリルがグレンの様子を伺っていると、彼はゆっくり苦笑いを浮かべた。
「もっともなお望みですな。平和な暮らしこそ、万民の願い。私がこの村のためにできることがあれば、全力を尽くしましょう」
 だったら、全速力で、今すぐ軍を連れて公都に帰ってください。
 恐らくシェリルの意図を知りながら厚顔無恥に笑っているグレンに、そこまではさすがに言えなかった。
「司令官様」
 よく通る、低めの女の声が響く。宴のあいだ、口数が少なかった副伯夫人である。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。今、この者が申した通り、わたくしたちの願いは、ほんのささやかなものですわ。贅沢品など、片田舎の領地には分不相応です」
 花開くように微笑むレジーナに、グレンも笑顔を返した。
「質実剛健を美徳とされているわけですかな。いや、奥方様の鑑です。公都の貴婦人ときたら、すっかり贅沢に慣れていますからね」
「あら、公都は豊かですもの。ご婦人が美しくあることは、結構ではございませんか。軍の方々も、さぞ洗練された貴婦人方が恋しいでしょう」
 だから早く帰れ。
 優雅な微笑を崩さず、レジーナは細めた瞳の奥で語った。
「妻を持つ者はそうでしょうが、我々のような無骨な軍人は、あまり華やかな貴婦人の中では居心地が悪いものです。寧ろこちらの婦人方が、副伯のお留守を立派に守っていらっしゃるのに感服ですね」
 眉も動かさずに返したグレンに対し、レジーナの視線が僅かに鋭くなる。しかし司令官は、彼女から目を逸らして、シェリルに視線を戻した。
「さて、シェリル殿、よろしければ歌の続きを。士官たちも、そちらのご婦人方も、楽しみにしておられるようだ」
 やや反った背もたれを持つ樫の椅子に座り直したグレンは、足を組みながら傍らのテーブルの杯を取る。宴の主催者はレジーナだが、ひとたび彼が動いて言葉を発すると、まるでグレンがこの場の主であるかのような雰囲気が満ちる。
 畏まって了承したシェリルと目が合うと、彼は微かに瞳を細めた。今までの愛想笑いと違う、どこか猛禽めいた笑みだった。


 **


 ひと月ほど前。シェリルは庭園で一人の男を待っていた。
 遅春のぬくもりを含んだ風が、菫よりも淡い紫の花を撫でていく。今を盛りと咲き誇るライラックの花の香りが、庭園の奥まった位置にある東屋の中にも届いていた。
 日が長くなったこの頃では、庭師は夜明けと共に起き出して、朝食も食べずに庭仕事に精を出す。彼が世話をしている植物は多種だが、やはりこの季節に花を咲かせるものが多い。これから夏至が過ぎる頃までが、庭園が最も美しい時期だった。
 朝の仕事を終えた後は、庭師は昼寝に入ってしまう。彼が再び起き出すのは午後遅く、夕方前だ。昼食のこの時間に、庭園にやってくる者は、ほとんどいないはずだった。
 庭園の東屋は、築城の頃からある古い建物である。美しい円蓋型の屋根の頂上部分には、光を取り込む穴がある。正午近くの現在、そこから日の光がまっすぐに差し込んでいた。白い大理石の床に落ちた光は東屋の壁に跳ねて、内部を明るく照らし出している。側壁は頑丈なアーチ型となって屋根の重みを支えていて、柱ごしに庭園が見渡せた。庭と反対側のアーチの隙間は、白に近い明るい灰色の石材で塞がれている。古代帝国の建築物に見られる石材の一種で、現在ではその製法は失われてしまっているという。

 降り注ぐ真昼の光は眩しすぎて、鮮やかに咲いているはずの花々が却って色褪せて見える。鈴蘭、バーベナ、小振りの薔薇、林檎。白や薄紅色の花は光が飛び散る視界に同化してしまい、濃い色を持つ菫やラヴェンダー、そしてライラックの花だけが、浮かび上がるように目に留まった。
 その中を長身の影が歩いていくる。
「待たせたか」
 背をやや屈めてアーチをくぐり、東屋に入ってきたグレンが庭園への眺めを遮った。大理石の腰掛から立ち上がっていたシェリルは、彼の前で膝を折った。
「お呼び立てして申し訳ございません」
「いや。話というのは何だ?」
 東屋の内部には、壁に沿って長椅子のような大理石の腰掛が設えてあった。そこに座って、ゆったりと庭園を眺めることができるようになっている。グレンは入り口に近い場所に腰を下ろして腕を組んだ。長居をする気は無さそうだ。
 予想より硬い彼の表情を見て、俄かにシェリルの緊張も高まる。あまり機嫌が良くはないのだろう。人目を避けるため、昼食時という非常識な時間に呼びつけたのだから、当然とも言えた。あるいは既に事態を予測しているのか。
 しかし一刻も早く、ことを正確に彼女の口からグレンに告げなければならない。問題が他の人間に発覚して、後手に回ってからでは、シェリルの立場は悪くなるばかりである。

 その前日の夜、彼女は人を殺した。
 男二人。グレンが率いている、大公軍の兵士である。
 用事があって真夜中に市壁の上にいたシェリルは、城館に戻ろうとしたところで、兵士二人が村の女に乱暴してるのを見かけた。
 運悪く、助けを呼ぶ前に彼女も気づかれてしまい、兵士の一人に捕えられた。何の巡り合わせか、シェリルを捕まえた男は、十日ほど前に彼女を陵辱した兵士だったのだ。
 同じ屈辱を味わいたくはない。危機迫る短時間で、非力なシェリルが取れる方法は限られていた。
 迷いを飲み込んだ後、彼女は女主人に教え込まれた方法で兵士の喉を切り裂いた。生温かい血に濡れて動揺する暇もない。シェリルはすぐに立ち上がり、別の場所で女の陵辱に夢中になっていたもう一人の兵士も、背後から首を一突きにした。
 半ば無我夢中の行動であったが、大変なのはそれからだった。
 強姦されかけた上に、覆いかぶさっていた男の首から溢れる血を浴びた、まだ十代後半の娘は半狂乱で泣き喚いた。動転しきった彼女がいたおかげで、シェリルは意外に冷静だったのかもしれない。
 村娘を宥め、井戸で手と顔を洗わせて血のりを落とさせると、事態の口止めをして、彼女の家まで送り届けた。どうやら恋人との逢引の後、娘は近道をしようと、市壁を上って歩いていたらしい。緊急時を除いて村民は市壁には上れないことになっているが、あまり厳格に見張られているわけではなかった。しかし規則を破ったばかりに、軽率な娘はとんでもない災難に遭ってしまった。
 娘が親や恋人に陵辱されたと訴え出れば、面倒なことにはなるが、取り急ぎは彼女を信じるしかない。シェリルは娘を慰めることもそこそこに、市壁の上へとって返した。
 悪夢の続きである、男二人の死体が転がったままであった。嫌悪と罪悪感をこらえて、シェリルは男を一人ずつ引きずり、見張り塔の中へと押し込んだ。小柄で非力な彼女には重労働であった。
 続いて、水汲み用の桶を城の洗濯場から持ち出し、一番近い井戸から運んだ水で、城壁の上に広がる血痕を洗い流す。何度も水を汲んで来なければならず、これも大変な作業だった。
 終わる頃にはくたくたで、東の空が白み始めていた。

 眠る前に、まだ最も大切な仕事が残っていた。
 夜明けと共に、シェリルは大公軍の司令官であるグレンが休む主寝室を訪れた。途中、グレンの副官の私室を通りかかった時、足が自然に緩んだ。彼の部屋を先に訪ねたいという衝動に駆られる。
 だが、こらえた。副官であるロデリックなら、事態をグレンに告げずとも、内密に処理をしてくれるかもしれない。
 しかし彼にそんなことを頼める立場ではない。兵士殺害の隠蔽など、ロデリックにとって負担にしかならないだろう。万一、それがグレンに発覚すれば、彼にどんな危険が及ぶかも分からない。ロデリックが己の危機も省みず、シェリルを助けてくれたのは、何年も前のことである。あの頃、助けてくれていた彼に対して、シェリルが少しでも支えになれていただろうか。
 その答えも分からないまま、見返りもなくロデリックの助けを求めることなどできなかった。シェリルがしたことは、それほど簡単なことではない。彼女と村娘二人の命と貞操。それを確実に守るため、やむをえなかったとはいえ、人間二人を弁解も交渉の余地もなく殺したのだ。後始末をロデリック一人に委ねて終わりとしては、自分の中で何かの箍が外れてしまうような気がした。
 結局シェリルは、まっすぐに主寝室に赴き、見張りの士官に、司令官との面会を頼んだ。早朝という非常識な時間である。丁重に突っぱねられたが、交渉を続けた結果、司令官が起床次第、内密の面会を求めるシェリルの伝言を伝えてくれることになった。どんなに頼んでも、すぐに取り次がれることがなかったのは、主寝室に別の侍女──あるいは副伯夫人が同衾していたかもしれない。

 朝方、自室の小さな暖炉で、血に汚れた服を火にくべていると、ようやくグレンからの伝言を携えた見張りの士官が、シェリルの部屋を訪れた。薬を作ることが多いシェリルの部屋には、暖炉が設えてあり、夏でも煙突から煙が上がることは珍しくなかった。
 士官から、司令官は午前中は多忙のため、昼食時に庭園の東屋にて面会に応じる旨が伝えられた。無論、了承するしかない。
 好奇心の片鱗も見せず、壮年の士官が静かに退室した後、シェリルはやっと寝台に横たわった。グレンと会うまでは眠れないかもしれないと思ったが、よほど心身共に疲労していたのだろう。すぐに意識は遠くなってしまった。

 わざとらしいほどに昼の光に溢れた東屋の中で、膝をついたまま、シェリルは前夜の出来事をグレンに告げた。市壁に上ったのは、レジーナから副伯への手紙を持たせた鳥を放つためであったが、それは黙っていた。そしてその後、副官のロデリックと会ったことも、やはり伝えなかった。
 グレンは城主の代理であるレジーナに、領民や召使いたちへの乱暴をさせないと約束した。それを違えて兵士がシェリルを強姦し、同じ兵が再び彼女を襲ったのだ。非は兵士たちにあるはずだ。
 兵士たちの死を隠蔽し、グレンや大公軍の疑惑を招けば、シェリルだけでなく、レジーナや領民の身も危なくなる可能性がある。それよりは事実をグレンに告白し、正面から申し開きする方が良いと思えた。
 グレンは黙ったまま、シェリルの話を聞いていた。表情も動かず、それが彼女に不安を募らせていく。すべて語り終えて謝罪の言葉を告げた後、ただ頭を垂れて司令官の返答を待った。
「なめてるのか、お前」
 予想以上に冷徹な声に、シェリルの小さな心臓は縮み上がった。
「貴重な兵二人だぞ。襲われそうになったから殺しましただと。それを馬鹿正直に、司令官である俺の前で、他人事みたいによく話せたもんだな」
「他人事などとは……」
「顔を上げろ」
 シェリルの言い訳を遮り、荒れた声でグレンは言った。
 躊躇を飲み込み、恐る恐る頭を上げた。褐色の瞳が射抜くように、跪いたシェリルを見下ろしている。
 咄嗟に間合いを測った。腰に下げた剣をグレンが抜き放てば、一撃で届く距離だ。緊張が全身に行き渡る。鼓動が弾み、体が熱くなった。
「俺が笑って許すとでも思ったのか。軽く見られたもんだな」
 甘かった。
 以前に兵士に陵辱されたことを訴えた際には、グレンは兵士の処罰を約束してくれた。シェリル自身が、兵士に報復をしてもよいとまで言っていたのだ。従って今回、自衛の為に兵士を殺してしまったことも、状況を斟酌され、重い咎めは無いだろうと考えていた。
 だがやはり、グレンを買いかぶっていた。いや、彼の言うとおり、見くびっていたのかもしれない。

「申し訳ございません。そういった意図はございません。包み隠さず申し上げましたのは、閣下でしたら、ご命令に反した兵士様が、私と村娘にした仕打ちについて、公正にご判断いただけると存じた次第です」
 背中を冷や汗が流れる気がしたが、シェリルは男から視線を逸らさず、さらに慇懃な口調で答えた。聞いたグレンは唇を歪める。
「公正だと? 片方は死んじまって、弁護もできねえってのに、どうやって公正に判断しろってんだ」
 彼の声が重みを増した。
 シェリルはついに目を床に落として頭を下げ、もう一度詫びる。その後の言葉が続かなかった。気圧されていて、頭が働かない。
(やっぱり……)
 先にロデリックに打ち明けて、相談するべきだっただろうか。
 もはやシェリルが頼れる人間ではないというのに、追い詰められると彼に逃げたくなる。そんな自分が悲しかった。

「顔上げろと言っただろ」
 低く鋭い声が響き、シェリルは弾かれたように、再び頭を上げる。情の感じられない眼差しが突き刺さり、無意識に彼女は首を竦めた。
 その様子を見て、グレンはやおら表情を崩して微笑んだ。眼光が緩むと、ひどく優しげな顔つきになる。
「そうびくびくするな。ちょっと、そこで立て」
 依然、警戒を解かないまま、シェリルはゆっくりと膝を伸ばして立ち上がる。
「服捲って、脚見せろ」
 彼女は唇を噛んだ。顔にうっすらと血が上る。グレンは穏やかな表情のまま言い足した。
「変な意味で言ってるんじゃない。服の下に短剣でも隠し持ってるなら、外せってことだ。俺も、喉かっきられて殺されたら、たまらんからな」
 確かに、シェリルはポールという兵士に強姦されてからというもの、服の下に常に短剣を身につけていた。今もそうだ。
 帯剣したままのグレンの前で、短剣を手放すには不安があったが、万一彼がシェリルを害するようなことがあれば、恐らく彼が丸腰であっても敵うまい。腹を括って、靴下留めの位置に取り付けておいた短剣を外し、少し離れた大理石の腰掛けに置いた。
「よしよし。こっち来い」
 先ほどとは別人のような、気の抜けた声と共に、彼はシェリルに手招きした。却って不気味なので、恐る恐る近づくと、グレンは座ったまま自分の腿を叩いた。
「ここ、お兄さんの膝に座んなさい」
 お兄さんという自称に違和感は覚えたものの、シェリルはそれには触れずに、ただ首を振った。
「いいえ……結構です。畏れ多い」
「畏れ多くないって。俺がいいって言ってんだから、いいの」
 言うが早いか、グレンは手を伸ばしてシェリルの腕をつかみ、小柄な体を引き寄せた。腰がとすんと彼の腿の上に落ちる。
 すぐに立ち上がろうとするシェリルを背後から抱え込んで、グレンは小声で言った。
「お前の話が本当のことなら、兵舎を抜け出してお前や村の女に手を出した兵士が悪い。もし、そいつらが生きていたとしても、俺が極刑にしてやったとこだが……お前の話が本当だって証拠がどこにある?」
 再び彼女の頬に血が上った。シェリルはやや眦を吊り上げ、首だけで振り向く。
「待ってください。では私の話が偽りだとして、何か私や領地の得になるようなことがありますか? 説明させてください」
「いやだ。長ったらしい説明をちんたら聞いてる時間は無いんだ。それより誠意を見せてみろ」
 シェリルの胴を抱えていた手が、両の胸の膨らみを押さえる。
「司令官様……」
 シェリルは肩を振って、体を離そうとした。予想していなかった出来事ではない。グレンを納得させるために、侍女であるシェリルができることは限られている。覚悟はしていたつもりだが、場所が場所である。庭園はひと気が少ないとはいえ、誰も来ないとは限らない。
 しかしグレンの腕の力は全く緩まなかった。
「お前の訴えが本当だとしても、俺は兵士二人を失ったことになるんだぞ。その償いぐらいはしてもらわないとなあ」
 服の上から乳房を柔らかく揉まれる。痛みは無かった。微かに疼くような感覚が伝わってくる。
 グレンの手は男の中でも大きい方だが、シェリルの豊満な乳房は、彼の掌に納まりきらないほどだった。
 先ほどの脅しが効き過ぎたのか、グレンの膝の上に座ったシェリルの体は、まだ強張っている。彼の腕から逃れようとして暴れる様子も無いのは好都合だったが、反応も今ひとつで面白くなかった。
 無論、シェリルが自分と村娘の身を守ろうとして、兵士二人を咄嗟に殺めたことについては、グレンは怒りなど覚えていない。貴重な遠征軍の兵力を失ったのは事実だが、村の女に手を触れるなという司令官の命令を守らなかった連中だ。挙句に隙をつかれて、こんな小娘一人に殺されてしまっては世話がない。
 少しばかり腹立たしかったのは、シェリルが彼の思惑を見越しているように見えたことだ。間抜けな兵士二人の命は、グレンにとってはどうでもいいが、他の人間──副伯領の人間にそう思われてはたまらない。特にシェリルのような賢しい人間に、底が見えたと知れれば、後々ずっとなめられる。
 シェリルもただの侍女ではなさそうだが、抑えた声での恫喝は効果があったようだ。怯えを見せまいと無表情を装う娘の様子がまた愛らしかったが、そろそろ警戒を解かせてやってもいいだろう。

 背後から伸びた無骨な指先が、意外に器用に襟元の紐をほどく。そこから素早く手を滑り込ませると、グレンは続いて胴着の紐を解き始めた。
「待ってください、グレン様」
「だめだ。生で触らせろ」
「そ……今、ここでじゃなくて、せめて夜、寝室で……」
 自分の言っていることが恥ずかしくて、シェリルの言葉は尻すぼみになる。
「そんな当たり前のこと、つまらんだろ。真っ昼間だからいいんじゃないか」
 しかしグレンは頓着しなかった。肌着の紐もすぐに解かれ、胸元を広げられて、白い素肌がむき出しになる。肌着の中に手を差し入れたグレンは、豊かな乳房を掬い出すように露出させた。
「人が来ます」
「来ない来ない。ここに来る人間なんて限られてるし、今昼飯どきだぞ」
 シェリルが腰を浮かせようとしても、乳房をがっしりとつかまれて、動けない。
 確かに庭園に入ることができる人間は少ない。庭師。侍女頭。執事。レジーナ。それにロデリック。だが、彼らがここに来ないとは限らないのだ。こんな姿を見られたらと思うと、ますます顔が熱くなる。

 乳房を弄っていた指先が、中心の蕾をかすめた。切ないような痺れが突き上げる。白い肌の中で、淡い褐色が混じった薔薇色に染まったそこは、既に硬く浮き上がり始めていた。
 シェリルが僅かに下半身に力を込めたのに気づいたのか、グレンは掌で乳房を撫でながら、指先で乳首を責め始めた。先端を指の腹で、押し込むように強く撫でられる。しかし可憐な蕾は、それに反発するように、さらに硬く尖っていった。
 彼女は唇を噛んで呻きをこらえたが、触れられて鋭い感覚が流れてくるたびに、グレンの脚の上にある下半身が、もぞもぞと動いてしまう。
「正直でかわいいな、お前」
 吐息と囁きが耳の穴深くに届き、右の耳を軽く食まれた。歯は当たらず、唇ではさまれるだけの、淡い愛撫だったが、鳥肌が立ちそうになるほどの刺激を覚える。眉を寄せてそれをこらえると、指先で乳首を弾かれた。
「う……!」
 不意に襲った強烈な快感は、シェリルに甲高い声を上げさせた。
「声出していいって。我慢すんな」
 囁きながら、グレンはシェリルの耳朶を舌で撫でた。低い声はどこか蠱惑的だ。全身の産毛を逆立てられたようだった。
「でもっ……人が……」
 言うべきことは、そんなことではないはずだが、体中の皮膚から溢れる甘い感覚で、早くもシェリルの脳は霞み始めていた。昼間からこんな場所で情けないと思いはしたが、どうにもならない。
「来ないっつーの」
 乳首を指先で摘まれる。
「あっ……う……う……」
 体が熱い。もどかしい疼きが下腹を刺激し、シェリルはさらに腰をよじった。
 グレンの固い腿の上で、娘の尻が悩ましく蠢き、既に立ち上がりかけていた彼の股間に、何度かぶつかった。

「ちょっとどいて」
 胸を弄っていたグレンの手が、シェリルの腰をつかんで、彼女の体を浮かせた。シェリルがようやく立ち上がると、彼はその腕を引いて、彼女を反転させる。
「お前の言いたいことは分かった。兵士二人を殺したことは、お前と村娘しか知らないんだな」
 腕を捕えたまま、グレンはシェリルの瞳を覗き込んだ。まだ熱にやや上擦った声で、彼女ははいと短く答えた。
「レジーナにも言ってないのか」
「お伝えしていません」
「なら、いい。夫人にも誰にも言うな。その代わり兵士二人の失踪は、俺の方で問題にならないように処理しておく。死体も適当に始末する」
 失踪。
 シェリルが手を下した兵士は、そのように処理されるのだ。彼らに哀れみを覚えたが、シェリルにそのような権利は無い。事態が大きくならずに済んだ、濁った安堵感だけを彼女は苦く噛み締めた。
 重い表情になったシェリルの前で、グレンは再び破顔した。
「てことで、忘れろ。ただし……キミには、もうひと働きして欲しいな」
「何でしょう」
 不安を覚えながら、シェリルが硬い声で尋ねると、彼は自分の下半身を差した。
「これだ、これ。ゆうべ出したばっかりだってのに、お前の乳もみしてたら、すっかり取り返しのつかない状態になっちまったぞ。責任取りなさい」
「知りません」
 再び頬を熱くしながら、シェリルはグレンの腕を振りほどいて、服装を直そうとした。しかしもう一度腕を捕えられる。
「ちょっとだけだって。お前の美乳で、俺のこいつをはさんで可愛がってくれたら、張り切って事件の後始末するんだけどなあ~」
 なんて、ふざけた男だ。断れば、兵士の件もどうするか分からないと脅しているのだろうか。
 怒りと恥じらい、それに体の奥で火がついたままの熱い衝動がないまぜになり、シェリルの瞳は潤んだ。
「ほら、座る」
 応えることもできないうち、グレンはシェリルの頭を軽く押して、座った彼の前に膝をつかせた。反対の手で、手早くベルトを外し、ズボンの留め具も外していく。布地の隙間から覗く下着の下で、彼の男性自身が窮屈そうに膨らんでいた。目にすると、シェリルの心臓は鼓動を速める。 

 下着の紐を解き、グレンが軽く服をずり下げると、鎌首をもたげた男性器がするりと外に出た。真昼の日差しが満ちる東屋で、赤黒い男根を露出させている姿が、ひどく背徳的に見える。
 シェリルは庭園をちらりと見た。人影は無い。
「誰も来ないよ。来たら教えるから。早くしないと、それこそ昼飯食い終わった誰かが来るかもしれないだろ」
 再びシェリルの頭に手を添え、グレンは彼女の体を自分の下肢へと近づけた。
 シェリルは意を決し、小さな手で微かに揺れる、屹立した男性器を捕まえた。頼りないのに、がっしりと硬い。不思議な感触だった。彼女の手の下で、それは見る間に硬度を増す。
 微かに流れてくる快感に唇を緩ませながら、グレンはむきだしになったままの、娘の豊かな乳房に目を移した。
「ムネではさんで欲しいな。──やったことあるか?」
「……あります」
「あ?」
 シェリルにあっさりと頷かれ、彼は思わず間の抜けた声をあげた。
 乳房で男のものを挟んで愛撫するなど、玄人の技術だ。慎み深い、敬虔な素人娘なら泣いて嫌がるだろう。恐らく躊躇するだろうシェリルに、半ば無理やり教え込んでやろうと思ったいたのに。
「誰だ、お前みたいな可愛い娘に、そんな下劣なこと教えたのは」
「…………」
 自分のことは完全に棚に上げて、グレンはぼやくように尋ねたが、シェリルは返事をしなかった。代わりに俯いた彼女がいざり寄り、豊満な両の乳房で彼の性器を挟むように支えた。
 そのあまりに淫らな光景に、グレンの目は釘付けになってしまった。まだ十代に見えるほどの、童顔の愛らしい娘が、大きな乳房を自らの小さな手で支えて、勃起した男のものを挟んでいる。
 彼が口に出すまでもなく、シェリルは手で乳房を動かして、男根をすりあげ始めた。先ほどグレンの手の中で、なすがままに形を変えていた柔らかい肉が、今度は彼の性器を責めている。そこはますます熱く、硬くなり、彼は軽く唇を噛んだ。

「シェリル……、先……さきっぽ、舐めて」
 快楽に熱くなったグレンの声が降ってきた。シェリルは少しの間躊躇したが、先端から透明な液体を漏らし始めているそこに、そっと舌を這わせた。独特の匂いが鼻をつき、嫌悪感が突き上げてくるが、それを押さえ込んだ。
 グレンが短い息をつく。明らかに快楽に冒されている男を目の当たりにすると、シェリルの下腹もさらに熱くなった。乳房で根元から半ばを擦りながら、彼女は敏感そうな男の先端を舐め回し、時折そっと唇で触れた。
「あ……」
 かすれた低い声が、東屋に響いた。溜め息が再びシェリルの前髪をくすぐる。
「……あのど変態、お前にどこまで仕込んだんだ」
 癖のあるシェリルの黒髪に指をもぐり込ませながら、グレンはからかうように言った。その声は相変わらず、僅かに上擦っている。
 ど変態とは、ロデリックのことだろう。グレンは、かつてシェリルとロデリックが親しい仲だったことを知っている。確かに乳房で男性自身を愛撫する方法は、昔ロデリックに教えられたことだったが、シェリルは再度グレンの言葉を黙殺した。いずれにしても、口で彼の性器を愛撫しているので、答えられない。
 潤む彼女の視界で、ふと目を留めさせるものがあった。彼の股間、濃い褐色の痴毛が生い茂る脚の付け根あたりに、不思議な気配を感じる。目を凝らせば、意外に白い肌を小さく盛り上げる刺し傷の痕があった。まだそれほど古くはなさそうだ。恐らくは、先日までグレンが寝込む原因になった傷だろう。そこに感じる馴染みのある気配は、ロデリックのものであった。
 どういうことだろう。
 彼は魔術の心得がある。傷を塞ぐ術も使える。ではこの傷は、ロデリックが塞いだのだろうか。

 思考に傾き始めると、つい手と口の動きが緩む。 
「こら、手を休めるな」
 頬に手を添えられて、上を向かされた。唾液に濡れた唇を微かに開き、シェリルは機械的にグレンを見上げる。
 惚けたような娘の表情を見下ろして、グレンは微笑んだ。
「疲れたか? こっち上ってこい」
 上体を屈めた彼は、手を伸ばしてシェリルの胴体を抱えると、自分が座っている長椅子型の大理石の上へ、軽々と彼女を持ち上げた。
「はいはい、続き。ムネはもういいから、口で続けろ」
 シェリルがおろおろとする間もなく、グレンは膝の上に猫でも乗せるように、長椅子の上でうつ伏せに体を丸めたシェリルの頭を、再び股間へと導いた。
「まだですか……」
 無駄だと思いつつ、ついそんなことをぼやくと、彼はシェリルの頭を撫でた。
「当たり前だ。お前のせいでこんなに興奮しちまったんだから、気持ちよく抜かせろ」
「私のせいじゃ……グレン様が勝手に……」
「ああ、うるさい」
 恨みがましくグレンを見遣るが、頭を強引に押された。唾液で濡れた男性器に唇が触れる。相変わらず嫌悪感は拭いきれないが、かといって絶対的なものではなかった。
 何故だかは分からない。彼を愛しているわけでもない。世の全ての男性に施せる行為でもないが、例えば、あのポールという兵士のように、グレンを殺してしまいたいと思うほど、憎しみに近い強烈な屈辱は覚えなかった。むしろそれは、シェリルの体の芯を熱くさせるような甘やかな屈辱だ。
 口を開いて、昂る彼自身を咥える。唇をすぼめて吸い込むと、グレンが再度、熱い溜め息を吐いた。
「……う……シェリル、上手だ。気持ちいいよ」
 耳に響く低い声に促されるように、彼女は舌で亀頭の下をなぞり、今度は小さな手で根元を擦りあげた。 

 髪を撫でていた男の手が、首、背中へと滑り、長椅子の上で体を丸めているシェリルの尻へと伸びた。そのまま乱暴に服の裾を捲くられ、下着の上から丸々とした尻を撫でられる。
 シェリルは顔を上げてグレンを見たが、彼は僅かに笑みを含んだ表情で、続けろとだけ言った。仕方なく、もう一度彼自身を口に含む。シェリルの小さな唇から溢れた唾液は、大量に滴ってグレンの根元と陰毛を濡らしていた。
 下着の隙間から、滑らかで柔らかい肌を押しのけて、無骨な指が侵入してくる。ぞくりと腰が震えた。
 尻の間、彼女の最も大切な場所にグレンの指先が触れた。そこは熱く、とろりと濡れている。
「お。ひとのこと言ってるけど、お前だって昼間っからこんな場所で、こんなとろとろにしてるじゃないか」
「んん……ん」
 唇をすぼめ、舌を動かしながらシェリルは目を閉じて恥辱をこらえた。
「指だって入るぞ。ほらほら」
「ああっ……あ……!」
 そのまま骨ばった指を体の中に押し込まれ、下半身から熱いものがせり上がってくる。シェリルは動きを止めて、切ない声で呻いた。
 くちゃくちゃと湿った音が尻の奥から聞こえた。グレンが指を動かし、内部を穏やかにかき回している。脳天を貫くような重い快楽が彼女を苛んだ。
「はああっ、ん……ああ……あう……」
 男性自身を握り締め、さらに涎を滴らせながら、シェリルは快楽に喘いだ。冷めた嘲笑が響く。
「ほら、休むな。俺のもちゃんとしろ」
「でも……でも、あ……! あああっ、あん、あっ」
「早くしないと、いつまで経っても終わんないぞ」
 脚の間から突き刺さる快楽、投げつけられる低い声、掌と口で愛撫している熱いもの、全ての感覚と感触が混ざり、彼女は恍惚にくらくらしながら、本能のように陰茎をもう一度咥えた。ぼたぼたと唾液が滴る。
 荒い息をつきながら顔を動かして、口内全体で彼自身を飲み込み、擦りあげた。その間もグレンの指は、シェリルの秘所を責め続ける。いつしか彼女が男を愛撫する動きと、グレンが娘の内部を探る動きは同調していた。
「んんっ……んふっ……ふううっ……」
 一体、この男は自分にとって何なのだろう。触れられることを許せる男。私を可愛がっている男。ロデリックの上官であり、レジーナがいくばくか心を許している男。シェリルから、いや、副伯からレジーナを奪いかねない男。得体の知れない、彼女にとって害になるかもしれない男を、全身をかけて味わっている。自分が娼婦に堕落したような軽い倒錯が押し寄せて、彼女の体はさらに下腹部から燃え上がった。
 ここが庭園で、今が真昼だということも、シェリルの頭の中からは薄れていく。何に突き動かされているのか分からないまま、彼女は熱くなる体の衝動に身を委ねた。口の中で男性自身を可愛がりながら、くぐもった声で快楽を訴えた。唾液にまみれた口元からも、脚の間からも、濡れた淫靡な音がする。
「シェリル……いいよ」
 彼女の秘部を探っているのとは反対の手で、グレンは小さな頭を押さえ込んだ。柔らかい唇に咥えられた彼自身が、大きく膨らんで硬くなる。
 まさか、このまま射精するつもりだろうか。
 顔を離そうとしたが、グレンに頭を押さえられて動かせなかった。
「出すぞ、シェリル。いい子だから、おとなしくしてろ」
 乱れた声で彼が言うなり、頭と尻を強くつかまれる。グレンの腰が震え、陰茎が痙攣したと思うと、口の中で生温かい液体が弾けた。

 グレンの荒い溜め息と、彼自身の震えが唇の下で収まるまで、言われたとおりにシェリルは動かなかった。しかし舌の上に放たれた液体ばかりは、どうしても飲み下せない。
 ようやく男の股間から顔を離した彼女は、涙目になって俯き、床にこっそりと精液を吐き出した。
「あー、こら。吐き出すな」
「そんなこといっても……」
 嫌なものは嫌だ。
 恨みがましくグレンを睨むと、傷ついたような表情の彼と目が合った。目の端から涙を滲ませているシェリルを見て、グレンは表情を緩めて息をついた。
「まあ、いいや。大変よくできた。約束通り、お前と村娘に不埒な真似をしたザコ二名のことは、俺が何とかする」
 有難い話なのかもしれないが、素直に礼を述べる気分になれず、シェリルは目を伏せて頷いた。瞼を閉じた拍子に、再び瞳から涙が一筋零れる。喉が苦しくて滲んだ涙に過ぎないが、何か勘違いしたのか、素早く服装を整えたグレンは、立ち上がると彼女の肩を軽く叩いた。
「泣くな、シェリル。よくやったぞ。他の男に触らせるなって言いつけをよく守ったな」
 別にグレンの勝手な言いつけを守ったわけではないが、反論するほどのこととも思えず、彼女は脱力しながら、もう一度頷いた。
 脚の間が熱い。内腿に力を込めると、そこがぬるぬると滑るのが分かった。シェリルの体は火を点けられたまま、切なく燻っている。用は済んだとばかりに、東屋を立ち去ろうとするグレンの右手に目が吸い寄せられた。つい先ほどまで、彼女の体の中を探っていた指。
 呼び止めれば、恐らく彼は快くシェリルの肉体を慰めてくれるだろう。
 しかし唇を噛んで、彼女はその衝動を抑え込んだ。


 その夜は風が強かった。冬の終わりから春にかけて、この地域では、肌を切るような鋭い風が吹く。もう初夏に入ろうという時期に、強風が吹くのは珍しかった。
 シェリルは未明に起き出すと、外套と短剣を身につけ、こっそりと城館を抜け出して、村の城壁へと上った。
 兵士を殺し、その死体を隠した見張り塔へと近づく。グレンが約束した通り、死体を始末したのかどうか、確かめに来たのだ。いくら彼が内密に処理をするとはいっても、その前に他人に見つけられては、大騒ぎになる。レジーナの耳にでも入れば、再び彼女の心労を増やすだろう。
 風が強いので、燭台ではなく角灯を持ってきていた。強風になぶられて、金具がきいきいと揺れる。塔に近づくと、風にのって、微かに生臭い匂いが漂ってきた。
 まだ遺体を始末していないのだ。
 彼女は恐る恐る近づいた。以前、彼女が冒険者をしていた頃、生ける屍に遭遇したことがある。恨みを残して死んだ者の遺体は、まれに不死の怪物と化して動き回ることがあった。
 滅多にあることではない。しかしじわじわと不安に襲われながらも、シェリルは塔へと歩み寄った。

「何してる」
 角灯の光が塔の内部に届こうかという寸前、背後から声をかけられて、シェリルは竦みあがった。
 振り向いた彼女は、大きく息を吐いた。聞き覚えのある声は、他ならぬグレンであった。彼はシェリル同様、角灯を手にして外套を纏っている。背後に別の人間──副官の姿を探したが、彼一人のようだった。
 グレンはシェリルの姿を認めると、やや眉を寄せた。
「死体の始末は任せろと言わなかったか。何やってるんだ、こんなところで」
「いえ……。すみません、心配で様子を見に……」
「心配しなくても、これから始末する」
 日中とはうって変わって無愛想なグレンの表情に怯まず、シェリルは昼間訊けなかったことを問いかけた。
「兵舎では、彼らの姿が見当たらないことについて、騒ぎになっていませんでした?」
「いや。少なくとも、俺の耳には入っていない。兵士が脱走すれば、その隊長の不祥事だからな。どこかで報告が止まってんだろ」
 グレンはシェリルを追い越し、無造作な足取りで塔へと近づいた。彼の持つ光が、洞穴のような塔の中を照らし出す。そこには間違いなく、シェリルが喉を裂いて殺した哀れな男二人が、折り重なるようにして押し込められていた。己の仕打ちの果てとはいえ、どす黒く変色し、肉の塊と化した遺体を目にして、シェリルは目を逸らさずにはいられなかった。
 グレンは特に感慨も見せずに角灯を床に置くと、屈んで一人の死体を引っ張り出した。シェリルを陵辱した、ポールという兵士である。喉の左側には鋭い傷口が開いていた。無論シェリルが引き裂いた傷であるが、彼女はかつて同じようにして一撃で殺された友人たちの姿を思い出した。涙ぐみそうになる。
(そんな資格ない)
 唇を噛み締めた。身を守る為に彼を殺しておいて、彼を哀れんだり、彼に許しを請い、自分のしたことを忘れたり、美化するようなことがあってはいけない。あの時の選択が間違っていないと思うなら。
「どうするのですか?」
 グレンの背中に小声で問いかけた。風で吹き散らされるようなか細い声だったが、グレンは聞き取ったらしい。
「ここから突き落とす。死体が下で見つかっても、転落したことにする」
 東の城壁の下は、深い谷になっている。牧草地でもなく、鬱蒼とした林なので、立ち入るのは狩人くらいのものだろう。領地の人間に発見される前に、獣に食われてしまうに違いない。ポールと、名前すら知らない兵士の末期を誰も知らないのだ。シェリルと襲われた娘、そしてグレンを除いて。
 再びかすかな罪悪感が押し寄せたが、勿論、グレンはシェリルの心情などに気づかず、ポールの遺体を抱え上げると、何の躊躇もなく城壁から放り投げた。 
 どんという、重い音が遥か下方で響いた。落下する彼の遺体が城壁にぶつかったのだろう。人間一人の重みにしては、それでもあまりに軽々しい気がして、哀れんではいけないと思いながらも、シェリルの瞳には涙が滲んだ。
 彼女がそっと目元を拭う間に、グレンはもう一人の兵士、十代の若い娘を面白半分に陵辱した小太りの男を、ポールと同じように城壁から無造作に落とした。彼の遺体は城壁にぶつかることなく、谷底の林へと静かに吸い込まれていったようだった。

 作業を終え、振り向いたグレンに、シェリルは頭を垂れた。
「ありがとうございます。司令官様自らおいでになるとは存じませんでした」
「知ってる人間は少ない方がいいからな」グレンは屈んで角灯を持ち直し、風で乱れた外套を背に払った。「元はといや、俺の軍の兵士の不始末だ。俺が動かないでどうする」
「はい……」
 シェリルが頷くと、グレンは僅かに目を細めた。
「ロデリックが来ると思ったか?」
 答えに詰まってしまった。それはシェリルが無意識のうちに考えていた、あるいは期待していたことを、言い当てられたからだった。
「お前、あいつとはどういう知り合いなんだ」
 シェリルが答えられないうちに、グレンは重ねて尋ねてきた。
「どうといっても……」
「パイズリ教え込まれるくらいだから、仲良しだったんだろうけど、夫婦だったのか?」
 博識のシェリルにも聞き覚えのない単語だったが、彼に意味を聞いても碌なことにはならないだろうと思い、彼女はそこには触れずに答えた。
「いえ……私にも説明しづらいです。ロデリック様にお聞きになってください」
「あいつがほんとのこと言うわけねーだろ」
 肩を竦め、グレンは市壁を下る階段に向かって歩き出した。あまり関心をもって質問したわけではないらしい。シェリルもその後に続きながら、ほっと肩から力を抜いた。
『あいつに魔術を使えることを知られない方がいい。君がギルドを出奔した魔術師だなんて知られたら、いいように使われるだけだ』
 以前、ロデリックに忠告されたことがある。
 グレンの目的は、山向こうの伯爵領への侵略だ。確かに奥義を使える魔術師がいれば、戦は段違いに有利になる。勿論、シェリルは魔術師の掟に従って、侵略のために術を使う気など皆無だが、グレンがシェリルの心情を尊重してくれるかどうかは、甚だ疑問であった。彼女の過去も、知られないに越したことはないのだ。


 **


「ではアルフレッド様、続きを」
 グレンに促されて、リュートを弾いていた老役人を振り返ったシェリルは、目を丸くした。
 演奏で疲れたところに、葡萄酒を二杯も飲んだためだろうか、彼は椅子にもたれて鼾をかいていたのだ。
「アルフレッド様」
 シェリルは眠り込んだ彼の肩を軽く揺さぶったが、起きる気配はない。相当疲れているのだろう。無理に起こすのも気の毒だった。
「司令官様、演奏者が眠ってしまったようですわ。余興はこのあたりでお開きにしませんこと?」
 同じく、アルフレッドの様子に気づいたレジーナが、上座でグレンに顔を向ける。グレンも肩を竦めた。

「よろしかったら、演奏を代わりましょうか」
 こうなったら伴奏なしで、とシェリルが言い出そうとしたところで、聴衆となった士官たちの中から、男が一人進み出た。副官のロデリックである。
 彼はアルフレッドの側に屈み込むと、床に置いてあったリュートを取り上げた。
 眠り込んでしまった老役人の元へは、慌てふためいて執事が若い給仕を連れて駆け寄る。何度か揺さぶっても起きないアルフレッドを、二人がかりで上座の前から抱えていった。
「お前、楽器など弾けたのか」
 シェリルの隣でにこやかにリュートを抱えるロデリックに、グレンは無愛想に尋ねた。
「戯れ程度ですが」
「それなら、初めから言わんか。アルフレッド殿がずっと続けて演奏されていたのだぞ。もっと早く交代すればよかったではないか」
「いえ、アルフレッド様には遠く及ばない腕ですし、先ほどまで使いに出ておりましたから」
 グレンはむっつりと黙った。微かな舌打ちが彼の隣に座るレジーナの耳には届いたが、シェリルには聞こえていなかった。
「いかがですか、副伯夫人。不肖、大馬鹿者ながら、私の部下に演奏の続きをさせてもよろしいでしょうか?」
 グレンに尋ねられ、レジーナはシェリルに目を向けた。一瞬迷った後、シェリルは頷く。それを見て、レジーナも頭を縦に振って答えた。
「では、ぜひお願いします」
「少しでも演奏につかえたら、広間の大燭台から逆さ吊りにしてやりますから」
「いえ、そこまでしなくても……」
 レジーナは副官が不憫になったが、ロデリックはグレンの台詞を気にした風もなく、調弦を始めていた。司令官に関する事務作業は勿論、兵舎の改築計画や弦楽器の演奏までこなすとは、多芸な男だと彼女は思った。おまけに以前に瀕死のグレンを救ったように、魔術の心得まである。体は弱そうだが、グレンが懐刀としているのもよく分かる。
 しばらく調弦の音だけが響いていた。気の短いグレンが苛々と口を開く。
「おい、まだか。婦人方をあまりお待たせするな」
「申し訳ございません。リュートは音を整えるのが難しくて」ほろんと、指先で弦を弾きながら、ロデリックはのんびりと答えた。「六十年生きたリュート弾きは、そのうち四十年は調弦をしていると言います」
「似たような話を聞いたことがあるな」
 グレンは苦笑いを見せながら、誰にともなく言った。
「四十年、一人の女性と連れ添った男は、うち三十年は奥方の機嫌を取っているそうだ」
 レジーナがじろりと目を動かし、グレンに顔を向ける。しかし彼女より先に、ロデリックが答えた。
「どちらも繊細ですから、気配りが欠かせないということですね」
 上座の後ろで、演奏の再開を待っている聴衆の間から、微かな笑い声が漏れた。主に士官と年かさの女官たちである。身に覚えがあるのだろう。若い侍女たちは釈然としない顔で目配せしあっていた。

「それではシェリル様」
 アルフレッドに代わって、演奏者用の椅子に腰掛けたロデリックは、シェリルに微笑みかけた。礼儀正しい、どこかぎこちなさの残る笑みで、彼女が個人的に知る彼の表情とは違って見える。一瞬、彼はやはり別人なのではないか、先日の出来事は夢ではないかなどという錯覚にとらわれた。
「せっかくですから、懐かしい王都の歌などいかがでしょうか。『今宵、星が輝く頃に』という歌はご存知ですか?」
 ロデリックの挙げた歌は、王都で人気のあった歌である。広場にいれば、一日に何度も芸人が歌うのを耳にした。黄昏の淡い夜空を眺めながら、恋しい人の隣で眠りたいと胸を焦がす歌である。切ない旋律と意味深な歌詞で、特に若い男女が好んだ歌であるが、この山間の地方では不謹慎だと思われそうであった。
「まあ、ロデリック様は、王都にいらっしゃったことがあるのですか?」
 自身も以前は東の王都に住んでいたレジーナは、驚いたようにロデリックを見た。
「ええ、留学していたことがございます。先日、その件でシェリル様とお話が弾みまして」
 そつなく副伯夫人に微笑み返すロデリックを、グレンとシェリルは陰険に睨んだ。シェリルは、ロデリックの後ろ頭をサンダルで叩いてやりたいと考え、グレンは、弾んでいたのはお前の股間だろうと、またも己を棚に上げて思った。
「お願いします」
 努めて穏やかな表情でシェリルが言うと、ロデリックは頷いて、膝の上に抱えたリュートの弦を爪弾いた。


  今宵、すべての星が輝く頃に
  あなたの隣で眠りたい 
 
  あなたの姿が忘れられず
  ひとり寝台に横たわる私は
  あなたの手足を探して
  冷たい敷布の上をさまよう

  あなたのぬくもりがそばにあれば
  他には何もいらない


 独特のリズムと音程は複雑で、どこか官能的だ。この地方では耳にあまり馴染みが無い。聴衆たちは手拍子を取ることもなく、純朴な恋歌を歌っていた娘が、切ない旋律に乗せて、悩ましげな歌詞を歌い上げるのに聞き入っていた。

 調べに合わせて、軽く体を動かしながら、シェリルも徐々に自らの歌に陶酔していく。ロデリックの腕はなかなかのものだった。少なくともアルフレッドでは、この曲は弾きこなせまい。
 澄んだ高い声で、恋人の腕を切望する歌詞を歌いながら、彼女は遠い昔、赤毛の吟遊詩人に扮したロデリックと、旅先で偶然に出会ったことを昨日のことのように思い出していた。あの頃、彼には美しい恋人がいて、彼女には生死を共にする友人がいた。こんな形で、彼の演奏を背に人前で歌うことがあるなどと、当時は想像もしなかった。生きていると、思いがけないことがある。
 そしてシェリルは、もしもこの地域にロデリックと辿り着いた数年前、彼が別れを言い出さなければ、こんな風に歌姫とリュート弾きとして、ふたりで旅を続けていたような人生もあったかもしれないと思った。
 だが、それもそんなに長くは続かないだろう。何年もしないうちに、飽きたロデリックが、黙って去っていたに違いない。


  暗闇の中で
  何も見えなくても
  ただあなたのぬくもりに包まれて眠りたい
  永遠に夜が続けばいいのに

次回の更新まで一週空く予定です。
不定期ですみません。

しかもまたもや推敲がうやむやなので、近々直します。
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